「玲央くん、もうちょっとこっち来て」
「近くない?」
「だって、二人旅なんでしょ? これくらいの方がカップルっぽく見えるって」
そう言って水城ひまりさんは、玲央さんの腕へためらいなく自分の腕を絡めた。
高知県の山間部にある温泉旅館《土佐かわせみ荘》。
古い木造の建物からは川沿いの山々が見渡せ、今日はここで一泊二日の旅番組を撮影している。
共演者のひまりさんは二十歳。
ゆるく巻いた栗色の髪が浴衣の肩へ流れ、大きな瞳で笑えば、それだけで画面の中心が決まってしまうような華やかな女の子だった。
「はい、いいねえ! 二人、そのままもう少し寄って!」
スタッフの声に、ひまりさんはさらに玲央さんへ身体を寄せる。
「この方が私、小さく見えてかわいくない?」
「俺を何だと思ってんの」
「私をかわいく見せてくれる人」
「ひど」
文句を言いながらも玲央さんはカメラが回れば笑顔を崩さない。
並んで歩く二人は、確かに絵になっていた。
(若くてかわいいし、本当にお似合いだなあ)
午前中は古い町並みを散策し、午後からは川沿いの露天風呂や旅館の館内を紹介する。
「すみませーん。この浴衣、もうちょっと明るい色あります?」
ひまりさんが自分のマネージャーを呼び止める。
「せっかくなら顔が明るく見える色がいいです。それと露天風呂、湯気で顔が隠れないようにしてくださいね。せっかく私が入るんだから」
すごい。
普通なら少し言いづらいことを、ひまりさんは笑顔のまま当然のように言う。
でも不思議と嫌な感じがしない。
自分がどう見えるのかを知っているし、自分の魅力を自分で認めているのだ。
私には到底できそうにない。
撮影の合間、私は飲み物を渡しながら玲央さんへ言った。
「ひまりさん、玲央さんと並ぶとすごくお似合いですよね」
「……何でそんなうれしそうなの?」
「え? 見てて惚れ惚れするというか……どうしてです?」
「……別に」
玲央さんはペットボトルを受け取ると、向こうへ行ってしまった。
(何だったんだろう)
スタッフにあいさつ回りをしている玲央さんを遠目に見ながら、私は首をかしげるのであった。
◇
夕食の撮影では、旅館自慢の皿鉢料理や川魚と一緒に、五貫の田舎寿司が用意されていた。
たけのこ、しいたけ、こんにゃく、みょうが、山菜。
魚を使わず、山の幸を酢飯へ乗せた高知らしい郷土料理だ。
「えー、これがお寿司?」
ところが本番前、料理を見たひまりさんが顔を曇らせた。
「台本に『絶品お寿司』ってあったから楽しみにしてたのに、魚いないじゃん。私、山菜あんまり好きじゃないんですよね」
「そ、そうなんだけどさ! せっかくの高知の郷土料理だし、一貫だけでもどうです?」
焦ったディレクターがどうにか頼んだものの、ひまりさんは首を傾げる。
「でも私、食べて微妙な顔したら、その方が旅館の人に失礼じゃないですか?」
「えっと、それはそうなんだけど……でも食事シーンが無しなのはちょっと」
「あ、近くに焼肉屋さんありますよ」
ひまりさんがすぐスマートフォンを見せる。
「こっちの方が絶対おいしそう。こっちで撮影お願いできません?」
「えっと、高知のロケなので、せめて鰹のタタキとか有名なものに……」
「定番過ぎてつまんないじゃないですか~。それにこの焼肉屋さんも『土佐あかうし』があるみたいですよ!」
「う、うーん。ならいけるか……?」
制作スタッフが相談を始め、それから三十分もしないうちに予定は変更された。
旅館の夕食ロケは中止。
代わりに近くの焼肉店へ向かうことになった。
玲央さんも出演者なので当然同行する。
私は急いで移動時間と翌朝の集合を確認し、玲央さんの休憩時間を組み直した。
(唐突で無茶苦茶な変更……でもあるあるなのが悲しいところよね)
その途中、厨房へ戻されていく田舎寿司が目に入る。
五貫とも、誰の箸にも触れられていない。
(味どころか、一口も食べてもらえなかったんだ)
それが妙に心へ残った。
◇
「お疲れ様でしたー」
急遽決まった焼き肉屋さんでのロケも、どうにか終了。
とにもかくにも、今日のお仕事はこれで終わりである。
撤収して旅館に戻ってきた私は、一人で旅館の厨房へ向かった。
「すみません、あの……夕食で出す予定だった田舎寿司、まだ残ってたりしますか?」
料理人は、白髪交じりの髪を後ろでまとめた小柄な女性だった。胸元には八重とネームプレートがある。
「あら。あんたも焼肉食べてきたんじゃないの?」
「私は食べていないので。それに……こっちが食べたかったんです」
八重さんは一瞬きょとんとして、それからうれしそうに笑った。
「なら部屋に持って行ってあげるよ。酒も飲むかい? 好きだろう?」
「いいんですか!? ありがとうございます! お酒も大好きです!!」
急いで部屋へ戻り、仕事用のスーツを脱いで浴衣に着替えると、窓際の椅子に腰を下ろした。
しばらくして運ばれてきた田舎寿司と地酒を前に、思わず息をつく。
「わぁ、美味しそう~!! いただきます!!」
まず、たけのこ。
柔らかく煮られていて、甘い。
しいたけも出汁を含んでいるけれど、やはり甘さが強い。
こんにゃく、みょうが、山菜。
「……うーん、甘い?」
まずいわけではない。
むしろ癖がなく、初めて食べる人には親切な味だ。
ただ、五貫食べ終わったあと、舌へ残っている印象がほとんど同じだった。
「どう?」
声に振り返ると、八重さんが様子を見に来ていた。
「食べやすいです。でも……全部、ずいぶん甘いんですね」
口にしてから少し緊張する。
以前なら、慌てて「でもおいしいです」と付け足していただろう。
だけど八重さんは怒らなかった。
「はぁ~、だよねぇ。昔は違ったんだけど」
「昔は?」
「山菜はもっと苦かったし、みょうがは酸っぱかった。たけのこだって、もっと歯ごたえを残してたよ」
けれど観光客から苦い、食べにくい、旅行へ来てまでこんなものを食べたくないと言われ、残されることが増えたらしい。
「だから少しずつ甘くしたのさ。誰が食べても嫌じゃない味にね」
八重さんが苦笑する。
「それでも今日は、食べてももらえなかったけど」
私は皿を見つめた。
「……八重さん。昔の田舎寿司って、まだ食べられますか?」
「あるよ。私らが食べる分ならね」
しばらくして、もう一枚の皿が運ばれてきた。
たけのこを噛む。
「……あ」
歯ごたえがある。
しいたけには出汁の旨みがはっきり残り、こんにゃくを噛めば中からじんわりと出汁が出てくる。
みょうがは酸っぱい。
山菜は、ちゃんと苦い。
地酒を一口飲むと、その苦みが心地よく消えていった。
「こっちの方が、一貫ずつ全然違います」
「でも若い子には嫌われるよ」
「……そうですよね」
私も、若い人なら絶対こちらが好きだとは言えない。
そのとき、ひまりさんの声を思い出した。
『えー、これがお寿司? 魚いないじゃん』
彼女はまずいとは言っていない。
苦いとも、甘すぎるとも言っていない。
そもそも、食べていない。
八重さんはずっと、食べてもらうために味を変えてきた。
でも今日の田舎寿司は、その味を知ってもらえるところまで届かなかった。
私は二枚の皿を見比べる。
変えるべきなのは、本当に中身なのだろうか。
一つ目へ手を伸ばしたくなる入口。
その次も食べてみたくなる理由。
五貫すべてを、ただ目の前へ並べるのではなく……。
再度私はひと口食べてから、顔を上げた。
「――味わいました」


