同居人は女子大生 ~アラフォーだけど恋してもいいですか?~

「お願い! 行かないで!」
 すがるような私の声が部屋の中に響く。太陽(たいよう)の荷物はほとんど運び出され、部屋には家具だけが取り残されていた。
 私、原口(はらぐち)陽向(ひなた)は叫びながら太陽の腕を掴んだ。彼の肉付きのよい腕に、同じく肉付きのよい私の指が柔らかく食い込む。
「私を一人にしないで!」
 でも、太陽は私の手を振り払った。
「うるせーな。もう出ていくって決めたんだよ」
「そんな、考え直してよ!」
 太陽は額に手を当てて、大きく息を吐いた。
「考え直す余地なんてないから。もう同居は終わり」
「どうして……」
 悲しみに暮れる私に向かって、彼は冷たく言い放った。
「前からずっと言ってるだろ。俺……結婚したんだから!」
 受け入れがたかった現実を改めて突きつけられて、私は崖から落ちたような気分になった。
「だからいい加減にしろよ、姉さん!」
 太陽の咆哮に、私は丸い体を思わず小さくする。
「そ、そんな大きな声を出さないでよ」
「そりゃ出すよ。何回言っても聞いてくれないんだもん」
 太陽の妻となった裕子(ゆうこ)さんは、とてもいい人だ。はつらつとしていて、気配りもできる。初対面の私にも屈託なく笑いかけてくれた。そして、にじみ出る気の強さは、お人好しの太陽にぴったりだ。身長が高く、太陽と変わらないところも二人の相性の良さを感じさせる。ついでに、二人とも三十五歳で同い年。
 これまで、太陽が寂しがりやの私と同居してくれていたことは、彼の優しさだ。でも、とうとう生涯の伴侶を見つけてしまい、太陽はこの部屋を出ていく。私の今の気持ちは裕子さんへの嫉妬ではなく、ただただ一人暮らしの寂しさなのであった。
 私がなぜこうも弟に執着しているのかというと、人間関係が終わっているからなのであった。「陽向」などという明るさの塊のような名前に反して、私の人間関係は日陰そのもので。学生時代にはわずかに友人はいたものの、卒業からあっという間に疎遠になり、気軽にプライベートの会話ができる相手は家族くらいになった。家族以外でスマホの通知が鳴るのは仕事の緊急連絡だけ。
 そんな私にとって一人暮らしはとても寂しかったが、かといって実家は職場から遠い。そのため、太陽の上京を期に、広めの部屋を借りて同居してもらうことになったのだ。
 ところが、十年以上続いたこの同居生活も、とうとう終わり。三十八歳にもなって、久々に一人暮らしをする羽目になるとは。
 二人の体重ですっかりへたったソファに腰掛け、およよ、と泣くような素振りを見せる私に向かって、太陽は言った。
「あの、この部屋のことでちょっと相談があるんだよ」
「え? 何? なんでも聞くよ」
 なんでも聞いてあげるから、出ていかないでくれ! と、私は心の中だけで叫んだ。
「俺がこの家を出たら、姉さんは寂しいでしょ。で、俺が使ってた部屋が空くでしょ。だったら、新しい同居人を迎え入れてみるのはどうかな?」
 え。
 新しい、同居人……?
 なるほど、太陽の言い分はわかる。太陽の代わりを見つければいいってことだ。
 でも。
「そんなに簡単に言わないでよね……」
 同居人なんて、どうやって募るんだろう。ネットとかで、私と一緒に暮らしませんか、って? 考えただけでも気が引ける。目立ちたくないし、ネットは誹謗中傷の海だというイメージがあり、ちょっと怖い。
 第一、こんな私と一緒に暮らしてくれる人なんて見つかるんだろうか。二十代ならまだしも、もうアラフォーですよ? きっと、多くの人は結婚して、既に家庭を築いている世代だ。
「それが、もう立候補者がいるんだよ」
「ほう?」
「裕子の従姉妹の倉田(くらた)(あおい)ちゃん。結婚式に来てたの、覚えてる?」
 私は記憶を呼び覚ました。確か、親族同士で向かい合って挨拶をしたはずだ。そのときに、従姉妹って自己紹介した人。
「……思い出した」
 小綺麗なドレスに身を包んだ、ちょっと顔の薄い女の子。線が細くて、色白で、おとなしそうな子だった。あれが葵ちゃんか。
「ちょうど春からの住まいを探すらしくてさ。でも都会の勝手がわからないから、一人暮らしは心配なんだって。それならうちは一部屋空くし、都会慣れした姉さんが面倒を見れるし、ちょうどいいかもって思ってたんだよね」
 私は話を聞きながら、口に手を当てて考えた。裕子さんの親戚か。それならまあ、多少縁のある人だし、同居人の候補としてはありかも?
 だけど。
「ちょ、ちょっと待って。あの子っていくつ?」
「春から大学生で、十八だって」
「十八⁉」
 まさかの、ティーンエイジャー!
「いやいや、いくらなんでも若すぎるでしょ……私よりふた周りも下じゃん。下手したら親子だよ。会話が合うかわかんないし」
「嫌なの?」
「多少は気になるけど、別に嫌ってほどじゃないよ。それよりも、向こうが嫌がるんじゃない?」
「実はこないだちょっと聞いたら、前向きな返事があったよ。俺の姉さんだってことで、なんとなく信用があるみたい」
「え、そうなの?」
 ずいぶん柔軟な子だな。これが今どきのティーンエイジャーなのか?
 ただ、私の懸案事項は年齢だけじゃなかった。
「ところで……その子は、私がレズビアンだって知ってるの?」
 私は真剣な顔で太陽に聞いた。
「いや……それは、まだ。勝手にアウティングするわけにもいかないでしょ」
「やっぱり……」
 そう、私はレズビアン。女性だと自認し、女性を恋愛対象とする同性愛者なのだ。太陽は知ってるけど、親も含めて他の親族には話していない。
 ちなみに、この性的指向のせいで、私は今までに恋愛経験がない。
 ……ごめんなさい。それは性的指向のせいじゃないです。その気になれば、マッチングアプリとかレズビアンバーとか、いろんな出会いの手段がある。それに手を出さないのは、私が人見知りだからだ。
 なんにせよ、私がレズビアンだと伏せたまま女性と同居するのは気が引ける。
「黙っててくれてありがとう。でも、後になって『騙された!』とか言われたら困るから、葵ちゃんには言っていいよ」
「わかった。じゃあ聞いてみるよ」
 真面目な顔で頷く太陽を見て、私はため息をついた。
 これで、この話は終わりかな……。アラフォーのレズビアンと同居したがる女子大生なんて、いるわけない。
 
 その日の夜。太陽は既に家を出た。私一人だけの部屋は妙に広かった。テレビをつけても静かさは埋まらず、ソファに転がったままスマホを眺めていた。
 すると、太陽から電話がかかってきた。私はソファから飛び起きて電話に出た。
『葵ちゃん、レズビアンとか気にしないってさ』
「……マジで?」
『ああ、学校でそういうのを習ったことがあるから、平気なんだって。とにかく、一人暮らしよりも誰かと一緒に暮らせる方が安心だってよ。家賃も抑えられるし、いいことづくしだって』
「あ、そう……今どきの子ってすごいな……」
 三十八歳の春。
 かくして、私は女子大生と一つ屋根の下で暮らすことが決まったのであった。