今日は、同居を開始してから初めての週末。地方出身の葵ちゃんのために、東京観光をすることにした。
駅構内は右も左も人でごった返していた。改札を出ると、待ち合わせをしている人、地上に出る人、地下へ向かう人、そしてこれから改札に入るなど、大勢の人がそれぞれの目的地に向かって散っていく。よくぶつからないものだ。
「新宿って来たことある?」
葵ちゃんはきょろきょろと何度も案内板を見上げていた。
「乗り換えだけでしか降りたことがないですね。ホームからホームまで、いつも人混みに流されてます」
そう、今日は新宿に来た。あまり遠出をしたくなかったことと、混雑を避けたかったことから、観光地すぎない、でもめちゃくちゃ都心を感じられる、というチョイスにしたつもり。でも、よく考えたら新宿はいつでも大混雑だったなあ……。
それでも新宿にしたのは、お目当ての場所があったからだ。ちなみに、新宿といえば同性愛者の聖地みたいな一角があるけど、今日はそっち方面ではない。
何にせよ、お昼時なのでまずは腹ごしらえ。駅ビルのレストラン街でランチをすることにした。店内に入ると、ランチタイムのざわめきに満ちていた。
「何名様ですか?」
「ふ、二人です」
店員さんからの声掛けによって、今日は二人で出かけているということを意識してしまい、思わず声が上ずった。ていうか、当たり前のように一緒に出かけてランチとかしちゃってるけど、今日はずっと葵ちゃんと一緒に過ごすってことだ。これが浮かれずにいられるだろうか。
でも、これはただの観光。私は案内人。デートとか、そういうんじゃないから……と、自分に言い聞かせながら、メニューを眺める葵ちゃんを真正面という特等席から眺めた。
私はオムライス、葵ちゃんはトマトパスタを注文した。ふわふわと浮かれた私がふわふわのオムライスを頼んでしまったのは、ただの偶然のはず。料理が運ばれてくると、葵ちゃんは流れるようにパスタの写真を撮ってから食べ始めた。その姿からは若さが溢れているような気がして、思わず感心してしまった。
「陽向さんってオムライスが好きなんですか?」
「ああ、そうね。あんまり考えたことがなかったけど、レストランではよく頼むかも」
「じゃあ、家でも挑戦してみますね。ふわふわオムライス」
にこにこしながらそんなことを言われてしまい、私の胸はキュンが鳴りやまなかった。
「ええ、いいの? めっちゃ嬉しい……でも、そんなに気を遣わなくても平気だからね」
「何言ってるんですか。私がそうしたくてしてるだけですよ」
葵ちゃん、いい子過ぎるだろ……。どういうわけか、葵ちゃんはいつも私に尽くそうとしてくれる。下手したら両想いなのでは、と勘違いしそうになるので、ちょっと手加減してほしいかも。なんて、贅沢すぎる悩みだよね……。
食事を終えた私たちは、目的地に向けて歩き出した。地下道に入り、出口の番号を順番に眺めながら歩いた。途切れることのない人波に沿って地下道を延々と歩き続けていると、葵ちゃんが不安そうな声を出した。
「これ、どこまでも地下なんですか?」
「そうだよ。新宿を制するためには、地下の移動をマスターしないと。それにしても人が多いね。はぐれないように気を付けて」
私がそう言うと、葵ちゃんは私にぴったりとくっついてきた。ふわりと甘い香りが漂ってきた気がした。腕と腕が触れそうになる距離に、私の心臓の鼓動が高まる。うわあ、近い……。
これがもしもカップルだったら……。
『ほら、はぐれないように、私の手を握りなさい』
『ありがとう、優しいね。ふふっ、陽向さんの手、あったかいな』
……みたいな神展開もあるのかなあ。いやあ、憧れるなあ。
そんなことを考えていると、いつの間にか目的地を通り過ぎていることに気が付いた。
「……ごめん、こっちだった」
少しだけUターンして、ようやく到着。
ここは歴史のある大型書店。ビルの上から下まで全部本屋で、ジャンルによってフロアが分かれている。児童文学サークルに入った葵ちゃんが書店に行きたいと言ったので、ここに来てみた。
店内に足を踏み入れると、書店特有の匂いが鼻をくすぐった。インクの匂いかな。私たちはさっそくエレベーターに乗り込み、児童書のフロアに向かった。
「すごい……いっぱいありますね」
「うん、思ったよりずっと広いね」
一つのフロアだけで、一般的な書店くらいの広さがある。新刊や特集のコーナーにたくさんの平積みがあり、その奥も本棚がびっしり。私がここに来るのは大学生のとき以来で、当時どんな感じだったのかはほとんど覚えていない。
「懐かしいなあ、これ。実家にあったはずだけど、まだあるかなあ」
葵ちゃんは児童文庫の棚を熱心に眺めながら、いろいろな本を手にした。表紙に優しく触れ、丁寧な手つきでページをめくる。私はそんな葵ちゃんの明るい横顔を見つめた。好きなものに夢中になっているその姿はいつも以上に輝いていて、つい見とれてしまう。
癖なのか、本を読みながら声に出さずに口が小刻みに動いていた。色の薄いその唇を見ているうちに、私の喉がごくりと鳴った。このままではあの唇に吸い込まれてしまいそうだ……。
いつまでもじろじろと見ているわけにもいかないので、私も本棚の間をぷらぷらと歩き出した。すると、一冊の絵本に照明が反射した気がした。これは確か、子どものころに実家で読んだ絵本だ。
私は絵本を手にして読み始めた。世界でたった一匹になってしまった狼が、自分に似た仲間を求めてあちこちをさまようものの、他の動物たちからは恐れられてしまい、相手にされない……。
絵本を途中まで読んだら、続きを思い出した。これ以上読まなくていいや、と私は本を棚に戻した。
これは、孤独と向き合う絵本だった。
子どものころ、どういう気持ちで読んでいたのかは覚えていないけど、大人になってから読むと……こんなに考えさせられて、グッとくる物語だったのか。
私には家族がいたので、狼ほどつらい状況ではなかったけれども、大学進学を機に親元を離れたときの孤独感は今でも覚えている。人見知りの私には友達も少なく、同性愛者であるという隠し事から、誰とも深い関係にならなかった。
「陽向さん」
葵ちゃんの明るい声が聞こえて、私は顔を上げた。棚の向こうからひょこっと顔を出しているのが見えた。
「何かいい本がありました?」
「……ううん、特にないかな」
でも今は、そんな私を受け入れて、そばにいてくれる葵ちゃんがいる。本当に恵まれているな、私……。
その後、葵ちゃんが選んだ本を買ってあげた。ついでに漫画のコーナーにも行って、漫画も買ってあげた。
私たちは紙袋を揺らしながら駅に向かった。
「すみません、いろいろと買ってもらっちゃって」
「いいのいいの。社会人と大学生では稼ぎが違うから」
ちょっと甘いかもしれないけど、この子の笑顔が見られるなら、なんだってしてあげたい。私は心からそう思った。
「それに、オムライスも楽しみにしてるし」
「……はい! 頑張ります!」
葵ちゃんがいつまでうちにいてくれるかわからないけど、その間にいろんなことを共有できたらいいな。本もそのうち貸してもらって、読んでみようっと。
駅構内は右も左も人でごった返していた。改札を出ると、待ち合わせをしている人、地上に出る人、地下へ向かう人、そしてこれから改札に入るなど、大勢の人がそれぞれの目的地に向かって散っていく。よくぶつからないものだ。
「新宿って来たことある?」
葵ちゃんはきょろきょろと何度も案内板を見上げていた。
「乗り換えだけでしか降りたことがないですね。ホームからホームまで、いつも人混みに流されてます」
そう、今日は新宿に来た。あまり遠出をしたくなかったことと、混雑を避けたかったことから、観光地すぎない、でもめちゃくちゃ都心を感じられる、というチョイスにしたつもり。でも、よく考えたら新宿はいつでも大混雑だったなあ……。
それでも新宿にしたのは、お目当ての場所があったからだ。ちなみに、新宿といえば同性愛者の聖地みたいな一角があるけど、今日はそっち方面ではない。
何にせよ、お昼時なのでまずは腹ごしらえ。駅ビルのレストラン街でランチをすることにした。店内に入ると、ランチタイムのざわめきに満ちていた。
「何名様ですか?」
「ふ、二人です」
店員さんからの声掛けによって、今日は二人で出かけているということを意識してしまい、思わず声が上ずった。ていうか、当たり前のように一緒に出かけてランチとかしちゃってるけど、今日はずっと葵ちゃんと一緒に過ごすってことだ。これが浮かれずにいられるだろうか。
でも、これはただの観光。私は案内人。デートとか、そういうんじゃないから……と、自分に言い聞かせながら、メニューを眺める葵ちゃんを真正面という特等席から眺めた。
私はオムライス、葵ちゃんはトマトパスタを注文した。ふわふわと浮かれた私がふわふわのオムライスを頼んでしまったのは、ただの偶然のはず。料理が運ばれてくると、葵ちゃんは流れるようにパスタの写真を撮ってから食べ始めた。その姿からは若さが溢れているような気がして、思わず感心してしまった。
「陽向さんってオムライスが好きなんですか?」
「ああ、そうね。あんまり考えたことがなかったけど、レストランではよく頼むかも」
「じゃあ、家でも挑戦してみますね。ふわふわオムライス」
にこにこしながらそんなことを言われてしまい、私の胸はキュンが鳴りやまなかった。
「ええ、いいの? めっちゃ嬉しい……でも、そんなに気を遣わなくても平気だからね」
「何言ってるんですか。私がそうしたくてしてるだけですよ」
葵ちゃん、いい子過ぎるだろ……。どういうわけか、葵ちゃんはいつも私に尽くそうとしてくれる。下手したら両想いなのでは、と勘違いしそうになるので、ちょっと手加減してほしいかも。なんて、贅沢すぎる悩みだよね……。
食事を終えた私たちは、目的地に向けて歩き出した。地下道に入り、出口の番号を順番に眺めながら歩いた。途切れることのない人波に沿って地下道を延々と歩き続けていると、葵ちゃんが不安そうな声を出した。
「これ、どこまでも地下なんですか?」
「そうだよ。新宿を制するためには、地下の移動をマスターしないと。それにしても人が多いね。はぐれないように気を付けて」
私がそう言うと、葵ちゃんは私にぴったりとくっついてきた。ふわりと甘い香りが漂ってきた気がした。腕と腕が触れそうになる距離に、私の心臓の鼓動が高まる。うわあ、近い……。
これがもしもカップルだったら……。
『ほら、はぐれないように、私の手を握りなさい』
『ありがとう、優しいね。ふふっ、陽向さんの手、あったかいな』
……みたいな神展開もあるのかなあ。いやあ、憧れるなあ。
そんなことを考えていると、いつの間にか目的地を通り過ぎていることに気が付いた。
「……ごめん、こっちだった」
少しだけUターンして、ようやく到着。
ここは歴史のある大型書店。ビルの上から下まで全部本屋で、ジャンルによってフロアが分かれている。児童文学サークルに入った葵ちゃんが書店に行きたいと言ったので、ここに来てみた。
店内に足を踏み入れると、書店特有の匂いが鼻をくすぐった。インクの匂いかな。私たちはさっそくエレベーターに乗り込み、児童書のフロアに向かった。
「すごい……いっぱいありますね」
「うん、思ったよりずっと広いね」
一つのフロアだけで、一般的な書店くらいの広さがある。新刊や特集のコーナーにたくさんの平積みがあり、その奥も本棚がびっしり。私がここに来るのは大学生のとき以来で、当時どんな感じだったのかはほとんど覚えていない。
「懐かしいなあ、これ。実家にあったはずだけど、まだあるかなあ」
葵ちゃんは児童文庫の棚を熱心に眺めながら、いろいろな本を手にした。表紙に優しく触れ、丁寧な手つきでページをめくる。私はそんな葵ちゃんの明るい横顔を見つめた。好きなものに夢中になっているその姿はいつも以上に輝いていて、つい見とれてしまう。
癖なのか、本を読みながら声に出さずに口が小刻みに動いていた。色の薄いその唇を見ているうちに、私の喉がごくりと鳴った。このままではあの唇に吸い込まれてしまいそうだ……。
いつまでもじろじろと見ているわけにもいかないので、私も本棚の間をぷらぷらと歩き出した。すると、一冊の絵本に照明が反射した気がした。これは確か、子どものころに実家で読んだ絵本だ。
私は絵本を手にして読み始めた。世界でたった一匹になってしまった狼が、自分に似た仲間を求めてあちこちをさまようものの、他の動物たちからは恐れられてしまい、相手にされない……。
絵本を途中まで読んだら、続きを思い出した。これ以上読まなくていいや、と私は本を棚に戻した。
これは、孤独と向き合う絵本だった。
子どものころ、どういう気持ちで読んでいたのかは覚えていないけど、大人になってから読むと……こんなに考えさせられて、グッとくる物語だったのか。
私には家族がいたので、狼ほどつらい状況ではなかったけれども、大学進学を機に親元を離れたときの孤独感は今でも覚えている。人見知りの私には友達も少なく、同性愛者であるという隠し事から、誰とも深い関係にならなかった。
「陽向さん」
葵ちゃんの明るい声が聞こえて、私は顔を上げた。棚の向こうからひょこっと顔を出しているのが見えた。
「何かいい本がありました?」
「……ううん、特にないかな」
でも今は、そんな私を受け入れて、そばにいてくれる葵ちゃんがいる。本当に恵まれているな、私……。
その後、葵ちゃんが選んだ本を買ってあげた。ついでに漫画のコーナーにも行って、漫画も買ってあげた。
私たちは紙袋を揺らしながら駅に向かった。
「すみません、いろいろと買ってもらっちゃって」
「いいのいいの。社会人と大学生では稼ぎが違うから」
ちょっと甘いかもしれないけど、この子の笑顔が見られるなら、なんだってしてあげたい。私は心からそう思った。
「それに、オムライスも楽しみにしてるし」
「……はい! 頑張ります!」
葵ちゃんがいつまでうちにいてくれるかわからないけど、その間にいろんなことを共有できたらいいな。本もそのうち貸してもらって、読んでみようっと。



