文化祭をいよいよ翌日に控え、授業が早めに終わった。
準備も済んでいたから、外がまだ明るいうちに家へ帰ることが出来た。
家に帰ると、玄関に見知らぬ靴がある。
お客さん?
こんな時間にお客さんなんてめずらしい。
「ただいまー」と言いながらリビングに顔を出すと、睦美おばさんがいた。
「睦美おばさん!」
「おかえり、真優ちゃん! 最近帰りが遅いって聞いてたのに、今日は早いんだね」
「もう文化祭の準備が終わったから」
「何するの?」
「お化け屋敷」
「懐かしい。私も高校の頃お化け屋敷やった。定番だね」
部屋の中を見渡したけれど、きららちゃんの姿がない。
「きららちゃんは?」
「今日は預けて来た」
「そうなんだ……プレゼントでもらった服、すっごいかわいかった! ありがとう」
「それは良かった」
そこで睦美おばさんと、お母さんは顔を見合わせた。
「真優、ちょっと座って。話がある」
「うん?」
イスに座ると、睦美おばさんが見つめる中、お母さんが言った。
「パート今日でやめたの」
文化祭は土日の2日間で行われ、他校の生徒や、保護者、来年受験を考えている子達など、いろんな人がやって来る。
お化け屋敷は人気で、朝からずっと長い列が途切れない。
みんなが受付当番を一翔くんとペアにしてくれたので、一緒に受付をしていたら、一翔くんは何人かに一人の割合で声をかけられていた。
「何年生ですか?」
「彼女いるんですかぁ?」
「名前聞いてもいいですか?」
「メッセージID教えてください」
「一緒に写真撮ってもらえませんか」
一翔くんはその子たちと目も合わせずに、冷たい返事を返していく。
瑛里華の声がして、後ろのドアの方を向くと、そこでも同じような光景が繰り広げられていた。
「彼氏いるの?」
「名前教えてよ」
「メッセージID交換しない?」
瑛里華が逃げるように教室の中に入るのと入れ替わりに池田くんが顔を出した。そしてわたしの隣に立つと「代わろうか?」と声をかけてくれた。
「大丈夫」
「でも、横にいて嫌じゃね?」
そんな話をしている時だった。
さっき、「彼女いますか」と聞いていた子がまたやってきた。
今度は列に並ぶんじゃなくて、真っ直ぐに一翔くんに話しかけるためだけに。
「さっき、彼女いるって言ってたけど、私は気にしないから」
うわっ、と思った時、池田くんが「聞かない方がいいかも」と小さく呟いた。
一翔くんが何か言おうとした時、木崎先生が教頭先生と走ってやってきた。
「お化け屋敷中止。葉月、藤代、並んでる人たちに断って回って。池田は看板とか机片付けて」
「何で?」
「説明は後。ほら、早く!」
いつもと違って、きつい表情をした木崎先生は、有無を言わさない物言いで指示を出すと、教室に入って行った。
窓のとこに貼っていた段ボールは剥がされ、せっかく作った迷路も一部壊された。
窓を開け電気をつけた教室で、その場にいた生徒に教頭先生が話し始めた。
「ここのお化け屋敷を訪れた方から連絡がありまして、娘さんがお化け屋敷の中で髪の毛にガムをつけられたそうです」
教室内がざわつく。
だってそんなことする人なんて絶対にいない。
「本当にここだったんですか? お化け屋敷をやってるクラスは他にもあるのに」
男子が声を上げた。
「場所はきちんと確認しました。ここで間違いないです。娘さんは伸ばしていた髪の毛を短く切ることになったということで、とてもショックを受けられてるそうです。そこで、学校側としては、このクラスのお化け屋敷を中止することと判断しました」
「そういうことだから、ここはすぐに片付けるように」
「絶対そんなことする奴いねーし!」
「もう、決定したことだから」
木崎先生の言葉に、さっきまでざわついていた教室の中が静かになってしまった。
「お化け屋敷に入ってきた人には絶対に触ってはいけません」と、注意をされていたから、みんなで考えて、うちわで風を送ったり、足元をスポンジにしたり、と工夫した。お化け役の子は衣装も自分で作って、メイクもこだわって……
毎日遅くまで残って準備したのに、それが一瞬でなくなった。
文化祭が、こんなふうに終わるのが残念で、悔しくて……
泣き出した子も何人かいた。
「また来年もあるんだから!」
誰かがそう言ったけど、「来年もある」なんてそんな不確かなこと簡単に言えるようなことじゃない。
毎日リレーの練習をしたのに、体育祭は雨で半分中止になった。
遅くまで準備をしたのに文化祭も途中で終わり。
終わりが来るのはなんでこんなにあっけないんだろう?
いろんなことが頭の中でぐちゃぐちゃになった。
最後までやりたかった……
いっぱい思い出が欲しかった。
悔しい。自分の力では変えられないことがなんでこんなにいっぱいあるんだろう。
泣いてしまう代わりに、唇を噛み締めた。
瑛里華と手をぎゅっと繋いだ。
一翔くんは床をじっと睨みつけていた。
「片付けようか」
木崎先生はそう言うと、さっき窓から剥がして適当に置いていた段ボールを重ね始めた。
ひとり黙々と片付ける様子に、ぽつりぽつりと一緒に片付ける生徒が出てきた。
「木崎先生、後はお願いします」
教頭先生が教室を出ていくと、「ムカつくー」「なんなんだよ」と文句を言いながらも、男子がガムテープをベリベリと剥がして壁のようになっていた段ボールを崩していった。
「ないよねー」「信じらんない」と言いながら女子がその段ボールを重ねていった。
「段ボールのガムテープ、きれいに剥がせよー」
木崎先生の言葉に、教室の中はペリペリという音だけが響いた。
文化祭の2日目。
早々に片付けてしまった教室には、もう何も残っていない。
誰も直そうとしなかったから机とイスは端っこに寄せたままで、部活の出し物を手伝いに行った子以外は、みんな他のクラスの出し物に回る気も失せて、何もない床に座って、くだらない話をしていた。
そんな中、木崎先生が大量のフランクフルトを持って現れた。
「辛気臭い。前だけ見て行こーや。ほら、食べろ!」
わあっ、と声が上がった。
「もう散々落ち込んだろ? 次はどうしたら同じことを起こさないで済むか、そっちを考えろ。前を向くために時間を使えー」
先生はいいことを言っていたのに、誰も聞いていなかった。
みんなケチャップとマスタードを塗る方に夢中だったから。
でも先生は笑顔で、そんな先生をじっと見ていると目が合って、笑いかけてくれた。
既にカラオケの予約をしていたこともあって、文化祭の2日目が終わった後、打ち上げがあった。
でも、打ち上げと言うより、気分は憂さ晴らし。
「せめて最後は楽しもうよ!」
「そうだねー」
「これ終わったらまた中間考査だし、その前にパーっと歌おー!」
みんなの気持ちが前に向いたのは、きっとフランクフルトのおかげ、じゃなくて、木崎先生のおかげ。
イベント時の打ち上げはいつもカラオケで、今までは何も考えずに歌っていたけれど、今回は歌わない。
音痴だからね。
そう決めていたけれど、瑛里華に誘われて一緒に歌った。
アニメの歌だったから、多分マシ……のはず。
一翔くんは、歌も上手かった。
池田くんも上手かった。
いつもよりみんなテンションが高くて、よくわからない合いの手を大きな声で入れていた。
2時間はあっという間で、終わる頃には「楽しかったねー」と言う声があがっていて、お店を出てから、みんなでそのままそこで少し話をしていた。
誰かが「そろそろ帰ろう」と言って、ようやくバラけたところで、お店から別の高校の制服を着た数人が出て来たので、制服が混ざり合った。
わたしの少し前に立っていた一翔くんの制服の裾を、別の制服の腕が引っ張った。
「一翔っ」
一翔くんの名前を呼んだのは、見たことのない女の子だった。
髪の長さはわたしと同じくらいだけど、目が大きくて、くっきり二重のかわいい子。
「アユ?」
一翔くんが女の子の名前を口にした。
名前を呼び合う仲って……もしかして……?
「久しぶり! そっちも文化祭の打ち上げ?」
「『そっちも』ってことはアユのとこも?」
「そうだよ。すっごい偶然だね」
親そうなこの感じは……きっと……
「一翔、今誰か付き合ってる子いるの?」
そうくるよね。
「いるよ」
「もしかしてその子が一翔の彼女?」
そうなるよね……
アユさんが真っ直ぐに見ているのは、一翔くんの横に立っている瑛里華で、ちなみに一翔くんを挟んで反対側の少し後ろにわたしは立っていたので、ちょうど一翔くんとアユさんの間にいる感じ。
挑発的?な目でアユさんは瑛里華を睨んでいる。
もしかして……まだ一翔くんのこと……?
「彼女の藤代真優」
紹介されて、恐る恐るアユさんを見ると、まだ瑛里華を見ていた。
瑛里華が「わたしは――」と言いかけたのを一翔くんが遮った。
「違うよ、真優はこっち」
「は、初めまして。藤代です」
アユさんはわたしをじっと見てから言った。
「びっくりしたぁ! そっちの超きれいな子が彼女って言ったら、絶対騙されてるよ!って言うとこだった」
えーっと?
「会えて良かった! じゃあね!」
アユさんは少し歩いてから振り返った。
「わたし、今彼氏いるし!」
そう言うと、先にいた数人のグループに合流して行ってしまった。
嵐のように去って行ったアユさんの後ろ姿を見ていると、頭の上から声がした。
「すげ。見事にスルーして行った」
池田くんだった。
「オレに気づかないわけないよな?」
「まぁ……うん」
「相変わらずだった」
「うん」
わたしの頭の上の「?」に気づいた一翔くんが、池田くんをチラリと見てから言った。
「さっきの、鮎諒子っていうんだけど……勇の元カノ」
「オレのこと完全に無視ってひどくね?」
池田くんがムッとした顔を見せた。
「アユ」は、名字だったんだ……
「なぁ今の、葉月の元カノ? めちゃくちゃかわいいじゃん!」
男子が一翔くんの肩に手を回してきた。
「違うよ」
「そうなの?」
「さっきのはオレ」
「へ? 池田?」
「何その言い方。失礼じゃねぇ?」
「葉月なら元カノと偶然会ったりとかわかるけどさぁ」
「偶然会ったりはないよ」
一翔くんの言葉に「あれっ?」って思った。
それは、元カノはいないという意味?
それとも、偶然でも会うようなことはないという意味?
余計な感情がぐるぐるし始めたので、小さく深呼吸をした。
「真優、音痴じゃなかったよ」
わたしに話しかけてきた一翔くんはいつも通りだった。
「それは、アニソンだったし、瑛里華が一緒に歌ってくれたから」
「今度2人でカラオケ行く?」
「行かないっ」
ちょっとだけ話をしていたら、男子が一翔くんを呼んだ。
「おーい、葉月、行くぞー」
「すぐ行く!」
返事をしてから、こっちを向いて聞かれた。
「本当に今日は大丈夫?」
「お母さんがパート辞めたから、車で駅まで迎えに来てくれるって。それに今日は瑛里華がいるし」
「だよっ!」
瑛里華がすぐ横で笑っていた。
「わかった。じゃあ、また」
2次会に行く男子たちを見送って、瑛里華と駅へ向かいながら、一度だけ振り返って、一翔くんの後姿を見た。
「友達の家にお泊りなんて初めてで、文化祭より楽しみにしてたんだよー」
「わたしも楽しみだったよ。聞きたいこともいっぱいあるしねー」
瑛里華の肩に自分の肩をトンっとぶつけると睨まれた。
睨んでる瑛里華もかわいい。
明日の代休を利用して、文化祭の後に瑛里華が初お泊りに来ることになっていたのだけど、話したいことがいっぱいできてしまった。
一緒に駅でお母さんの車を待っていると、瑛里華を初めて見たお母さんは、「堀北瑛里華です。今日はお世話になります」と挨拶をされて、「ゆ、ゆっくりしていってね。何もない家だけど」と動揺していた。
その意味がわかったのは、家に帰ってから。
そわそわと棚の上の置物の裏や、電球の周りを見ている様子に気が付いた。
「お母さん、瑛里華は本当に同じクラスの友達だから。前にプリクラも見せたよね?」
「でも、あれはいろんな加工がしてあったから……」
わたしたちのやり取りに、瑛里華が不思議そうな顔をする。
「ごめん、瑛里華のことアイドルだと思って、多分カメラを探してたんだと思う」
「カメラ?」
「やだぁ……『娘が同級生だと言って連れて来たのが芸能人だったら、気づく? 気づかない?』みたいなやつだと思った……本当に違うの?」
「違うよ」
と、言いつつ、剣菱さんを初めて見た時の自分を思い出して、「母娘だぁ」と密かに思った。


