あの日から1ヶ月。
俺はたまにフジと身体を重ねるようになった。
部活のない日にフジの部屋に行って、満足したら帰る。
最初は「セックスしよ」などの言葉があったが、最近ではどちらからともなく始まるようになった。
「レン、なにぼぉっとしてんの。次移動教室」
「……はーい」
学校でも部活でも、フジは今まで通りだった。
俺だって、今まで通り、友達、親友、幼馴染、相棒として過ごしている。
でも、友達や親友、相棒はあんなことしない。
じゃあ俺たちの関係って……
「……セフレ、だよなぁ」
「ん?なんか言った?」
たまに、これでいいのだろうかと頭の片隅で疑問が浮かぶ。
「男同士で何やってんだろ」とか、「フジはどう思ってるんだろ」とか。
でも、その疑問を口にして、もしフジに「じゃあもうやめる?」なんて言われたら、俺は困る。
フジの体温を知ってしまった今、それを手放すのは惜しいし、何より、言葉にしてしまったら、本当に俺たちの何かが決定的に壊れてしまう気がした。
言及しなくても、今はお互いに何も困っていない。
フジも何も言ってこないし、俺のわがままに付き合ってくれている。
なら、このままでいい。
「んーん、なんでもない」
フジの視線を避けるように前を歩き出しながら、俺は小さく息を吐いた。
──セフレ
その響きはなんだかひどく冷たくて、俺たちの関係には不釣り合いな気がしたけれど、これ以上にしっくりくる言葉を、俺は他に知らなかった。
*
「なぁ、フジ。今日俺ん家誰もいないんだけど来る?」
「うん、行く」
「おっけー。じゃあコンビニ寄っていい?」
「いーよ」
放課後。
今日は部活がないのでフジを家に誘う。
2人で適当な会話をしながら教室を出ようとすると。
「京原〜、藤野〜カラオケ行かね?」
後ろから同じクラスのやつが、ヒラヒラと手を振って俺とフジを呼び止めた。
その2人のそばには学年で可愛いと評判の目立つタイプの女子グループが立っている。
「フジ、どうす……」
「ごめん、パス。俺ら予定あるから」
俺が聞く前に、フジは俺と肩を組んでその誘いを断った。
「えぇ〜。京原と藤野来ないんだ〜」
「ざんねーん」
そう口々に言う女子たちに、「また今度な」なんてその場だけの約束をして俺たちは教室を後にする。
いつものように涼しい顔を横を歩くフジに、俺は疑問をぶつけた。
「なんで断ったの?可愛い女子いっぱいいたのに」
「別になんとなく。行きたかった?」
「そーゆうわけじゃないけど」
少し気まずくなって視線を逸らすと、フジがふっと小さく笑った気配がした。
「じゃあいいじゃん。俺はレンの家行く方がいいし」
「……あっそ」
さらりと言ってのけるフジに、俺はそれ以上何も言えなくなった。
こういう、時折こちらの胸をざわつかせるようなことをフジは平然と言う。
使う相手を間違えていると思う。
そういうのはもっと自分が好きな相手とかに使うべきだ。
フジは顔はいいくせになぜか恋人がいたことがないから、その弊害なのかもしれない。
無自覚なタラシというか、距離感のバグというか。
とにかく深く考えたら負けな気がして、俺は前を向いて歩くペースを少しだけ上げた。
*
学校の敷地を出て、いつもの通学路を進む。
並んで歩いていると、どうしても肩や腕がときどきぶつかる。
些細な接触なのに、肌が触れ合うたび、制服の布地越しでも妙な熱を感じてしまうから最悪だ。
「なぁ、コンビニで何買うの?」
隣を歩くフジが、何でもない風に訊ねてきた。
「……あー、炭酸切らしてたなと思って。あとアイス」
「じゃあ俺もアイス買おう。レンは何味にする?」
「ソーダ。フジは?」
「俺もそれにしよ」
本当に、ただの仲の良い友達の会話だ。
フジのこういう、俺の好みに合わせてくるところも、昔からの「幼馴染としての付き合いの良さ」なんだろう。
「そういえばさ、フジって好きなタイプとかあんの?」
前を歩く小学生の集団を避けながら、俺はなんとなく話を切り出した。
「なんだよ、急に」
「いやほら、さっきカラオケ誘ってきた佐々木とか。ああいう子とか好きじゃないんかなって」
「誰それ」
「誰それって、ほら、さっき一番前でざんねーんって言ってた、髪の長い」
「あー……興味ない」
フジは心底どうでもよさそうに、薄い唇を尖らせた。
「贅沢な奴。じゃあどんな子がいいわけ?」
からかうように肘でフジの脇腹を小突くと、フジは歩みを止めないまま、俺の横顔をじっと見つめてきた。
その視線が、なんだかいつもより少しだけ熱を帯びているように見えて、俺は一瞬息を詰める。
「……そうだな。顔が良くて、わりとよく笑う子」
「へーえ」
「普段はちょっと強がってるくせに、二人きりになると急に素直になって、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくるような子がいい」
フジは前を見据えたまま、淡々と、だけどどこか噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「……何それ。ギャップ萌えってやつ?」
「かもね。あと、一緒にいて気兼ねしない子。そういうのがタイプ」
……なるほど。
顔が良くて、よく笑って、二人きりになると甘えてくる可愛い女子、か。
かなり具体的な理想があるじゃないか。
だけど、そんな都合のいい女の子がそう簡単にいるわけがない。
それに、フジが口にした条件を頭の中で並べ替えているうちに、俺はある一つの結論に達して、妙に納得してしまった。
一緒にいて気兼ねしない子。
要するに、フジが求めているのは、俺たちみたいな「男友達」のノリで一緒にいられて、なおかつ付き合ったら自分にだけ甘えてくれるような女子、ということだろう。
だからこそ、さっきの佐々木みたいに、いかにも「女子」って感じの目立つグループには興味が持てないのかもしれない。
「理想高すぎ。そんな子そうそういないって」
「別に、探してないからいいよ。俺はレンといるのが一番好きだし」
フジは歩きながら、あまりにも当たり前のようなトーンでそう言った。
またそれだ。
フジはいつだって、こういう紛らわしい言い方をする。
まるで、女子たちといるより俺といる方が特別だとでも言うみたいに。
「……お前、そういうの、勘違いする女子いるからマジで気をつけた方がいいよ」
「レン以外の奴には言わないから大丈夫」
「……そ」
会話にならなくて、俺はそれきり口を閉ざした。
心臓の鼓動がさっきから少しだけ早くて、それが暑さのせいなのか、それとも別の理由なのか、認めるのが怖かった。
そんな問答を繰り返しているうちに、ようやく目的のコンビニが見えてくる。
西日に照らされたお馴染みの看板の下へと辿り着き、俺たちは並んで自動ドアをくぐった。
*
「涼し」
「生きかえる〜」
冷房の涼しい風に迎えられながら、カゴを片手にまずはドリンクコーナーへ向かう。
それぞれお気に入りの炭酸飲料を棚から取ってカゴに入れた。
それから、店の奥にあるアイスの並ぶ冷凍ショーケースの前へと移動する。
「フジもソーダにするんだよな」
「うん……あ、レン、新作出てるよ。メロンソーダだって」
「え、まじ?どうしよっかなー、そっち食ってみたい気持ちもある」
いつもなら迷わずいつものソーダ味を選ぶところだが、限定の文字を見るとどうにも惹かれてしまう。
悩む俺の横顔を見て、フジは可笑しそうに口元を緩めた。
「じゃあ俺がメロンソーダの方にする」
「一口くれんの?」
「ん、いいよ」
躊躇のない返事に、少しだけ胸の奥がくすぐったくなる。
「あざ〜す、フジくん」
「なにその言い方」
妙に意識してしまいそうになる自分を誤魔化すように、俺はわざとおどけた声を上げた。
フジは呆れたように笑いながら、メロンソーダ味と、いつものソーダ味のアイスをショーケースから取り出す。
アイスの袋がカゴに収まったのを確認して、俺がレジに向かおうとした時だった。
「レン、ちょっと待って」
「ん?」
フジに袖を引かれ、足を止める。
フジは俺の手から自然にカゴを奪うと、そのまま迷いのない足取りで、日用品が並ぶ奥の棚へと向かった。
フジは棚の最下段にひっそりと並ぶ、見慣れた箱を躊躇なく手に取る。
「ゴム、もうなかったからさ」
フジがそれを何でもない風にカゴの底へ放り込むのを見て、急に喉の奥がカラカラに乾くような感覚に襲われた。
誰もいない家にフジを誘った時点で、今日そういうことをするつもりだったのは、俺の方だ。
この前フジの部屋のストックが切れたのも覚えていた。
それなのに、いざフジが目の前で迷いなくそれを買い足す姿を見ると、これから2人きりの部屋で起きることが一気に生々しい現実味を帯びて迫ってくる。
自分から誘っておいて今更意識しすぎだ、と自分にツッコミを入れるけれど、カゴの底に収まった箱を見るだけで心臓の音がうるさくて仕方がない。
恋愛感情なんてものがないからこそ、フジはこんなに堂々としていられるんだ。
自意識過剰になってドギマギしている自分が、ひどく格好悪く思えた。
「会計、俺がまとめて払うよ」
「あ、いーよ。俺の分は出すって」
「いいから。使うの俺だし」
俺が財布を出そうとするのを制して、フジはスマートに会計を済ませてしまった。
レジ袋を受け取るフジの目が、ほんの少しだけ暗く、満足そうに細められたように見えたけれど、俺はあえて気づかないふりをして先を歩いた。
2人で店を出て、ビニール袋を下げて並んで歩く。
住宅街に入り、俺の家の玄関を開ける頃には、夕方の西日が廊下をオレンジ色に染めていた。
*
「お邪魔します」
「いーよ、適当に上がって。部屋、冷房つけるから」
カバンを床に放り投げ、リモコンを操作して冷房を強めにかける。
フジの部屋に比べると、俺の部屋はやっぱり少し狭い。ドアを閉めた瞬間から、部屋の空気がじわじわと密室のそれに変わっていくのが分かった。
ベッドの端に腰掛けたフジが、買ってきたばかりのペットボトルのキャップをひねる。
その喉仏が上下するのを、俺はなぜか直視できなくて、なんとなくクローゼットの前で制服のシャツのボタンを外し始めた。
「レン、今日、親何時くらいに帰ってくんの」
「あー、10時過ぎるって言ってた。弟も塾だし、当分誰も来ないよ」
背中越しに答える。
シャツを脱いでハンガーにかけようとした瞬間、後ろから気配が近づいた。
振り返るより早く、背中にフジの胸板がぴったりと重なる。
「うわ、びっくりした」
「誰も来ないなら、ゆっくりできるね」
耳元で囁かれた低い声が、鼓膜を優しく震わせる。
フジの大きな手が、俺の首筋から鎖骨へとゆっくり滑り込んできた。
その指先が触れた場所から、じりじりと熱が広がっていく。
「フジ……っ」
まだ冷房が効き始めたばかりの部屋の中で、フジの体温だけが圧倒的な存在感を持って俺を包み込んでいく。
これは、俺の「甘えたい」というわがままに、フジが付き合ってくれているだけの関係。
そう自分に言い聞かせているのに、フジに抱きすくめられると、そんな理屈はどうでもよくなってしまう。
フジの手が俺の腰へと回り、そのままベッドへと押し倒された。
ギシ、とスプリングが軋む音が、静かな部屋にやけに大きく響く。
上から俺を見下ろすフジの瞳は、夕日の影に隠れて、いつもよりずっと暗くて深い色をしていた。
その瞳に射抜かれるたび、俺は自分がどんどん逃げられなくなっていくのを感じていた。
*
「疲れた……」
シングルベッドの上で、俺はフジの胸元に頭を預けたまま、完全に脱力していた。
冷房がしっかりと効いた部屋の中で、ぴったりと貼り付いた肌だけがまだ熱い。
「レン、シャワー浴びてきなよ。風邪ひく」
「んー……動けない。フジが運んで」
「はいはい」
冗談のつもりで甘えてみせたら、フジは本当に俺の身体を軽々と横抱きに抱え上げた。
視界がふわりと浮いて、思わずフジの首に手を回す。
「うわ、マジで持ち上げんなよ」
「運んでって言ったはどこのどいつ?」
少しだけ意地悪そうに、でも慈しむように笑うフジの顔が、やけに近くにある。
その横顔を見つめながら、俺の胸の奥が、快感とは違う理由で小さくきしんだ。
本当に、よくわからない奴だ。
セフレのくせに、なんでこんなに愛おしそうな顔で俺を見るんだろう。
ただのセフレで、明日になればまた何事もなかったかのようにもとの関係に戻るのに。
そんな疑問が熱を帯びた頭の中でぐるぐるとうごめく。
風呂入ったら冷たいものでも食べて頭を冷やしたい。
そういえばさっき、アイス買ったっけ。
脱衣所の前でゆっくりと下ろしてもらい、床に足をついたところで、俺は大事なことを思い出す。
「あっ」
「どした?」
「アイス、冷凍庫に入れるの忘れてた……」
「あ」
やってしまった。
部屋に入ってすぐ、カバンと一緒にレジ袋を床に放り投げたまま、冷凍庫に入れる間もなくベッドになだれ込んでしまったのだ。
あの時の部屋は冷房も入れたてで、しかも俺たちの熱気でしばらく充満していた。
「俺、ちょっと見てくる」とフジが階段を駆け上がり、すぐに2階から戻ってきた。
その手には、無残に形を失って液体になったアイスの袋が握られている。
「うわー、マジか……完全に溶けてる。ごめん、メロンソーダ味楽しみにしてたのに……」
「いいよ、レンのせいじゃないし。っていうか、俺のせい?」
悪戯っぽく笑いながら、フジは脱衣所の棚に置いてあった自分の制服のズボンから財布を取り出した。
「じゃあ、レンがシャワー浴びてる間に、俺もう一回コンビニ行って同じの買ってきてあげるよ」
「え? いいよ悪いって」
「いいから。俺も食いたいし」
フジはそう言って、俺の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
サンダルを履くために玄関へと向かうその背中を、俺は脱衣所の前からぼうっと見送ることしかできなかった。
なにも考えないように、俺はシャワーの蛇口をひねったけど、お湯の音よりも、自分の心臓の音の方が、ずっとうるさく感じられて仕方がなかった。



