本日のスープはいかがですか?



 料理人であるヴァンは額を押さえ、デレゴレとオリハラ、周囲の客を見つめた。
 オリハラは招かれ人ということもあって、こちらの世界の常識に疎いところがある。しかし、その性格はというと温厚でどちらかというとぼんやりしている。
 デレゴレを嵌めるつもりなど到底なかったはずだ。
 その証拠に、オリハラは目の前の状況が把握できないのか、目を丸くしている。
 これでは埒が明かないと声をかけようとしたそのとき、デレゴレの乾いた笑い声がヴァンの耳に届いた。

「……まぁ、俺にふさわしいのかもしれないな」
「おい、デレゴレがしゃべったぞ」

 こんな状況で不躾な言葉が客の誰かの口から洩れる。
 しかし、そこにいるデレゴレを知る多くの者が同じ考えを抱いたことだろう。
 普段、会話をしないデレゴレが自分の想いを口にしたのだ。

「――この数日、どんなスープを用意してくれるのかと俺は楽しみにしちまった……。俺のために用意された食事なんてガキの頃以来だったからな……」

 出稼ぎでこの国に訪れているデレゴレは髪の色も肌の色も違う。おまけに言葉には少々訛りも入っている。
 稼ぎを父母や兄弟に送るために、自分自身は切りつめた生活で暮らしている。
 訛りを気にして、なかなか口を開かぬ彼だが実直に働いているのだ。
 それでも、彼を異国人だと軽んじる者もいないわけではない。
 そんな日々の中、ふいにかけられたオリハラの言葉はデレゴレにとって、大きな喜びになっていたのだ。

「……すまなかったな。店に迷惑をかけていたのは気付いていたんだ。パンとスープだけの客なんて売り上げには繋がらない。お前さんの作るスープもこれで最後だな」
「これで最後だって言うんなら、その最後のスープをきちんと味わって帰ったらどうだ?」

 去ろうとするデレゴレをヴァンが呼び止める。
 店のドアへと歩きかけたデレゴレの足がぴたりと止まった。
 
「ほら、オリハラ! ぼーっとしてねぇでお客様にお出ししろ」
「は、はい! デレゴレさん! こっちに来てください! ほら、座って座って!」

 オリハラは大きく手招きをして、自分の立つカウンターの前の席へと案内する。
 24歳とは思えぬ童顔であることやその仕草の邪気のなさもあって、感情的になっていたデレゴレも渋々オリハラの前の席へと座る。 
 そんなデレゴレにオリハラは嬉しそうに、にへりと笑うと皿をコトリとカウンターテーブルに置く。

「これがデレゴレさんのためのスープです」

 目の前に置かれたスープを見たデレゴレは目を大きく見開いた。
 先程、オリハラの口から出た料理名とテーブルの上の料理はまったく印象が異なるものなのだ。
 食欲をそそる香りと見た目に、周囲の客からも驚きの声がこぼれる。

「すげぇ、旨そうじゃねぇか」
「なぁ、これのどこがアホスープなんだよ?」
「バカ! 余計なことを言うんじゃねぇよ!」

 そう、デレゴレの怒りがオリハラに向いた理由がこの名前にある。
 デレゴレのためにスープを作る――宣言したオリハラが作ったスープの名に、デレゴレはもちろんこの場にいる皆が驚きを抱いた。
 皆の視線は自然とスープを作ったオリハラへと集まる。
 その視線に少々たじろぎながら、オリハラは説明を始めた。

「えっと……僕の生まれた国では他国の料理もよく食べていたんです」
「よその国の食べものをか?」

 オリハラの言葉に客達は顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべる。
 港もあるこの街には様々な食材が集まる。
 だからといって、わざわざ他国の料理を口にする必要は街の者は感じない。
 他国の料理は知らない食材や調味料が使われ、口に合わないことも多い。
 無理して食べる理由が思いつかないのだ。
 
「はい! 食事の違いって面白いですよね。地域で採れる食材も違いますから。新たな発見? ロマン……いや、夢があるっていうか」
「オリハラ! いいからさっさと説明しろ」
「あぁ、そうでした!」

 饒舌になったオリハラをヴァンが嗜める。
 オリハラはにこりと笑うとデレゴレに視線を移した。
 まっすぐな視線にデレゴレはたじろぐ。
 人のよさそうな顔をしたオリハラは、この街で唯一デレゴレの名を呼んでくれる者だ。自分より若いこの青年に否定されるのがデレゴレは怖いのだ。
 自分を拒絶する者達より、笑顔を向け、親切にしてくれる青年オリハラの表情が歪むほうがデレゴレにとっては胸が痛む。
 そんなデレゴレの心に気付いてはいないのだろう。
 オリハラはいつもと変わらぬ、ふにゃりとした笑顔でデレゴレを見る。

「このスープは、僕の生まれた国ではなく他国の料理なんです。アホ、っていうのはその国ではにんにくのこと。にんにくと卵、それに唐辛子も入っていて一皿で体が温まる料理なんですよ」
「アホ、……にんにく……?」

 アホはスペイン語でにんにくを意味するのだ。
 オリハラの言葉にヴァンや客達は拍子抜けする。
 しかし、デレゴレはまだ戸惑った顔でオリハラを見ている。
 それをオリハラは言葉が足りず、意味が伝わっていないと感じたのか、説明を続ける。

「ほら、デレゴレさんはいつも手をこすり合わせて店に入ってくるじゃないですか。きっと体が冷えてるんじゃないかなって、ずっと気になってたんですよね」
「…………気付いていたのか」

 暖かい国の生まれであるデレゴレには、この国の冬は寒すぎる。
 外での仕事では手足や指先の冷えが堪えるのだ。
 しかし、そんな様子を見せれば仕事をまわしてもらえなくなるかもしれない。
 弱さを見せまいとデレゴレは隠してきた。
 それにオリハラは気付いていたのだ。
 デレゴレはスプーンを手に取ると、スープを掬う。

「――あったけぇな」

 口に含めば、にんにく、卵のなめらかさや唐辛子のぴりっとした風味が広がっていく。そのスープを含んだバゲットも入っているのだ。
 自分のために作られたスープに自然とデレゴレの口元も緩む。

「よかったです! きっと、体も温まると思うんですよ。へへ」
 
 照れくさそうに笑ったオリハラは、デレゴレの言葉の本当の意味には気付いてはいないだろう。
 温かい――それは決して、スープだけのことではないのだ。
 しかし、デレゴレもまたそれ以上を伝える器用さを持たない。
 ただ、静かに自分のためのスープを味わうだけだ。

「な、なぁ。俺達にもそのスープはあるのか?」
「えっと……大丈夫ですよ! ねぇ、ヴァンさん」
「お前に任せる」

 そう言うとヴァンは他の仕事をするため、厨房へと戻る。
 ヴァンの背中を見送る暇もなく、オリハラは今日のスープを皆によそうのだった。