「──じゃあ、俺に抱かれてみる?」
友達、親友、相棒。
そんな都合のいい言葉で繋ぎ止めていた俺たちの境界線が、どろどろに融けて、決壊していく音がした。
*
夏。放課後の体育館に、バッシュが床を擦る高い音と、硬いボールが弾む音が響き渡る。
「京原!」
味方からパスを受けた、バスケ部キャプテン兼エースの俺──京原蓮介は、ドライブでディフェンダーを抜き去り、他のディフェンダーがそれに反応した瞬間、背後にノールックパスを出す。
そこに走り込んでいたのは、副キャプテンのフジ──藤野千隼だ。
フジは寸分の狂いもなくボールをキャッチすると、流れるようなモーションで美しい放物線を描くスリーポイントシュートを沈めた。
ネットが静かに揺れる。
同時に、終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。
「よし、今日の練習は以上。解散で」
高校2年、新しくキャプテンになったばかりでぎこちない俺の部活終了の合図に、部員たちが一斉に「お疲れ様でした!」と声を合わせる。
「1年はボールとゴールの片付け頼むわ。モップがけは2年がやるから」
「うぃーす」
片付けの指示を出し、1年が片付けに取り掛かったことを確認した後、掃除用具入れからモップを取り出す。
そこに同じくモップを取りに来たであろうフジが、取りに来るのが面倒なのか少し離れたところから伸びやかな声を上げる。
「レン、俺にも一本取って」
「おっけー」
適当に返事をして一本渡し、自分用にもう一本手に取った。
2人で並びながら、床にモップをかけていく。
「レン、相変わらずパスうまいね」
「まーね。 フジがどう動くかとか全部分かってるから。小学生の時から何回やらされてると思ってんの」
「お前がサボってパス出してるだけだろ」
「人聞き悪。効率的なプレイって言えよ」
フジとは小学生のクラブチームのときからの付き合いだ。
お互いがどう動くかなんて、考えなくても分かる。
いわば、“相棒”のような存在だ。
「おーい、キャプテンと副キャプテン。今日もギャラリーがすごいことなってんぞー」
「もう見物料とか取って新たなビジネス始めたら?」
フジとたわいもない話をしていると、同じ学年の部員、岩井と渡辺がモップを持ちながら近づいてきた。
2人の視線の先、体育館の入り口には何人かの女子生徒がこちらの様子を伺うように群がっているのが見えた。
「懲りないね」
「飽きないんかな」
「他人事すぎない?お前らのギャラリーなんだけど」
俺とフジが呟いた言葉に、岩井がため息をつく。
渡辺もモップの先端に顎を置いて、入り口を見る。
「なんでお前らにあんなファンがつくんか理解できんわ。顔良くてバスケできるだけのくせに」
「多分理由それ」
「くそが。結局顔かよ」
渡辺と岩井の話を聞き流しながら、モップがけを進める。
ギャラリーも、今に始まったことじゃないのでもう慣れた。
それはフジも同じらしく、気にせずにモップがけを再開している。
岩井と渡辺は「俺たちもバスケうまいのに」などと意味のわからない僻みをしているが、そんなことどうでもいいから早くモップかけろよ、なんて思っていると。
「てか、最近京原のファンまた増えてね?ちょっと前に彼女できてから減ってたのに」
岩井の問いに、言葉に詰まる。
そんな俺の反応を見て、フジ、岩井、渡辺は「まさか」と呟いた。
*
「別れるまで今回はどのくらい保ったの?」
「3週間、ってとこかな」
部活が終わった後、俺はフジの家に来ていた。
ベッドに腰掛けたフジの膝に頭の預けて寝転びながら、俺はフジの質問に答える。
「理由は? お前、付き合ってる時はそれなりに優しくしてるんでしょ」
俺は天井の照明を見ながら、「んー」と首を傾げた。
「まーね。 でもさ、高校生のカップルって、そういう段階になるじゃん」
「セックス?」
「そうそれ」
直球なフジの言葉に苦笑しながら頷く。
「俺、家では長男だし、部活でも一応キャプテンじゃん? だから付き合う女子も、俺に『リードしてくれる男らしさ』を求めてくるわけ」
俺はなにをこいつに話してるんだろう。
そう我に帰るにはもう遅かった。
俺はそのまま話を続ける。
「相手は完全に受け身だし、俺が全部エスコートして気持ちよくさせてあげなきゃいけない。それが、なんかめんどいんだよな。俺だって何も考えずに甘えたいっていうか。だから、なにかと理由をつけて断ってたら振られたっていう」
まあ、振られた理由は多分それだけではない。
俺が付き合うのは大体、押しに負けてだったりだとか、断れない雰囲気だとか、そんな状況ばかりで。
本気で好きではなかったってことも、相手に伝わってたのかもしれない。
「あーあ……一回、誰かに抱かれてみよっかな」
天井を見つめたまま、ふとそんな言葉が口を突いて出た。
「は?」
「いや、こないださ、他校の知らない男に告られたじゃん、俺。あと、俺のこと好きって言う先輩に押し倒されたこともあるし。男相手のほうが、格好つける必要もなくて気楽に甘えられそうじゃん?」
男からそういう目で見られたり、アプローチされたりした経験が、俺にないわけじゃない。
半分はただの冗談で、半分はほんの少しの興味本位。
「なぁ、フジ」と同意を求めるようにフジに目線を移すと、想像より真剣な視線がこちらに注がれていた。
「──じゃあ、俺に抱かれてみる?」
「は?」
今度は俺が聞き返す番だった。
衝撃的な言葉に、思わず上体を起こしてフジの顔を覗き込む。
「何言ってんの?」
「男に抱かれようとしてるんでしょ?だったら俺が相手してあげるって話」
「後ろの方がよくわかんねーんだけど」
急に頭がおかしくなったか?
今日の部活で、フジの頭にパスした覚えはないんだけどな。
「レンがどれだけ甘えたがりなのか、俺が一番よく分かってるから」
長い付き合いのなかで、フジにこんな目を向けられたことは一度もない。
あまりに真剣な顔で言うから、俺の理解力が足りないのかもしれない、などという錯覚に陥りそうになる。
「……じゃあ、もし仮にするとしてさ。フジは俺のこと抱けんの?」
「うん。レンが満足するまで付き合ってあげるよ」
即答だった。
普通だったら、男を抱くのにもっと抵抗があるだろ。
と、そんなことを考える暇もなく。
気づけば、フジの手がゆっくりと伸びてきて、俺の頬にそっと触れた。
ただの幼馴染で、友達で、親友で、相棒。
そんな、今まで積み上げてきた関係を今、自分たちの手で崩そうとしている。
いいのか、俺。
このままこいつに体を預けてしまって。
二度と、元の関係には戻れなくなるかもしれないのに。
頭の中はそんな警鐘に埋め尽くされている。
──なのに。
「嫌なら、いつでも止めるから。どうする?」
耳元で低く囁かれ、フジの顔がさらに近づく。
その静かな目に見つめられた瞬間、不思議なくらい、思考のすべてがどうでもよくなっていくのが分かった。
引き返せない泥沼が目の前にあるのに、ちっとも嫌な予感がしない。
アダムとイブが蛇に禁断の果実を勧められたときも、きっとこんな風に、大した危機感もなくそそのかされたんだろう。
一度その味を知ってしまえば、もう二度と元の楽園には戻れないって知りながら、なんとなく手を伸ばしてしまうような。
その、じわじわと身体を蝕んでいくような誘惑に、俺はかろうじて残っていた理性を、あっさりと手放した。
「いーよ。甘やかしてくれるんだろ」
流されるのは、俺の悪い癖だと思う。
だけど、悪い気分ではなかった。
自らその禁断の果実を噛み砕くように、俺はゆっくりと目を閉じた。



