同居人は女子大生 ~アラフォーだけど恋してもいいですか?~

 私と葵ちゃんはいつも六時くらいに起きる。葵ちゃんは顔をさっと洗ってから、私が洗面所で身支度をしている間に朝食の準備をしていてくれる。なんてできた嫁……じゃなかった、同居人なんだ。
 でも、今朝の葵ちゃんは明らかに様子がおかしかった。
「おはよう……ございます……」
 目がとろんとして、顔が白い。両肩が下がり、首も傾いている。呼吸の音も深い。
「待って待って葵ちゃん」
 いつも通り顔を洗いに行こうとする葵ちゃんを、私は慌てて引き止めた。
「体調悪いでしょ」
「いやあ……ちょっと疲れが……出ているだけです……」
 葵ちゃんはうつろな目でそう言った。しかし、もしただの疲労なのだとしても、このままではダメだ。
「ちょっと座りなさい」
 私は葵ちゃんをソファに座らせた。とりあえずタオルと体温計を渡し、汗を拭き取ってから体温を測ってもらった。ピピピピッと体温計が鳴ると、葵ちゃんはそれを見やった。
「さんじゅうななどにぶ……」
 おや、思ったよりも低い。信じられずに体温計をひったくって見てみると、確かに三十七度二分と表示されていた。
「この程度なら……だいじですね……」
 葵ちゃんは肩で息をしながら立ち上がろうとする。でも私は手で制した。
「今日はゆっくり休みなさい。熱はそれほどでもないかもしれないけど、どう見てもしんどそうだよ。食欲は?」
「あんまりないです……」
「わかった。えーっと……とりあえず水分を摂ろっか」
 麦茶をグラスに入れて渡すと、葵ちゃんはそれをちびちびと飲んだ。
「九時になったら病院に行こう。それまで寝てるといいよ」
「いや……」
 葵ちゃんは麦茶を見つめたまま言った。
「病院は、いいです……。水分いっぱい……飲んで寝ればよくなると思います……。いつも、こうなんで……」
「そ、そう……?」
 私は心配だったけど、親じゃないのでそれ以上は言わず、葵ちゃんに従うことにした。
「わかった。じゃあ、もう部屋に戻って、よく寝てね」
 葵ちゃんは頷くと、ゆっくりと自室に引っ込んでいった。
 さて……どうしたものか。誰かの看病なんてしたことがない。前の同居人だった太陽は、いつでも病気一つしない鉄人だった。
 まあ、とりあえずコンビニだな。まだ朝だから、コンビニくらいしか開いてない。私は最低限の身支度をしてから玄関に向かう。葵ちゃんに声をかけようかと思ったけど、寝ていたら悪いのでやめた。代わりに、スマホで『コンビニに行ってきます』とメッセージを送った。既読は付かない。
 コンビニに着いた私は、まずスポーツドリンクを何本もかごに入れた。後はなんだ、何か食べられそうなもの? もし私が熱を出したら……冷たくてつるんとしたものがいい。うん、パウチ入りゼリーだな。十秒チャージ。でも、葵ちゃんがゼリーを食べているところなんて見たことがない。考えすぎかな……。迷った挙句、ゼリー、プリン、アイスなどを少しずつチョイスした。さらに冷却シートを見かけたので、これもかごに放り込む。
 会計を済ませて足早に帰宅した私は、葵ちゃんの部屋のドアをノックした。
「どうぞー……」
 私がこの部屋に入るのは、葵ちゃんが入居した日以来だ。少し緊張しながら、ゆっくりとドアを開けて中に入ると、ベッドに横たわる葵ちゃんが見えた。
 何気なく部屋の中を見回すと、机には参考書や児童書が乱雑に置かれていた。衣装ケースの上には畳まれた服がうず高く積み上げられている。中に入れればいいのに……。
 一緒に過ごしているときの葵ちゃんはきっちりしているように見えたけど、自分の部屋で過ごすときは大雑把なのかもしれないな。
「起こしちゃった?」
「いいえ、寝付けてませんでした……」
 私は買ってきたものをベッド脇に置いた。
「スポーツドリンク、いっぱい買ったから飲んでね。あとはゼリーとかプリンとか、食欲が出たら食べて。アイスもあるから、食べたかったら声をかけてね」
「はあい……」
 葵ちゃんはだるそうな様子で言った。
「あと冷却シート。貼る?」
「お願いします……」
 私は箱から冷却シートを取り出した。いかにも冷たそうな水色をしている。透明なフィルムをはがして、葵ちゃんの顔の前に構えると、葵ちゃんは目を閉じた。
「前髪、上げるね」
 そう宣言した私は、葵ちゃんの額を手で触れてから前髪を上げた。葵ちゃんの額は熱かった。さっきよりも熱が上がってるんじゃないかな。
 熱くなった額に冷却シートをそっと貼ってあげた。葵ちゃんは特にリアクションもなく、目を閉じてぐったりとベッドに横たわったままだ。
「じゃあ、もし何かあったら呼んでね」
「はあい……」
 リビングに戻った私は、葵ちゃんに触れた自分の手を見た。それは葵ちゃんの額に負けないくらい熱くなっていた。
 ああ、最悪だな、私……。
 私は立ち尽くしたまま、自己嫌悪に潰されそうになった。
 葵ちゃんの前髪をかき上げるときに、わざと手で額に触れた。熱を確かめるためではなく、私が触れたいから触れたのだ。でも、動機が何であれ、それは結果的に熱を確かめる行為でもあったわけで。だからギリギリ許されるよね……。
 私は気を取り直して深呼吸をした。するとお腹がぐうと鳴った。そういえば、朝起きてからまだ何も食べてなかったな……。
 冷蔵庫から、葵ちゃんがラップに包んでくれていたご飯を取り出した。それを電子レンジで温め、簡単にふりかけをかけて食べた。ふりかけご飯を食べながら、いつも朝食を用意してくれる葵ちゃんのありがたみを改めて強く感じた。
 
 少し経ってから、私は職場の課長に連絡を入れた。
「原口です。おはようございます」
『ああ、おはようございます』
「あの……あの、家族が、熱を出して看病をしないといけなくなったので、今日は急遽テレワークをさせていただきたいです」
 うちの部署は原則出社勤務だけど、家庭の事情などで特例的にテレワークをすることが認められていた。
『あ、そう。わかりました。原口さんの体調は?』
「私は問題ありません」
『了解』
「では失礼します」
 通話を終えた私は、自分の言葉を反芻した。職場に事情を説明するときに、「家族が」と言った。「同居人」だと、なんとなく含みがありそうなので、当たり障りのない「家族」を選んだ。課長は、独身の私がどの「家族」を看病すると思っただろうか。
 ノートパソコンを開きながら、私はまだ考えごとをしていた。家族って、なんだろう。私と葵ちゃんの関係は、家族とは言わない気がする。
 でも……。か、家族になれたら、いいなあ、なんて……。そう思った途端、ウェディングドレスに身を包む葵ちゃんが頭に浮かんだ。ヤバい、綺麗だ。こんなに綺麗な女性がいるだろうか。だけど、その横にアラフォーのおばさんが立っている状況はどうしても想像できなかった。
 私は深いため息をついてから、メールの受信箱をチェックし始めた。