僕の願いを君にたくして

 教室の窓から朝日と一緒に心地良い春風がフワッと流れてきた。聖奈は窓際の席でウトウトしながら「例文で覚える!古文単語300」と書かれた参考書を開く。
 さすがは進学校。入学してまだ2週間しか経っていないというのに、今日は……いや、ほぼ毎日小テストやら宿題提出やらのオンパレードだ。
 前の席の茜は、聖奈の机を占領し、必死に数学の宿題を写している。「進学校の生徒は全員宿題をきっちり終わらせてくるんだろうなぁ」と最初は思っていた聖奈だったが、もうこの光景に違和感を覚えなくなっていた。

「おはよ。また写してるの?」
 今しがた登校してきた加奈子が、鞄を肩にかけたままイタズラっぽく茜のノートを覗き込んだ。
「宣誓! この星ノ谷高校に入学して2週間! 私は私大受験に絞ることをここに誓います!」
 茜は身体をガバッと起こして左手を挙げながら無表情で誓った。確かに文系私大であれば受験科目に数学を選択しなくて良いことがほとんどである。
「だそうなので。今日も茜を甘やかしてます」
 聖奈は加奈子の方を見ると、わざとらしく呆れた表情をつくった。

 明るい茶髪で見た目派手、しかしギャルっぽいというよりお調子者という表現の方がしっくりくる大島茜。大人っぽくてクールな雰囲気を纏っている、どこかミステリアスな佐久間加奈子。今まであまり関わったことのないタイプである2人と、まさかこんなに仲良くなるなんて。聖奈は自分でもびっくりしていた。

 男女混合の出席番号で、たまたま前後左右の席になったというだけの理由で話すようになった3人だが、お互い気兼ねなく冗談を言い合える。「この席当たりだな」と思っているのは聖奈だけではなかった。

 加奈子も聖奈の隣の自席に着くと、「MASTER 重要単語+熟語3000」と書かれた英単語帳を開いた。3人のいる空間はまるで授業中のような静けさに包まれる。
 教室には10人ほどいるが、それぞれ一言二言発する程度で皆各々勉強している。パラッと紙がめくれる音、ペン先が立てるカツカツという音、少し離れた運動場から聞こえる部活の朝練の声。聖奈はそんな何気ない日常に青春を感じていた。

 時計の長針が頂点までのぼった。教室内の人が増え、それに伴い騒がしさが一気に増していく。
「理玖ー! 数学の宿題教えて!」
「私もー。」
「ねえねえ、蒼くん! 英語のワークで分からないところがあって……」
 特に教室の右前方。会話内容は進学校らしいものではあるが、今日も大いに賑わっている。
 聖奈はなんとなく声の多い方へと視線を向けた。と同時に、数学の宿題を写していた茜が大きく伸びをする。
「終わったー! 聖奈様神様仏様!」
「お疲れ様」
 聖奈は茜からノートを受け取ると、机の引き出しに片付けた。
「それにしても、今日も賑やかだねえ、あそこは。なんだか青春って感じで羨ましいよ」
 茜は聖奈の机に右腕で頬杖をついた。まったりとしたおばあちゃん口調で話しながら右前方を見ている。
「進学校だから、ガリ勉というか落ち着いた人が多いのかなって思ってたけど。みんな普通にキラキラした高校生って感じだよね」
 聖奈も他人事のように右前方を見つめた。
「正直茜のこと、最初はあっち側だと思ってたけどね」
 加奈子は英単語帳から目線を上げることなく会話に参入した。
「私はただのオタクなので」
 茜はアニメオタクらしい。髪色が明るいのは今ハマっているアニメのキャラクターに寄せた結果なんだとか。毎日メイクをしているのもコスプレの練習とのこと。
「あ、でも、一応中学のときは彼氏いたよ」
「へー、意外」
 加奈子もようやく英単語帳から顔を上げると、茜の方を見た。
「1年くらいね。受験期間中に自然消滅しちゃったけど」
「すごい! なんか、大人だ……」
 聖奈は少し目を大きく見開きながら声を漏らした。中学時代、とにかく勉強と部活を一生懸命頑張っていた真面目な聖奈にとって、恋愛はあまり自分ごとではなかった。
「おや、聖奈にはまだ早いお話だったかな?」
 聖奈の純粋無垢な反応に少し驚いた加奈子だったが、いつも通りの落ち着いた口調で聖奈をからかった。
「そんなことないよ! 私、恋バナ好きだし!」
 聖奈は少しだけ顔を赤らめながら否定した。
「では、ここで問題です! デデン! 1年8組の人気者、宮田理玖と藤原蒼は女子たちの間で何と呼ばれているでしょうか?」
 茜が突然出したクイズの意図が全く分かっていない聖奈は、簡単なように思えるこの問いに疑問を持ちながら答えた。
「それは普通に『理玖』と『蒼くん』でしょ…?」
 茜と加奈子はやれやれと言わんばかりの顔でお互いに視線を送った。

◆◆◆◆◆

 黒王子と白王子。本人たちが知ってか知らずか……1年8組には女子たちからそう呼ばれている2人がいる。
 入学式の新入生代表挨拶を担当した……つまりこの学校に1番の成績で入学してきた秀才、宮田理玖。黒髪にキリッとした目元が印象的な正統派イケメンで、入学早々女子たちの注目の的となっている。
 もう1人は、明るめの茶色い髪にフワフワした優しい雰囲気が印象的な藤原蒼。お爺ちゃんがクランヌ国というヨーロッパ系の人らしく、クオーターで帰国子女。日本人離れした整った顔立ちとジェントルマンな性格でじわじわと人気を集めている。
 
 体育後の女子更衣室。この日の1年8組女子たちは「黒王子派か白王子派か」で盛り上がっていた。
「ねえねえ、大島さんたちは黒王子と白王子、どっち派?」
 いつも賑わっている「右前方」でよく見かける宮脇真由が声をかけてきた。
「あー、私はカップリングを楽しみたい派なんで」
 茜はオタクであることを全く隠す素振りなく真顔で答えた。
「右に同じく」
 加奈子もそれに賛同する。
 なんやかんやで皆勉強熱心だからこそ、この学校の生徒はあまり「ヒエラルキー」的な意識がない。それを分かっているからこそ、茜も加奈子も自分を着飾るようなことはしない。
「なるほどねー。確かに創作意欲、掻き立てられそう!」
 宮脇さんはキラキラした顔で応えると、黙々と制服のブレザーのボタンを留めている聖奈の方を見た。
「金子さんも?」
「え? ……あー、ごめん、実は私芸能関係疎くて。」
 聖奈の回答に更衣室が一瞬静まり返った。珍しいものを見るような視線が聖奈に集まる。
「ごめん、黒王子と白王子って、そんなに有名だった……?」
 困惑している聖奈の問いに答えないまま、加奈子は大笑いして聖奈の頭を撫でた。
「ハハハ! 聖奈最高。大好きよ、ほんと」
 その瞬間、クラスの女子の中で、「金子聖奈=恋愛無頓着」というイメージがついてしまった。

◆◆◆◆◆

 キーンコーンカーンコーン。
 チャイムが鳴り終わり、教室中が机を引きずる音と生徒たちの声で充満する。そのザワザワに紛れるかのように、聖奈は少し落ち込んだ声で尋ねた。
「さっきのさ、黒王子と白王子って何だったの?」
「宮田くんと藤原くんのこと」
 自分の机を聖奈の机にくっつけながら茜は答えた。
「……あー、なるほど、そういうことか。どうりで検索かけても出てこないわけだ」
 こんな聖奈だったが、「宮田くんと藤原くんが王子と呼ばれている」という事実はすんなり受け入れた様子だった。それだけ2人のルックスというかオーラというか……とにかく群を抜いている。
「聖奈、検索までかけてたのね……」
 お弁当の箱を開けながら加奈子は苦笑した。
「アイドルかなって思って」
 聖奈は少し恥ずかしそうにした。
「まあ、ある意味アイドルみたいなものだし、合ってる合ってる」
 加奈子は少し笑いながらフォローをいれた。
「で、黒王子と白王子の真相が分かったところで、聖奈はどっち派でしょうか?」
 茜は聖奈の口元にマイクに見立てた右こぶしを突き出した。
「え……、うーん」
 聖奈は少し首を傾げた。
「話してみたいと思うのは、宮田くんかな」
「あら意外。聖奈はどちらかというと白王子タイプかと思ってたけど」
 加奈子は少し驚いた様子だった。
「多分なんだけど、私、宮田くんと小学校同じだと思うんだよね」
「何それ! めっちゃ面白いんだけど! 少女漫画じゃん!」
 茜が身を乗り出すほどの勢いで食いついてきた。
「でも、クラス違ったし、宮田くんは途中で転校していったから。さすがに私のこと知らないと思うよ」
「分かんないよー?」
茜は楽しそうな顔で聖奈をじっと見つめた。
「いや、ないない」
 茜の「分かんない」が「知っているか知らないか」ではなく恋愛にかかっていることに気付いた聖奈は、手を顔の前で振りながら否定した。
「黒って、小学校のときからあんな感じだったん?」
 この「黒」というのは加奈子語で「宮田くん」という意味らしい。
「うーん。勉強もスポーツもよくできる優等生ってところは昔からだけど……。ただ、小学校のときはメガネかけてて、もっと真面目そうなイメージが強かったかなぁ」
 そう言いながら聖奈は宮田くんの方に視線を送った。友達に囲まれて大きな声で笑い合っている彼の姿に、聖奈はほんの少しの寂しさとほんの少しの嬉しさを感じていた。