次の日から織衣は部屋に閉じこもることにした。日中は、五乃舎の御簾を全て下げ、中の様子は全く見えない。
惟人はというと、「分かった」と言っておきながら、次の日もその次の日も、懲りずに織衣に会いに来た。しかし織衣は、頑として惟人を拒絶し、さすがの惟人も諦めて帰っていった。遠野あたりは不満たらたらである。
(とにかく東宮さまには、ひと通り他の姫君の元へお渡りしてもらわないと)
そうすれば、織衣をからかうよりずっと有益な時間が過ごせると気づいてもらえるはずだ。
その一方で、織衣は自分の食事を捨てた者を遠野に調べさせた。しかし、台盤所の者の話では、「女房の一人が五乃舎の姫の食事を取りに来たから渡した」とのことで、顔は覚えていないらしい。
「全ての殿舎の食事を作っているもの。仕方がないわね」
「はい。次からは、私以外の人間には渡さぬようお願いしておきました」
「ありがとう、助かるわ」
「もう少し、お調べしますか?」
「いいわ。こんなことで他の姫君と波風はあまり立てたくない。そもそも東宮さまが五乃舎だけにお渡りされていることが原因だもの」
東宮の女嫌いから端を発した今回の御妻合わせ。家柄で言えば側妻にしかなれない、神祇伯家の幸、大納言家の珠緒が、織衣と同じく候補として名を連ねている。
本命が宮家の咲子であり一条家の菊姫であることに変わりはないが、家柄の低い姫でも正妃になれる千載一遇の好機であることは確かだ。
そう思えば、織衣の受けた嫌がらせも多少は理解できた。邪魔物を排除しようとするのは、どこの世界にもあることだ。
(悪目立ちしてしまったものね)
もう少し大人しくしていようと織衣は思う。時国に言われたとおり、自分はお役御免を前提に、惟人との繋がりもそのつもりで。
少しだけ寂しく感じるのは、惟人と思いのほか関わりを持ってしまったせいだ。本来なら、相手にもされず過ごすはずだったのだから。
いけない兆候だな、と織衣は思う。無関係と思いながらも、繋がり始めた関係に気持ちが引きずられている。しかし、あくまでも傍観者であることを忘れてはならない。
心の中で自分自身に言い聞かせる織衣の隣で、遠野が心配げに頬に手を当てる。
「東宮さま、ちゃんと他の殿舎にお渡りされますかねえ。先日の珠姫さまに対して見せた東宮さまの態度は、織姫さまのそれとは天と地の差でしたでしょう?」
「そうかしら? さして変わらないわ。あの横柄さに被せる形で物を言うかどうかよ」
「いや、そんなことできるのは織姫さまくらい……。あの凍るような目でにらまれたら誰でも縮み上がってしまいます」
「そんなことないと思うわ。だって、女柏宮さまは東宮さまとは従姉同士で信頼されているようだったし、菊姫さまも東宮さまの圧に負けるような御方とは思えない。幸姫さまだって物静かな御方だけど、芯がお強そうだもの。珠姫さまは、そうね、少し頼りなげな気がするけれど、それでも今回の御妻合わせに召された姫君であるわけだし……」
一抹の不安は──、無理やり心から振り払った。
殿舎にこもって三日目、織衣は今日も一人でのんびりと過ごしていた。惟人に煩わされずにすむ日々は、なんとも心穏やかである。
ただ今日は、朝から四乃舎の女房たちが慌ただしく動いている。どうやら東宮がお渡りになるらしいと、五乃舎の女房の一人が聞きつけてきた。惟人がやっと動く気になってくれたようだ。
午後になり、緊張したざわめきが五乃舎まで伝わってきた。御簾越しに四乃舎の様子を伺うと、惟人が女房に案内されて珠緒の部屋に入って行くのが見えた。
織衣はふうっとひと息ついて、畳の上にごろりと寝転がる。みっともなく白の単と藤色の袿がはだけるが、誰も来ないのでかまわない。
自分が行けと言ったはずなのに、本当に行ったら……なんだかな。
二人でどんな話をするだろうかと、織衣は思いを巡らせる。
(私の時は他の姫君の感想を聞かれたけれど、珠姫さまにも同じことをお尋ねになるかしら。だとしたら、菊姫さまのことは辛辣な評価になりそうだし、私は無礼な姫君だと言われるかもね)
ふと、惟人に耳元で名前をささやかれたことを思い出し、織衣はいよいよ複雑な気持ちになる。あれを珠緒にも、他の姫君にもするのかなと。
だとしたら、無節操にもほどがないだろう。
「やっぱり最低な東宮だわ」
もやもやする気持ちを織衣は独り吐き出した。
こんな時は、咲子のところにでも集まり、他の姫君たちとお喋りをしたいところである。東宮御所に来てから、何もすることがなく暇を持て余している。じっとしている性分でもないので、部屋にこもるだけの日々は退屈でしょうがない。
(それに、何かしていないと東宮さまのことばかり考えてしまう……)
そんな織衣の思いが通じたのだろうか。織衣がうとうとと意識を手放しかけた時、咲子がふいに目の前に現れた。
「織姫、大丈夫かえ? 暇で死にそうな様子じゃの」
二藍の袿を羽織った咲子が、畳の上でごろりと寝転がる織衣を見て、おかしそうに扇で口元を押さえる。
「うわっ、女柏宮さま!」
一瞬でも深く寝入っていたのか、遠野の声も聞こえなかった。織衣は、突然現れた咲子を見て飛び上がった。
「しっ、失礼しました。みっともない姿をさらしてしまいまして」
慌てて上座を空ければ、咲子がクスクスと笑う。
「かなり油断しておるの?」
「あー、ええと、はい……。すみません」
織衣は決まり悪く畏まる。遠野がすかさず上座の脇息をお客用に取り換え、咲子が優雅な所作で腰を下ろした。
「体調不良と聞いたが、元気そうで何より」
「ありがとうございます」
「東宮さまのお見舞いを断っていると聞いたが?」
「それは……、要らぬ揉め事を増やさぬためにございます」
「揉め事か。食事を捨てられたことか?」
「やっぱりお聞き及びですか。お恥ずかしい限りです」
神妙な面持ちで答えれば、咲子は小さくため息をついた。
惟人はというと、「分かった」と言っておきながら、次の日もその次の日も、懲りずに織衣に会いに来た。しかし織衣は、頑として惟人を拒絶し、さすがの惟人も諦めて帰っていった。遠野あたりは不満たらたらである。
(とにかく東宮さまには、ひと通り他の姫君の元へお渡りしてもらわないと)
そうすれば、織衣をからかうよりずっと有益な時間が過ごせると気づいてもらえるはずだ。
その一方で、織衣は自分の食事を捨てた者を遠野に調べさせた。しかし、台盤所の者の話では、「女房の一人が五乃舎の姫の食事を取りに来たから渡した」とのことで、顔は覚えていないらしい。
「全ての殿舎の食事を作っているもの。仕方がないわね」
「はい。次からは、私以外の人間には渡さぬようお願いしておきました」
「ありがとう、助かるわ」
「もう少し、お調べしますか?」
「いいわ。こんなことで他の姫君と波風はあまり立てたくない。そもそも東宮さまが五乃舎だけにお渡りされていることが原因だもの」
東宮の女嫌いから端を発した今回の御妻合わせ。家柄で言えば側妻にしかなれない、神祇伯家の幸、大納言家の珠緒が、織衣と同じく候補として名を連ねている。
本命が宮家の咲子であり一条家の菊姫であることに変わりはないが、家柄の低い姫でも正妃になれる千載一遇の好機であることは確かだ。
そう思えば、織衣の受けた嫌がらせも多少は理解できた。邪魔物を排除しようとするのは、どこの世界にもあることだ。
(悪目立ちしてしまったものね)
もう少し大人しくしていようと織衣は思う。時国に言われたとおり、自分はお役御免を前提に、惟人との繋がりもそのつもりで。
少しだけ寂しく感じるのは、惟人と思いのほか関わりを持ってしまったせいだ。本来なら、相手にもされず過ごすはずだったのだから。
いけない兆候だな、と織衣は思う。無関係と思いながらも、繋がり始めた関係に気持ちが引きずられている。しかし、あくまでも傍観者であることを忘れてはならない。
心の中で自分自身に言い聞かせる織衣の隣で、遠野が心配げに頬に手を当てる。
「東宮さま、ちゃんと他の殿舎にお渡りされますかねえ。先日の珠姫さまに対して見せた東宮さまの態度は、織姫さまのそれとは天と地の差でしたでしょう?」
「そうかしら? さして変わらないわ。あの横柄さに被せる形で物を言うかどうかよ」
「いや、そんなことできるのは織姫さまくらい……。あの凍るような目でにらまれたら誰でも縮み上がってしまいます」
「そんなことないと思うわ。だって、女柏宮さまは東宮さまとは従姉同士で信頼されているようだったし、菊姫さまも東宮さまの圧に負けるような御方とは思えない。幸姫さまだって物静かな御方だけど、芯がお強そうだもの。珠姫さまは、そうね、少し頼りなげな気がするけれど、それでも今回の御妻合わせに召された姫君であるわけだし……」
一抹の不安は──、無理やり心から振り払った。
殿舎にこもって三日目、織衣は今日も一人でのんびりと過ごしていた。惟人に煩わされずにすむ日々は、なんとも心穏やかである。
ただ今日は、朝から四乃舎の女房たちが慌ただしく動いている。どうやら東宮がお渡りになるらしいと、五乃舎の女房の一人が聞きつけてきた。惟人がやっと動く気になってくれたようだ。
午後になり、緊張したざわめきが五乃舎まで伝わってきた。御簾越しに四乃舎の様子を伺うと、惟人が女房に案内されて珠緒の部屋に入って行くのが見えた。
織衣はふうっとひと息ついて、畳の上にごろりと寝転がる。みっともなく白の単と藤色の袿がはだけるが、誰も来ないのでかまわない。
自分が行けと言ったはずなのに、本当に行ったら……なんだかな。
二人でどんな話をするだろうかと、織衣は思いを巡らせる。
(私の時は他の姫君の感想を聞かれたけれど、珠姫さまにも同じことをお尋ねになるかしら。だとしたら、菊姫さまのことは辛辣な評価になりそうだし、私は無礼な姫君だと言われるかもね)
ふと、惟人に耳元で名前をささやかれたことを思い出し、織衣はいよいよ複雑な気持ちになる。あれを珠緒にも、他の姫君にもするのかなと。
だとしたら、無節操にもほどがないだろう。
「やっぱり最低な東宮だわ」
もやもやする気持ちを織衣は独り吐き出した。
こんな時は、咲子のところにでも集まり、他の姫君たちとお喋りをしたいところである。東宮御所に来てから、何もすることがなく暇を持て余している。じっとしている性分でもないので、部屋にこもるだけの日々は退屈でしょうがない。
(それに、何かしていないと東宮さまのことばかり考えてしまう……)
そんな織衣の思いが通じたのだろうか。織衣がうとうとと意識を手放しかけた時、咲子がふいに目の前に現れた。
「織姫、大丈夫かえ? 暇で死にそうな様子じゃの」
二藍の袿を羽織った咲子が、畳の上でごろりと寝転がる織衣を見て、おかしそうに扇で口元を押さえる。
「うわっ、女柏宮さま!」
一瞬でも深く寝入っていたのか、遠野の声も聞こえなかった。織衣は、突然現れた咲子を見て飛び上がった。
「しっ、失礼しました。みっともない姿をさらしてしまいまして」
慌てて上座を空ければ、咲子がクスクスと笑う。
「かなり油断しておるの?」
「あー、ええと、はい……。すみません」
織衣は決まり悪く畏まる。遠野がすかさず上座の脇息をお客用に取り換え、咲子が優雅な所作で腰を下ろした。
「体調不良と聞いたが、元気そうで何より」
「ありがとうございます」
「東宮さまのお見舞いを断っていると聞いたが?」
「それは……、要らぬ揉め事を増やさぬためにございます」
「揉め事か。食事を捨てられたことか?」
「やっぱりお聞き及びですか。お恥ずかしい限りです」
神妙な面持ちで答えれば、咲子は小さくため息をついた。

