僕の願いを君にたくして

 120年程前に建てられたメリアッシュ邸。蒼は家族や悠聖先生との思い出を語りながら邸宅内を案内してくれた。蒼にとって、到底耐えられるものではない辛い記憶が刻まれたこの場所だが、同時に、とても大切な場所でもある。

 リビング、ダイニング、演奏ホール……。聖奈は古い思い出に浸る。小さなアズと一緒にテレビゲームで遊んだこと、舌の上でとろけるお肉料理を食べて感激したこと、メリアッシュ夫人にピアノを教えてもらったこと。
 聖奈は懐かしくて温かい気持ちになると同時に、蒼以外もう誰も住んでいないという事実に胸が痛んだ。

 蒼は1階の突き当たりにある木の扉を開けた。
「それで、ここが元僕の部屋。」
 1人用とはとても信じ難い大きなベッドに、スタイリッシュな勉強机。子ども部屋には似つかわしくない彫刻たちに、サンタクロースが会いにきてくれそうな焦茶色の大きな暖炉。聖奈にとっても馴染みの深い場所である。
 聖奈にはこの部屋でよく遊んでいた記憶がある。一番好きだったのは剣道ごっこ。ちなみに、アズは弱かった。いつも聖奈の圧勝だった。一度、アズの竹刀を飛ばしてしまい、暖炉に彫られたクマの彫刻を破壊してしまったことがあったっけ。お父さんにこっぴどく叱られたなぁ……。
 聖奈はノスタルジックな気持ちで部屋を見渡した。
 一方、部屋に足を踏み入れた蒼は、スタスタと、暖炉の方へと向かった。
「3年半前、僕はここから脱出したんだ。」
 蒼はしゃがみ込み、暖炉の中の床部分をなでる。
「……ここから?」
 理玖は、蒼の横に並ぶようにしゃがみ込むと、率直な疑問を口にした。蒼が示した場所に、出入口のようなものは見当たらない。
「この家、キーマントっていう有名な建築家の作品なんだけど。いたずら好きな人だったみたいで、必ず作品に何かしら仕掛けを施していたんだって」
 蒼は暖炉の床に触れたまま語る。
「この部分が開くはずなんだけどね。どういう仕掛けだったんだろう……」
 蒼は半分諦めたような顔をしている。
 と、そのとき、聖奈がおもむろに暖炉に彫られたクマの彫刻に近付いた。
「聖奈?」
 蒼は不思議そうな顔をしつつ、聖奈にぶつからないよう一歩右にズレながら立つ。
 聖奈はクマの右目部分に入っている焦茶色の石をギュッと押し込む。すると、押し出されるように石が飛び出てきた。そして、今度はそれをクマの口の中にはめ込む。
 スッ!
 暖炉の床部分がスライド式になっていたらしい。まるで最新の自動ドアのように静かに素早くドアが開いた。ぽっかりと空いたマンホールのような穴の中には、底が見えないくらいの長いはしごがついている。
「開いたみたい」
 聖奈は少し困ったように笑いながら蒼の方を見た。
「……え? あ、ありがとう」
 蒼は驚き過ぎて完全に表情が無と化している。
 聖奈は再びクマの彫刻の方へと視線を戻すと、口に入れた焦茶色の石を右目に戻した。
 スッ!
 暖炉の床部分は元通りになった。きっとあの日この仕掛けを作動させたのは悠聖先生だ。そして、悠聖先生はアズールを逃した後、敵にアズを追わせないように仕掛けを元に戻したのだろう。

◆◆◆◆◆

 聖奈、理玖、蒼の3人は、蒼が生活している部屋に戻って話し込んだ。窓から見える色が濃紺になってからもうずいぶん時間が経っている。
 コンコン。
「そろそろ時間だ」
 ドアを開けた宗馬さんは蒼を見た。
「うん」
 蒼は頷いた。
「玄関で待っているよ」
 そう言って宗馬さんはパタリとドアを閉める。
 3人は顔を見合わせた。
「日本から、ずっと応援してる」
 理玖は蒼に右手を差し出した。
「うん、ありがとう。弟さんの治療頑張って。あと、理玖のお父さんにもよろしく伝えといて」
 蒼は理玖の右手に応え、強く握りしめた。
 理玖との握手を終えた蒼は、聖奈にも右手を差し出す。
「会えて嬉しかった。私もずっと応援してる」
 聖奈は蒼の右手を両手で握りしめて優しく笑った。

◆◆◆◆◆

 飛行機のエンジン音が激しさを増した。窓から見える景色が高速で動き出す。
 空の上から見えるエグレシア王国を聖奈は愛おしそうに眺めた。

 機体が雲の中に入り、エグレシア王国が見えなくなった。聖奈は身体を椅子の背もたれに預けて、隣に座っている理玖の方をチラッと見た。何やら本を読んでいる。
 視線に気付いた理玖も、聖奈のいる方に顔を向ける。
「ん?」
「ねぇ理玖、学校にあるって噂の『願いが叶う鍵』って知ってる?」
「あーうん、聞いたことある。有名だしね。」
「ちょっと試したいことがあるんだけど……」
 
 蒼と別れた日、宗馬さんが予約してくれたホテルに到着した聖奈は、襲ってくる眠気そっちのけで調べごとをしていた。メリアッシュ邸にいたときに、ふと、ある仮説が浮かんだのだ。
 3年半前、アズールが脱出に使った仕掛け扉。その鍵だった暖炉のクマの彫刻と、星ノ谷高校の女性の彫刻が、なんとなく似ている気がする。
 調べたところ、星ノ谷高校の女性の彫刻を手がけた鍵山真司はエグレシア芸術大学を卒業しているらしく。そして、大学時代の恩師がメリアッシュ邸を手がけたキーマントらしい。

 聖奈は理玖に自分の仮説を伝えた。
「いいじゃん、おもしろそうだし。休み明け、早めに学校行って試してみようよ」
 理玖も聖奈の直感を信じることにした。

◆◆◆◆◆

 6:05。
 星ノ谷高校の門は事務員によって開けられているが、生徒は聖奈を除いて誰もいない。
 アーケードの中に足を踏み入れた聖奈はそのまま風を凌ぎながらここで待とうと考えた。
「……聖奈、おはよ」
 聖奈がアーケードの真ん中まで来たところで後ろから声がした。振り返ると少し息を切らし気味の理玖が立っている。おそらく遅刻坂を走ったのだろう。
「おはよ」
 聖奈と理玖はアーケードの目の前にある女性の彫刻へと2人並んで向かった。

 女性の彫刻の前で立ち止まった2人は同時に顔を上げる。
「なるほど、ね」
 女性の目の部分だけ石でできていることを確認した理玖が呟いた。
「はしごとか台とかないかな」
 聖奈は周囲を見渡したが、お目当ての物がそう簡単に見つかるはずがない。だからと言ってあまり目立ちたくはない。彫刻にイタズラをしていると勘違いされてしまう気がする。
「肩車、する? ……嫌じゃなければ」
 理玖が遠慮気味な声で提案をした。
 「嫌じゃなければ」の配慮に全く気付いていない聖奈は、純粋に「それが手っ取り早そうだ」と思った。
「うん」
 聖奈はすぐさま鞄をおろした。それを見た理玖はしゃがみこむ。
「いいよ」
 聖奈は理玖の肩に足をかけると頭を包み込むようにギュッと掴んだ。
「いくよ、せーの」
 理玖は聖奈を乗せたまま立ち上がった。聖奈はあまり時間をかけないようにすぐさま背筋と右腕をピンと伸ばす。
「届いた!」
 聖奈は女性の彫刻の目の部分に入っている石をギュッと押し込む。
 思った通り。石は聖奈の右手を押し戻すように彫刻から外れた。
 聖奈は石のかたちを確認すると、すぐさま石を彫刻の女性の手の部分にはめた。
 彫刻の女性は祈るように手を合わせているが、その手と手の間に小さなくぼみがある。
 シュッ。
 聖奈が彫刻の女性の手に石をはめた瞬間、彫刻の下の方から音が聞こえた。
「理玖、何か作動したかも」
 聖奈の声を聞いて、理玖はゆっくりかがむようにしゃがみながら聖奈をおろした。
 2人は音の聞こえた彫刻の裏側へとまわり込む。
「何か入ってる。」
 理玖がしゃがみ込んだ。どうやら彫刻の土台の裏側がスライドで開閉するタイプの物入れになっていたらしい。
 理玖は彫刻の中から紙の束のようなものを取り出した。聖奈も理玖の隣でしゃがみ込むと、理玖の手にある書類に目をやる。英語で書かれた書類みたいだ。
「これって……」
 理玖は聖奈の方を見た。
「願いが叶う鍵……。宗馬さんに連絡だ!」
 彫刻の中に入っていたのは、まさに蒼が探していたものだった。