メリアッシュ惨殺事件に関する調査をはじめてからもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。が、これと言って進展はない。
「シュルカナイトの使用法……やっぱり国として儲けるために変えたんだろうね……」
蒼が静かに口にした。政治としてはそれも1つの正しい選択肢なのかもしれない。しかし、シュルカナイトの医療活用は蒼の父が大切にしていたものだからこそ、蒼には寂しさがあった。
「実はさ、俺の父さんの会社、モリス・メリアッシュ公爵にお願いしに行ったらしいんだよね。シュルカナイトを他国同様以上の値段で購入するから売って欲しいって。でも、話すら聞いてもらえず門前払いだったらしくて」
理玖は感情が崩れないように敢えて淡々と話した。
「……」
聖奈は心配そうな顔で理玖を見る。
「忙しい公爵は庶民の声なんて聞く余裕ないってさ」
理玖は冗談っぽく笑ってみせたが、どことなく怒りが滲み出ていた。
まだ午前中だというのに空気が重い。
「……。よし! ここんところ行き詰まってるからさ、たまには外の空気吸いに行かない?」
しばらく考え込んでいた蒼が、突然明るい声を出した。
「ほら、ちょうど今、国立医科大学の学祭やってるでしょ?」
蒼はニッコリと笑った。この国立医科大学と言うのは聖奈と理玖の志望大学だ。
「いや、でも……」
理玖が断ろうとしたところで、蒼が手の平を前に突き出し「STOP」の意を示した。
「はい、家主命令! 2人共退散! ……そうだなぁ。15:00まで僕の家の敷居は跨がせません!」
そう言って蒼は強引に聖奈と理玖を家から追い出した。
「え? 蒼は行かないの?」
外に出ることを提案したにも関わらず家を出ようとしない蒼に聖奈が尋ねた。
「僕は医学部志望じゃないんでね」
蒼はウインクをしながら扉を閉めた。ここでたとえば「訳アリの身だから人混みを避けている」なんて言えば聖奈と理玖は戻ってきてしまう。蒼はピエロを演じた。
聖奈と理玖は顔を見合わせてお互いにはにかんだ。
「仕方ない、行きますか。」
理玖の言葉に、聖奈も「仕方ない」と笑いながら頷いた。
◆◆◆◆◆
「桜山祭」と書かれた大きな看板から続く道を聖奈と理玖は2人で歩いている。この「桜山」というのは大学のメインキャンパスがある「桜山台」の地名から来ているのだろう。
偏差値が上がるあがり(緑茶)の店、映える光るタピオカ屋、目指せマイナス10kg豆腐専門店。大学生らしさ全開のさまざまな屋台が並んでいる。
ところで聖奈は、あまりお店の看板が目に入っていなかった。「理玖と2人で学祭……誰かに見られたら噂になるのでは?」という危機感を持ちはじめていたからだ。「2人とも本当に志望している大学だし。『偶然会った』と言えば誤魔化せるか?」なんて言い訳を考えている。
「なんか食べる?」
聖奈は声の方をハッと見た。理玖とバチっと目が合う。
「どうしたよ」
少し挙動不審な動きになってしまった聖奈を見て理玖は笑った。
「ごめん、すっごくぼーっとしてた」
聖奈も理玖に応えるように笑った。そして、少し前の理玖の質問に遅れて返事をした。
「うん! せっかくだし、なんか食べよ!」
「じゃあ……。あれにする?」
理玖は真っ赤な看板を指す。「闘志がメラメラメラール」と書かれている。
「いいね、ネーミングセンスさいっこう!……蒼のためにも闘志燃やしに行きますか!」
聖奈はクスッと笑ってお店の方へと向かった。
トロトロに煮込まれたお肉の香りが漂ってくる。
「いらっしゃい」
お店に近付いてくる聖奈と理玖に気付いた丸メガネの男性が、鍋を煮込みながらやさしく声をかけてきた。
「メラールとパンのセット、1つください」
聖奈は手に持っていた財布のファスナーを開けた。
「を、もう1つ」
理玖が軽く挙手をしながら注文した。
「今ちょうど煮込んでるところで。5分くらい待つことになるけど大丈夫かな?」
丸メガネの男性の言葉に、聖奈と理玖は顔を見合わせてコクリと頷く。
「大丈夫です。」
理玖は丸メガネの男性を見ながら答えた。
「じゃあ、先にお会計だけ。1セット500円、合計1000円お願いしまーす!」
長い髪を後ろで束ねた個性的な髪型の男性は、聖奈と理玖の前に青いトレーを差し出した。2人はそれぞれ500円玉を置く。
「はい、ちょうどいただきまーす!」
長髪の男性は明るく対応した。
「ところで、2人は受験生?」
メラールができるまでの時間を埋めようと長髪の男性が話しかけてくれた。
「高1です」
理玖が答える。
「高1かー。若ーい!」
長髪の男性が目をキラキラさせている。
「2人はウチの大学志望なの?」
丸メガネの男性も話に加わってきた。
「はい」
聖奈は頷きながら答える。その隣で理玖も頷いた。
「そっかー。頑張って!」
長髪の男性がやさしく微笑んだ。
「ありがとうございます」
理玖のお礼に合わせるように、聖奈も軽くお辞儀をした。
「じゃあ、そんなお2人に、お兄さんからプレゼントだ!」
そう言って長髪の男性は店の奥から袋に入った焼き菓子のようなものを持ってきた。
「焼いたときにヒビが入っちゃって提供できないやつだから。遠慮なくもらって」
長髪の男性は聖奈と理玖にそれぞれ袋を渡した。
「ありがとうございます」
聖奈は袋の中から焼き菓子を少しだけ出して齧る。
「うん! 美味しい! これ、フェリシュカだ!」
聖奈は幸せそうな顔を見せた。
「お、フェリシュカ知ってるんだ?」
丸メガネの男性が聖奈の方を見た。
「エグレシア王国のお菓子ですよね?」
聖奈は丸メガネの男性を見た。
「そうそう! もしかして、エグレシア王国行ったことあるの?」
長髪の男性が目を輝かせながら聖奈の方を見ている。
「はい、夏に学校の海外研修で」
長髪の男性とは対照的に、聖奈は落ち着いた声で答えた。
「……もしかして星ノ谷生!?」
長髪の男性のテンションが急にグイーンと上がる。
「あ、はい」
聖奈は長髪の男性の急なハイテンションに少し驚きながら答えた。
「実は僕OBなんだよ! そっかー! 後輩かー!」
長髪の男性は嬉しそうな顔をしている。
「テンション高くてごめんね。この人、その海外研修きっかけで医者を目指したらしくてさ」
丸メガネの男性がフォローを入れた。
「じゃあさ、じゃあさ! こども科学センター行った?」
長髪の男性は聖奈と理玖を交互に見た。
「いえ……」
理玖が少し申し訳なさそうに答えた。
「あれ? 僕んときは全員参加イベントだったんだけどなぁ。変わったのかー! ジェネレーションギャップ!」
長髪の男性はハイテンションのまま悔しそうなそぶりを見せた。
「子ども向けの施設なんだけど、実生活の不思議を楽しく教えてくれる場所なんだ。」
丸メガネの男性も行ったことがあるのだろうか。メラールの鍋をかき混ぜながら説明してくれた。
「子ども向けの講義イベントなんかもあるんだ! ごはんがどうやって身体の一部になるのか、とか、骨折した骨がどうやってくっつくか、とか、薬がどうやって病気を治すのか、とかね!」
長髪の男性はまるで少年のように嬉しそうに話す。
「それで、僕たちは『子どもが学べる小児科』をつくるのが夢なんだよね」
丸メガネの男性は長髪の男性とは対照的に落ち着いた声で教えてくれた。
「すごく、ステキな話だと思います。」
聖奈は心からそう思った。
「良かったらさ、E-205って部屋で僕たちの活動報告が見れるから。時間あったら寄ってってよ」
長髪の男性は、聖奈の言葉がお世辞ではないことを感じ取ったのだろう。少し照れながら微笑んだ。
「ぜひ!」
聖奈は頷いた。
「よし、完成」
ちょうどメラールとパンのセットの準備ができたらしい。
「はい、おまたせ」
丸メガネの男性が、トレーを2つ持ち上げた。それぞれのトレーには、白い深皿にたっぷり盛り付けられているメラールと、白い平皿に並べられたパンのスライスが乗せられている。
「ありがとうございます」
聖奈と理玖はトレーを受け取った。
◆◆◆◆◆
聖奈と理玖は先ほど「闘志がメラメラメラール」で教えてもらった活動報告を見に、E-205の部屋を訪れた。
「失礼します……」
教室の壁に沿うように論文や研究資料がズラリと並んでいる。中にはスタッフと思しき学生が1名いるのみ。厳かな空間だ。お祭り目当ての一般人向けというよりは医療従事者向けのエリアなのだろう。
聖奈と理玖は静かに教室を見渡した。そして入り口から対角線上の位置に置かれている研究資料の方へと迷わず向かう。その一角だけ、まるで小学校の保健室になっている。ファイリングされた資料の近くの壁には、実際に活動で使ったであろう子ども向けの模造紙が貼られていた。
「これだね。」
研究資料の前まで来た理玖は聖奈の方を向いて小声で話した。聖奈は静かに頷き、研究資料をペラペラとめくりはじめた。
研究資料には実際に小学校や小児科で行ったミニ講義の内容が写真と共に分かりやすく記載されている。
聖奈はまた1枚ページをめくった。そこにはエグレシア王立子ども科学センターの写真が添付されている。
「……ここ」
聖奈の唇が、ほとんど声にならない言葉を形づくった。また記憶の断片のようなものがフッと込み上げてきたのだ。聖奈は昔、ここでとある人物の講義を受けた気がする。なんか薬関連だった気はするけど詳しくは思い出せない。ただ、「その講義が好きだった」というワクワク感だけは心に刻まれていた。
聖奈はさらに1枚ページをめくった。星ノ谷の制服を着た学生たちの写真が添付されている。「闘志がメラメラメラール」のお店にいた長髪の男性が、高校生の頃のものだろう。エグレシア王立子ども科学センターの前で撮影されたみたいだ。昔と全く変わらない引率の柳川先生と、そして40歳前後と思われる白衣の男性も一緒に写っている。
すると、突然、聖奈の手が震え始めた。
「……。……ハッ。……ハッ」
思うように呼吸ができない。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
「聖奈?」
異変に気付いた理玖は聖奈の両肩を手で支えながら座らせる。
「聖奈、息吐いて!」
理玖はどうして良いか分からず聖奈の背中を撫でた。
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
すると、教室にいたスタッフの学生が聖奈の方へと走ってきた。
「落ち着いて。大丈夫ですからね。吸って、吐いてー吐いてー、吸って、吐いてー吐いてー」
スタッフの学生の声に合わせて、聖奈はゆっくり呼吸をした。少しずつ聖奈の呼吸は正常に戻っていく。
「そのまま呼吸しててね。」
スタッフの学生は走って教室を出ていったかと思いきや、10秒も経たないうちに戻ってきた。手にはパイプ椅子と「国立医科大学」と書かれたペットボトルの水を持っている。
「良かったら座って少し休んで。あと水も。大学の無料のやつだから気にしないで!」
「ありがとうございます」
聖奈は椅子に腰をおろした。心臓がバクバクと音を立てている。
「大丈夫?」
理玖は聖奈の顔を覗き込むように椅子の前でしゃがんだ。
「うん、ごめん」
聖奈は少し弱った顔のまま微笑んだ。
「……もう少しだけ資料見ていい?」
聖奈はファイルに手を伸ばす。
「はい……」
理玖は机の上からファイルを取り、心配そうな顔をしながら聖奈に渡した。聖奈はもう一度エグレシア王立子ども科学センターに関して書かれているページを、正確には写真を眺めた。
「ここに写ってるの、多分、鈴木悠聖先生だ」
聖奈が開いているページを一緒に見ていた理玖が、呟きのような小さい声を出した。
「そうだったんだね……」
聖奈はこらえられなくなった涙をポタポタと落とした。今まで断片的にしか見えなかった記憶が、一本に繋がった。
◆◆◆◆◆
15:10。聖奈と理玖は蒼の待つ家に向かって歩いている。
資料を見て過呼吸を起こしたり泣き出したり……。落ち着いたかと思えば考え込んでしまった聖奈を、理玖は何も言わずにただただ見守った。
「ねぇ、理玖。前にさ、シュルカナイトが武器の材料に使われてる可能性ないかって言ってたよね」
マンションの敷地内に入ったところで、久しぶりに聖奈が口を開いた。
「うん……」
「……」
聖奈は再び黙り込んでしまった。
聖奈と理玖を出迎えるために蒼は玄関の扉を開いた。
「おかえりなさい」
爽やかな蒼とは対照的に聖奈は真顔のままである。
「ただいま」
聖奈は蒼を見た瞬間、目頭が熱くなるのを感じた。そして、その顔をあまり見られたくなかった聖奈は、靴を脱ぐや否や、スタスタとリビングの方へと消えていった。
「ただいま」
理玖も靴を脱いだ。
「何かあったの?」
蒼は心配そうに聞く。
「分からない。エグレシア王立子ども科学センターってところの資料を見てたんだけど、急に聖奈が過呼吸になっちゃって……」
理玖は端的に説明しながらリビングへと向かった。
リビングに入ったところで、理玖はキッチンに立っている宗馬さんに気付く。
「あ、どうも。お邪魔しています」
聖奈はすでに資料棚の前にしゃがみ込んで、ファイルを開き、真剣に考え込んでいる。聖奈が見ているのは、各国の戦争における被害状況についてまとめてあるページだ。
「どうかした?」
理玖が聖奈に近寄った。
「やっぱり違うみたい……」
聖奈は呟いた。
「違ってもいいからさ、聞きたいな」
宗馬さんの声に聖奈は我に返ったようにハッとしながら振り向いた。
「あ、すみません、お邪魔してます!」
聖奈は慌ててお辞儀をした。
「ども」
宗馬さんはやさしく微笑んだ。
「……あの。シュルカナイトって、薬になるなら毒にもなり得るんじゃないかなって思ったんです。『薬と毒は紙一重』だって、そんな話を聞いたことがあって。それで、シュルカナイトは毒として戦争に使われているんじゃないかなって思ったんですけど……ごめんなさい。私も頭の中がぐちゃぐちゃしているというか。何が言いたいんだろう」
聖奈自身、自分が何を言いたいのか分からなくなっていた。「薬と毒が紙一重」という話を聞いたのは本当である。エグレシア王立子ども科学センターの講義で鈴木悠聖先生が話してくれたことだ。でも「それがどうした?」という気もする。これ以上は聖奈自身「勘」としか言いようがない。
「なるほど。調べてみるか」
宗馬さんの表情が、すっと真剣なものに変わった。
「え、いや、でも、なんというか、勘でしかなくて……」
聖奈は申し訳なさそうに言った。
「君の直感は侮れないからなぁ」
宗馬さんは資料の置いてあるスペースの方へと歩いてきた。
「……さて、まずはシュルカナイトの成分が人間にとって毒になり得るかってのを調べたいんだけど。問題は、コウモリが理系に弱いってところなんだよなぁ」
宗馬さんは考え込んだ。
「理事長の力を借りて、星ノ谷高校に協力依頼する……?」
蒼がアイディアを出す。
「いや、……うーん」
宗馬さんの眉間に皺が寄った。あまり関係者を増やしたくないのだろう。2人は黙り込んでしまった。
「……あの。もしかしたら僕の父の会社ならそういうことを調べられる可能性あるかもしれないなと」
重々しい空気の中、理玖は少し自信なさげに声をあげた。宗馬さんは大きく目を見開いて理玖を見る。
「……なるほど、逆にありか?」
宗馬さんは真剣な表情のまま呟いた。
「シュルカナイトの使用法……やっぱり国として儲けるために変えたんだろうね……」
蒼が静かに口にした。政治としてはそれも1つの正しい選択肢なのかもしれない。しかし、シュルカナイトの医療活用は蒼の父が大切にしていたものだからこそ、蒼には寂しさがあった。
「実はさ、俺の父さんの会社、モリス・メリアッシュ公爵にお願いしに行ったらしいんだよね。シュルカナイトを他国同様以上の値段で購入するから売って欲しいって。でも、話すら聞いてもらえず門前払いだったらしくて」
理玖は感情が崩れないように敢えて淡々と話した。
「……」
聖奈は心配そうな顔で理玖を見る。
「忙しい公爵は庶民の声なんて聞く余裕ないってさ」
理玖は冗談っぽく笑ってみせたが、どことなく怒りが滲み出ていた。
まだ午前中だというのに空気が重い。
「……。よし! ここんところ行き詰まってるからさ、たまには外の空気吸いに行かない?」
しばらく考え込んでいた蒼が、突然明るい声を出した。
「ほら、ちょうど今、国立医科大学の学祭やってるでしょ?」
蒼はニッコリと笑った。この国立医科大学と言うのは聖奈と理玖の志望大学だ。
「いや、でも……」
理玖が断ろうとしたところで、蒼が手の平を前に突き出し「STOP」の意を示した。
「はい、家主命令! 2人共退散! ……そうだなぁ。15:00まで僕の家の敷居は跨がせません!」
そう言って蒼は強引に聖奈と理玖を家から追い出した。
「え? 蒼は行かないの?」
外に出ることを提案したにも関わらず家を出ようとしない蒼に聖奈が尋ねた。
「僕は医学部志望じゃないんでね」
蒼はウインクをしながら扉を閉めた。ここでたとえば「訳アリの身だから人混みを避けている」なんて言えば聖奈と理玖は戻ってきてしまう。蒼はピエロを演じた。
聖奈と理玖は顔を見合わせてお互いにはにかんだ。
「仕方ない、行きますか。」
理玖の言葉に、聖奈も「仕方ない」と笑いながら頷いた。
◆◆◆◆◆
「桜山祭」と書かれた大きな看板から続く道を聖奈と理玖は2人で歩いている。この「桜山」というのは大学のメインキャンパスがある「桜山台」の地名から来ているのだろう。
偏差値が上がるあがり(緑茶)の店、映える光るタピオカ屋、目指せマイナス10kg豆腐専門店。大学生らしさ全開のさまざまな屋台が並んでいる。
ところで聖奈は、あまりお店の看板が目に入っていなかった。「理玖と2人で学祭……誰かに見られたら噂になるのでは?」という危機感を持ちはじめていたからだ。「2人とも本当に志望している大学だし。『偶然会った』と言えば誤魔化せるか?」なんて言い訳を考えている。
「なんか食べる?」
聖奈は声の方をハッと見た。理玖とバチっと目が合う。
「どうしたよ」
少し挙動不審な動きになってしまった聖奈を見て理玖は笑った。
「ごめん、すっごくぼーっとしてた」
聖奈も理玖に応えるように笑った。そして、少し前の理玖の質問に遅れて返事をした。
「うん! せっかくだし、なんか食べよ!」
「じゃあ……。あれにする?」
理玖は真っ赤な看板を指す。「闘志がメラメラメラール」と書かれている。
「いいね、ネーミングセンスさいっこう!……蒼のためにも闘志燃やしに行きますか!」
聖奈はクスッと笑ってお店の方へと向かった。
トロトロに煮込まれたお肉の香りが漂ってくる。
「いらっしゃい」
お店に近付いてくる聖奈と理玖に気付いた丸メガネの男性が、鍋を煮込みながらやさしく声をかけてきた。
「メラールとパンのセット、1つください」
聖奈は手に持っていた財布のファスナーを開けた。
「を、もう1つ」
理玖が軽く挙手をしながら注文した。
「今ちょうど煮込んでるところで。5分くらい待つことになるけど大丈夫かな?」
丸メガネの男性の言葉に、聖奈と理玖は顔を見合わせてコクリと頷く。
「大丈夫です。」
理玖は丸メガネの男性を見ながら答えた。
「じゃあ、先にお会計だけ。1セット500円、合計1000円お願いしまーす!」
長い髪を後ろで束ねた個性的な髪型の男性は、聖奈と理玖の前に青いトレーを差し出した。2人はそれぞれ500円玉を置く。
「はい、ちょうどいただきまーす!」
長髪の男性は明るく対応した。
「ところで、2人は受験生?」
メラールができるまでの時間を埋めようと長髪の男性が話しかけてくれた。
「高1です」
理玖が答える。
「高1かー。若ーい!」
長髪の男性が目をキラキラさせている。
「2人はウチの大学志望なの?」
丸メガネの男性も話に加わってきた。
「はい」
聖奈は頷きながら答える。その隣で理玖も頷いた。
「そっかー。頑張って!」
長髪の男性がやさしく微笑んだ。
「ありがとうございます」
理玖のお礼に合わせるように、聖奈も軽くお辞儀をした。
「じゃあ、そんなお2人に、お兄さんからプレゼントだ!」
そう言って長髪の男性は店の奥から袋に入った焼き菓子のようなものを持ってきた。
「焼いたときにヒビが入っちゃって提供できないやつだから。遠慮なくもらって」
長髪の男性は聖奈と理玖にそれぞれ袋を渡した。
「ありがとうございます」
聖奈は袋の中から焼き菓子を少しだけ出して齧る。
「うん! 美味しい! これ、フェリシュカだ!」
聖奈は幸せそうな顔を見せた。
「お、フェリシュカ知ってるんだ?」
丸メガネの男性が聖奈の方を見た。
「エグレシア王国のお菓子ですよね?」
聖奈は丸メガネの男性を見た。
「そうそう! もしかして、エグレシア王国行ったことあるの?」
長髪の男性が目を輝かせながら聖奈の方を見ている。
「はい、夏に学校の海外研修で」
長髪の男性とは対照的に、聖奈は落ち着いた声で答えた。
「……もしかして星ノ谷生!?」
長髪の男性のテンションが急にグイーンと上がる。
「あ、はい」
聖奈は長髪の男性の急なハイテンションに少し驚きながら答えた。
「実は僕OBなんだよ! そっかー! 後輩かー!」
長髪の男性は嬉しそうな顔をしている。
「テンション高くてごめんね。この人、その海外研修きっかけで医者を目指したらしくてさ」
丸メガネの男性がフォローを入れた。
「じゃあさ、じゃあさ! こども科学センター行った?」
長髪の男性は聖奈と理玖を交互に見た。
「いえ……」
理玖が少し申し訳なさそうに答えた。
「あれ? 僕んときは全員参加イベントだったんだけどなぁ。変わったのかー! ジェネレーションギャップ!」
長髪の男性はハイテンションのまま悔しそうなそぶりを見せた。
「子ども向けの施設なんだけど、実生活の不思議を楽しく教えてくれる場所なんだ。」
丸メガネの男性も行ったことがあるのだろうか。メラールの鍋をかき混ぜながら説明してくれた。
「子ども向けの講義イベントなんかもあるんだ! ごはんがどうやって身体の一部になるのか、とか、骨折した骨がどうやってくっつくか、とか、薬がどうやって病気を治すのか、とかね!」
長髪の男性はまるで少年のように嬉しそうに話す。
「それで、僕たちは『子どもが学べる小児科』をつくるのが夢なんだよね」
丸メガネの男性は長髪の男性とは対照的に落ち着いた声で教えてくれた。
「すごく、ステキな話だと思います。」
聖奈は心からそう思った。
「良かったらさ、E-205って部屋で僕たちの活動報告が見れるから。時間あったら寄ってってよ」
長髪の男性は、聖奈の言葉がお世辞ではないことを感じ取ったのだろう。少し照れながら微笑んだ。
「ぜひ!」
聖奈は頷いた。
「よし、完成」
ちょうどメラールとパンのセットの準備ができたらしい。
「はい、おまたせ」
丸メガネの男性が、トレーを2つ持ち上げた。それぞれのトレーには、白い深皿にたっぷり盛り付けられているメラールと、白い平皿に並べられたパンのスライスが乗せられている。
「ありがとうございます」
聖奈と理玖はトレーを受け取った。
◆◆◆◆◆
聖奈と理玖は先ほど「闘志がメラメラメラール」で教えてもらった活動報告を見に、E-205の部屋を訪れた。
「失礼します……」
教室の壁に沿うように論文や研究資料がズラリと並んでいる。中にはスタッフと思しき学生が1名いるのみ。厳かな空間だ。お祭り目当ての一般人向けというよりは医療従事者向けのエリアなのだろう。
聖奈と理玖は静かに教室を見渡した。そして入り口から対角線上の位置に置かれている研究資料の方へと迷わず向かう。その一角だけ、まるで小学校の保健室になっている。ファイリングされた資料の近くの壁には、実際に活動で使ったであろう子ども向けの模造紙が貼られていた。
「これだね。」
研究資料の前まで来た理玖は聖奈の方を向いて小声で話した。聖奈は静かに頷き、研究資料をペラペラとめくりはじめた。
研究資料には実際に小学校や小児科で行ったミニ講義の内容が写真と共に分かりやすく記載されている。
聖奈はまた1枚ページをめくった。そこにはエグレシア王立子ども科学センターの写真が添付されている。
「……ここ」
聖奈の唇が、ほとんど声にならない言葉を形づくった。また記憶の断片のようなものがフッと込み上げてきたのだ。聖奈は昔、ここでとある人物の講義を受けた気がする。なんか薬関連だった気はするけど詳しくは思い出せない。ただ、「その講義が好きだった」というワクワク感だけは心に刻まれていた。
聖奈はさらに1枚ページをめくった。星ノ谷の制服を着た学生たちの写真が添付されている。「闘志がメラメラメラール」のお店にいた長髪の男性が、高校生の頃のものだろう。エグレシア王立子ども科学センターの前で撮影されたみたいだ。昔と全く変わらない引率の柳川先生と、そして40歳前後と思われる白衣の男性も一緒に写っている。
すると、突然、聖奈の手が震え始めた。
「……。……ハッ。……ハッ」
思うように呼吸ができない。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
「聖奈?」
異変に気付いた理玖は聖奈の両肩を手で支えながら座らせる。
「聖奈、息吐いて!」
理玖はどうして良いか分からず聖奈の背中を撫でた。
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
すると、教室にいたスタッフの学生が聖奈の方へと走ってきた。
「落ち着いて。大丈夫ですからね。吸って、吐いてー吐いてー、吸って、吐いてー吐いてー」
スタッフの学生の声に合わせて、聖奈はゆっくり呼吸をした。少しずつ聖奈の呼吸は正常に戻っていく。
「そのまま呼吸しててね。」
スタッフの学生は走って教室を出ていったかと思いきや、10秒も経たないうちに戻ってきた。手にはパイプ椅子と「国立医科大学」と書かれたペットボトルの水を持っている。
「良かったら座って少し休んで。あと水も。大学の無料のやつだから気にしないで!」
「ありがとうございます」
聖奈は椅子に腰をおろした。心臓がバクバクと音を立てている。
「大丈夫?」
理玖は聖奈の顔を覗き込むように椅子の前でしゃがんだ。
「うん、ごめん」
聖奈は少し弱った顔のまま微笑んだ。
「……もう少しだけ資料見ていい?」
聖奈はファイルに手を伸ばす。
「はい……」
理玖は机の上からファイルを取り、心配そうな顔をしながら聖奈に渡した。聖奈はもう一度エグレシア王立子ども科学センターに関して書かれているページを、正確には写真を眺めた。
「ここに写ってるの、多分、鈴木悠聖先生だ」
聖奈が開いているページを一緒に見ていた理玖が、呟きのような小さい声を出した。
「そうだったんだね……」
聖奈はこらえられなくなった涙をポタポタと落とした。今まで断片的にしか見えなかった記憶が、一本に繋がった。
◆◆◆◆◆
15:10。聖奈と理玖は蒼の待つ家に向かって歩いている。
資料を見て過呼吸を起こしたり泣き出したり……。落ち着いたかと思えば考え込んでしまった聖奈を、理玖は何も言わずにただただ見守った。
「ねぇ、理玖。前にさ、シュルカナイトが武器の材料に使われてる可能性ないかって言ってたよね」
マンションの敷地内に入ったところで、久しぶりに聖奈が口を開いた。
「うん……」
「……」
聖奈は再び黙り込んでしまった。
聖奈と理玖を出迎えるために蒼は玄関の扉を開いた。
「おかえりなさい」
爽やかな蒼とは対照的に聖奈は真顔のままである。
「ただいま」
聖奈は蒼を見た瞬間、目頭が熱くなるのを感じた。そして、その顔をあまり見られたくなかった聖奈は、靴を脱ぐや否や、スタスタとリビングの方へと消えていった。
「ただいま」
理玖も靴を脱いだ。
「何かあったの?」
蒼は心配そうに聞く。
「分からない。エグレシア王立子ども科学センターってところの資料を見てたんだけど、急に聖奈が過呼吸になっちゃって……」
理玖は端的に説明しながらリビングへと向かった。
リビングに入ったところで、理玖はキッチンに立っている宗馬さんに気付く。
「あ、どうも。お邪魔しています」
聖奈はすでに資料棚の前にしゃがみ込んで、ファイルを開き、真剣に考え込んでいる。聖奈が見ているのは、各国の戦争における被害状況についてまとめてあるページだ。
「どうかした?」
理玖が聖奈に近寄った。
「やっぱり違うみたい……」
聖奈は呟いた。
「違ってもいいからさ、聞きたいな」
宗馬さんの声に聖奈は我に返ったようにハッとしながら振り向いた。
「あ、すみません、お邪魔してます!」
聖奈は慌ててお辞儀をした。
「ども」
宗馬さんはやさしく微笑んだ。
「……あの。シュルカナイトって、薬になるなら毒にもなり得るんじゃないかなって思ったんです。『薬と毒は紙一重』だって、そんな話を聞いたことがあって。それで、シュルカナイトは毒として戦争に使われているんじゃないかなって思ったんですけど……ごめんなさい。私も頭の中がぐちゃぐちゃしているというか。何が言いたいんだろう」
聖奈自身、自分が何を言いたいのか分からなくなっていた。「薬と毒が紙一重」という話を聞いたのは本当である。エグレシア王立子ども科学センターの講義で鈴木悠聖先生が話してくれたことだ。でも「それがどうした?」という気もする。これ以上は聖奈自身「勘」としか言いようがない。
「なるほど。調べてみるか」
宗馬さんの表情が、すっと真剣なものに変わった。
「え、いや、でも、なんというか、勘でしかなくて……」
聖奈は申し訳なさそうに言った。
「君の直感は侮れないからなぁ」
宗馬さんは資料の置いてあるスペースの方へと歩いてきた。
「……さて、まずはシュルカナイトの成分が人間にとって毒になり得るかってのを調べたいんだけど。問題は、コウモリが理系に弱いってところなんだよなぁ」
宗馬さんは考え込んだ。
「理事長の力を借りて、星ノ谷高校に協力依頼する……?」
蒼がアイディアを出す。
「いや、……うーん」
宗馬さんの眉間に皺が寄った。あまり関係者を増やしたくないのだろう。2人は黙り込んでしまった。
「……あの。もしかしたら僕の父の会社ならそういうことを調べられる可能性あるかもしれないなと」
重々しい空気の中、理玖は少し自信なさげに声をあげた。宗馬さんは大きく目を見開いて理玖を見る。
「……なるほど、逆にありか?」
宗馬さんは真剣な表情のまま呟いた。
