東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 全員がその声に振り向けば、そこに東宮惟人(これひと)が立っていた。傍らには、頼木(よりき)守泰(もりやす)もいる。

「東宮さま!」

 全員がその場にひざまずいて低頭する。正確には、織衣(おりえ)以外の全員だ。
 そんな中、織衣(おりえ)はこれでもかというほど不機嫌な顔を惟人に向けた。
 立ったまま頭も下げない織衣に対し、守泰が不快げに目を細める。

「無礼でありますぞ、五乃舎の姫」
「……頭を一度下げてしまうと、再び上げるために東宮さまのお声が必要で、お手を無駄に煩わすことになります。ならば、最初から上げていれば良いかと」

 皮肉たっぷりに言い返すと、守泰が口をあんぐりと開けた。隣で惟人がくつくつと笑い出す。

「機嫌が悪そうだな、織衣」
「東宮さまには関係のないことでございます」
「これでも心配して来たのだぞ。昨夕のこともあるからな」

 女房たちがざわつく。また勝手な妄想を膨らませている。そしてそれさえも、惟人は分かって言っている。
 織衣はきっと惟人をにらんだ。

「心配されることなど、昨夕からこっち何一つございませんでしょう? いい加減な物言いは要らぬ誤解を招きます。どうかお控えくださいませ」
「そうか?」

 とぼけた様子で肩をすくめ、惟人はふと庭先に目を向ける。そこに散乱した食べ物を見て──、彼はすぐさま四乃舎の女房たちに冷ややかな目を向けた。

「なぜ、あんなところに食事が捨てられている?」
「申し訳ございません! 今しがた五乃舎の者に片付けるよう申しつけていたところにございます」
「ここは四乃舎(よつのや)だ。五つの者が片付けねばならぬ理由は?」
「え? いや、あの……あれは織姫さまの食事にございますれば……」
「私は、四つの管理をどうして五つの者がしなければならないのかと聞いている。それとも何か、織衣がここで食事をぶちまいたとでも言いたいのか」

 四乃舎の女房たちがびくりと震えて頭を床にこすりつける。すると、珠緒が震える声で惟人に訴えた。

「こ、これは私に対する嫌がらせにございます。織姫さまの食事を使って、四乃舎の庭を汚したのです。きっと菊姫さまあたりが──」
「違うだろう」

 すかさず惟人が否定した。そして珠緒のもとにひざまずいて、冷淡な口調で言う。

「これが本当に四つの姫への嫌がらせであれば、そなたの食事をぶちまければいい話だ。つまりこれは、そなたに対する嫌がらせではなく、織衣に対する嫌がらせだ」
「……」

 珠緒が言葉に詰まり下を向く。それを確認してから惟人はすっと立ち上がり、今度は遠野に目を向けた。

「そこの者、ちょうど私も腹が減っていたところだ。五乃舎で食べるゆえ、織衣のものと二人分を用意して持ってくるよう手配せよ」
「はいっ!」

 遠野が上気した声で返事をし、足早に台盤所へと去っていく。一方、四乃舎の女房たちは恐怖と怒りでうち震えている。
 こんな状況で惟人と一緒に食事をするなんて……。織衣は気が遠くなる。さらに事態が悪化するとしか思えない。

「あの……。おそれながら、食事は一人でしとうございます」
「分かっておらぬな」

 惟人がずいっと織衣に歩み寄り、耳元に顔を寄せる。その近すぎる距離を見て、珠緒が顔を真っ赤にして目を泳がせた。
 織衣の頬に惟人のひげが触れ、彼の低い声が響く。

「私が同席するから食事にありつけるのだぞ。そもそも、そなたは私の相手をするためにいるのであろう?」

 そう言われるとぐうの音も出ない。放っておいて、という織衣の声は、惟人の笑顔の圧により消え失せた。
 しぶしぶ惟人と五乃舎へ戻り、惟人を部屋で待たせて、織衣は身なりを整えるために一旦下がる。大急ぎで着替えをしてから部屋に戻ったところで、ちょうど食事が運ばれてきた。

「いい具合に食事が来たぞ。織衣、食べよう」
「……面の皮が厚いと言われたことは?」
「厚くなければ宮内では生きていけぬ」
「はあ」

 もっともらしい言い分に織衣はため息混じりの相槌を打つ。
 食事は、急ごしらえで用意されたものとしては豪勢なものだった。東宮も一緒に食べるということで、台盤所(だいばんどころ)が頑張ったのだろう。
 ぱくりと頬張れば、美味しいごはんが空腹に染みる。ただ残念だなと思うことは──、目の前に惟人がいることだ。

「うむ、美味(うま)いな。二人で食べると、さらに美味い。そう思わんか、織衣」
「食べ終わったら出ていってくださいましね」

 東宮に対し、だんだん言い方が横柄になってきている自覚はあるが、もう嫌われてもいいので良しとする。
 それよりも、今の状況を少しでも改善することが重要である。

「東宮さま、それぞれの殿舎にお渡りになる予定は?」
「あるわけないだろう。行く用事もない」

 それは五乃舎(いつつのや)も同じだろうという突っ込みは無駄なのでやめた。とにもかくにも、この男が五乃舎にだけ来ているからおかしなことになっているわけで、そこをなんとかしなければならない。
 織衣は箸をことりと膳に置いて、上機嫌で食べ続ける惟人を真っ直ぐ見た。

「お願いがございます」
「なんだ、織衣」
「他の姫君の元へもお渡りくださいませ」
「ほう、すでに正妃のような口ぶりだな」
「……本気で怒りますよ」

 顔をひきつらせて織衣は惟人をにらむ。惟人は怯む様子もなく、白米を口の中に放り込んでいる。その舐めた態度にいらっとするが、織衣はあえて冷静な口調で言葉を続けた。

「先ほど助けていただいたことは感謝申し上げます。しかしながら、東宮さまが他の姫君のところへお渡りになれば全てが解決するはずです」
「私は、自分の思うままに五乃舎に来ているだけだ。たったそれだけのことで食事を捨てられるなど馬鹿馬鹿しくて笑いも出ぬな。どうだ、あれでも人を信用できると申すか」
「……お言葉を返すようで申し訳ありませんが、そもそも『人を信用する』という言葉自体の考え方が東宮さまと違います」

 ため息混じりに答えれば、ようやく惟人が食べる手を止めた。

「どう違う。申してみよ」
「人を信じるには縁を結ぶ必要がございます。今日会ったばかりの者、そもそも会ったこともない者とは縁を結んでおりませぬ。いきなり信用できぬは道理にございます」
「ならば、最初から誰も信用していない私と同じだろう」
「人と縁を結ぶことを拒まれていらっしゃる東宮さまとは根本が違います。あなたさまは、誰も見ようとしておりませんでしょう? 少なくともここに集まった姫君と関係を築こうとはなさらない」

 織衣が言い返すと、惟人は面白くなさそうに目をそらし、それを誤魔化すように煮豆をぽいっと口の中に入れた。そして、ぽいぽいと煮豆を口の中に放り入れること数度──、ようやく惟人は含みのある顔で笑った。

「おまえの言いたいことは分かった。では、私は私のやり方で、それぞれの姫と関わらせてもらおう」

 反省は……していなさそうである。嫌な予感がするものの、織衣は「お願いします」と頭を下げた。