最近、葵ちゃんの様子が変だ。
出会った当初は、子犬のように懐いていた。私の帰りを嬉しそうに迎えてくれる姿が、本当に可愛らしくてたまらなかった。
ある時を境に、急によそよそしくなった。口数が減ったり、目を逸らされたりした。てっきり嫌われたのかと思っていたけど、そうではないと本人から言われて、態度は少し元に戻った。
そして、今は。
「ただいまー」
「お帰りなさあい……」
仕事から帰宅すると、上目遣いで照れた顔の葵ちゃんが出迎えてくれた。
「今日もお疲れ様でした。すぐにご飯にします?」
「あ、うん。お腹ぺこぺこ……」
最近の葵ちゃんはちょっとだけくねくねしていて、以前よりも女らしさがあるような気がする。
夕飯や入浴を終えた私は、ソファの葵ちゃんの横に座ってテレビのリモコンを操作した。
「あのう……」
葵ちゃんが口を開いたので、私は身構えた。
「少し寄ってもいいですか?」
来た。今日も来た。どういうわけか、最近の葵ちゃんはソファで距離を詰めようと聞いてくる。
「あ、うん、いいよ」
もちろん断る理由なんかない。でも、いったいどうしたんだろう……。
葵ちゃんは腰を浮かせてずらし、ちょこんと私の真横に座った。なんとなく、毎回ちょっとずつ距離が近づいている気がする。今日なんてちょっと動いたら触れちゃうくらいじゃん。
わずかに横を向いただけで葵ちゃんが視界に入る。そして、なんだかいい香りがする気がした。同じシャンプーを使ってるはずなんだけど。
鼻いっぱいに空気を吸い込もうとしたら、葵ちゃんがこちらを向いたので息を止めた。
「あのう……」
後ろめたさから私の心臓が暴れた。ヤバい。匂いを嗅いでたの、バレたか?
「もっと寄ってもいいですか?」
「え」
私の心臓がもう一度暴れ出した。
これ以上寄るって……それはもうくっついちゃうよ? 密着だよ?
「あ、ごめんなさい、ダメですよね……」
葵ちゃんはそう言ってしゅんとした。それを見て私は慌てた。
「いや、その、ダメじゃないけど……でもさ……」
私は目をきょろきょろさせて、胸の中にあった違和感を口に出した。
「最近、よくいろいろ聞いてくるよね。これしていいか、あれしていいかって」
すると、葵ちゃんは少し言いにくそうにしゃべった。
「あの……合意……合意を取ろうと思って」
「合意?」
「はい。その……合意が、大切だと教わったので……」
ははあ。誰かに何かを吹き込まれたんだ。その影響で、ちょっと態度が変なのか。
「うーん、まあ、そうだね。合意形成ってのは重要かもね」
「はい……あの、それで……寄ってもいいって話でしたっけ」
「あ、え? う、うん、いい、よ……」
葵ちゃんは小さく頷いた。そして体をよじらせると、彼女の肩が私の肩に触れた。
……何なのこれ。夢ですか?
葵ちゃんの体温を肩や二の腕で感じながら、私の心臓は暴れっぱなしだ。ドクンドクンという鼓動が体の中で強く響く。
そして、葵ちゃんの頭が、こてんと私の肩にもたれた。
私の心は叫びを上げた。口から心臓が飛び出たかと思うくらいの衝撃だった。
「あの、あの、葵ちゃん」
「……はい」
頭の中が真っ白になってしまい、何を話せばいいのかがわからない。
ただ、一つだけわかった気がした。
このままだと、なにかがマズいと思う。
「ごめん! トイレ!」
私は葵ちゃんをそっと押しのけて立ち上がり、トイレに駆け込んだ。
清涼な芳香剤の匂いを感じながら、私は気持ちを整えようとした。
今のは何だ? 何が起きた? 葵ちゃん可愛すぎないか? 合意ってなんだ? 魔法の言葉か?
……ちょっと待った。
葵ちゃんは、私に寄るために合意を得ようとした。
それは、何のために?
それは、きっと……。
きっと、葵ちゃんはスキンシップを取るのが好きなんだ。
だって水族館で言ってた。触られるの、嫌じゃないって。
葵ちゃんは人肌が恋しいタイプの子なんだ。
そして、レズビアンである私に遠慮して、触れても平気なのかを確かめようとしてるんだ。きっとそうだ。
それなら……私は年上の女として、葵ちゃんを受け止めてあげたい。
スキンシップ、どんと来いだ!
*
しまった……。完全にやらかした……。
シャネルさんと会話し、自分がレズだと認識してから、あたしは陽向さんとどうなりたいのかを改めて考えた。
陽向さんのことはすごく好きだから、付き合うというのも魅力的な選択肢ではある。でも、断られてしまう可能性を考えると怖い。
それならいっそ、今の関係の延長線の中でできることをしようと思った。
あたしはシャネルさんからの助言に則り、陽向さんの合意を得ながら少しずつ距離を詰めた。
そして今日、とうとう肩が触れた。それは甘美な瞬間で、まるで脳の奥に蜜を流し込まれたようだった。
冷静さを失ったあたしは、つい頭を陽向さんの肩に預けてしまった。すると陽向さんは逃げた。
最悪だ、あたし……。
せっかく丁寧に陽向さんの気持ちを確認しながら進めていたのに、ここぞというところで自分の欲望に負けてしまうなんて。
少しして、陽向さんがトイレから戻った。あたしは気まずくて目を逸らした。
「あの、あたし、そろそろ寝ますね」
「わかった。葵ちゃん、あのさ」
呼びかけられて顔を上げると、陽向さんは自らの肩を片手でぽんぽんと叩いた。
「私はいつでもいいからね」
「え」
なぜか胸を張って堂々としている陽向さん。あたしは目を丸くしてぽかんとした。
「え、あの、ありがとうございます……」
……わけがわからない。肩はいつでもいい? 時間差の合意? 何その上級者テクニックみたいなやつ。
「じゃあ、おやすみなさい……」
「うん、おやすみ」
寝室に入ってドアを閉めると、あたしはベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめた。
いつでもいいって、なんなの……。
そんなこと言われたら、あたし、おかしくなっちゃうよ……。
あたしは足をばたばたさせながら、枕に顔を押し付けてうめき声を上げた。
出会った当初は、子犬のように懐いていた。私の帰りを嬉しそうに迎えてくれる姿が、本当に可愛らしくてたまらなかった。
ある時を境に、急によそよそしくなった。口数が減ったり、目を逸らされたりした。てっきり嫌われたのかと思っていたけど、そうではないと本人から言われて、態度は少し元に戻った。
そして、今は。
「ただいまー」
「お帰りなさあい……」
仕事から帰宅すると、上目遣いで照れた顔の葵ちゃんが出迎えてくれた。
「今日もお疲れ様でした。すぐにご飯にします?」
「あ、うん。お腹ぺこぺこ……」
最近の葵ちゃんはちょっとだけくねくねしていて、以前よりも女らしさがあるような気がする。
夕飯や入浴を終えた私は、ソファの葵ちゃんの横に座ってテレビのリモコンを操作した。
「あのう……」
葵ちゃんが口を開いたので、私は身構えた。
「少し寄ってもいいですか?」
来た。今日も来た。どういうわけか、最近の葵ちゃんはソファで距離を詰めようと聞いてくる。
「あ、うん、いいよ」
もちろん断る理由なんかない。でも、いったいどうしたんだろう……。
葵ちゃんは腰を浮かせてずらし、ちょこんと私の真横に座った。なんとなく、毎回ちょっとずつ距離が近づいている気がする。今日なんてちょっと動いたら触れちゃうくらいじゃん。
わずかに横を向いただけで葵ちゃんが視界に入る。そして、なんだかいい香りがする気がした。同じシャンプーを使ってるはずなんだけど。
鼻いっぱいに空気を吸い込もうとしたら、葵ちゃんがこちらを向いたので息を止めた。
「あのう……」
後ろめたさから私の心臓が暴れた。ヤバい。匂いを嗅いでたの、バレたか?
「もっと寄ってもいいですか?」
「え」
私の心臓がもう一度暴れ出した。
これ以上寄るって……それはもうくっついちゃうよ? 密着だよ?
「あ、ごめんなさい、ダメですよね……」
葵ちゃんはそう言ってしゅんとした。それを見て私は慌てた。
「いや、その、ダメじゃないけど……でもさ……」
私は目をきょろきょろさせて、胸の中にあった違和感を口に出した。
「最近、よくいろいろ聞いてくるよね。これしていいか、あれしていいかって」
すると、葵ちゃんは少し言いにくそうにしゃべった。
「あの……合意……合意を取ろうと思って」
「合意?」
「はい。その……合意が、大切だと教わったので……」
ははあ。誰かに何かを吹き込まれたんだ。その影響で、ちょっと態度が変なのか。
「うーん、まあ、そうだね。合意形成ってのは重要かもね」
「はい……あの、それで……寄ってもいいって話でしたっけ」
「あ、え? う、うん、いい、よ……」
葵ちゃんは小さく頷いた。そして体をよじらせると、彼女の肩が私の肩に触れた。
……何なのこれ。夢ですか?
葵ちゃんの体温を肩や二の腕で感じながら、私の心臓は暴れっぱなしだ。ドクンドクンという鼓動が体の中で強く響く。
そして、葵ちゃんの頭が、こてんと私の肩にもたれた。
私の心は叫びを上げた。口から心臓が飛び出たかと思うくらいの衝撃だった。
「あの、あの、葵ちゃん」
「……はい」
頭の中が真っ白になってしまい、何を話せばいいのかがわからない。
ただ、一つだけわかった気がした。
このままだと、なにかがマズいと思う。
「ごめん! トイレ!」
私は葵ちゃんをそっと押しのけて立ち上がり、トイレに駆け込んだ。
清涼な芳香剤の匂いを感じながら、私は気持ちを整えようとした。
今のは何だ? 何が起きた? 葵ちゃん可愛すぎないか? 合意ってなんだ? 魔法の言葉か?
……ちょっと待った。
葵ちゃんは、私に寄るために合意を得ようとした。
それは、何のために?
それは、きっと……。
きっと、葵ちゃんはスキンシップを取るのが好きなんだ。
だって水族館で言ってた。触られるの、嫌じゃないって。
葵ちゃんは人肌が恋しいタイプの子なんだ。
そして、レズビアンである私に遠慮して、触れても平気なのかを確かめようとしてるんだ。きっとそうだ。
それなら……私は年上の女として、葵ちゃんを受け止めてあげたい。
スキンシップ、どんと来いだ!
*
しまった……。完全にやらかした……。
シャネルさんと会話し、自分がレズだと認識してから、あたしは陽向さんとどうなりたいのかを改めて考えた。
陽向さんのことはすごく好きだから、付き合うというのも魅力的な選択肢ではある。でも、断られてしまう可能性を考えると怖い。
それならいっそ、今の関係の延長線の中でできることをしようと思った。
あたしはシャネルさんからの助言に則り、陽向さんの合意を得ながら少しずつ距離を詰めた。
そして今日、とうとう肩が触れた。それは甘美な瞬間で、まるで脳の奥に蜜を流し込まれたようだった。
冷静さを失ったあたしは、つい頭を陽向さんの肩に預けてしまった。すると陽向さんは逃げた。
最悪だ、あたし……。
せっかく丁寧に陽向さんの気持ちを確認しながら進めていたのに、ここぞというところで自分の欲望に負けてしまうなんて。
少しして、陽向さんがトイレから戻った。あたしは気まずくて目を逸らした。
「あの、あたし、そろそろ寝ますね」
「わかった。葵ちゃん、あのさ」
呼びかけられて顔を上げると、陽向さんは自らの肩を片手でぽんぽんと叩いた。
「私はいつでもいいからね」
「え」
なぜか胸を張って堂々としている陽向さん。あたしは目を丸くしてぽかんとした。
「え、あの、ありがとうございます……」
……わけがわからない。肩はいつでもいい? 時間差の合意? 何その上級者テクニックみたいなやつ。
「じゃあ、おやすみなさい……」
「うん、おやすみ」
寝室に入ってドアを閉めると、あたしはベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめた。
いつでもいいって、なんなの……。
そんなこと言われたら、あたし、おかしくなっちゃうよ……。
あたしは足をばたばたさせながら、枕に顔を押し付けてうめき声を上げた。



