僕の願いを君にたくして

 アズールと最後に会ってから2年半が経った。日本はじめじめした蒸し暑い季節を迎えている。

 小児科医を目指していた聖奈は、無事に国立医科大学に合格。今は、充実しつつも大学の勉強で忙しい日々を送っている。
 そんな聖奈の日課はエグレシア王国のニュースサイトを見ることだ。メリアッシュ邸で蒼と別れて以来、連絡を取っていない……というか連絡先を知らないのでコンタクトの取りようがない。しかし、ニュースを通してアズールの活躍を見ているからか、聖奈は今でもアズールを近くに感じていた。

 ちなみに、アズールは、聖奈と理玖が見つけた「公爵位継承権に関する権利書」のおかげもあり、16歳の成人となったタイミングでメリアッシュ家当主となった。
 その後、アズールの父であるエドワード・メリアッシュ時代の政治を参考にしながら、エグレシア王国を良くするため、積極的に政治活動をしている。

 今日も、聖奈は大学のカフェテリアでエグレシア王国のニュースサイトを見ている。お気に入りのカフェオレといちごのショートケーキ。聖奈にとって至福のひとときだ。

 ピコン。
 突然、知らないアカウントから英語のメッセージが届いた。

「聖奈、おまたせ。」
 リュックを背負った理玖が、コーヒーの入ったマグカップを片手に聖奈に近付いてきた。
 理玖のリュックサックには青色のキーホルダーが2つ付けられている。使い込まれたのか日焼けしたのか……少し色が薄くなった気がする。

「……」
「いちご、もーらい!」
 スマホに夢中な聖奈に拗ねた理玖は、椅子に座るや否や、聖奈のショートケーキに乗っていたいちごをパクッと食べた。
「えー! ちょっとー!」
 聖奈は立ち上がって理玖の右手を掴んだ。が、時既に遅し。
「もう!」
 聖奈は掴んだ手を離し、わざとらしく頬を膨らませながら椅子に座った。理玖はいたずら好きな少年のように笑っている。
 それを見た聖奈の顔は、理玖につられるように綻んだ。
「それで、伊織くんどうだった?」
 聖奈は椅子に座り直す。
「順調。あと少しで完治だって」
 理玖は嬉しそうに微笑んだ。
 アズール・メリアッシュ公爵の協力も得ながら、コールグリンパ症の治療薬研究は無事に再開した。そのおかげで、理玖の弟、伊織くんも快方に向かっているらしい。
「良かった!」
 聖奈は自分ごとのように喜んだ。
「まあ、その後もリハビリが大変なんだけどね」
 「大変」と言いながらも理玖は幸せそうに笑っている。

 聖奈はケーキの最後の一切れを頬張り、意を決したように理玖の方を見た。
「理玖、あのさ、夏休み……エグレシア王国行こうと思うんだよね。蒼に会いに」
 聖奈は理玖の目をじっと見た。理玖もそれに応えるように見つめ返す。と、突然理玖はフッと笑い出した。
「うん、知ってる。行ってきなよ」
 この理玖の言葉は、聖奈にとって意外なものだった。
「知ってる……?」
 聖奈は首を傾げた。
「昨日、蒼から突然メッセージ来たんだよね。『聖奈に見せたいものがあるから、お借りしてもいいですか?』って」
「なる……ほど……」
 聖奈は理解できたような理解できていないような……。
「もしかして、理玖、ずっと蒼と連絡取り合ってた?」
「いや、昨日が2年半ぶり」
「……お借りしても?」
 蒼はまるで「聖奈と理玖が付き合っている」という事実を知っているかのようだ。交際を開始したのは2人が大学に進学してからだというのに。
「……いや、こっちが聞きたいよ! 大きな意味はないんでしょ、多分。」
 理玖の顔が少しだけ赤くなった。そして、照れくさそうにコーヒーの入ったマグカップを見つめながら呟いた。
「……。ほんと、蒼には敵わないよ。」
「蒼は蒼、理玖は理玖じゃん。」
 理玖がこのセリフを吐くのは今回が初めてではない。ライバル意識でもあるのだろうか。聖奈は慰め慣れていた。
「そうかもしれないけどさ。……なんか、自分が本当に『何でもないただの人間なんだな』って思い知らされるよ。」
 理玖はコーヒーを一口だけ含んだ。
「それ、私も理玖に対して思ってるからね? ……課題もテストも勝てる気しないし」
 これは聖奈の純粋な本音である。
「そんな大差ないだろ?」
 理玖は聖奈を愛おしそうに見つめた。そして、フーッと深く息を吐いた。
「……実際のところ、本当に『同じ人間』なのか怪しいのは、聖奈なんだよね」
「え?」
 聖奈は予想外の発言に目を丸くしながら理玖を見た。理玖は真剣な目で聖奈を見ている。いつもの冗談ではなさそうだ。
 たしかに、聖奈には心当たりがないわけではない。故にどう返すのが正しいのか……難しい。
「……。そうだなぁ。いつかさ、私の中でうまく整理ができたとき、理玖にはちゃんと話したいなって思ってるよ」
 聖奈の言葉を聞いて、理玖は少しだけ目を見開いた。

◆◆◆◆◆

 エグレシア王国に着いた聖奈は、アズール・メリアッシュの秘書と名乗る人物に案内され、アズールの自宅へとやってきた。
 アズールは現在、メリアッシュ邸には住んでいない。とは言え立場上セキュリティ面で安心できる場所に住む必要があるらしく、貴族専用の住宅エリアで暮らしている。
「こちらです」
 貴族専用の住宅エリア。大きくて煌びやかな住宅が多く立ち並んでいるが、聖奈の乗った車が停まったのは少しこじんまりとした建物の前だった。聖奈の家と大差ない。
 聖奈を空港から案内してくれた秘書がインターホンを鳴らす。
 カチャ。
 目の前には、2年半前からさらに身長が伸びて男らしくなった金髪碧眼の男性が立っていた。
「聖奈、いらっしゃい。」
 
 聖奈は客室へと案内された。なんとなく、アズールが日本で宗馬さんと住んでいたリビングに似ている気がする。家具のデザインや配置のせいだろうか。聖奈はアズールに促されるかたちで、ソファに腰をおろした。

 ちなみに、宗馬さんは「普通の芸術家」に戻ったそうだ。「やっと肩の荷がおりた」と言って、アズールが誘っても遊びに来てくれないんだとか。だからアズールは、宗馬さんの個展に足を運んで会いにいっている。宗馬さんは照れ屋なのかもしれない。

 宗馬さんの近況を一通り聞いたところで、アズールは聖奈に1通の手紙を渡した。
「これは、悠聖先生が宗馬に宛てた手紙らしいんだ。」
 なぜ悠聖先生から宗馬さんに宛てた手紙を、アズールが聖奈に読ませようとしているのか。聖奈は察しがついている。
「今、ここで読んでも大丈夫?」
 聖奈の問いにアズールはゆっくりと頷いた。

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親愛なる宗馬へ

宗馬は今、誰かに助けを求められたんじゃないか?
当たり?当たりだろ。僕ってすごい。

突然のお願いで申し訳ない。
その「誰か」を助けてあげてほしい。

さて……。信じてもらえるとは思ってないけど。
実は、僕はどうやらタイムリープをしているらしくて。今2周目の人生を送っている。

まずは簡単に1周目の人生の話をしようか。
1周目も僕はメリアッシュ邸専属の医者兼ミレリアの小児科医として楽しく暮らしていた。
しかし、6月10日。とある事件が起きたことで状況が一変する。
メリアッシュ邸にて、エドワード・メリアッシュ、エマ・メリアッシュ、アズール・メリアッシュ、他その日邸宅内にいたと思われる使用人など9名が何者かに惨殺される事件が起きた。
警察によって、事件の実行犯である暗殺集団は無事に捕まるのだが……。その暗殺集団の証言によって僕はメリアッシュ惨殺事件の首謀者となってしまい、無実の罪をきせられてしまった。
身に覚えはなかったが、僕の意見は聞き入れてもらえず、死刑が確定した。
刑務所の中で激しい絶望感に襲われ何度も吐いた。脳は考えることを放棄していたように思う。ただ、「過去に戻りたい。」と願ったことは覚えている。

そのまま気を失ったのか……気が付くと僕は高校1年生に戻っていた。さすがに夢だと思ったが、どうやら現実らしい。
それから僕はメリアッシュ惨殺事件を止めるために動いた。そのためにはメリアッシュ家と仲良くなる必要がある。そこで僕は1周目の人生同様、後にエドワード・メリアッシュと結婚することになる星ノ谷高校時代の同級生、大野恵真と友達になった。そして、医大に進学し、医者になり、実績を積み重ね、メリアッシュ家お抱えの医者になった。
予定通りメリアッシュ家と関わりを持てるようになった僕は、後に起こるであろう事件を止めるためメリアッシュ家についての調査を開始した。しかし、これといった成果をあげることはできなかった。

宗馬がこの手紙を読んでいるということは、メリアッシュ惨殺事件……もしくはそれに似た何かしらの事件が起きてしまったのだろう。
なんとか助け出せた人がいればいいな。
少しでも未来が変わってくれたらいいな。

宗馬は1周目の人生では出会わなかった人物なんだ。
ごめんな。正直に言おう。この件で利用するために、僕は宗馬に近付いた。
そんな理由だったけど、僕は宗馬と親友になれて良かったと、心から思っている。2周目の人生が楽しかったのは、絶対に宗馬のおかげだよ。ありがとう。
そんな大好きな親友に、重い荷物を背負わせてしまうのは辛いけど。

僕の願いを君にたくすよ。

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 最後の一文を読んだ聖奈の左目からは、一筋の涙が溢れた。
「ありがとう。この手紙、読めてよかった」
 聖奈はアズールに手紙を返そうとした。が、それをアズールは首を振って断る。
「え……?」
 聖奈はアズールの予想外な行動に思わず声が漏れた。
「……ねぇ、聖奈もタイムリープしているの?」
 アズールは聖奈を優しい目で見つめている。
「……」
 聖奈は目を大きく見開いた。そして、ゆっくりと息を吐きながら、手紙を自分の目の前にある机の上に置いた。
「タイムリープ、なのかな……。ともあれ、私にも1周目の人生の記憶があるのは確かだよ」
 聖奈の声は落ち着いたものだった。
「本当にあるんだね、こんなこと」
 アズールは自分で聞いたにもかかわらず、少し驚いたような顔をした。
 そして、ゆっくりと首にかけていたネックレスを外した。アズールのワイシャツの内側から見覚えのある白い正八面体の石が現れる。アズールはそれを机の上に置いた。
「このネックレスのこと、覚えてる?」
「うん、宗馬さんの家の玄関に、飾ってあったものだよね」
 聖奈はネックレスを見つめた。初めてこれを見たときは「どこかで見たことがある」程度の記憶……というより感覚のようなものしかなかったけれど。今ならこれがなんなのかハッキリと分かる。
「文化祭で『時ノ戦い』を見た宗馬は、悠聖先生からの手紙と劇の内容が似ていると思ったらしくて、松永空信について調べたみたいなんだ」
 アズールは淡々と話し始めた。
「タイムリープを経験した松永空信の手記には『祠の中の石は確かに青色見えたこと』『時空を超えた後に祠へ御礼参りをしたとき、そこにあった石は白色だったこと』が書かれていた。……聖奈も1周目の人生でこの石を見ているんだね?」
 アズールは真剣な目で聖奈を見つめている。聖奈はゆっくり頷いた。
「うん。私の13歳の誕生日だったかな。そのネックレス、もらったんだ、アズから」
「え?」
 聖奈の言葉を聞いたアズールは顔が少しだけ熱くなるのを感じた。この正八面体の石のネックレスはメリアッシュ家の家宝のようなものである。それはつまり……。
「蒼とは……1周目のときから親友だったんだよ?」
 聖奈は少し照れくさそうに笑った。
「よく覚えてるよ。1周目のときは青色だった、その石。……なるほどね、この石がタイムリープの起動スイッチになってたってことか」
聖奈は右手の親指と人差し指で顎をはさみながら、何かを考えはじめた。
「この石は……メリアッシュ家に代々伝わるもので。唯一無二のものなんだ」
 アズールは石を撫でながら話す。
「この石が青色であった可能性を指摘したのが聖奈と悠聖先生。だから宗馬は、聖奈もタイムリープしているんじゃないかって考えたんだ。メリアッシュ惨殺事件の調査をお願いしたのも、これが理由らしい」
 初めて宗馬さんの家に行ったとき、確かに聖奈は「どこかで見たなと思った」「青っぽかった」ということを口にしている。それを宗馬さんは覚えていたのだろう。

 そして、アズールは、落ち込んだように下を向いた。
「それともう一つ。……悠聖先生は聖奈のお父さん、なんだね?」
 アズールは下を向いたままだ。
「うん」
 聖奈はやさしい声で答えた。
「僕は、聖奈に謝らなきゃいけない。聖奈のお父さんは僕のせいで……」
「違うよ」
 聖奈はアズールの言葉を遮った。
 でも、アズールは下を向いたまま首を横に振っている。
「違わないよ、聖奈。悠聖先生は知っていたんだ。タイムリープしても生死の運命だけは変えられないってことを。でも自分の命を使えば、その命の分……つまり1人だけ助けることができるということを。でなきゃ、こんな予言のような、遺書のような手紙は書けないでしょ?」
 アズールは今にも泣き出しそうな顔で訴えた。
「ねぇ、アズ。ありがとね。お父さんの願いを叶えてくれて」
 聖奈はやさしく微笑んだ。
「この『僕の願いを君にたくすよ。』は宗馬さんだけに宛てられたメッセージじゃないと思う。ここだけ急に二人称が『君』になってるし」
 聖奈は手紙の最後の一行を指し示した。
「お父さんの願いは、多分、コールグリンパ症の治療薬の完成とメリアッシュ惨殺事件の解決。『鉱物に関する権利書』を『公爵位継承権に関する権利書』と一緒に隠したのはそのためだと思う。……きっと、アズに託して良かったって、お父さんは思ってるよ」
「……ありがとう、聖奈」
 アズールの目から涙が溢れた。聖奈がアズールの涙を見たのは2周分の人生を通して初めてのことだった。

「それにしても、お父さんがメリアッシュ惨殺事件の犯人として死刑囚になっていたなんて、知らなかったなぁ」
 聖奈はこの事実を今日初めて知った。
「聖奈を守りたかったんだね。エグレシア王国の法律だと一等親は処刑対象になってしまうから。だから、悠聖先生は家族の存在をなかったものにしたんだと思う」
 アズールの言葉に、聖奈は小さくコクンと頷いた。
「1周目の人生のとき、『事件解決の協力をしてほしいみたい』ってお母さんに言われて……それで、タンシーラ刑務所に連れて行かれたんだよね。お母さんはギリギリまで、私が辛い思いをしないように隠そうとしてくれたんだろうなぁ。」
 聖奈は恐ろしすぎる事実を受け止めながらも、努めて明るい声で話し続けた。
「その日、私はアズからもらったネックレスをつけていったの。それで……刑務所の小さな部屋にお父さんと入れられたのは覚えてる。というか、それが1周目の記憶の最後。お父さんはこのときに、『過去に戻りたい』って願ったのかもしれないね」
 そう言って聖奈はアズールを見た。
 実は聖奈も石を見ながら願っていた。「もう一度アズに会いたい」と。

 ピンポーン。
 アズールの家のチャイムがなった。アズールはチラッと時計に目をやる。聖奈はその目の動きを見逃さなかった。
「時間みたいだね。ありがとう、元気そうな蒼に会えて良かった」
 聖奈は立ち上がった。
「こちらこそ。忙しい中来てくれてありがとう」
 アズールは立ち上がって右手を差し出した。聖奈は応えるように右手を出して握手をする。
「理玖にもよろしく言っておいて。2人はずっと僕の親友だって、伝言よろしく」
「分かった」
 2人はギュッと握り合った手を離した。
「それと、その手紙は聖奈がもらってよ」
 アズールはネックレスをつけながら言った。
「でも……」
 聖奈は躊躇った。これは自分宛の手紙ではない。
「大丈夫。宗馬も望んでることだし」
 アズールは机の上に置かれている手紙を手に持つ。
「それにね、悠聖先生はずっと『たくさんの子どもたちの命を未来に繋ぐことが夢』って言ってたんだ。その願いを2人にたくすよ」
 アズールはいつもの笑顔で、手紙を聖奈に託した。