香水は、自分を誤魔化す匂いだと思う――
私、生田 郁子(いくた いくこ)、28歳。
大手携帯ショップを取り扱う中小企業で、エリアマネージャーをしている。
携帯を触るのは、子供の頃から好きだった。操作もすぐに慣れたし、新しい機能にはワクワクした。
だから大学を卒業して、携帯を扱う会社に就職した。迷いはなかった。
はずだった――
「お疲れ様です、生田です」
「あ、エリアマネージャー。お疲れ様です」
私が任されているのは、中国地方の広島県と岡山県だ。
このエリアに存在うる店舗の業績が上がるように、私という役職が存在する。
「さっそくだけど、在庫の確認させてもらっていい?」
「はい、こちらで保管しています」
エリアマネージャーの業務は多岐に渡る。
一口に「業績が上がるように」と言っても、業績不振になる理由は様々にあるからだ。
「この機種は、型落ちして随分になるけど……売るの難しい?」
「あの手この手でお客様を誘導してはいるのですが、やはり最新機種が人気で」
「でも、携帯を求める方の皆が、最新機種を求めているわけじゃないわよね?」
そう言うと、私と話す二十代の男性――店長の森下くんは、顔をこわばらせた。
彼は広島県三原市にある店舗で、25歳という若さで店長になった優秀な部下だ。
柔和な物腰しはお客様を警戒させないし、人懐こい笑顔もいい。それ故に人気があり、リピート客が多いのだ。
欠点を上げるとすれば、場所だ。
三原市は歴史的遺産が数多くあり魅力的な土地だが、もともとの人口はさほど多くない。
人口は多ければ多いほど、比例して利用客も上がる。反対に、人口が少なければ利用客も落ちる。
何気ない来店で入ったお客様を誘導して、機種変更させるなり二台目として持たせるなり、家族を巻き込むなどして業績を上げなければならないのだ。
25歳という若さで店長になった森下くんはすごい。
だけど、若いが故に経験値が足らないのだ。
「不良在庫は残せば残すほど売れなくなるから、モデム機を店頭に出してポップを貼るなりしないとね。まずはお客様の目に触れるところから」
「はい、そうします!」
「……」
森下くんのやる気は、ある。
しかし、このやり取りを三ヶ月も前もしたとなると、言い切れぬ徒労感を覚える。
チラリと森下くんを見る。
笑みを浮かべた彼から、罪悪感は……感じない。
「あとは売上だけど、この店舗は目標台数に大きく届いていないの。
毎月、目標台数に達成した他店舗が、この店舗を補填しているのだけど……」
「はい、知っています!」
笑顔だ。
「申し訳ない」って気持ちは、微塵もないのだろうか。
仕事は、見るからにやる気がない社員を叱咤激励するほうが、実はやりやすい。困るのは、森下くんのような罪悪感を一切覚えない社員だ。
どうヤル気を起こすべきか、店長としての自覚は足りているか、など。店舗の売り上げだけでなく、社員のことにまで頭を悩ませないといけない。
「まずはお客様の来店数を増やすことね。外にあるのぼりを……」
こうして、一日かけて森下くんに営業のノウハウを教えていく。
相変わらず彼は笑顔を絶やさなかったけど……本当の所は、どう思っているのだろう――
「では、私は失礼しますね」
「はい、今日はたくさんのことを教えて下さりありがとうございました!」
最後まで笑顔だった彼へ「頑張ってね」と声掛けした後。
12月のツンとした空気を一瞬浴び、かび臭い営業車へ乗り込む。
「あ」
全て揃えて店舗を出たと思ったけど、パソコンの充電器を忘れてしまったことに気づいた。
「危ない。明日、もう一度ここに来なければいけないところだったわ」
車を降りて、もう一度店舗のドアを開ける。閉店時間はすぎているから、手動だ。ゆえに音もなく、薄暗くなった店の中へ、一歩また一歩と歩を進める。
その時だった。
「生田さんって、若いのにエリアマネージャーになってすごいよなぁ」
「!」
森下くんが、誰かと話している声が聞こえる。閉店後に他の社員は先に帰したから、恐らく電話だろう。
そういえば森下くんは、近隣の店舗と仲がいいと聞く。人数が足りない時などはヘルプに行き、日ごろ会えない社員と交流を図れるのだ。となると、電話の相手は他店舗の社員だろう。時間は八時半。どの店舗も営業を終え、閉め作業に入っている時間だ。
「今日も色んなこと教えてもらってさー。そうそう、どんな客にも新規の携帯をこぎつけてすごいんだよ」
「こぎつける」と言い方は、どうなのかと思ったけど。
素直に褒めてくれているから驚いた。こういう時は、悪口を言われるのがセオリーだと思ったからだ。
あまり拘束するのも悪いと思いさっさと帰ったが、彼をご飯に誘うというのはどうだろう? 今日は私ばかり話してしまって、あまり彼の意見を聞くことが出来なかった。
もし思い悩んでいることがあり、それ故の業績不振であるなら――
そんな彼の不安を引き出すのも、私の仕事のような気がした。
目と鼻の先にある充電器を一瞥した後。換気扇の下で、タバコを吸いながら電話をする森下くんに近づく。
いや、近づこうとした、その時だった。
「でもあの年でエリアマネージャーってさぁ……そうそう。なんか嫌だよな。もう仕事に人生を捧げてる感じ? 今日だって、ニコリともしないんだ。あんまり目も合わないしさ。俺はロボットと話してるのかって、ずっと思ってたわ」
「……」
伸ばし掛けた手を、急いで引っ込めた。充電器に触れないまま、急いで店の出口を目指す。
その間も、私の背中には彼のストレートな声が容赦なくぶつかった。
「あとは香水? ちょっとキツめでさー。換気したかったから『今日は温かいから開けときますね』って言ったら、『ここは海が近く潮が入って来るから、携帯が痛む可能性があるのでドアは閉めてください』って言うんだ。参ったよ」
電話相手が、私の真似をしたのだろう。森下くんは「そうそう」と笑った。
「でも、気の毒だよ。あぁやって店舗を回っては、敵を作っていくんだろ? 俺だったら頑張れないわ」
その言葉を最後に、私は入って来た時と同じように、静かに店の外に出た。そうして音もなくドアを閉める。
「あ、充電器……まぁいいか」
仕方がない。これから電気屋に行って、新しい充電器を買おう。まだ八時だから、開いているはず。
私はかび臭い営業車に乗り込み、エンジンをかける。
するとエアコンの吹き出し口から、さっき森下くんが吐いたタバコの煙に似た匂いが車内に広がった。時間が経つごとに、私がつける香水の匂いと混じり、不快なものになっていく。
「換気しよ」
ウィンドウボタンを押そうと、サイドドアに手を伸ばす。
だけど思い出してしまった。
――『ここは海が近いので潮が入って来るから、携帯が痛む可能性があるのでドアは閉めてください』って言うんだ。参ったよ
「……」
もしかして今私が感じた同じ不快感を、森下店長も抱いたのだろうか。反対に、私の匂いって、これほど人の気分を悪くするもの?
自分の服をクンと嗅ぐ。
朝つけて以来、香水は、一度も追加でつけてない。それなのに、香水の香りが色濃く残っている……ような気がする。
気のせい?
森下店長に、あぁ言われたから?
無意識の内に、脳内で匂いを再生しているのだろうか?
それとも、本当に匂ってる?
匂ってる、匂ってないを、花占いように繰り返す。そんなことを考えている内に、電気屋に着いてしまった。車から降りて吸った空気はどこか新鮮に感じて、少しだけ恨めしい。香水をつけた私とは違い、濁ってない気がしたのだ。
「香水をつける自分を、まさか悲観する日が来るなんて……」
そんなモヤモヤとも落胆ともとれる気持ちを抱えたまま、買い物を終えてホテルに戻る。
腕時計を見ると、夜の九時。ため息をつきながら、机の上に置いたビニール袋に視線を移す。
「ご飯は……もういいか」
今日は疲れた、色々と。
フラフラ歩いて、ベッドに倒れ込む。ずっと立っていたから足がクタクタ。
それに……空腹よりも堪えているのは、さっき聞いた言葉の方だ。
――でも、気の毒だよ。あぁやって店舗を回っては、敵を作っていくんだろ? 俺だったら頑張れないわ
明日は別の店舗を回る。
そうしたら私は、また敵を増やすのだろうか?
そんなことを思っていたら、胸やけがしてご飯どころではない。
しばらく動く気がおきなくて、夜中の変な時間まで、そのままの状態で寝てしまった。
◇



