夜峰 宵は、物語の力に酔いしれる

 深夜二時。
 街の喧騒から切り離された路地裏に、その古本屋はある。
 無駄な装飾のない薄暗い店内のカウンターで、夜峰(よるみね) (よい)は死んだ魚のような目でだるそうに文庫本をめくっていた。
 動きやすさだけを重視した、ロゴの剥げかけた黒いパーカー。
 整った可愛い系の顔立ちには、常に何かを諦めたような無気力な影が張り付いている。
 チリン、と入り口の鈴が激しく鳴った。
「あの……これ、買い取って、ください……っ」
 駆け込んできたのは、肩を激しく揺らし、今にも泣き出しそうな若い女性だった。
 そして、差し出されたのは、表紙が焼け焦げたような、一冊の古いダークファンタジー小説。
 宵は無表情のまま、その本を受け取る。
 その瞬間、彼の指先にバチバチとした、皮膚を焼くような強烈な熱線が走った。
(――凄まじいな。どれだけの『怒り』を吸い込んできたんだ、この本は)
 物色するフリをしながら、本の背表紙をなぞる。
 宵の鋭い目には見えていた。
 その本から、今にも爆発しそうなほど純粋な「情熱と破壊の衝動」の気配が立ち上っているのが。
 それは前の持ち主が、絶望の中で何かを滅ぼそうと祈っていた、色濃い人間の“想い”だった。
「……五千円。これでいいなら、引き取る」
「えっ、あ、はい! お願いします!」
 女性は驚きつつも、差し出された紙幣を掴むと、何かから逃れるように店を走り去っていった。
 一人残された静寂の中、宵はカウンターの上にその本を置く。
 彼の心の中に、いつものドロドロとした暗いマグマのようなものが湧き上がる。
 ナエヴァ(悪の組織)
 彼の日常を奪いった本人たちへの、消えない怨み。
「見せてみろ。お前の力を」
 宵がゆっくりとページを開いた。
 その瞬間、本は ゴオッ!と激しい音を立てて、本の隙間から火花を散らす真紅の煙が吹き出した。
 ブック・スモークだ。
 煙は紅い稲妻をまとって暴れ狂い、宵の華奢な右腕に巻き付いてラフなパーカーの袖を赤く染め上げていく。
 無表情だった彼の瞳が、煙と同じネオンレッドに妖しく発光した。
 脳内に流れ込んでくるのは、周囲の空間ごとすべてを焼き尽くす『紅蓮の雷撃』の能力。
 その時、彼のスマートフォンの画面が、街の異常を知らせるアラートで赤く明滅した。
 すぐ近くの交差点で、怨念の禁書による怪異が発生したという。
 宵の口元が、わずかに、本当にわずかに歪んだ。
「ちょうどいい。慣らし運転といくか」
 古本屋の店主・夜峰宵の姿は、もうそこにはない。
 真紅の雷煙を夜風になびかせ、物語の力に酔いしれる孤高の戦士――『夜風(よるかぜ) (よい)』。
 ラフなスニーカーが床を蹴り、彼は最初の戦場へと、闇の中を疾走していった。