おれとぼくの恋愛事情

「はぁ」
 思わず大きなため息が出てしまった。
 頭では気持ちを受験勉強に切り替えなくてはならないとわかっているのに、少しでも気を抜くと、決勝のラスト10分に引き戻される。
 応援席から上がった「あぁーーー」という落胆の声が、今でも耳の奥で響いていた。
 カメラを首から下げたまま、がっかりした顔のマユ。
 左手首に巻かれたびしょ濡れのミサンガ。
 汗なのか涙なのかわからない水分で、青々とした空がぼやけた。
 相手校のエースにゴールを決められ、逆転され敗れた。
 俺のサッカー人生に、そこで区切りがついてしまった。
 スマホの画面を見たが陽向からの連絡はなかった。
 もう何日も連絡を取っていない。

 決勝に陽向は来なかった……のだと思う。
 でも、試合の結果は知っているはずだ。学校中で噂になっているし、俺たち三年生は、もうグラウンドで練習をしていない。
 練習がなくなると一気にやることがなくなった。その分、受験勉強をしろという話なのだが、どうにもこうにも気持ちの切り替えができなかった。
 そして、気がかりなことがもう一つ。
 陽向を学校で見かけることがなくなった。
 
 教室で帰りの支度をしていると、入り口に腕を組んで立っている高円寺沙羅と目が合った。彼女が手招きしている。
 俺?
 人差し指で自分を指すと、彼女は大きくうなずいた。
 女王様のお出ましにざわめいた教室を出て彼女に近づくと、「試合の件は申し訳なかったわ。ごめんなさい」と頭を下げられた。
「お、おい。やめろって。何のことだよ」
 教室から俺たちの様子を見ている生徒や廊下を歩いていた生徒が驚いた顔をして、足を止めじろじろ見ている。
「ちょっとここ目立つから、あっちに」
 俺は高円寺沙羅の右手首を軽く掴み、階段裏まで移動した。
「陽向から決勝に行くはずだったって」
 決勝戦の不甲斐なさが蘇った。陽向は来ていないと思っていたけど、やっぱり来ていなかったか。曖昧だった現実が確実になってしまった。
 高円寺沙羅の口から聞くくらいなら曖昧なままの方がよかった。
 彼女は俺の感情などお構いなしで続けた。
「あの日、虫垂炎で陽向に病院まで付き添ってもらったの。私の両親が旅行中で誰もいなくて、陽向しか頼れる人がいなかった」
 「虫垂炎」という言葉に、一瞬だけ心配する気持ちが生まれた。
 それなら仕方ない……よな。
 そう思うべきなのだとわかっている。
 なのに、胸の奥に別の感情が生まれた。
 あぁ、まただ。
 何で陽向からではなく、高円寺沙羅から真実を告げられなくてはならないんだ。
 何で直接言ってくれないんだよ。
 全身の筋肉がこわばり、歯を食いしばった。
 思わず左手首につけたミサンガを、右手でぎゅっと握った。
 何か話さなくては、と思うが口元の筋肉までこわばり、うまく声が出せない。
「本当にごめんなさい」
 高円寺沙羅は再び頭を下げた。
「……なんでだよ……」
 やっと出た言葉がこれだった。
 高円寺沙羅はキョトンとした顔をしている。俺が何に対して怒っているのかわからないようだった。
「陽向はどこにいる?」
「美術室に寄ってから帰るって聞いたけど」
 俺はすぐさま美術室に向かった。
 俺が走り去ったあと、階段裏に沙羅の声だけが残った。
「陽向は、留学に向けて忙しくなるの。邪魔しないでよね」
 もちろん、俺に聞こえるはずがなかった。