未来へのバトン

ある夜、健一は帰宅してすぐにスマートフォンをリビングの棚に置いた。そして、キッチンで夕食の準備をする麻衣の背中に声をかけた。

「何か手伝えることはある? 支援できることがあれば教えてほしい」

麻衣が振り返り、少しだけ微笑んだ。

「じゃあ、このサラダを混ぜてくれる? 健一さんがキッチンに立つの、新鮮ね」

二人は並んでキッチンに立った。かつてのような「効率的な役割分担」の指示ではない。

「最近、仕事で困っていることはないかい?」
「そうね……後輩の指導で少し悩んでて」

健一は「こうすればいい」というアドバイスを喉元で食い止めた。代わりに、学んだばかりの技術を繰り出す。

「そうか、後輩の指導か。それは根気がいる仕事だね。麻衣はどんな風に接しているの?」

相手に質問を重ね、感情に寄り添う。
すると、麻衣は堰を切ったように話し始めた。健一はただ相槌を打ち、彼女の目を見て聴き続けた。

その夜の夕食は、ここ数年で最も豊かな時間となった。
二人の間の「関係残高」が、少しずつ、しかし確実にプラスへと転じ始めていた。