一緒に地獄に堕ちるか。

「お母さん、相談があって」
「なによ〜」
僕が帰ると、その後直ぐに帰ってきたお母さんを、僕はダイニングに引っ張って行って、真剣な声を出す。
お母さんは戸惑いながらも笑って、それでもちゃんと聞こうとしてくれているから、少しだけ安心した。
「あのね、僕、今仲の良い子が居るんだけど」
「まあ、そうなの」
「うん、それでその子、お母さんが居なくて、お父さんもお仕事で忙しくて、ちゃんとしたご飯、食べられてないみたいで」
「あら……」
お母さんが料理教室の先生になったのは、僕にちゃんと栄養のある、美味しいものを食べさせたいという想いと、稼がなくては僕を育ててはいけないという想いからだと、聞いたことがある。
だから、心配そうに表情を曇らせるお母さんに、僕は話を続ける。
「お母さんが料理教室で作って持って帰ってきてくれるご飯、いつも余っちゃうから、それを、その子にあげられないかな、と、思って……」
どうかな、とお母さんの顔を見ると、お母さんは真剣な顔をして、考え込んでいる。
だから僕はお母さんの考えが纏まるまで、静かに待った。
この空気感は、僕が高校を、進路をどうするか話した時以来だなと思う。
そのくらい、真剣に考えてくれている様子が伝わってきた。
「お母さんは、良いと思うよ。寧ろ有難い。私も余らせちゃうの気になってたからね」
「ほ、本当!?」
「うん。でもその子に勝手にご飯をあげるのは、他所様のご家庭の子に対して踏み込みすぎだから、一度ちゃんと、そのお父さんと話したいかな」
「……うん、うん!分かった、その子に聞いてみる」
思っていた以上にすんなりと受け入れてもらえて、僕は嬉しくて何度も頷く。
よかった、やったよ、久保井君!
これで久保井君が少しは健康的になれるかなと思うと嬉しい。
同時に、久保井君のお父さんも、健康的になってくれたら嬉しい。
だから速攻、久保井君に連絡をしようとして。
何だか視線を感じたから、顔を上げると、にこやかなお母さんと目が合う。
「で、その子は女の子?」
「えっ!?」
お母さんは女の子?と聞いたけれど、その言い方が、好きな子?というような言い方で。
久保井君は男の子だから正確には違うけれど、好きな子、という意味でなら、合っていて。
でもまだ同性の、しかも恋人であるということを、打ち明ける心の準備はしていなかったから首を振る。
「ううん、男の子」
「なんだ、そうなんだ」
「うん……でも、凄く好きな子!」
「そお」
男の子と言うと、勘が外れたか、みたいな顔をして、お母さんがちょっと残念そうにしたから、僕はハッキリと好きな子だと言う。
そうしたらお母さんは、そんなに好きなお友達ができたんだ、良かったね、っていう顔をした。
だから僕は、ちょっと胸が痛んだけれど、頷く。
僕はちゃんと、好きと言えたことが、少しだけ誇らしかった。
ご飯前に自室に戻って、久保井君に連絡をすると、直ぐに返ってくる。
『早いな。分かった、ありがとう』
その文字を画面上で撫でて、僕はそっと息を吐いた。
後は久保井君の、お父さん次第だ。

「初めまして、秋村です」
「初めまして、久保井です」
話し合いの場は、思っていたよりも直ぐに整った。
久保井君のお父さんは土日も関係なく働いていると言っていたから、暫く先になるかと思ったけれど、話をしたその週末に、カフェで四人、集まることができた。
なんでも大きな会社の人事をされているとかで、人の入れ替わりが多く、対応に追われて休む暇が無いのだとか。
けれど有給を早く消化しろとも言われていたとかで、直ぐに僕たちの対応をしてくれることになった。
この行動の速さが、仕事ができる人の対応力なのかと思うと、ちょっとかっこいいなと思う。
「お話を伺いました。我々に料理をご用意いただけると……?」
「はい。私は料理教室の講師をしていますが、一日に複数のクラスを担当しているので、お手本の料理が余りがちなんです。なのでもし良ければ、と、うちの息子からの提案で」
「あ、その、はい!久保井君……幸一君に僕、凄く仲良くしてもらっていて、何か恩返しをしたいなと思って。それにあの、幸一君のお父さんも、健康的なご飯を食べて欲しいなと思って。あの、ちょっとだけ聞きました。僕も片親で、片親の大変さを見てきたから、心配で。一人だと、倒れちゃうと二人共、不安だと思うから。僕が勝手に思って、提案しました」
まさか僕に振られると思っていなかったから、何も言うことを考えていなくて、たどたとしい説明になってしまった。
お母さんが他所様のご家庭と言っていたけれど、確かにその通りだから、余計なことを、と怒られる可能性もあって。
けれど久保井君のお父さんは、僕の目を見て、ちゃんと話を聞いてくれていた。
その隣に座る久保井君……幸一君からも、応援するような視線を感じていたから、僕は最後まで言い切ることができて、息を吐く。
「そうか……まずは、幸一と仲良くしてくれてありがとう。それから、私まで心配をしてくれてありがとう。お恥ずかしい話、私は料理が本当、てんで駄目で。いけないとは思いながらも、幸一にはお金を渡して、買ったものを食べてもらっていました。ですので、もしご厚意に甘えられるならぜひお願いしたいです。もちろんお金は払います」
そう言って深く頭を下げる久保井君のお父さんに、僕もお母さんも慌てて頭を上げてもらう。
隣に座る幸一君は、ちょっと呆れた顔をしていて、僕は笑う。
だって幸一君と幸一君のお父さん、同じ反応をしていたから。
お金は払うって、二人共同じ反応をしていたから、嬉しくなった。
二人の共通したところを見つけて、嬉しくなったのだ。
その後は幸一君のお父さんと、お母さんで話し合いが続く。
お給料を頂いている時間で作っていますから、お代は結構ですよ、と言うお母さんと、それでも材料費や、手間は掛かっていますから、と折れない幸一君のお父さん。
僕は幸一君と顔を見合せて、不思議な気持ちで見つめ合っていた。
二人共家族と居て、皆少し綺麗めな服を着ていて、なんだか親に、恋人を紹介しているような気持ちになったのだ。
幸一君も不思議な感覚なのか、手元のコーヒーが入ったグラスの水滴を撫でながら、お互いの親の間くらいにぼんやりと視線を移す。
結局話し合いは、代金を支払うということでまとまったみたいだった。
そして今は、どうやって受け渡すかを話し合っている。
僕が幸一君に渡しましょうか、と言ったけれど、重い荷物になるし、と幸一君のお父さんが言って、お弁当と違って、ほぼ一日常温で学校に置いておくのは悪くなりそうで不安だねって僕のお母さんが言う。
それなら私が仕事を抜けて取りに行きます、と幸一君のお父さんが言うので、僕は意を決して、口を開いた。
「あ、の。抜け出すじゃなくて、帰る、は無理、でしょうか」
「帰る?」
「はい。幸一君が、最近体調を崩して、ご飯を全然食べられていなかったのは知っていますか」
「おい、」
これこそ余計なお世話、だと思うけれど。
僕は幸一君の制止を視線で押し留めて、続ける。
「もう高校生ではあるけれど、僕はお母さんとご飯を食べながら、その日あったことを話すのが好きです。皆が皆そうじゃないかもしれないけれど、あの、幸一君も、一人でご飯を食べるのは、少し寂しそうだと、僕は思いました。だから、僕のお母さんから、ご飯を受け取る日だけでも、そのままお家に帰って、幸一君とご飯を食べてはもらえませんか」
僕の言葉に、全員が、驚いた顔をしていた。
幸一君は、僕が幸一君のお父さんに物申したから、驚いているのだと思う。
幸一君のお父さんは、幸一君が体調を崩していたことも、寂しがっていることも知らなくて、驚いているような気がした。
そして僕のお母さんは、幸一君と一緒で、僕が友達のお父さんに意見を伝えているから驚いているような気がして、それから、お母さんとご飯を食べながら話すのが好きってことを、初めて言ったから、驚いているような気がした。
僕は少し緊張していたけれど、怒鳴られたりするような恐怖感は、一切無かった。
それは幸一君がお父さんのことを嫌ったり、恐れたりしているのでは無いと知っていたからと、僕も今日実際に会ってみて、お仕事に全力なだけで、幸一君を邪険にしている訳はないということが、伝わってきていたから。
だってそうじゃないと、息子の友人のお母さんに、ご飯を作ってもらうことを了承はできないと思ったのだ。
きっと勇気の要る決断だったと思う。
けれど、自分と、息子の幸一君の為に、頭を下げて頼んでくれた。
それは幸一君のお父さんなりの愛情だと、僕は感じたのだ。
それに、幸一君のお父さんは理不尽に怒ったりするような人じゃない、とも感じた。
人は人相に性格が出るという。
僕もそれを信じていて、幸一君のお父さんは穏やかな表情をしているのが印象的だった。
だから僕は伝えてみようと思った。
受け入れてもらえるかは分からないけれど、聞いてはもらえると思ったのだ。
そして実際、ちゃんと聞いてくれていて、安心する。
幸一君から初めてお父さんの話を聞いた時、お家のことに関心が無い人なのかなと思ったのだけれど、多分、違う。
僕のお母さんと同じで、必死で、家族を養う為に、働いている人なのかもしれないと思った。
「……すまない、全然知らなかったよ。幸一、体調崩してたのか?」
「……まあ。でも今は、涼太、君のおかげで大丈夫」
「涼太の?」
「あっ」
雲行きが怪しくなってきた、と焦る。
幸一君が、僕が褒めようとしている気配を感じた。
その証拠に、幸一君はこちらを、僕の顔を一切見ようとしない。
僕の名前が出て、不思議そうにしている僕のお母さんの声に反応して、幸一君は、僕のお母さんの顔を、真っ直ぐに見ていた。
「はい。俺が全然飯食えなくて、体力持たなくて学校休んでて。そしたらお粥を持って、涼太君が来てくれたんです。だから今生きてるって言っても過言じゃないです」
「おい……」
「まあ……」
「ちょっと……!」
三者三様の反応を聞いて、幸一君は少し笑っている。
お粥のことは言わなくてもよかったのに。
でも、ご飯が食べられなくて、体力が持たなくて、学校を休んでいたという事実は、伝わって正解だったかもしれないと思った。
幸一君は、本当にあのまま体力が尽きていてもおかしくなかった。
幸一君のお父さんが、幸一君とすれ違いの生活をしていたなら尚更、誰にも気付かれないまま、そのまま。
そう思うと尚更、怖くなってくる。
あの時先生にプリントを持って行ってほしいと言われなければ、僕自身も、気が付けていなかったかもしれないのだ。
「そうか……いや、すまない、本当に申し訳ない。秋村さんには、お二人共にご心配とご迷惑をお掛けしていた。私は幸一の父親でありながら、何一つ知らなかった。本当に申し訳ない」
「「いえいえそんな!」」
また幸一君のお父さんが深く頭を下げるから、僕とお母さんは、今度は声も揃えて、頭を上げてくださいと止めにかかる。
そしてその様子を見て、幸一君が笑っているのを感じた。
僕が幸一君と、幸一君のお父さんの反応が一緒で笑っていたように、幸一君も僕と僕のお母さんの反応が一緒だ、と笑っているのかなと思うと、恥ずかしい上に、ちょっとだけ心がくすぐったい。
最終的に、五日に一度くらいのペースで、幸一君のお父さんが、僕のお母さんの料理教室まで、ご飯を取りに行くことが決まった。
そしてその日は、会社に戻らず、幸一君とご飯を食べてくれると、僕に向かって、僕と約束をしてくれた。
息子と同い年の、まだ子供の枠に居る僕に向かって、『約束する』と、しっかり伝えてくれたその姿が、僕は凄く印象に残っている。
それはお母さんもそうだったようで、幸一君と、幸一君のお父さんと別れた後、二人で帰りながら、『良い人そうでよかったね』と言ってくれた。
僕も同じように、良い人そうでよかった、と思う。
二人が今より健康的になって、それから、二人で居る時間が、幸せな時間が、増えると良いなと思う。
だって、二人きりの家族なのだ。
二人が合わないのなら仕方がないけれど、そういうことではなく、二人は二人共、お互いを大切に想っている様子が伝わってきた。
それなら、一緒に居て欲しいなと思う。
僕はやっぱり、好きな人とは一緒に居たいし、好きな人にも好きな人と一緒に居て欲しいし、好きな人には、幸せで居て欲しいと思うのだ。
満足して微笑む僕に、お母さんは労うみたいに、軽く頭を叩いてくれる。
「お友達を救ってたんだね」
「……へへ」
お友達、そして大切な人。
えらいね、と褒めてくれるようなお母さんの口ぶりに、僕は頷いて笑った。
いつかは恋人だと紹介したいけれど、今はこれで十分。
何もできないと思っていた僕にも、少しだけ、幸一君を幸せにできることがあった。
皆の協力を得ながらだけれど、幸一君の幸せへのお手伝いができて、嬉しかった。