僕の願いを君にたくして

 年が明けて日本のお正月ムードが落ち着いてきた頃、聖奈と理玖は再びエグレシア王国の地に降り立った。
 空港で荷物を受け取った聖奈と理玖は、出口の自動ドアを抜けるや否や、懐かしい顔を見つける。
「2人ともよく来たね」
 久しぶりに見る宗馬さんは、どことなく無邪気で少年のように見えた。

 聖奈と理玖は宗馬さんの車の後部座席に並んで座った。
「さて、アズの待つ場所に行きますか」
 宗馬さんは運転席に座るとすぐにエンジンをつける。
「アズ……?」
 理玖は「アズ」が誰を指しているのか察しはついていたが、聞きなれない単語に思わず反応してしまった。
「蒼のことね。本名はアズールだから。親しい人は皆アズって呼んでる」
 宗馬さんは車を発車させながら説明した。
「ところで、『アズの待つ場所』ってどこなんですか?」
 聖奈はルームミラー越しに宗馬さんの顔を見た。
「うーん、内緒。深い意味はないけどね」
 宗馬さんはイタズラっぽい顔をした。

 「アズの待つ場所」に向かう道中、宗馬さんは聖奈と理玖を質問攻めにした。そのせいというかおかげというか、話題が尽きることはなかった。年末のお笑い賞レースの結果、年始のマラソンレースの結果、蒼がいなくなってからの学校の様子……。
「いろいろ辛い経験をしてきたアズだからさ、普通の高校生活ってのを送らせてあげたかったんだよね。星ノ谷に入学させて良かったよ」
 宗馬さんは満足そうに言った。
「あの、ずっと気になっていたことがあって……」
 理玖は少し俯いた。
「ん?」
 宗馬さんは視線を少し上げる。
「事件の犯人が分かってすぐ、蒼がエグレシア王国に帰ることになったのって、コールグリンパ症のため……ですよね。俺としてはありがたいけど、蒼の生活を取り上げてしまった気がして」
 理玖は膝の上で握っている手でズボンを軽く握った。
「コールグリンパ症の件は、蒼がここに戻らなくてもどうにかできたと思うよ。まさか麻薬を作るために使われていたなんて、そんなの国が黙ってるわけないでしょ?」
 宗馬さんはドライブ中の楽しい空気のまま答えた。
「じゃあ……」
 理玖はルームミラー越しに宗馬さんの顔を見た。宗馬さんの顔付きが変わる。
「メリアッシュ惨殺事件の真相が明るみになったことで、今、エグレシア王国とクルファナ王国は関係がかなり不安定になっていてね。それを蒼はどうにかしたいみたいなんだ」
 メリアッシュ惨殺事件は、言ってしまえばクルファナ王国による「毒テロ」だ。エグレシア王国の怒りは相当なものだろう。
「戦争の恐ろしさを経験したアズだからかな、『関係ない人を巻き込まないような政治がしたい』ってね。それで今、政治に参加するために公爵位を取り戻せないか、いろいろ模索中……」
「そうだったんですね……やっぱり、蒼はすごいや。」
 理玖はエグレシア王国の街並みを見つめながら、誇らしそうに微笑んだ。

 気付けば宗馬さんの運転する車は見慣れた道を走っていた。
「ここって……」
 聖奈は窓を見ながら呟いた。
「ミレリアだ」
 宗馬さんは聖奈がミレリアを知っているのがさも当たり前かのような反応を見せた。
「ということは今向かってるのって……」
 理玖も何かを察したらしい。
「メリアッシュ邸。アズは今そこで生活している」
 宗馬さんは、メリアッシュ邸のある、木で覆われた大きな森のあるエリアに視線を向けた。

◆◆◆◆◆

 夏に見た鋼鉄の大きな門。その隣には守衛室のような小さな建物がある。が、そこにはやはり誰もいない。メリアッシュ邸の入り口は「この中で生活している人がいる」とは思えないくらい、いまだに悲しい空気を纏っている。
 宗馬さんは一時的に車を停めると守衛室の中へと入っていった。しばらくして出てくるや否や、今度は門の前に立った。どうやら鍵を開けているらしい。
 ガラガラと低く鈍い音を立てながら鋼鉄の門が開いた。

 門から車を少し走らせたところで大きな邸宅が見えてきた。邸宅の前には綺麗な金色の髪をなびかせた15歳の少年が無邪気に手を振りながら立っている。
「理玖!聖奈!いらっしゃい!」
 宗馬さんが車を一時的に停めると同時に、蒼が走って近付いてきた。これが本来の蒼の姿なのだろう。日本にいた頃より肩の力が抜けたというか、良い意味で子供っぽく見える。
「2人は先にここで降りて大丈夫だよ。僕は車停めてくるから」
 そう言うと宗馬さんは運転席横にあるボタンを押してドアを開けた。
「ありがとうございます」
 聖奈と理玖はお礼を言いながら車を降りた。

 金髪に青色の瞳。見慣れているような見慣れないような見た目の蒼がとびっきりの笑顔を見せた。
「会いたかった!」
 蒼の笑顔を見て、聖奈と理玖は思わず顔を見合わせた。
「私も会いたかった。」
 聖奈は蒼に微笑み返した。
「元気そうで良かったよ! 髪色新鮮だな!」
 理玖も嬉しそうに笑った。
「早速なんだけど、2人に会ってほしい人がいるんだ! 一緒に来て!」
 蒼に連れられて聖奈と理玖は邸宅の裏側へと向かった。
 
 聖奈と理玖の視界に入ったのは素朴で落ち着いた空気に満ちている一面緑の芝生だった。自然の音が心地良いその場所は小さな丘のようになっている。
 丘を登りきって少し降りた場所に小さなお墓が2つ、エグレシア王国の色鮮やかで美しい景色を見るかのように並んで立てられていた。
「お父さんとお母さん。理玖と聖奈のことを紹介したくて」
 そう言うと、蒼は静かに目を閉じて胸の前で手を合わせた。海外のお墓参り事情はよく分からないが、挨拶の仕方が日本流だ。これはエグレシア王国の文化なのか蒼の母親の影響なのか。
 聖奈と理玖も蒼と同じように挨拶をした。

 冬ということもあり冷たい風が吹いているが、それさえも気持ち良く感じるくらい居心地が良い。
「いい場所だね、ここ」
 理玖は丘から見える小さな街並みを眺めながら呟いた。
「モリス叔父さんがこの場所を選んでくれたらしいんだ。2人が好きだった場所だから」
 蒼の優しい声。モリス・メリアッシュ公爵に対して複雑な思いを抱いていた聖奈と理玖だったが、根は悪い人ではないのかもしれない。

 しばらくしてパラパラと雪が降り始めた。
「そろそろ戻ろう」
 蒼の声に聖奈と理玖は静かに頷き、邸宅の方へと向かって歩き始めた。
 数歩進んだところで、理玖がふと立ち止まり、振り返る。
「どうしたの?」
 理玖の異変に気付いた聖奈も足を止めた。
「なんかさ、この場所見たことあるなって思ったんだけど、あれだ。学校のアーケードに飾られている悠聖先生の絵だ」
 理玖は丘の方をじっと見つめている。
「理玖もそう思う?」
 蒼の声は落ち着いている。
「でも、あの絵は悠聖先生が在学中に描いたものらしいんだよね。これ、悠聖先生七不思議の一つ」
「悠聖先生七不思議って……他にもあるんかよ」
 理玖は冷静にツッコミをいれた。
「うーん。無いわけではない気がするけど。特に数えてないや」
 蒼は無邪気な笑顔を見せた。
「なんだそれ」
 理玖もつられて笑った。
 
 帰り際、聖奈はもう一度丘の方を見る。
「あの絵に描かれていた2人の影。あれは、私とお父さん、なんだね」
 聖奈は心の中で天国にいるお父さんに話しかけた。

◆◆◆◆◆

 玄関から見える大きな階段。天井から吊るされている煌びやかなシャンデリア。さすが貴族。まるで中世ヨーロッパの世界に迷い込んだかのような広々とした豪邸だ。
 ただ、ところどころ埃っぽい。おそらく現在使用人は入れていないのだろう。3年半前のまま眠り続けている場所もありそうだ。

 蒼に案内され2階奥の一室へと足を踏み入れる。
「ここが……蒼の部屋?」
 理玖はぐるりと部屋を見渡しながら聞いた。
「うーん。もともとは父さんの部屋だったんだけど、今はここで生活してるって感じ」
「なるほど」
 蒼の言葉に理玖は納得したみたいだ。
 蒼に案内された部屋には、日本の敷布団のような簡易的なベッドと、高級そうなアンティークっぽい仕事用机と……統一感のない家具が並んでいる。
「この辺に座ってよ」
 蒼は部屋中央にある広いスペースに腰をおろした。聖奈と理玖もつられるようにゆっくり座る。
「さて、早速良いニュース! コールグリンパ症の薬については近いうちになんとかできそうだよ!」
 蒼は理玖に満面の笑みを見せた。
「本当にありがとう」
 理玖は目に薄ら涙を溜めながら笑った。
「弟さんの病気が良くなること、僕も祈ってる!」
 蒼は嬉しそうだ。それに応えるように理玖は微笑みながら頷いた。
 理玖と蒼を、聖奈はあたたかい気持ちで見ていた。なんだか物語のエンディングを見ているような、そんな気持ちになる。
 すると突然、蒼はゆっくりと顔を上げた。
「僕の命は悠聖先生に助けられたものだからさ、天国で少しでも『助けて良かった』って思ってもらえてたらいいなって……」
 蒼にはいろんな葛藤があったのかもしれない。本音が溢れた瞬間だった。
「思ってるよ、絶対」
 聖奈は優しく微笑んだ。
 なぜか聖奈の言葉には説得力がある。蒼は涙が出そうになったのをなんとか堪えた。
「さてと、あとはエグレシア王国民のために頑張るぞー!」
 蒼は胸の前で両手で拳をつくった。
「そういえば宗馬さんから聞いたんだけど、公爵位を取り戻そうとしてるって」
 理玖は蒼を心配そうに見つめた。
「うん、今の僕の状況だと、公爵位がないと政治に参加できないから」
 蒼は心配かけまいと笑ってみせた。
「そもそも蒼が継承権第一位だったわけでしょ?」
 理玖は疑問を口にする。
「そのはずなんだけどね。継承権が記されているはずの権利書が見つからなくて証明ができないんだ。それがあれば一発なんだけどなぁ、苦戦中」
 困っているはずの蒼だったが、表情や声色は明るいままだった。相変わらず本音を隠すのが上手い。
「もしかして、その権利書ってやつ、モリス公爵が破棄しちゃった……とか?」
 エグレシア王国の政治はよく分からないが、理玖は自分の頭をフル回転させた結果、この結論に辿り着いたらしい。
「その可能性も0ではないんだけど……。モリス叔父さん、公爵位を授かるにあたって権利書を使ってなかったらしいんだよね。なんか、『公爵位継承権に関する権利書』と『鉱物に関する権利書』の2つだけが、どういうわけか見つからなかったみたいで」
 蒼が淡々と説明をはじめた。
「まあ、そのせいというかそのおかげというか、父さんが死んでから3年間、モリス叔父さんは準公爵って扱いになっちゃって。政治するにもいくつか制限があったみたいなんだけど」
 蒼の説明を聞いた聖奈は海外研修のときのことを思い出した。
「それ、聞いたことある。『鉱物に関する権利書』?ってのが見つからなかったおかげで、シュルカナイトの医療活用研究が長く続けられたって。もしその権利書が見つかっていたら、もっと早い段階で中止させられていただろうって」
「うん、そういうこと。つまり、僕たちは権利書が見つからないことに救われていたわけだけど……。今は見つかってほしいという……ね」
 蒼は複雑そうに苦笑いをした。
「モリス叔父さんも、正式に公爵位を授かるまでの3年間、何度かこのメリアッシュ邸に足を運んでたみたいなんだよね……」
 蒼はそのまま仰向けにドサっと倒れ込んだ。
「権利書、探してたんだろうなぁ」
 蒼にとって辛い思い出があるはずのメリアッシュ邸。聖奈と理玖は蒼がなぜここで生活しているのかを理解した。
「まあ、他の方法も模索中だからさ! そんな顔しないで!」
 重い空気になったのを察した蒼は、勢いよく起き上がって笑ってみせた。