今日の収穫は、久保井君は自分からは話さないけれど、聞くとちゃんと答えてくれる人なんだってこと。
毎度顔は顰めるけれど、ちゃんと答えてくれる。
挨拶は無視されるけれど、質問はちゃんと答えてくれる。
だから敢えてしょうもない質問をしてみた。
「赤と青なら、どっちが好き?」
そう言う僕が手に持つのは、赤いマーカーと、青いマーカー。
たまたま机に出たままだったから。
こんなくだらない質問でも、ちゃんと答えてくれるのかなって、ちょっと、いたずらしてみたい気持ちになった。
「黒」
「えっ」
返ってきたのは、赤と青、どっちでもない回答だった。
それはずるくない?って机に目を落とすと、黒いマーカーも転がっていて。
もしかして、ただの思い付きの質問だってバレたのかな、って、ちょっと笑った。
久保井君の声を聞いたのは、自己紹介があった日以来だった。
久保井君は、背中が広い。
背中というより、肩幅、なのかもしれない。
だから時々、無性に飛び付きたくなる。
その強度を確かめたいからなのか、困らせてみたいからなのか、ただの興味なのか、分からなかったけれど。
これは一体どういう感情なんだろう。
悩んでいたら、先生に当てられても答えられなくて困った。
周りが笑う中、久保井君はやっぱり、身動き一つしていなかった。
飛び付くタイミングというのは、案外早くにやってきた。
体育の授業で、五十メートル走をすることになって、気合を入れて走ったら、盛大にコケたから。
たまたま近くに居た久保井君が運んでくれることになって、しゃがんでくれた久保井君の背中に、柔く飛び付く。
「ごめんね、久保井君」
入学早々に絡んで、挙げ句こんな、重い荷物運びまでさせてしまって。
タイムを計るというから、気合を入れて走ったのだ。
そしたら、空回りして、転んでしまった。
凄く嫌な目立ち方をしたし、膝から血は出ているし、恥ずかしいし、痛かった。
だから心が落ち込んでいて、久保井君に対する申し訳なさも増していて。
いつもより高い視点で校内を進みながら、体の力を抜く。
おんぶって、体の力を抜いているのと、入れているの、どっちがおんぶする側は楽なんだろう。
気になったけれど流石に聞けなかった。
今はそんな気分じゃなかったし、久保井君も、黙ったままだった。
保健室に着くと、鍵は開いていたのに、先生が居なかった。
ああ運は僕を見放している、なんて思いながら、下ろしてもらったソファに崩れる。
膝が痛くて、曲げ伸ばしが上手くできなくて、崩れたのは上半身だけだったけれど。
久保井君は何も言わないまま、僕の前に立っている。
顔を見ていないから、久保井君が今何処を見ているのか分からなかったけれど、視界に入っている久保井君の上履きの先は、僕の方を向いていた。
「謝ることじゃない」
「えっ」
上から降ってきた言葉は、僕の知る久保井君の声より、少し柔らかかった。
もしかしてさっき僕が謝ったことをちゃんと受け取って、気にかけて、返してくれたのだろうか。
だとしたら、なんて不器用で可愛い人なのだろうと思った。
グラウンドからここまで、ずっと、なんて返すか考えてくれていたのだろうか。
落ち込んでいる僕を見て、何か言ってやらなきゃと、思ってくれたのだろうか。
そう思うと嬉しくて、笑顔になる。
けれど久保井君の顔を見上げる前に、久保井君はくるりと方向転換して、保健室を出て行ってしまった。
まさかの置き去りに少し悲しくなる。
上げて落とすとはこのことか?と少し思った。
多分ちょっと違うけれど、僕の心は上げて、そして落とされていた。
そのままソファでぼーっとしていたら、保健室の扉が開いて、先生が入ってくる。
その後ろからはちゃんと、久保井君も入ってきたから嬉しくなった。
久保井君は上げて落とす酷い人じゃなかった。
上げて落として、それからもう一度、上げてくれる優しい人だった。
膝は無理矢理、と言うと聞こえは悪いけれど、無理矢理洗って、消毒されて、大きなガーゼを貼られた。
高校生にもなって、こんな大きなガーゼを膝に。
これじゃあ転けましたと大々的に宣言するようなもので、情けないやらお恥ずかしいやら。
そんな思いと痛さで俯いていたら、頭を撫でられて驚いた。
先生ってば、なんて優しいんだろう。
けれど顔を上げると、撫でてくれていたのは久保井君で、尚更驚いた。
嘘でしょう、久保井君。
ギャップは一日に一つまでって、法律で決まって……は、いないけれど。
そんな大サービスして良いの?良いんだ、ありがとう。
多分、僕は怪我したせいでおかしくなっていた。
撫でてくれる久保井君の手を取って、握ってブンブン振るくらいには、おかしくなっていた。
後はもうどうにもできないから戻んな、って、結構冷たい扱いで保健室を追い出された僕たち。
久保井君は僕をもう一度おんぶするか?って問い掛けてくるような目をしていたけれど、僕は首を振って、ゆっくり歩く。
「先に戻ってていいよ、ありがとう久保井君」
膝を曲げると痛かったから、膝を伸ばしたままゆっくり進む僕。
久保井君はそんな僕に並んで、ゆっくりと歩いてくれていて。
久保井君もまだタイムを計っていないはずだから、今戻れば間に合うよ、って思ったのに、久保井君は僕を置いて行かない。
久保井君は返事をしてくれないけれど、その目はずっと、僕がいつよろけても支えられるように、じっと僕のことを見てくれていた。
グラウンドに戻ると、丁度そこでチャイムがなってしまう。
戻ってきた僕たちを見て、先生が「二人は次回な」って言う。
僕が頷くと、授業を終えたクラスの皆が「大丈夫?」って心配してくれて、恥ずかしかった。
だって僕は自分で転けて、この膝の傷を作ったのだ。
本当の傷の大きさはこのガーゼの四分の一にも満たないのに、皆がガーゼの大きさを見て、大事だって顔で心配してくれるから、恥ずかしかった。
本当の傷の大きさを知る久保井君は、何も言わないまま、ただ僕を見守ってくれていた。
毎度顔は顰めるけれど、ちゃんと答えてくれる。
挨拶は無視されるけれど、質問はちゃんと答えてくれる。
だから敢えてしょうもない質問をしてみた。
「赤と青なら、どっちが好き?」
そう言う僕が手に持つのは、赤いマーカーと、青いマーカー。
たまたま机に出たままだったから。
こんなくだらない質問でも、ちゃんと答えてくれるのかなって、ちょっと、いたずらしてみたい気持ちになった。
「黒」
「えっ」
返ってきたのは、赤と青、どっちでもない回答だった。
それはずるくない?って机に目を落とすと、黒いマーカーも転がっていて。
もしかして、ただの思い付きの質問だってバレたのかな、って、ちょっと笑った。
久保井君の声を聞いたのは、自己紹介があった日以来だった。
久保井君は、背中が広い。
背中というより、肩幅、なのかもしれない。
だから時々、無性に飛び付きたくなる。
その強度を確かめたいからなのか、困らせてみたいからなのか、ただの興味なのか、分からなかったけれど。
これは一体どういう感情なんだろう。
悩んでいたら、先生に当てられても答えられなくて困った。
周りが笑う中、久保井君はやっぱり、身動き一つしていなかった。
飛び付くタイミングというのは、案外早くにやってきた。
体育の授業で、五十メートル走をすることになって、気合を入れて走ったら、盛大にコケたから。
たまたま近くに居た久保井君が運んでくれることになって、しゃがんでくれた久保井君の背中に、柔く飛び付く。
「ごめんね、久保井君」
入学早々に絡んで、挙げ句こんな、重い荷物運びまでさせてしまって。
タイムを計るというから、気合を入れて走ったのだ。
そしたら、空回りして、転んでしまった。
凄く嫌な目立ち方をしたし、膝から血は出ているし、恥ずかしいし、痛かった。
だから心が落ち込んでいて、久保井君に対する申し訳なさも増していて。
いつもより高い視点で校内を進みながら、体の力を抜く。
おんぶって、体の力を抜いているのと、入れているの、どっちがおんぶする側は楽なんだろう。
気になったけれど流石に聞けなかった。
今はそんな気分じゃなかったし、久保井君も、黙ったままだった。
保健室に着くと、鍵は開いていたのに、先生が居なかった。
ああ運は僕を見放している、なんて思いながら、下ろしてもらったソファに崩れる。
膝が痛くて、曲げ伸ばしが上手くできなくて、崩れたのは上半身だけだったけれど。
久保井君は何も言わないまま、僕の前に立っている。
顔を見ていないから、久保井君が今何処を見ているのか分からなかったけれど、視界に入っている久保井君の上履きの先は、僕の方を向いていた。
「謝ることじゃない」
「えっ」
上から降ってきた言葉は、僕の知る久保井君の声より、少し柔らかかった。
もしかしてさっき僕が謝ったことをちゃんと受け取って、気にかけて、返してくれたのだろうか。
だとしたら、なんて不器用で可愛い人なのだろうと思った。
グラウンドからここまで、ずっと、なんて返すか考えてくれていたのだろうか。
落ち込んでいる僕を見て、何か言ってやらなきゃと、思ってくれたのだろうか。
そう思うと嬉しくて、笑顔になる。
けれど久保井君の顔を見上げる前に、久保井君はくるりと方向転換して、保健室を出て行ってしまった。
まさかの置き去りに少し悲しくなる。
上げて落とすとはこのことか?と少し思った。
多分ちょっと違うけれど、僕の心は上げて、そして落とされていた。
そのままソファでぼーっとしていたら、保健室の扉が開いて、先生が入ってくる。
その後ろからはちゃんと、久保井君も入ってきたから嬉しくなった。
久保井君は上げて落とす酷い人じゃなかった。
上げて落として、それからもう一度、上げてくれる優しい人だった。
膝は無理矢理、と言うと聞こえは悪いけれど、無理矢理洗って、消毒されて、大きなガーゼを貼られた。
高校生にもなって、こんな大きなガーゼを膝に。
これじゃあ転けましたと大々的に宣言するようなもので、情けないやらお恥ずかしいやら。
そんな思いと痛さで俯いていたら、頭を撫でられて驚いた。
先生ってば、なんて優しいんだろう。
けれど顔を上げると、撫でてくれていたのは久保井君で、尚更驚いた。
嘘でしょう、久保井君。
ギャップは一日に一つまでって、法律で決まって……は、いないけれど。
そんな大サービスして良いの?良いんだ、ありがとう。
多分、僕は怪我したせいでおかしくなっていた。
撫でてくれる久保井君の手を取って、握ってブンブン振るくらいには、おかしくなっていた。
後はもうどうにもできないから戻んな、って、結構冷たい扱いで保健室を追い出された僕たち。
久保井君は僕をもう一度おんぶするか?って問い掛けてくるような目をしていたけれど、僕は首を振って、ゆっくり歩く。
「先に戻ってていいよ、ありがとう久保井君」
膝を曲げると痛かったから、膝を伸ばしたままゆっくり進む僕。
久保井君はそんな僕に並んで、ゆっくりと歩いてくれていて。
久保井君もまだタイムを計っていないはずだから、今戻れば間に合うよ、って思ったのに、久保井君は僕を置いて行かない。
久保井君は返事をしてくれないけれど、その目はずっと、僕がいつよろけても支えられるように、じっと僕のことを見てくれていた。
グラウンドに戻ると、丁度そこでチャイムがなってしまう。
戻ってきた僕たちを見て、先生が「二人は次回な」って言う。
僕が頷くと、授業を終えたクラスの皆が「大丈夫?」って心配してくれて、恥ずかしかった。
だって僕は自分で転けて、この膝の傷を作ったのだ。
本当の傷の大きさはこのガーゼの四分の一にも満たないのに、皆がガーゼの大きさを見て、大事だって顔で心配してくれるから、恥ずかしかった。
本当の傷の大きさを知る久保井君は、何も言わないまま、ただ僕を見守ってくれていた。

