おれとぼくの恋愛事情

 絵のことになると、他のことが目に入らなくなる。
 昔からの悪い癖だ。
 集中力があるとも言えるが、それで誰かを傷つけたこともあると思う。
 そう思うのは、沙羅に言われて初めて気づいたからだ。
 そんな僕のことを、沙羅だけはずっと理解してくれていた。
 
 自宅のアトリエで受験用の作品を描いていると、ドアをノックする音がした。
 ガチャッとドアが開くと、母が顔をのぞかせた。
「根を詰め過ぎずにね。休憩もしてね。ここに置いておくわね」
 持っていたトレイをチェストの上に置いた。
 トレイにはアイスティーと小粒のチョコレートがいくつか載っていた。
 母は絵本作家として今も活躍していて、僕が最も尊敬する人物の一人でもある。
 母が僕の描いている作品を背後から眺める。
「陽向、作風が変わったわね」
「えっ?」
 思わず母の顔を見ると、にこやかに笑っていた。
「なんだろう。絵に温かみを感じるというか……そうね、感情が色や筆の動きに出ている感じ」
「以前の僕は違っていた?」
「そうねぇ、無機質な感じが強かったかな?」
「無機質……」
「絵は上手いのよ。かなり忠実に表現できてた。でも、そこに作者の想いが感じられなかった。きつい言い方だね、ごめんね」
 僕は小さく首を横に振った。
「予備校の三島先生にも去年、『変わった』って言われたんだ」
「陽向をずっと見てきた人はわかると思う。それくらい変わった」
 その頃から三島先生にも、英語を頑張っているなら留学も視野に入れてみたら、と勧められていた。先生の友人で留学した人もいるとのことだった。ただし、相当厳しいぞ、と覚悟も求められた。
 まだ覚悟を決めきれなかった僕は、そのために去年、ボストンに様子を見に行った。
 ボストンの空気は、日本のどこにも似ていなかった。
街を歩く人も、建物も、大学のアトリエに流れる空気も、全部が僕に「ここで描けるのか、やっていけるのか」と問いかけてくるようだった。
 一週間もすると、ボストンでの生活にも慣れ、自信がついた。
 芸大に進んだとしても、いずれ留学はしたいと両親には相談していた。
 特に母は理解を示してくれ、「人生一度きりなんだから、やりたいことはやった方がいい。留学は陽向のキャリアを助けてくれると思う」と、反対気味だった父も、最後にはうなずいてくれた。
 その時、父は僕に言った。
「TOEFLのスコアが留学の基準を超えたら留学を許す」

 留学に必要なピースは揃った。
 芸大に行っても留学するのであれば、いつ海外に行くのか、時期の問題だ。
 僕は早く海外に出たかった。
 日本ではそれなりに評価を受けているが、海外でどれだけ通用するのか、試したかった。
 こんな気持ちにさせたのは琉生の存在だ。
 彼がサッカーに向き合う姿を見て、僕も挑戦したくなった。
 11月の出願まで、もう時間はない。
 迷っている暇はなかった。
 僕は、全力を出す。