それからほどなく経ったある日、惟人の予告通り、「花合わせの会」を催すという案内を五位蔵人の頼木守泰が五乃舎に伝えに来た。
「花合わせ」とは、それぞれが二組に分かれて持ち寄った花に歌を添えて出し合い、優越を競うというものだ。花の良し悪しはもとより、添える詩歌も重要な判定材料となる。
当然ながら判定人は惟人。これに、咲子と嵯峨貴清が見物人として同席するとのことだった。
守泰が去って、部屋でひと息つく織衣の隣で遠野が「うーん」と顔を曇らせた。
「よりによって花合わせとは──。先日、東宮さまが織姫さまの苦手なことをお尋ねなさったので、この遠野がこっそり詩歌は苦手であるとお伝えしたはず。なのに、どうして嫌がらせのような真似をなさるのでしょう?」
「いや、今までもずっと嫌がらせだったけど? ていうか、そんなことを東宮さまに話したの?」
女房の情報垂れ流しは油断ならない。思わず遠野に突っ込めば、彼女はふっと不敵に笑った。
「何をおっしゃっておりますやら。先日の熱い抱擁を、この遠野が見逃すとでもお思いですか?」
「やっぱり見ていたのね……」
「当然でございます。最後は、織姫さまの頬に優しく口づけをなされ──もう、東宮御所はこの話で持ちきりでございます!」
興奮気味に話す遠野を見て、織衣は大きなため息をついた。
庭には今日も盛大にごみが投げ捨てられている。が、それを片付ける女房たちの顔は明るい。大伴家から連れてきた女房も、五乃舎に配属された内裏《だいり》務めの女房も、全員が一丸となって「この苦境に負けてなるものか」と頑張っている。
これも織衣の影響だろうか。なぜだか困難に燃える集団と化していた。
(これってもう収拾がつかないほどに事態が悪化しているようにしか思えない……)
何がどうしてこうなったのかと織衣は遠い目になった。ただの内裏見物だけのはずが、千菊の言う通り騒ぎの中心となっている。
御妻合わせ自体をめちゃくちゃにしようとしている惟人の意図は感じるものの、ここまで執着される覚えがない。
──私はおまえを気に入っておるぞ。
ふと、ほほに残った惟人の唇とひげの感触を思い出し、織衣はかあっと熱くなる。いつの間にか、自分も心乱されている。良くも悪くも、惟人と繋がりが生まれていることを織衣は自覚せずにはいられない。
一方、そんな織衣の気持ちをよそに、遠野は頭をひねってあれこれと画策中だ。
「題材は、梅でございますよね。枝振りと花付きの良いものを用意させましょう。その間に、織姫さまは私と詩歌の練習を」
「今さら無駄よ。私の詩歌の苦手っぷりはよく知っているでしょ」
「なりませぬ。勝負にいっさいの手抜きなしが大伴家の信条にございましょう?」
「いや、だってこれ、勝負じゃなくて遊び……」
「さあ、気を引き締めてまいりますよ!」
織姫の訴えはあっさり却下された。
花合わせの日は、瞬く間にやってきた。場所は東宮の住む春陽殿の広間だ。五乃舎の織衣は、最も早く広間について他の姫君たちの登場を待つ。
今日の衣装は、準正装となる五衣小袿。織衣は、萌黄地に鳥の丸紋様の小袿を羽織っている。しばらくして、幸と珠緒が現れた。
幸は紅梅地に小花紋様の小袿、珠緒は山吹地に花菱紋様の小袿だ。ちなみに、持ち寄った梅の枝木は、部屋の隅に控える女房が出番まで持っている。
「幸姫さま、珠姫さま、今日はよろしくお願いいたします」
織衣がにこやかに頭を下げると、幸は嬉しそうに目を細めて織衣の隣に座り、珠緒はつんとすました様子で向かい側の席に座った。
そして、やや遅れて部屋に入ってきたのは、千菊だ。
「皆さま、もうお集まりで」
若紫に菊花紋様の小袿を羽織り、千菊はにこりと笑う。その自信に満ち溢れた様子は相変わらずである。
千菊は珠緒の前を通り過ぎ、彼女の隣に座った。今日は、幸と織衣、千菊と珠緒の二組に分かれて花合わせを行うことになる。
「幸姫さま。私、きっと足を引っ張ってしまいます」
「まあ、織姫さま。今日は、遊びであって勝負事ではございませぬ。まずは楽しむことが肝要かと存じます。花の良し悪しなど、最後は人の好みにございますれば」
幸に笑われ、織衣は少し気持ちが楽になった。あらためて見れば、千菊の雰囲気も柔らかい。
「今日は、よく集まってくれた」
艶のある低い声とともに白地に二藍の直衣を着た惟人が入ってきた。その後ろには、紅地に蝶紋様の小袿を着た咲子と柳色の直衣を着た貴清が続く。
中央の上座に惟人が座ると、咲子は惟人の右側、さらにその右隣に貴清が座った。蔵人の守泰は、女房衆と同じく部屋の隅に控えている。
「さあ、始めよう」
惟人の宣言で、姫君たちによる花合わせが始まった。
まずは咲子が姫君たちを見回しつつ首を傾げる。
「誰から始めようかの?」
「……では、私から詠みましょう」
名乗り出たのは幸である。
彼女は三乃舎の女房から梅の枝木を預かると、それを自分の前に置いて披露した。形の良い枝には梅の花が控え目に咲いている。幸は、その梅の花を見つめつつ静かに歌を詠んだ。
幸の優しい声が響き、皆が彼女の歌に耳を傾ける。彼女の詠んだ歌の意味は、次の通りである。
『二人で愛でた梅の木はすっかり大きくなりました。毎年咲き誇る梅の花を見るにつけ、あなたのことを思い出します』
幼い頃の恋心を詠んだ歌だ。なんとも切なく、美しい歌だろうと織衣は思う。こんな風に思い続けられる相手は、きっと幸せだろう。
咲子が感心しきりにうなずく。
「幸姫らしい、優しい歌じゃ。その梅は、阿部家の梅かえ?」
「はい。私が三歳になった折りに植えられた梅だと聞いております」
「なるほど。では──、次は珠姫に披露してもらうかの?」
咲子に指名され、珠緒はすっと居ずまいを正した。
珠緒は、幸の時と同じように女房から梅の枝木を預かると、それを自分の前に置いた。
「花合わせ」とは、それぞれが二組に分かれて持ち寄った花に歌を添えて出し合い、優越を競うというものだ。花の良し悪しはもとより、添える詩歌も重要な判定材料となる。
当然ながら判定人は惟人。これに、咲子と嵯峨貴清が見物人として同席するとのことだった。
守泰が去って、部屋でひと息つく織衣の隣で遠野が「うーん」と顔を曇らせた。
「よりによって花合わせとは──。先日、東宮さまが織姫さまの苦手なことをお尋ねなさったので、この遠野がこっそり詩歌は苦手であるとお伝えしたはず。なのに、どうして嫌がらせのような真似をなさるのでしょう?」
「いや、今までもずっと嫌がらせだったけど? ていうか、そんなことを東宮さまに話したの?」
女房の情報垂れ流しは油断ならない。思わず遠野に突っ込めば、彼女はふっと不敵に笑った。
「何をおっしゃっておりますやら。先日の熱い抱擁を、この遠野が見逃すとでもお思いですか?」
「やっぱり見ていたのね……」
「当然でございます。最後は、織姫さまの頬に優しく口づけをなされ──もう、東宮御所はこの話で持ちきりでございます!」
興奮気味に話す遠野を見て、織衣は大きなため息をついた。
庭には今日も盛大にごみが投げ捨てられている。が、それを片付ける女房たちの顔は明るい。大伴家から連れてきた女房も、五乃舎に配属された内裏《だいり》務めの女房も、全員が一丸となって「この苦境に負けてなるものか」と頑張っている。
これも織衣の影響だろうか。なぜだか困難に燃える集団と化していた。
(これってもう収拾がつかないほどに事態が悪化しているようにしか思えない……)
何がどうしてこうなったのかと織衣は遠い目になった。ただの内裏見物だけのはずが、千菊の言う通り騒ぎの中心となっている。
御妻合わせ自体をめちゃくちゃにしようとしている惟人の意図は感じるものの、ここまで執着される覚えがない。
──私はおまえを気に入っておるぞ。
ふと、ほほに残った惟人の唇とひげの感触を思い出し、織衣はかあっと熱くなる。いつの間にか、自分も心乱されている。良くも悪くも、惟人と繋がりが生まれていることを織衣は自覚せずにはいられない。
一方、そんな織衣の気持ちをよそに、遠野は頭をひねってあれこれと画策中だ。
「題材は、梅でございますよね。枝振りと花付きの良いものを用意させましょう。その間に、織姫さまは私と詩歌の練習を」
「今さら無駄よ。私の詩歌の苦手っぷりはよく知っているでしょ」
「なりませぬ。勝負にいっさいの手抜きなしが大伴家の信条にございましょう?」
「いや、だってこれ、勝負じゃなくて遊び……」
「さあ、気を引き締めてまいりますよ!」
織姫の訴えはあっさり却下された。
花合わせの日は、瞬く間にやってきた。場所は東宮の住む春陽殿の広間だ。五乃舎の織衣は、最も早く広間について他の姫君たちの登場を待つ。
今日の衣装は、準正装となる五衣小袿。織衣は、萌黄地に鳥の丸紋様の小袿を羽織っている。しばらくして、幸と珠緒が現れた。
幸は紅梅地に小花紋様の小袿、珠緒は山吹地に花菱紋様の小袿だ。ちなみに、持ち寄った梅の枝木は、部屋の隅に控える女房が出番まで持っている。
「幸姫さま、珠姫さま、今日はよろしくお願いいたします」
織衣がにこやかに頭を下げると、幸は嬉しそうに目を細めて織衣の隣に座り、珠緒はつんとすました様子で向かい側の席に座った。
そして、やや遅れて部屋に入ってきたのは、千菊だ。
「皆さま、もうお集まりで」
若紫に菊花紋様の小袿を羽織り、千菊はにこりと笑う。その自信に満ち溢れた様子は相変わらずである。
千菊は珠緒の前を通り過ぎ、彼女の隣に座った。今日は、幸と織衣、千菊と珠緒の二組に分かれて花合わせを行うことになる。
「幸姫さま。私、きっと足を引っ張ってしまいます」
「まあ、織姫さま。今日は、遊びであって勝負事ではございませぬ。まずは楽しむことが肝要かと存じます。花の良し悪しなど、最後は人の好みにございますれば」
幸に笑われ、織衣は少し気持ちが楽になった。あらためて見れば、千菊の雰囲気も柔らかい。
「今日は、よく集まってくれた」
艶のある低い声とともに白地に二藍の直衣を着た惟人が入ってきた。その後ろには、紅地に蝶紋様の小袿を着た咲子と柳色の直衣を着た貴清が続く。
中央の上座に惟人が座ると、咲子は惟人の右側、さらにその右隣に貴清が座った。蔵人の守泰は、女房衆と同じく部屋の隅に控えている。
「さあ、始めよう」
惟人の宣言で、姫君たちによる花合わせが始まった。
まずは咲子が姫君たちを見回しつつ首を傾げる。
「誰から始めようかの?」
「……では、私から詠みましょう」
名乗り出たのは幸である。
彼女は三乃舎の女房から梅の枝木を預かると、それを自分の前に置いて披露した。形の良い枝には梅の花が控え目に咲いている。幸は、その梅の花を見つめつつ静かに歌を詠んだ。
幸の優しい声が響き、皆が彼女の歌に耳を傾ける。彼女の詠んだ歌の意味は、次の通りである。
『二人で愛でた梅の木はすっかり大きくなりました。毎年咲き誇る梅の花を見るにつけ、あなたのことを思い出します』
幼い頃の恋心を詠んだ歌だ。なんとも切なく、美しい歌だろうと織衣は思う。こんな風に思い続けられる相手は、きっと幸せだろう。
咲子が感心しきりにうなずく。
「幸姫らしい、優しい歌じゃ。その梅は、阿部家の梅かえ?」
「はい。私が三歳になった折りに植えられた梅だと聞いております」
「なるほど。では──、次は珠姫に披露してもらうかの?」
咲子に指名され、珠緒はすっと居ずまいを正した。
珠緒は、幸の時と同じように女房から梅の枝木を預かると、それを自分の前に置いた。

