同居人は女子大生 ~アラフォーだけど恋してもいいですか?~

「嫌われたかもしれない?」
 昼休みの社員食堂の喧騒の中で、緑川さんの怪訝な声が私にまっすぐ届いた。
「そうなの……。だから今日の夜は飲みましょう」
 私は箸を持った手をぐっと握った。
「いやいや、まずはどういうことなのか聞かせてください。ちなみに今日は先約があるのでダメです」
 私はため息をついてから、とうとうと話し始めた。
「あのね……昨日の夜、家に帰ったときにね、葵ちゃん……、葵ちゃんって私と同居してる子のことね、その様子がおかしかったの。いつもだったらにこにこして帰りを待っていてくれるんだけど、昨日は目を合わせてくれなくて、やけに言葉を噛んでて、顔が赤くて、とにかく変だったの。普段は夕飯のときに話したりするのに、昨日はソファでスマホをいじってて。夜もすぐに寝室に引っ込んじゃったし」
「はあ」
「今朝も夜と同じような様子で、朝ごはんを出してくれたらすぐに大学に行っちゃったの。これって避けられてるよね……」
「まあそうですね。避けられてますね」
 緑川さんが平然と言うので、私はショックを受けてしまった。
「でしょう! 実は心当たりがあるのよ。こないだ、葵ちゃんが熱を出して寝込んだことがあったの。そのときにね、私ね……」
 絞首台に向かう囚人の気持ちで、私は事実を打ち明けた。
「葵ちゃんのこと触っちゃったの」
「ええ! ヤバ!」
 驚いた緑川さんは、箸でつかんだサラダを落とした。その顔は引きつっている。
「病人の寝込みを襲うなんて最低ですよ……」
「ちが、違う違う」
 勘違いされてしまった私は慌てて説明しなおした。
「冷却シートを貼ってあげようとして、葵ちゃんの前髪を手でかき上げて、そのついでにおでこを触ったの」
 私の説明を聞いて、緑川さんはその光景を想像するように斜め上を見た。
「え? それって普通じゃないですか? おでこで熱を測ったんですよね」
「いや、それもまた違うの。熱を測るふりをして、おでこを触ったの」
「はあ……だとしても、避けるほどの理由にはならない気がしますね」
「そうかなあ……」
 緑川さんの言葉に納得のいかない私は、しょんぼりとしながら生姜焼きを口に運んだ。緑川さんは続けた。
「そうですよ。そもそも、顔が赤いってのは何なんですか。それって嫌うというよりも、照れてる感じがしません?」
「照れてる……」
 私は生姜焼きを咀嚼しながら、葵ちゃんが照れる理由を想像した結果、同じ結論に行きついた。
「となると、やっぱりおでこだよ……。私がそういう目で見て触ってたことがバレて、気まずくなったんだよ……」
「いやあ、そんなまどろっこしい話がありますかね。もっと直接的なことなんじゃないですか」
「どういうこと?」
「例えば……」
 緑川さんはにやりと笑った。
「原口さんのスマホの閲覧履歴を見ちゃったとか」
「全部消してるから!」
 私の口から生姜焼きの欠片が飛んだ。
「きったない!」
「ご、ごめん」
 謝りながら机を拭く私。
 さすがにそれはないはずだ。葵ちゃんの前でそういうのは見ないし、恥ずかしいから履歴は残さないようにしてる。
「居酒屋じゃないんだから、社食でそんな話しないで……」
「あ、いや、ごめんなさい。まさかそんなに反応されると思わなくて……」
 緑川さんは苦笑いした。
「まあ、腹を割って話すしかないと思いますよ」
「ええ? こんなに気まずい状態で?」
「だからこそですよ。お互いに口に出さないで勝手に思い込んでると、すれ違って関係が拗れますから。私も昔そういうので彼女と別れたことがあります」
 緑川さんのその言葉は、私の中にすうっと入った。
 そうだ、緑川さんは過去に六回も破局をしている、破局のスペシャリストだ。彼女の言葉はまさに金言。
「……それもそうだね、緑川さんの言う通りかも」
 私は緑川さんの目をまっすぐ見た。様々な経験を経た彼女の瞳は、どこか奥深さを感じさせる輝きを放っていた。
「葵ちゃんと話してみる。それで原因がわかれば、それについてちゃんと謝る」
「いいと思います」
 緑川さんは親指を立てて優しく笑った。新人なのにちょっと生意気だなあと思うけど、恋愛経験では彼女には決して敵わないから仕方がない。
「ところで、見られたら困る閲覧履歴って何なんですか?」
 さっきまでの優しい笑顔は、いつの間にかいやらしいニタニタ顔に変わっていた。
 やっぱり、生意気だ!

『これから帰ります』
 葵ちゃんにメッセージを送ると、すぐに既読が付いた。
 いつも通りに会社を出て、夜の電車に乗り込む。暗い電車の窓ガラスには、私の姿が反射してはっきりと映っていた。
 ちょっと痩せたな、私。
 それでも世間の平均よりは上だけど、数か月前よりは体型がすっきりしたように見える。
 これはきっと、葵ちゃんのおかげ。
 太陽が食事当番だったときは、太陽の好みを中心とした食事だったため、揚げ物と炭水化物が多かった。
 でも今は、以前よりもバランスの取れた食事をとっていると思う。細身な葵ちゃんが作ってくれているだけのことはある。
 今日も帰ればおいしいご飯が待っている。でも、気まずいままでは味もわからない。葵ちゃんに事情を聞いて、謝ろう。
 最寄り駅まで着くと、街灯に照らされながら家に向かって歩いた。街灯に近づいたり離れたりするたびに、私の影が伸びたり縮んだりする。
 話を聞く。そして謝る。自分の影を見つつ、そうやって唱えながら歩くと、あっという間に家までたどり着いた。
 話を聞く。そして謝る。私は意を決してドアノブに手をかけた。
「ただいまあ……」