私は、自分の耳を疑った。
まさか、日本に帰って終わりではないとでも言うのだろうか。
私の異世界生活は、このサイン会で区切りがつくと信じていたのに。
「ええ。定期的に、フォルジェ王国へ転移していただき、現地の食材を使った料理本や、王国の風景を描いた画集などを制作していただきたいと思います。フォルジェ王国の食文化と観光業の振興にも繋がりますし」
榊原は、まるでビジネスパートナーに話しかけるように淡々と語る。
彼の頭の中では、私の異世界での活動が、既に緻密な収益モデルとして組み込まれているのだろう。
私は、彼の目の奥にある、底知れない野望を感じ取った。
「いや、無理です。私は日本の漫画家で、異世界での絵師活動なんて、そんな……」
私が必死に抗議すると、榊原は冷たい視線で私を見つめた。
「貴殿の漫画の『アレス王子』は、アレクシス様がモデルです。彼が異世界での『愛の料理』を求める旅に出たとなれば、当然、貴殿の漫画もそれに合わせて展開しなければ、読者の期待を裏切ることになるでしょう。それに、この莫大な報酬を前にして、貴殿に拒否権があるとお思いですか?」
榊原の言葉は、私の弱みを的確に突いてくる。漫画家としての責任、そして、目の前の莫大な金。
私は、ぐうの音も出なかった。
彼の言葉には、脅迫めいた響きがあった。
しかし、それに抗う術は、私にはない。
「それに、先日、我が屋敷の筆頭執事に紙の準備を依頼されたでしょう。『フォルジェ王国の謎の絵師アヤノ様』の画室を母屋から続く離れに準備させていただきました。ほら、ちょうど転移した際に使用した礼拝所を、創作の場に相応しいよう改修したのですよ。――ちなみに改修費はこちらとなります」
ぴら、と見せつけた書類の桁は、先ほどの売り上げに匹敵する。
さながら悪徳リフォーム業者に騙されたような気分になる。
「お、お願いって、私、はした紙とかあればって言っただけなのに!」
「フォルジェ王国の王位継承者の特別なご友人でもある貴殿の要望に対して、我が執事は最善を尽くしたというのに、酷い言いようではないですか」
「アヤノ。共に、道を極める旅に出ようではないか」
絶望する私の隣で、アレクシスが満面の笑顔で私の手を握ってきた。
彼の瞳には、新たな旅への期待と、私の異世界での活動への熱烈な歓迎が込められている。
彼は、榊原の言葉の裏にある冷徹な計算など、全く理解していないのだろう。
ただただ純粋に、まるでプロポーズでもするかのように、甘く蕩けるような声で囁くのだ。
「俺の姿を、故郷の民に描き続けてほしい。伝えてほしい。それができるのは、俺が唯一パートナーとして認めた君にしかできぬことなんだ」
「え、一緒に……ですか?」
私の胸は、胃の痛みとは違う、複雑な感情で満たされていく。
完全に外堀を埋められた。
どうやら日本と異世界を股にかけた、前代未聞の冒険へと突入していくらしい!?



