花がよく似合うきみへ。



 気づかなかったわけではない。
 自分には手に負えないものだったから、目を瞑っただけ。

 そんな言い訳が通用するなんて、俺だって思ってないんだよ。



 桜井が死んだ日に、彼の両親から電話をもらった。葬式に出てほしい、蒼生から預かっているものがある、と。

 電話に出て初めて知ったさ。心臓に時限爆弾を抱えてたことも、下の名前がアオイって言うことも、そいつがさっき死んだってことも。


 近くにいた人間が死ぬと、すぐには泣けないなんて話はよく聞くが、あれは嘘だと思う。
 電話をもらった日、俺は泣きまくった。これでもかというほど暴れて、泣きじゃくった。
 近くの花屋の店員が死んだだけで大げさすぎやしないかと自分でも思った。でも、しばらく人と関わってこなかった俺にとっては、生活の一部がごっそり抜かれたような喪失感に囚われたのだった。


 葬式に行くと、菊をもらった。家にしばらく置いても、さすがに食べる気はしなかった。


 それと、花屋のマニュアル的なものを、丸ごと一式。店の鍵ももらった。
 まだ店貰うって話決まってないんだけど、と言おうとしたが、桜井の両親に懇願されて、断るすべがなかった。



 どこかうわの空のまま準備をして、何日か気まぐれで店を開けてみた。お客さんはみんな口々に、「桜井はどうした」「桜井さんは留守?」「蒼生くんはどこ」と尋ねてくる。
 そんな人々に答えるうちに、ますます、なぜ自分のような人間がこの花屋をやっているのかがわからなくなってくる。
 お前らはあいつが”蒼生“って名前なこと知ってたんだな、なんて冷めたことも考えてみた。




 今日も、ある種の放心状態のまま、店を開けた。
「あら! あの〜、なんだっけ、さかい、さかた……違くて、えっと……」

 遠くからいきなり声が飛んできたので、慌てて振り返る。
 
「榊ですが。」
「そう! 榊さん!」

 感じの良い中年くらいの女性が尋ねてきた。桜井がいた時に、何度か見たことある。

 なにをしに来たかの思ったら、ただ花を眺めながら雑談を振ってきた。どれも桜井がいた頃の『フルールチェリー』を懐かしむ話題で、俺は苦笑いをするしかなかった。店改名しようかな。流石に良くないか。


 その思い出話を聞きながら、俺も桜井に思いを馳せてみる。

 結局、喧嘩のような追い出され方をした日から、一回も話すことのないまま今に至る。
 後悔がないと言えば嘘になる、というか、そもそもそんな次元の話ではない。桜井に聞きたいことは山ほどあるし、今だってあの笑顔を思い出しただけで泣きそうなのだ。



 ……桜井は俺のことを好きでいてくれてたんじゃないか。
 本人もいない今、そう思うことはばち当たりだろうか。
 
 でもまあそれは、変だけどよく来る客(花食べるし)への歓迎の気持ちがメインであって、そんなに大層なものではないよなとも思う。
 
 あーーー、話したいな。
 なんであんなにピリピリしてたんだろう。
 俺自体ろくでもない奴なんだから、気兼ねなくなんでも話せばよかったのに。



 そんなことを思いながら、レジに立つ。どうやら花を買ってくれるそうだ。
 そういや、店を開いてみるようになってから、みんな桜井のことを聞いてくるだけで、実際に花を買ってくれるのはこのお客さんが初めてだ。

 受け取ったお金を入れようと、レジを開けた時。なにかがひっかかっていることに気がつく。
 取り出してみると、それはたくさんの紙製のカードが束になっているものだった。
 

「あら、それスタンプカードじゃない! すっかり忘れてたわあ〜。それ、蒼生ちゃんのだったりしない?」


 スタンプカード。そんなものがこの花屋にあるなんて、いま初めて知った。桜井から貰った花屋の説明書にも、そんなものには一切触れられていない。


「桜井も自分で花を買ってたんですか?」
「ええ、そうよ。毎日律儀に1本だけ。何に使ってたのかしら。」


慌てて手元のカードの束を見やる。数十枚はあろうその束は、整然と全てのマスが埋まっていた。

 一瞬、意識が遠くに飛ばされたような感覚がした。足元がぐらっと揺れるような、そんな感覚。
 

「ど、どんな花を買ってたか覚えてますか? 色とか、形とか、香りとか……とにかくなんでも、覚えてることがあったら、」
「あら、何よそんなに慌てて。でもそうねぇ。」


 女性客は、顎に手を当てて考え始めた。
 そして、とてもじゃないが信じられないことを口にした。



「最近は、よく白い花を買ってた気がするわ。なんならそのまま仕入れるんじゃなくて、自分で育ててたものもあった気がする。」



 俺は二度目の、足場がふらつく感覚に襲われた。今度は、もっと深い泥沼に沈んでしまいそうな感覚だった。

 あの時食べたまっすぐで甘すぎる花たちを、俺は一秒たりとも忘れたことはない。




 俺は自分の家に逃げ帰った。玄関で靴を放り投げて、寝室に駆け込む。そこの棚にしまった、花嫁が纏うベールのように淀みない純白な花たち。

 引き出しの中の花を掴む。
 乾燥して傷んだそれらを、俺は震える手で口に押し込んだ。


 苦しい、苦しい、苦しい、


 甘い塊が喉に詰まって、焼けるように痛んだ。
 それでも飲み込んだ。もう少したりとも取りこぼしたくなかった。


 もっと、もっと、もっと、


 息ができなくて、涙が溢れてくる。
 それでも手は止まらない。


 甘い、甘い、甘い、


 お前は毎日……どんな気持ちで、俺の話を聞いていたんだ?
 

 こんなふうに知りたかったんじゃない。
 もっとちゃんと、正面からぶつかればよかった。


「桜井……」


 喉の奥で呼んだ名前が、飲み込む花に押しつぶされる。
 花びらと一緒に、涙も飲み込んだ。

 ……なあ、応えてくれよ。



「ふははっ、こんなに好きだったんだな、俺のこと。」

 空に向かって、笑ってみる。
 涙で何も見えなかった。

 何度も嘔吐(えず)いて苦しかった。
 それで残す気はない。残せない。



 
 ふと気づいて手元をみると、そこにもう花はなかった。俺は霞む視界で、再び天を仰いだ。

 俺が食べ残してたのは、花なんかじゃない。