僕の願いを君にたくして

 梅雨。午前中に降っていた雨のせいか、じめっとした熱気が教室にこもっている。ヤマセン曰くエアコンは来週から点くらしいが、昼休みともなるとこの暑さに耐えるのはなかなかに厳しい。
「文化祭どうする?」
「蒼に王子様っぽい役やらせたら絶対勝てそう」
「あと、理玖に騎士役!」
 右前方、藤原くんと宮田くんの座席周辺がいつも以上に盛り上がっている。今日のLHRで文化祭の話が出たからであろう。
 星ノ谷高校の文化祭は夏休み明けの9月に行われる。内容は全クラス教室での演劇公演。ちなみに、お客さんによる投票で各学年1位を獲得したクラスには賞が贈られるらしい。特に景品が出るわけではないが、勝負となると勝ちたくなるのが人間というものである。そのため、受験生である3年生までもが夏休みを削って文化祭の準備に力を入れる。
「王子と騎士両方が出てくる話ってあったっけ?」
 茜がお弁当のサンドイッチを手に持ちながら、遠くの盛り上がっている集団を見ることなくツッコミをいれた。
「異世界転生系ならあるんじゃない?」
 加奈子が澄ました顔で返す。
「たしかに。でも、そうなったら主人公役もめそうだねー」
 茜が苦笑いをした。それにつられた聖奈も苦笑いを浮かべながら横目で宮田くんを一瞬だけ見た。宿泊研修の日以来一度も話していないが、聖奈の心の中では静かに存在感が増している。
「ま、それより先に中間試験だけどね」
 加奈子がイタズラっぽく茜を見た。今からちょうど2週間後、中間試験期間に入る。
「やめてー! 聞きたくないー!」
 茜は両耳を塞いだ。
「茜より聖奈の方が大変でしょうよ、今回に関しては」
 加奈子が呆れた顔で茜を見た。
「ま、ちょっとプレッシャーだよね。学年8位かぁ……」
 緊張なのか聖奈の口調は少しかたくなっていた。
「そうだ! 勉強会しない? 今週の土日どっちか!」
 茜の発言に聖奈と加奈子は一瞬固まった。実は2人とも勉強会というものをしたことがない。
「あ、やっぱ1人の方が集中できるよね……」
「違う違う! 勉強会したことなくて驚いちゃっただけ。いいじゃん、やりたい!」
 落ち込んでいる茜を見て聖奈は急いで否定した。「レベルが違うから」の気遣いで今までこういう誘いをもらえなかった聖奈にとっては嬉しい話だ。
「聖奈がいいならやりますか、茜の赤点救済」
 本当はワクワクしている加奈子は本心を隠しつつ、茜をいじった。
「それは、本当に助かります」
 茜は加奈子の方を向くと手を合わせて拝んだ。
「場所どうする? 私の家でもいいけど。電車の路線的に2人とも来やすいでしょ?」
 と言う加奈子の好意に甘え、勉強会の会場は佐久間家となった。

◆◆◆◆◆

 加奈子の家は星ノ谷高校から電車で2駅。THE都心という感じのエリアに住んでいる。聖奈、茜、加奈子の3人は加奈子の家の最寄り、菊橋駅の改札で待ち合わせることにした。
「ごめん、お待たせ!」
 聖奈が待ち合わせ時間の1分前に到着したときには、もう茜も加奈子も集まっていた。おそらくブランド物であろうチェック柄のシャツに黒い膝上スカートを履いた茜、エスニック風な個性的ワンピースを着こなす加奈子。Tシャツにジーンズパンツで着てしまった自分が少し恥ずかしくなった。これだから真の都会人には敵わない。住んでいる場所的におそらく2人の家はそこそこに金持ちなんだろう。
「じゃ、行こうか」
 加奈子に案内されながら3人はビル街をサクサク歩いていく。
 5分程歩き小さな橋を渡ったところで加奈子が振り返った。
「ここ」
「お、タワマンじゃん」
 茜が興奮気味に言う。
 そのまま3人は1階のエントランスへと入っていく。
「すごい、ホテルみたい」
 家とは思えない落ち着いた雰囲気を見て聖奈はまるで旅行にでも来ている気分になった。
 エレベーターに乗ると、加奈子は30階のボタンを押した。エレベーターのボタンからしておそらくこの建物は35階建て。加奈子はかなり上層階に住んでいることになる。聖奈と茜はお互いに顔を見合わせた。
 ピッ。ガチャ。
 指紋認証なのかよく分からなかったけど、加奈子がドアノブを握った途端に鍵が開いた。
「今日、家の人はみんな仕事だから。気にせず入って」
「おじゃましまーす」
 聖奈と茜は案内されるまま、加奈子の部屋へと入っていった。

 部屋の壁のほとんどが本棚状態になっている加奈子の部屋に、聖奈と茜は圧倒された。まるで個人図書館。加奈子が好きと言っていたミステリー小説だけでなく、雑誌やビジネス書、漫画なども置かれている。
「すご……」
 茜はゆっくりと周りを見回しながら荷物を下ろした。
「はい、机」
 別室から折りたたみの机を持って戻ってきた加奈子は勉強会のセッティングをはじめた。
「この本って全部加奈子の?」
「うん、そうだよ」
 聖奈の質問にさも当たり前かのように加奈子は答えた。茜は興味深そうに加奈子の本棚を見て回っている。そのとき、茜の足が勉強机横のトートバッグに当たってしまった。と同時に倒れたトートバッグから色の付いた少し厚めの紙たちが飛び出る。
「うわあ、ごめん!」
 茜はトートバッグから出てきた紙を慌てて集めはじめた。
「大丈夫。机の上にでもテキトーに置いといて」
 加奈子に言われた通り、茜は紙束を机の上に置いた。1番上にある二つ折りのパンフレットのようなものには『時ノ戦い』と書かれている。
「この『時ノ戦い』って?」
 茜が加奈子の方を振り返りながら聞いた。
「ん?」
 加奈子は折りたたみの机を拭いてる手を止めて茜の方を見た。
「あー、昨日見に行った劇ね。中学の友達が出てて」
 加奈子はまた机を拭きはじめる。茜は「へえ」と言いながらパンフレットをじっと見つめた。
「さて、茜赤点回避の会、はじめますか」
 座布団を3つ並べ終わった加奈子の言葉で、3人は一斉に机の周りに座った。
「そういえば聖奈って苦手教科あるの? なんかオールマイティーなイメージだから」
 茜が数学の教科書と問題集をカバンから取り出しながら聖奈の方を見た。
「古文、漢文、日本史かな。現代文も漢字や語彙問題なんかはちょっと苦手なんだよね。だからコツとかヤマとかあれば教えてほしいなって」
 聖奈は「日本史一問一答」と書かれた参考書を出しながら答える。
「もちろん! 日本史なら任せて!」
 アニメの影響なのか実はちょっとした歴女だったりする茜は親指を突き立て「グッ」としながらウインクした。
「それにしても女子で理系って珍しいよね」
 加奈子も茜同様数学の教科書と問題集を机に並べる。加奈子の言う通り、女子で「理系科目が得意、文系科目が苦手」というのは珍しい。
「なーんか頭に入ってきてくれないんだよねー」
 聖奈は問題集を見つめながらぼやいた。
「でも英語は得意だよね?」
 茜が聖奈の方をじっと見つめた。
「うん……わりと?」
 聖奈は謙遜しようと思ったがやめた。得意な自覚がある。
「そういえば、聖奈が英単語の勉強してるところ見たことないかも」
 加奈子も聖奈の方を向いた。
「家ではMASTER読んでるよ。他の教科の方が切羽詰まってるだけ」
 MASTERとは星ノ谷高校で使っている英単語帳の通称である。どうやら聖奈は自分があまり英語の勉強に時間を費やしていないことにそれまで気付いていなかったらしい。

 理系科目は聖奈に、文系科目は茜と加奈子にそれぞれ質問し教えあいながら5時間、ほぼ休まずに勉強した。3人にとって、とても有意義な時間となった。

◆◆◆◆◆

 国語(現代文)、国語(古文・漢文)、英語(リーダー)、英語(グラマー)、数学(Ⅰ)、数学(A)、日本史、地理、生物、地学。前期中間試験は10科目合計1000点満点。
 例年、平均点は40〜60点。赤点は30点未満。学年順位一桁を狙うなら全教科平均90点はほしいところ。
 6月8日。3日間にわたる前期中間試験がはじまった。