珠緒の梅は、花が半分ほどしか咲いておらず、蕾のものも多くある。彼女は満面の笑みで歌を詠んだ。
『蕾である梅の花は、あなたに見つけてもらうことをじっと待っています。あなたが望めば、いくらでも可憐な花を咲かせましょう』
男性の望む通りの女になろうという、珠緒らしい歌である。愛らしい彼女の声ともぴったり合っている。この時代のあるべき女性の姿を詠んだ歌だ。
従順であることを美徳とする風潮は織衣としては物申したいところであるが、さりとて歌としては完成度が高い。
「蕾の多い梅の枝木を選び、歌に被せてくるとはなんとも上手い。さすがじゃの」
咲子が、用意した梅の枝木と歌との相性を褒めた。珠緒は嬉しそうに笑いつつ、得意気な顔で他の姫君を見た。
「次は、どなたが? 幸姫さま、私と披露いたしましたので──」
「私が披露させていただきましょう」
千菊が珠緒の言葉を引き継いだ。そして、大振りの八重咲きの紅梅の枝を自身の前に置く。その見事な花の咲きっぷりに誰もが目を奪われる中、千菊は歌を披露した。
『梅の木はあなたに愛でられるために大輪の花を咲かせています。この想いをあなた以外の誰に見せようと言うのでしょう』
これまた自身を大輪の花に例え、溢れるほどの情熱をつづった歌である。千菊がこのような情熱的な歌を詠むとは意外だった。あの大輪の花に情熱的に迫られたら、男であれば誰でもころりといきそうである。
これには今まで黙って聞いていた惟人が声を上げた。
「千菊らしい。相手の男を飲み込むような歌だ」
「恐れ入ります」
織衣の耳に「千菊」という音が残る。咲子以外で、惟人が名を呼ぶのは自分だけだと思っていた。
(やはり本命は違う。あっさり名を呼ばれるのね)
胸がちくりと痛いのは、やっぱり気持ちが「御妻合わせ」に引きずり込まれてしまっているからだろうか。織衣はもやもやした気持ちを持て余す。
しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。
「さあ、詠んでおらぬのはそなただけだな、織衣?」
惟人が、千菊を褒めたその口で織衣の名を呼んだ。なんて憎らしい口だろう。
(よりによって花合わせなんて──)
ため息一つ、織衣は大小さまざまな梅が咲く枝を前に置き、歌を詠んだ。
『懸命に咲く梅の花は、どれをとっても美しい。どうぞお好きな花を愛でてください』
朴訥な、なんのひねりもない歌。どれだけ練習しても、これが自分の限界なので仕方がない。
案の定、場がしんと静まり返った。
自分でも分かる。今まで華やかだった場が、たった一つの平凡な歌で台無しになってしまったことが。
次の瞬間、向かいの珠緒がぷっと吹き出し、千菊はさっと口元を桧扇で隠した。上座に目を向けると、咲子はなんとか褒め言葉をひねり出そうと「うーん」と唸り、惟人に至っては肩を揺すって笑いをこらえている。
おそるおそる部屋の隅に控える遠野を見れば、両手で顔を覆ってうなだれている始末である。
唯一、隣に座る幸だけが優しい笑顔を向けてくれた。
「織姫さまらしい、素直で素朴な歌にございます」
「幸姫さま──!」
思わず織衣は幸の手を取った。さすが、神に仕える巫女は懐の深さが違う。拝みたくなるありがたさだ。
すると、貴清が「私も一つ詠みましょう」と声を上げた。どうやら、織衣を気遣って場を和ましてくれるらしい。彼は、幸の梅の枝木を持ってくるよう近くの女房に頼んだ。
そしてそれを受けとると、おっとりとした声で歌を詠む。
『どの梅の花を見ようとも、思い出すのはあなたと見た梅の木だけです。どうして忘れられましょうか』
女房たちがざわめいた。先ほどの幸の歌に対する返しのような歌であるからだ。こうした歌返しはよくあることで、それにしても上手いこと歌うなと織衣は感心する。
幸が気恥ずかしそうに下を向く。今度は咲子が、「ならば私も」と兄に続いて名乗りを上げた。
『どの梅の花も甲乙がつけがたい。それでも選ばれるのは一つだけ。あなたなら、どれをお選びになりますか』
そして咲子は、ちらりと惟人を見る。歌で判定を催促するとは、なんとも洒落ている。しかも花合わせの判定と、御妻合わせの妃選びをそれとなく掛けている。
織衣は、貴人たちの雅なやり取りに感心するばかりである。
惟人が「ふうむ」と、無精ひげをさすりながら姫君たちを見た。ややあって、彼はおもむろに口を開いた。
「どの花も趣があり、歌も素晴らしいものであった。咲子の言う通り甲乙つけがたいところではあるが──、勝負は千菊と四つの姫の勝ちとする」
千菊が珍しくほっと胸を撫で下ろす様子を見せ、珠緒が顔を上気させる。当然の結果であったが、織衣はなんとも幸に申し訳なく、彼女に謝った。
「幸姫さま、申し訳ありませぬ。私が不甲斐ないばかりに。これはほぼ、私の一人負けにございます」
「いいえ、織姫さまのお歌のおかげで貴清さまや咲子さまのお歌を聞くこともできました」
幸は気に止める様子もなく笑顔を返してくれた。
どこまでも神。
いっそ御妻合わせなど放棄して、幸に仕えたいと思う織衣である。
一方、惟人が千菊たちを見る。
「遊びではあるが、勝った者として何か望みはあるか。どうだ、千菊?」
「いえ、お褒めの言葉に預かり、十分にございます」
すると珠緒がすっと両手をついて申し出た。
「畏れながら申し上げます。東宮さまに聞いていただきたいことがございます」
「なんだ、申してみよ」
惟人に促され、珠緒が小さくうなずく。彼女は、織衣を一瞥してから──、やおら口を開いた。
「織姫さまの、悪しき振るまいにございます」
「わ、私?」
思わず織衣はすっとんきょうな声を上げた。
『蕾である梅の花は、あなたに見つけてもらうことをじっと待っています。あなたが望めば、いくらでも可憐な花を咲かせましょう』
男性の望む通りの女になろうという、珠緒らしい歌である。愛らしい彼女の声ともぴったり合っている。この時代のあるべき女性の姿を詠んだ歌だ。
従順であることを美徳とする風潮は織衣としては物申したいところであるが、さりとて歌としては完成度が高い。
「蕾の多い梅の枝木を選び、歌に被せてくるとはなんとも上手い。さすがじゃの」
咲子が、用意した梅の枝木と歌との相性を褒めた。珠緒は嬉しそうに笑いつつ、得意気な顔で他の姫君を見た。
「次は、どなたが? 幸姫さま、私と披露いたしましたので──」
「私が披露させていただきましょう」
千菊が珠緒の言葉を引き継いだ。そして、大振りの八重咲きの紅梅の枝を自身の前に置く。その見事な花の咲きっぷりに誰もが目を奪われる中、千菊は歌を披露した。
『梅の木はあなたに愛でられるために大輪の花を咲かせています。この想いをあなた以外の誰に見せようと言うのでしょう』
これまた自身を大輪の花に例え、溢れるほどの情熱をつづった歌である。千菊がこのような情熱的な歌を詠むとは意外だった。あの大輪の花に情熱的に迫られたら、男であれば誰でもころりといきそうである。
これには今まで黙って聞いていた惟人が声を上げた。
「千菊らしい。相手の男を飲み込むような歌だ」
「恐れ入ります」
織衣の耳に「千菊」という音が残る。咲子以外で、惟人が名を呼ぶのは自分だけだと思っていた。
(やはり本命は違う。あっさり名を呼ばれるのね)
胸がちくりと痛いのは、やっぱり気持ちが「御妻合わせ」に引きずり込まれてしまっているからだろうか。織衣はもやもやした気持ちを持て余す。
しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。
「さあ、詠んでおらぬのはそなただけだな、織衣?」
惟人が、千菊を褒めたその口で織衣の名を呼んだ。なんて憎らしい口だろう。
(よりによって花合わせなんて──)
ため息一つ、織衣は大小さまざまな梅が咲く枝を前に置き、歌を詠んだ。
『懸命に咲く梅の花は、どれをとっても美しい。どうぞお好きな花を愛でてください』
朴訥な、なんのひねりもない歌。どれだけ練習しても、これが自分の限界なので仕方がない。
案の定、場がしんと静まり返った。
自分でも分かる。今まで華やかだった場が、たった一つの平凡な歌で台無しになってしまったことが。
次の瞬間、向かいの珠緒がぷっと吹き出し、千菊はさっと口元を桧扇で隠した。上座に目を向けると、咲子はなんとか褒め言葉をひねり出そうと「うーん」と唸り、惟人に至っては肩を揺すって笑いをこらえている。
おそるおそる部屋の隅に控える遠野を見れば、両手で顔を覆ってうなだれている始末である。
唯一、隣に座る幸だけが優しい笑顔を向けてくれた。
「織姫さまらしい、素直で素朴な歌にございます」
「幸姫さま──!」
思わず織衣は幸の手を取った。さすが、神に仕える巫女は懐の深さが違う。拝みたくなるありがたさだ。
すると、貴清が「私も一つ詠みましょう」と声を上げた。どうやら、織衣を気遣って場を和ましてくれるらしい。彼は、幸の梅の枝木を持ってくるよう近くの女房に頼んだ。
そしてそれを受けとると、おっとりとした声で歌を詠む。
『どの梅の花を見ようとも、思い出すのはあなたと見た梅の木だけです。どうして忘れられましょうか』
女房たちがざわめいた。先ほどの幸の歌に対する返しのような歌であるからだ。こうした歌返しはよくあることで、それにしても上手いこと歌うなと織衣は感心する。
幸が気恥ずかしそうに下を向く。今度は咲子が、「ならば私も」と兄に続いて名乗りを上げた。
『どの梅の花も甲乙がつけがたい。それでも選ばれるのは一つだけ。あなたなら、どれをお選びになりますか』
そして咲子は、ちらりと惟人を見る。歌で判定を催促するとは、なんとも洒落ている。しかも花合わせの判定と、御妻合わせの妃選びをそれとなく掛けている。
織衣は、貴人たちの雅なやり取りに感心するばかりである。
惟人が「ふうむ」と、無精ひげをさすりながら姫君たちを見た。ややあって、彼はおもむろに口を開いた。
「どの花も趣があり、歌も素晴らしいものであった。咲子の言う通り甲乙つけがたいところではあるが──、勝負は千菊と四つの姫の勝ちとする」
千菊が珍しくほっと胸を撫で下ろす様子を見せ、珠緒が顔を上気させる。当然の結果であったが、織衣はなんとも幸に申し訳なく、彼女に謝った。
「幸姫さま、申し訳ありませぬ。私が不甲斐ないばかりに。これはほぼ、私の一人負けにございます」
「いいえ、織姫さまのお歌のおかげで貴清さまや咲子さまのお歌を聞くこともできました」
幸は気に止める様子もなく笑顔を返してくれた。
どこまでも神。
いっそ御妻合わせなど放棄して、幸に仕えたいと思う織衣である。
一方、惟人が千菊たちを見る。
「遊びではあるが、勝った者として何か望みはあるか。どうだ、千菊?」
「いえ、お褒めの言葉に預かり、十分にございます」
すると珠緒がすっと両手をついて申し出た。
「畏れながら申し上げます。東宮さまに聞いていただきたいことがございます」
「なんだ、申してみよ」
惟人に促され、珠緒が小さくうなずく。彼女は、織衣を一瞥してから──、やおら口を開いた。
「織姫さまの、悪しき振るまいにございます」
「わ、私?」
思わず織衣はすっとんきょうな声を上げた。

