『フルールチェリー』では、毎週水曜日に定休日を設けている。
休みとは言っても、桜井はだいたいフラワーアレンジメントに打ち込んでいて、店を離れることは少ない。
榊は時折、そんな様子の桜井をガラス扉越しに覗きに来ては、暇つぶしと言って桜井に話しかけようと試みる。
桜井もそれが嬉しくて、いつもこっそり、扉を少し開けて待っている。
「榊さん榊さん、これ、食べてみてください。」
「どれどれ……あっ、ガーベラね! 珍しいじゃん。」
「そうなんですよ。定期的にたくさん買いに来てくれるお客さんが最近来なくて、余っちゃいました。」
「そりゃ心配だな。」
そう言って、榊は色鮮やかなガーベラを受け取る。情熱的に咲き誇っているそれは、求めてくれる人を待ち続けているように見える。
「ありがとね、あとでゆっくり味わうわ。」
「ここで食べてってくれてもいいんですよ?」
「うーん……いや、それはやめときたい。見てて気持ちいいもんじゃないと思うから。」
「僕しか見てないのに?」
「……それが問題なんだよなぁ。」
榊は少し困ったような顔をしながら、優しく笑った。
それを見て、桜井はうつむいて口をつぐむ。嫌われていると捉えたのだろう。
慌てて榊は言い直す。
「っいや、ほら、俺の活動圏内で、桜井ちゃんくらいしかまともに話せる人いないからっていうか……」
榊は頭を掻きながら、視線を泳がせた。
「だから桜井ちゃんには目に余るもん見せたくないんだよ。……嫌ってほしくないし。」
「そう簡単に嫌いませんよ、僕のことをなんだと、」
「ストップストップ、桜井ちゃんの人の良さは知ってるんだよ。俺の気持ちの問題。」
少しの沈黙が生じた。
こういう空気が苦手なんだ、と言わんばかりに、榊は眉を八の字にする。
「……榊さんよく話しかけてくれますけど、そのわりに何も内容ないですよね。」
「おいおい、だれの話がつまんないって?」
「いやそうじゃなくて、自分のこと何も教えてくれないじゃないですか。」
「ちょっとだけ近所ってだけのお花屋さんに、何を言うことがあるのさ。」
「それは…………」
桜井は、もどかしそうに下唇を噛む。
そんな様子の桜井から、榊はばつが悪そうに目をそらした。そして大きく、ため息をつく。
「……あ、用事があるんだったわ! また来るね。」
思いついたようにそう言い残して、榊は足早に店を立ち去った。
平日の真っ昼間から花屋で暇をつぶすような男に、急ぐべき用事などないことは明白だ。
急に静けさが戻った店内で、桜井はうつむいたまま、しばらく立ち尽くしていた。
やがて、作業の続きに取りかかろうとした時。
「……うっ……」
桜井は強く自分の胸を押さえて、苦しそうな声をあげた。
呼吸は浅く、指先は震えている。
「っ、は…………」
膝から力が抜けたのか、一気にその場にしゃがみ込んだ。震える指先で、何やらポケットを探している。
そうして、やっとの思いで取り出せた錠剤を、桜井は水も使わずに喉へ押し込んだ。
冷たい壁にもたれかかり、ゆっくりと目を閉じている。荒かった呼吸は少しずつ静まっていた。
「…………急かさないでよ。」
小さく漏らしたその言葉は、先ほどまでの訪問者に向けられたものか、はたまた自分の疲弊した心臓に向けたものなのか。
“お願いだから、もう少しだけ”
桜井は何事もなかったかのように作業に戻ったが、頭の中では、そのひたむきで痛切な願いごとに取り憑かれていた。
