相棒に抱かれることになった



昼休み。
4時間目終了を告げるチャイムが鳴ると同時に、教室が一気に騒がしくなる。
机に突っ伏して浅い眠りに落ちていた俺の頭に誰かがポンと手を置いた。


「レン、寝てる?」
「ねてない……」
「ほぼ寝てるじゃん」


頭上から笑う声が降ってきて顔を上げる。
そこにはいつもと変わらない整った顔があった。


「飯一緒に食おうって岩井と渡辺が呼んでるよ」


フジが促す方に視線をやると、岩井が手を振っていた。その前の席にはすでに渡辺が腰掛けている。
寝起きの体を起こして席を立ち、二人の席まで向かった。


「斉藤さん、この席使う?」
「ううん!使わないから京原くんが使っていいよ!」
「ありがと」


岩井の隣の席の女子に声をかけてその席に座る。
ふと岩井と渡辺に視線を向けるとじとっとした目で見られていた。


「え、なに?」
「いや、そういうとこだよなって」
「なにが?」
「無自覚でやってるのが怖い」
「別に普通だろ。席借りるんだったら声かけんの」


なにを言ってるのか全くわからない。
俺の言葉に渡辺がため息をつく。


「それはそうだけどさ。なんかいちいちイケメンなんだよね」
「ありがと、って微笑むのとかな」


渡辺の言葉に岩井が付け加える。
途端に恥ずかしくなって、誤魔化すように適当な言葉を返した。


「笑顔は大事じゃん」
「俺が笑ったとて女子はなんとも思わんぞ」
「それはご愁傷様」


岩井の自虐を渡辺が軽く流す。
「おいこら渡辺」と岩井と渡辺が生産性のない小競り合いを始めたところで、俺の前の席にフジが座った。


「メロンパン食べたい」


騒がしい岩井と渡辺を横目に前に座るフジに言う。
フジは半身をこちらに向けて首を傾げた。


「弁当持ってきてないの?」
「持ってきたけど、なんか無性に購買のメロンパンが食べたい」
「なにそれ」


呆れたように笑うフジに、なぜか心臓がざわついた。
最近ずっとこうだ。心臓がおかしくなったのかもしれない。


「俺が買ってこようか?」
「え、いーの?」
「うん。でもちゃんと弁当も食べなよ」


フジはそう言って立ち上がり、頷いた俺の頭を撫でる。


「藤野どこ行くんだよ」
「購買。レンのメロンパン買って来る」
「え、俺も焼きそばパン食いたい」
「俺サンドイッチー」
「自分で買いに行け」


岩井たちの図々しい叫びを軽くあしらって、フジは教室を出て行った。
残された俺は持ってきた弁当のふたを開け、玉子焼きを口に運ぶ。


「あいつ、最近京原に甘すぎない?」
「それな」


フジが出て行ったドアを見つめ、岩井と渡辺が呟く。
それは否めない。
あの関係が始まってから、フジは俺に甘くなった。
俺が「甘やかされたい」なんて言ったからだろうか。


「京原を彼女扱いしちゃってんじゃんね」
「それで彼女いたことないとか、もはや俺らに対する嫌味まである」


ぶつくさと文句を垂れながら弁当を食べ進める二人に、口をつぐむ。


「京原はなんとも思ってないん?」
「いやー、俺は……まあ、そう」
「なにその歯切れ悪い答え」


渡辺に突っ込まれ、俺は小さく息を吐いた。


「あいつは昔から面倒見が良いだけだって」
「それにしたって限度があるって。実際、藤野って女子から告られても全部断ってんじゃん。理由聞いても『興味ない』の一点張りだし」


岩井が割り箸の先を俺に向けながら首を捻る。


「もしかしてさ、あいつ裏でセフレとかいんのかな」


渡辺の唐突な発言に、ドクンと心臓が跳ねた。
口の中のものが喉に詰まりそうになり、必死で表情を殺す。


「……セフレ?」
「そう。割り切った相手が実はいる、みたいな。そういう割り切った関係なら面倒くさくなくていいとか思ってそうじゃんあいつ」


渡辺の分析は、驚くほど核心を突いていた。
まさに俺とフジがやっていることそのものだ。
けれど、もちろん俺がその相手だなんて口が裂けても言えない。


「……かもね」


努めて他人事のように、ぽつりと呟いた。
フジに抱かれているのは俺だ。
だけど、『セフレ』という言葉を他人から聞かされると、胸の奥がチクリと疼く。
フジにとって俺は、単なる『都合のいい割り切った相手』なんだろうか。
そう納得していたはずなのに、なぜか喉の奥に不快な苦みが広がっていく。


「え、京原なんか知ってんの?」
「……この前聞いたらいないって言ってた。今は……わかんないけど」
「へー。京原に言うならほんとにそうなんかな」


自分に言い聞かせるように、言葉を繋ぐ。
フジは俺の『抱かれてみたい』なんて冗談みたいなわがままに付き合ってくれているだけだ。
そこに恋愛感情なんてものは一つも存在しない。
あいつはただ、昔からの相棒として俺の甘えを受け止めてくれているだけ。
俺を抱いている時も、きっとただの性処理か、優しさの延長線上でしかないのだと──そう思い込もうとした、その時だった。


「ただいま。何の話?」


聞き慣れた静かな声が頭上から降ってきた。
戻ってきたフジが、俺の目の前に透明な袋を置く。
混雑する購買をくぐり抜けてきてくれたらしく、制服の袖が乱れていた。


「ありがとー、フジ」
「どういたしまして」


フジは何事もなかったかのように笑うと、俺の前の椅子をくるりとこちらに向かせて腰を下ろした。
その隣で、岩井が口を開く。


「いやさ、藤野って裏でセフレとかいんの?って話をしてた」
「真っ昼間からどんな話してんだよ」


岩井の言葉にフジが苦笑する。
俺は一瞬息を止めて、必死で手元のメロンパンの袋に視線を落とした。


「で、実際どうなの?」
「いないよ」


即答だった。
迷いも、揺らぎも一切ない。フジはあまりにもあっさりと、いつものトーンでそう言い切った。


「えー、マジで? 一人も?」
「いないって。そういうの面倒だし」


岩井の追及を軽々とかわし、フジは自分の弁当の蓋を開ける。
「なーんだ、つまんねぇの」と二人が肩をすくめる中で、俺の頭の中だけが真っ白になっていた。

いない?

じゃあ、俺はなに?

あの放課後、フジの部屋で重なり合った熱は。俺の甘えを受け止めて、優しく抱いてくれたあの時間は。
セフレですらないなら、今の俺とフジの関係は何て呼べばいい?
足元がガラガラと崩れ去っていくような強烈な虚しさが押し寄せてくる。

動揺を隠すように黙り込んでいると、渡辺が今度は俺の方を向いた。


「そういえば京原は新しい彼女できたん? 前の子と別れてから結構経つし、また女子群がってたろ」
「いや……できてない」


唐突に振られた話題に動揺が重なり、声が少し裏返る。
すると渡辺は「藤野はいつも京原と一緒にいるけど、そこんとこどうなの?」と向かいのフジに振った。
不意に二人からの視線が集まり、心臓が大きく跳ね上がる。
恐る恐る正面を見ると、フジはどこまでも平然とした顔で口を開いた。


「……別に。レンに彼女ができようがどうなろうが、俺には関係ないし」


軽やかで、あまりにも無関心な声だった。


「レンが良いならいいんじゃない? 俺が口出すことでもないでしょ」


フジがサラッと口にした言葉。
それは、俺の胸の奥を鋭く抉るには十分すぎるほどの威力を抱いていた。

俺に彼女ができても、どうでもいい。
誰と何をしようが、関係ない。

俺たちがどれだけ身体を重ねようが、あいつにとって俺はただの「都合のいい相棒」でしかなくて、それ以上の価値なんてハナからなかったんだと思い知らされる。

セフレじゃないなら、俺はフジのなに?とか、じゃあなんで俺にそんなに優しくするの、とか。
自分の中で蠢く疑問に苦笑する。
俺はめんどくさい彼女かよ。


「てか、お前らいらない心配すんなって」


俺は引き攣りそうになる口角を必死で持ち上げて、岩井たちの顔を見た。声が震えないように、するのに精一杯だった。


「冷てぇなー、藤野は。まあ京原イケメンだし、放っといてもすぐできるだろ」
「本当それ。俺らにそのモテ期を少しは分けろっての」


無邪気に笑い合う二人の声が、どこか遠くの方でぼやけて聞こえる。
正面に座るフジは、もう俺のことなんて気にも留めていない様子で、静かに弁当を食べ進めていた。

セフレでもない、特別な相手でもない。 ただの「相棒」という便利な看板の陰に隠れて、俺だけが一人で勝手に期待して、勝手に浮かれて、勝手に傷ついている。

胸の奥に広がる冷たい痛みに耐えながら、俺は一口かじったメロンパンを飲み込んだ。 甘いはずの味が、今はどうしようもなく苦かった。





部活が終わり、放課後のフジの部屋。
慣れ親しんだ匂いに包まれながら、俺たちはいつものようにベッドの上で身体を重ねた。

言葉もなく、ただ互いの体温を確かめ合うような時間。 いつもなら一回戦が終われば、フジは優しく俺の汗を拭い、「シャワー浴びてくる?」と身体を離す。それが俺たちの暗黙のルールだった。

だけど、今日は違った。
息を整えながら離れようとするフジの制服の裾を、俺は衝動的に強く掴んでいた。


「……レン?」
「ふじ……もういっかい」


自分でも驚くほど、掠れた情けない声が出た。
昼休みの「関係ない」という冷たい拒絶が頭から離れない。
身体を繋いでいないと、今にもあいつの手から零れ落ちてしまいそうで怖かった。
セフレ以下なら、せめてこの瞬間だけでも俺で満たしてほしかった。

フジは一瞬、驚いたように目を見開いた。
けれど次の瞬間、いつも通り優しく笑う。


「いいよ」


声は驚くほど甘くて、溶けてしまいそうだった。
俺の背中を抱きしめるフジの体温があまりにも温かくて、胸がぎゅうっと締め付けられる。

なんなんだよ、これ。

彼女ができても関係ないなんて、冷たく突き放したくせに。セフレすら否定したくせに。

なんでそんなに、愛されていると錯覚してしまうような顔で俺を見るんだ。
なんでそんな、泣きたくなるくらい優しい手で抱くんだ。


「フジ……っ、ふ、じ……」


名前を呼ぶたび、フジは愛おしそうに俺の唇を塞いでくる。
そのあまりの優しさに包まれながら、俺の心は満たされるどころか、底なしの不安と惨めさでますます冷たく冷えていくのを止められなかった。