東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 千菊は、呆れ口調で言葉を続ける。

「東宮さまがどこの殿舎にお渡りあそばされようと、興味をお示しなさっているのは織姫さまです。私であれば、五乃舎(いつつのや)から織姫さまが退去なさるまでやめません」

 千菊らしい物言いだと思いつつも、それをわざわざ口にするなんて意外に律儀だなと織衣は苦笑する。同時に、彼女は絶対に犯人ではないと確信した。どう見ても、影でこそこそ嫌がらせをするとは思えないし、こちらに嫉妬の念を抱いているようにも見えない。

「本当に、ご指摘のとおりです。自分の認識の甘さを反省しております」
「東宮さまにご相談は? 一緒にお食事をされたとも聞きましたが」
「たまたま助けていただいたまで。自分から相談など、東宮さまの思うつぼ。意地でもいたしませぬ」

 そう言い切れば、千菊がさらに呆れた顔をした。そして、一人で勝手にあれこれと思案を始める。

(三乃舎(みつのや)への同席を、出しゃばりと非難されるのかと思ったけれど……)

 案外そうでもなさそうである。

「菊姫さま、今日はどういった話で私は呼ばれたのでしょう? もしや菊姫さまも同席をお望みですか?」

 目的の見えない会話のやり取りにしびれを切らし、織衣はちょっとした嫌味も添えて尋ねる。急な招待に応じてやったのだから、これぐらいの失礼はいいだろう。
 千菊の背後に控える生駒(いこま)が「何を──!」と目を吊り上げた。

「我が姫では東宮さまのお相手は不十分とでもおっしゃりたいのですか!」
「やめよ、生駒」

 千菊が自身の女房を諌めつつ、織衣に対しにこりと笑う。

「お気遣いありがとうございます。ですが、対応は全てこちらでさせていただきます。今日は、三乃舎のお渡りに織姫さまが同席したと聞き、東宮妃という地位に下心が出てきたのかと織姫さまの真意を確認したかったのです。ですが、まさか他の姫君とではなく、東宮さまと張り合っているとは……私の想像の斜め上を行くお考えに安心いたしました」
「……正直に呆れていると言ってくださってよろしいですけど?」
「呆れておりませぬ。むしろ、感心さえしております」

 嘘だ。さっき呆れた顔をしてたじゃないか。が、そこを言い争う意味はない。織衣は、さっと立ち上がった。

「まあ、いいです。では誤解もとけたようなので、これで」

 すると、千菊が「お待ちを」と呼び止めた。

「まだ何か?」
「織姫さまは、益虫の役割をご存知ですか?」
「……いいえ」

 いきなりなんの話かと織衣は眉をひそめた。千菊がそんな織衣の様子にかまうことなく言葉を続ける。

「益虫の役割は、宿り主に豊かな益をもたらすこと。そして、宿り主に群がる害虫を見つけ、排除すること。主上(おかみ)の虫と呼ばれる我ら一条家の信条そのものにございます。織姫さまは⋯⋯果たして益か害か、どちらでしょう?」

 なるほど、そういうこと。今後、こちらの振る舞い如何(いかん)によっては排除する、という忠告だ。
 言ってくれる。織衣は口の端に挑発的な笑みを浮かべた。

「自分の心に嘘偽りなくあることが大伴家の信条。相手が誰であろうと、おかしいと思ったことは言わせていただきますし、正しいと思えばそのように行動します。益だの害だの知ったことではございませぬ」
「……やはり、織姫さまは斜め上でいらっしゃる」

 二人はじっと見つめ合う。背後から遠野の遠慮がちな声がした。

「織姫さま、そろそろ⋯⋯」
「ええ、そうね」

 きゅっと顔を引き締めて織衣は千菊に目礼する。そして、踵を返して千菊の部屋を後にした。
 五乃舎へ帰る道すがら、織衣は遠野に話しかける。

「あの華やかな容姿で、ご自身を虫に例えられるなんて……思っていたよりずっと実直な姫君のようね。さすが一条元親さまのご息女といったところかしら。ただ──やっぱり勝ち気だわ」
「はい。ご自身の役割を十分にご理解されているようでした。織姫さまと同い年であるはずですが、しっかりしていらっしゃいます。負けず嫌いは……いい勝負かと」
「悪かったわね」

 遠野に悪態をつきつつ、織衣はあらためて考える。
 自身を益虫になぞらえ、不要な害虫は排除すると言った千菊。初顔合わせでは、高慢で鼻持ちならない姫君かと思ったが、彼女は御妻合わせの結果の先に、惟人やこの国の利益を見据えている。

(傍観者として来た私と似ているけれど……。もっと積極的だし、真剣ね)

 本命候補として自らも舞台に上がり、主導権を握ろうとしている。
 東宮の寵(ちょう)を得るための御妻《みめ》合わせ。しかし果たして、これはなんの争奪戦だろうかと思わずにはいられない。
 思えば、惟人の気難しさと気性の荒さは事前に知らされていて、むしろ、そこしか知らされていないわけで、最初から彼に淡い想いを抱いて東宮御所へ上がった姫君など誰もいないのだ。

「最初から愛情なんて誰にもないわよね」
「当然でございましょう。あるわけありませぬ」

 何を今さらとばかりに遠野が答える。容赦ない物言いに織衣は肩をすくめた。
 妙なことになってきたなと、織衣は思う。「誰も選ぶことはない」と言っていたはずの東宮のお渡り、そして次の日の嫌がらせ。
 この一連の出来事で、どの姫も東宮のお渡りを望んでいると、織衣は勝手に思い込んでしまった。早とちりもいいところだ。

(他の殿舎にもお渡りになるようになどと東宮さまに申し上げるのではなかったわ)

 この御妻(みめ)合わせには、それぞれの家の政治的な思惑が多分に含まれている。
 惟人は最初からそれに気づいている。いや、分かっていたと言った方が正しい。こんな打算ずくめの御妻合わせで、「信ずるに足る存在」を見つけろと言う方が無茶な話なのかもしれない。

(姫君に対する高圧的な態度も、混乱を招く言動も改めていただく必要があるけれど、あれは東宮さまなりの抵抗ね)

 状況を見誤った、と織衣は反省する。まずやるべきことは、それぞれの姫君の思いを把握することだ。
 ふと、初顔合わせでのお喋りを思い出す。千菊の「無精ひげをどう思うか」という質問は、「御妻合わせ」に対する姫君たちの思いにさりげなく切り込んでいた気がする。

「聡明な姫ね……」

 織衣が呟けば、隣で遠野があれこれと思案する。

「菊姫さまが東宮妃となれば、左大臣さまのお立場はさらに揺るぎないものとなりましょう。それに、反東宮派にもかかわらず候補となっている女柏宮さまに対しても菊姫さまであれば対抗することができます」
「まさに大木に寄る益虫ね」

 咲子と千菊、いずれ二人は争うことになるのだろうか。もしそうなった時、自分は中立でいられるだろうか。織衣の口から自然とため息が漏れた。

(誰にも争っては欲しくないけれど……)

 それぞれに抱える事情がそれを許さない。そして否応なしに巻き込まれ始めている自分がいる。
 複雑な思いが織衣の胸の中に渦巻いた。