相棒に抱かれることになった



あれから2週間。
俺に向けられていた佐々木の視線は、すっかりフジのものになっていた。
朝の挨拶から放課後の廊下まで、佐々木は何かと理由をつけてはフジの席にやってきては嬉しそうに話し掛け、フジもそれを拒むことなく、あの柔らかい笑みで対応していた。
それを見るたび、俺の胸の奥は静かに、けれど確実に冷たく縮こまっていく。

あいつの隣は、もう俺の場所じゃない。

フジがいつか言っていた「好きなタイプ」に合致する女子が現れて、フジは順当にその子に惹かれ、関係を深めている。ごくごく健全で、当たり前の高校生の日常だ。
頭では分かっているのに、視界に入る二人の仲睦まじい姿が脳裏に焼きついて離れなかった。
でも、そのくせフジは以前と変わらないように優しく俺を抱き続けていて。
俺の心の中には、いろんな感情が渦巻いて膨れ上がる。
そのモヤモヤは、俺の生活のすべてを蝕み、当然のようにバスケのプレーにも確実に悪影響を及ぼしていた。


「京原! さっきからパスの精度がガタガタだぞ! キャプテンがそんなんでどうする!」


体育館に顧問の怒声が響き渡る。


「……さーせん」


コートの真ん中で静かに頭を下げながら、俺は低く息をついた。
手のひらに嫌な汗が滲む。いつもなら考えなくても合っていたはずのフジとのタイミングが、ここ最近はどうしてもズレる。
俺が踏み出す前にフジがボールを出してしまう。俺がパスを出した時には、フジはもう俺の予測とは別の動きをしている。
ボールが虚しく床を転がり、コートの外へ出た。

相棒としての呼吸すら、合わせられなくなっていた。
小学生の頃から積み上げてきたはずの信頼や感覚が、音もなく崩れていく。
それもこれも全部、俺が二人の関係に余計な感情を持ち込んで、自ら境界線を踏み荒らしたせいだ。

練習が終わった後、俺は一人で顧問に呼び出され、「キャプテンとしての自覚が足りない」だの「集中しろ」だの「俺が高校生の時は〜」だの散々説教された。
静かに言葉を飲み込みながら頭を下げ続け、やっと解放されて部室に戻ると、静まり返った室内にはフジが一人だけ残っていた。


「おかえり、レン。長かったね」
「……まあ。もう聞き飽きた、あいつの武勇伝」
「はは、あれまた聞かされたんだ」


いつもの柔らかい声で笑うフジを見て、胸の奥がキュッときしむ。
先に帰ってればよかったのに。そう思いながらも、俺は黙々と鞄に荷物を詰め込んだ。


「レン、うち来る?今日親いないから」


鞄のチャックを閉めた瞬間、背後から短く声をかけられた。
振り返ると、制服に着替え終えたフジがまっすぐ俺を見つめている。

本命いるくせに、まだ俺のこと抱くんだ。

どこか突き放したような冷たい問いが、頭の中をよぎった。
佐々木にあんな顔を見せて、周りからもお似合いだって言われて。なのに、こうして二人きりになれば当たり前のように俺を自分の部屋へ誘う。
それが余計に俺の胸を逆撫でした。


「……行く」


断る理由を探すのも億劫で、俺はそう呟いた。
終わりにしなきゃいけない。分かっているのに、足は自然とフジの歩幅に合わせて動き出していた。





通学路を歩きながら、くだらない会話を続ける。
フジとこんな関係になる前と何ら変わりはないのに、隣を歩くフジの体温すら、どこか他人事に思えた。

フジの部屋に入り、パタンとドアが閉まる。
冷房の機械音が静まり返った部屋に響き、ぬるい汗をかいた肌に冷気がまとわりついていく。
フジは鞄を床に置き、ベッドに腰を下ろす。


「レン」


俺の名前を呼んで自分の隣をトントンと叩くフジに大人しく従った。
俺が座るや否やフジはするっと俺の頬に手を滑り込ませる。
その指先は相変わらず優しくて、俺を愛おしむみたいに撫で上げていく。
今までなら、この触れ方に無条件で身体を預けていた。でも今は、肌が触れるたびに胸の奥が冷え切っていくようだった。佐々木にも、こんな風に優しく接しているのだろうか。
そんな思考が頭をよぎる。
それだけで、涙が溢れそうだった。
もうやめよう。自分が惨めになるだけだ。

フジの顔が近づいてきて、吐息が唇をかすめる。
俺はそっと顔を背けた。
触れ合う寸前で空を切ったフジの唇が動きを止める。
頬に乗せられた指先に、かすかに力が入った。


「……なに?」


フジの声から、いつもの柔らかさが削ぎ落とされる。
俺は落とした視線をフジの膝元に向けたまま、静かに口を開いた。


「もうやめよ、こういうの」


言葉にした瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。


「なんで。腰でも痛い?」


フジの瞳には、まだ俺を欲する熱が残っていて、それが余計に俺を惨めな気持ちにさせた。
佐々木にあれだけ優しくしておきながら、俺の身体も手放さないつもりなのか。そんなの、ズルすぎる。


「いや、そうじゃなくてさ」


俺は膝の上に置いた自分の拳をギュッと握りしめる。
指先から血の気が引いていくのが分かった。


「本命ができたなら、もうこういうの終わりにしよ」
「……本命?」


フジの眉根がわずかに潜められる。
声のトーンを落としたまま、自分でも驚くほど冷たく、惨めな言葉が口をついて出た。


「佐々木と仲良くしてんじゃん」
「……は?」
「隠さなくていいって。佐々木、朝も放課後もずっとお前の席にいるし、お前も楽しそうに話してんじゃん。前は興味ないとか言ってたくせに、やっぱタイプだったんだろ」


自分の中に溜め込んでいたドロドロとした感情が、静かに溢れ出していく。


「セフレだかなんだか知らねーけどさ。もう俺を抱く必要ないじゃん。お前には本命ができたんだから、俺みたいな男相手に暇つぶしすんの、もうやめろよ」


そう口にした瞬間、胸の奥が物理的に引き千切られるような激痛に襲われた。
叫び出したいほどの痛みを必死で押し殺す。

引き下がるなら、今だ。最初から「甘えたい」なんて俺の身勝手な感情で始まった歪んだ関係なんだから、俺から静かに身を引くのが筋だ。

そう自分に言い聞かせ、俺は頬に添えられていたフジの手を払いのけた。
そのままベッドから立ち上がり、フジに背を向けてドアへ向かって歩き出す。
これ以上ここにいたら、抑え込んでいたものが全部崩れてしまいそうだった。


「待って」


背後から引き留める声とともに、腕を強く掴まれた。
熱い体温が皮膚を通して伝わってくる。振り返る余裕なんてなくて、俺は身を捻り、その手を振り払った。


「……離せよ、フジ。嫌なら、いつでも止めるんだろ」


──嫌なら、いつでも止めるから。
初めてフジが俺を抱いた日にそんなことを言っていたのを思い出す。
弾かれたフジの手が空を切った。
一瞬固まったあいつの表情を見ることもなく、俺はドアノブをひねり、部屋を後にする。


「レン!」


背後から俺を呼ぶ声が追ってきたけれど、一度も振り返らなかった。

エレベーターを待つ時間すら惜しく、薄暗い非常階段を息を殺しながら一歩一歩、逃げるように駆け下りる。
マンションを飛び出すと、ぬるい夜風が顔に当たった。
追ってこない足音から遠ざかるように、俺はただ黙々と、夜の街を歩き続けた。

これでいい。これで全部、終わったんだ。

最初から俺たちの間に「恋人」なんて関係はなくて、ただの「相棒」という都合のいい看板で誤魔化していただけだったのだから。
溢れそうになる涙を誰にも見られないよう、俺は深く下を向き、静かに唇を噛み締め続けた。

あーあ、最後にキスぐらいしてもらえばよかったな。