教室に生徒は10人だけ。聖奈は高校の夏期講習「数学上級編」の授業を受けていた。「上級編」ということもあり、参加者の半分は先週会ったばかりの海外研修参加者だ。高校側は海外研修とこの授業のスケジュールを敢えてズラしているのだろう。
「ちょっと早いけどね、キリがいいからここまでにしましょうかね。時差ボケ組も多いだろうし」
ぼんやりとした顔が特徴的な数学の坂口先生は、終始眠そうな表情のまま約2時間の講習を20分早く終わらせた。聖奈は午後からの文化祭練習に備えて1年8組の教室へと向かう。
ガラガラガラ。
聖奈は教室の前方のドアをゆっくりと開けた。まだ誰もいない。今日は人気の夏期講習がいくつもある日だし、部活組はまだ活動中だろうし、当然と言えば当然である。聖奈は自席に座って台本を読みながら、一緒にお昼ご飯を食べる約束をした茜と加奈子を待つことにした。
ガラガラガラ。
聖奈が文化祭の台本を読み始めて数分。今度は教室の後方のドアがゆっくりと開いた。
「聖奈? 久しぶり!」
聖奈と目が合った藤原くんは、爽やかな笑顔を見せながら近付いてくる。
聖奈はブワッと溢れ出そうになった涙をこらえるように、少しだけ上を向いた。
「どうしたの、大丈夫?」
藤原くんは聖奈の隣、加奈子の座席の前で立ち止まり、聖奈の顔を覗き見た。
「え、大丈夫だよ、久しぶり。部活だったの?」
聖奈はいつも通りの表情を意識した。
「うん、さっき終わったところ。海外研修どうだった?」
「楽しかったよ。気候的に日本の夏より過ごしやすいし、料理も美味しかったし。童話の世界みたいな可愛らしい雰囲気もあって……また行きたいなって思った」
聖奈は立ったままの藤原くんを見上げながら幸せそうに語った。
「そっか、それは良かった」
藤原くんは優しく微笑んだ。
聖奈はそんな藤原くんを見つめたまま、自分のある考えをぶつけてみることにした。
「あのさ……」
「ん?」
「……藤原くんは、本当は、アズール・メリアッシュ?」
聖奈の心臓がバクバク大きく動いている。
「……? アズール・メリアッシュって、誰?」
藤原くんは、突然おかしなことを言い出す聖奈に戸惑っているようだ。
「エグレシア王国の貴族」
聖奈は反応を探るかのように藤原くんの顔をじっと見つめながら続ける。
「3年前に事件に巻き込まれて亡くなったことになっているんだけど、実は生きていて目の前にいるんじゃないか……ってね」
聖奈は冗談っぽく笑ってみせた。
「ふふっ。まるで映画みたいだね」
藤原くんは思わず小さく吹き出してしまった。
「それがねー、同一人物って思えるくらい似てるんだよね」
「そんなに似てるなら見てみたいなあ」
「本当に見てほしい! まだ成人前で公になってなかったみたいだから、ネットには写真落ちてないっぽいんだけど」
「そっかー」
「海外研修で行った博物館の人が写真持っててさ。目を疑っちゃったよね、ほんとそっくりで」
「なるほどー。クランヌ人とエグレシア人は顔の系統似てるからなぁ。ドッペルゲンガーって本当にいるんだね!」
藤原くんの顔色は終始変わらない。
「なんか、変なこと言ってごめんね、忘れて!」
聖奈はこれ以上探ってもただ迷惑をかけるだけだと思い、この話を終わらせた。「アズール・メリアッシュ前公子ですか?」と聞いて「はい、そうです」なんて答えが返ってくるわけがない。死んだことになっている人が生きている……その場合、何かしら深い事情があるとしか考えられないのだから。
「あれ?蒼と聖奈じゃん! 久しぶり!」
美咲の声が聞こえた。2人はドアの方を見る。講習を終えた女子数人が教室に入ってきた。聖奈の机の周りに人が群がる。
「何話してたのー?」
美咲の後ろから中野さんが顔を覗かせた。
「海外研修の話!」
聖奈は少し前までの変な空気が嘘みたいにあっさりとした顔を見せる。
「どうだった?」
青山さんは興味深そうに聖奈の方を見ている。
「やっぱりウチの演出家は国外でも研究熱心だったよー。暇さえあれば劇の原作本とか台本とか読んでたし。いきなり『小道具用にー』って言って石に夢中になってたし……」
「なになに? 私の話ですかー? 聖奈さん」
聖奈の話を遮るように青山さんの後ろから加奈子が現れた。
それぞれ昼食を買いに出かけるまで、1年8組の教室は海外研修の話で盛り上がった。が、聖奈は「藤原くんそっくりのアズール・メリアッシュ前公子の話」を敢えてしないようにした。
◆◆◆◆◆
その夜、これまで一度も個人的に連絡を取ったことのなかった藤原くんからメッセージが届いた。
----------
突然の相談で申し訳ないんだけど、都合が良い日に僕の家に来てくれないかな?
今日のことについて大事な話があって。
それと、もう一つお願いがあるんだけど。
今日の話、今後他の人には話さないでほしい。
理由はまた伝えるけど、今は従ってくれると助かる。
お願いばかりでごめんね。
----------
スマートフォンを持つ聖奈の手が震えた。
----------
了解。
今週は火曜と金曜の午前講習の後が空いてる。
土日も両方空いてる。
----------
明日でも良い?最寄りは神城駅。
学校からそのまま直接来てもらっても大丈夫。
13:00にA5出口待ち合わせでどう?
----------
了解。
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聖奈は藤原くんのメッセージから「今は多くを語りたくない」という気持ちを汲み取った。そのせいだろうか。気づけば聖奈は、自分でも驚くくらい事務的なメッセージを返していた。
「ちょっと早いけどね、キリがいいからここまでにしましょうかね。時差ボケ組も多いだろうし」
ぼんやりとした顔が特徴的な数学の坂口先生は、終始眠そうな表情のまま約2時間の講習を20分早く終わらせた。聖奈は午後からの文化祭練習に備えて1年8組の教室へと向かう。
ガラガラガラ。
聖奈は教室の前方のドアをゆっくりと開けた。まだ誰もいない。今日は人気の夏期講習がいくつもある日だし、部活組はまだ活動中だろうし、当然と言えば当然である。聖奈は自席に座って台本を読みながら、一緒にお昼ご飯を食べる約束をした茜と加奈子を待つことにした。
ガラガラガラ。
聖奈が文化祭の台本を読み始めて数分。今度は教室の後方のドアがゆっくりと開いた。
「聖奈? 久しぶり!」
聖奈と目が合った藤原くんは、爽やかな笑顔を見せながら近付いてくる。
聖奈はブワッと溢れ出そうになった涙をこらえるように、少しだけ上を向いた。
「どうしたの、大丈夫?」
藤原くんは聖奈の隣、加奈子の座席の前で立ち止まり、聖奈の顔を覗き見た。
「え、大丈夫だよ、久しぶり。部活だったの?」
聖奈はいつも通りの表情を意識した。
「うん、さっき終わったところ。海外研修どうだった?」
「楽しかったよ。気候的に日本の夏より過ごしやすいし、料理も美味しかったし。童話の世界みたいな可愛らしい雰囲気もあって……また行きたいなって思った」
聖奈は立ったままの藤原くんを見上げながら幸せそうに語った。
「そっか、それは良かった」
藤原くんは優しく微笑んだ。
聖奈はそんな藤原くんを見つめたまま、自分のある考えをぶつけてみることにした。
「あのさ……」
「ん?」
「……藤原くんは、本当は、アズール・メリアッシュ?」
聖奈の心臓がバクバク大きく動いている。
「……? アズール・メリアッシュって、誰?」
藤原くんは、突然おかしなことを言い出す聖奈に戸惑っているようだ。
「エグレシア王国の貴族」
聖奈は反応を探るかのように藤原くんの顔をじっと見つめながら続ける。
「3年前に事件に巻き込まれて亡くなったことになっているんだけど、実は生きていて目の前にいるんじゃないか……ってね」
聖奈は冗談っぽく笑ってみせた。
「ふふっ。まるで映画みたいだね」
藤原くんは思わず小さく吹き出してしまった。
「それがねー、同一人物って思えるくらい似てるんだよね」
「そんなに似てるなら見てみたいなあ」
「本当に見てほしい! まだ成人前で公になってなかったみたいだから、ネットには写真落ちてないっぽいんだけど」
「そっかー」
「海外研修で行った博物館の人が写真持っててさ。目を疑っちゃったよね、ほんとそっくりで」
「なるほどー。クランヌ人とエグレシア人は顔の系統似てるからなぁ。ドッペルゲンガーって本当にいるんだね!」
藤原くんの顔色は終始変わらない。
「なんか、変なこと言ってごめんね、忘れて!」
聖奈はこれ以上探ってもただ迷惑をかけるだけだと思い、この話を終わらせた。「アズール・メリアッシュ前公子ですか?」と聞いて「はい、そうです」なんて答えが返ってくるわけがない。死んだことになっている人が生きている……その場合、何かしら深い事情があるとしか考えられないのだから。
「あれ?蒼と聖奈じゃん! 久しぶり!」
美咲の声が聞こえた。2人はドアの方を見る。講習を終えた女子数人が教室に入ってきた。聖奈の机の周りに人が群がる。
「何話してたのー?」
美咲の後ろから中野さんが顔を覗かせた。
「海外研修の話!」
聖奈は少し前までの変な空気が嘘みたいにあっさりとした顔を見せる。
「どうだった?」
青山さんは興味深そうに聖奈の方を見ている。
「やっぱりウチの演出家は国外でも研究熱心だったよー。暇さえあれば劇の原作本とか台本とか読んでたし。いきなり『小道具用にー』って言って石に夢中になってたし……」
「なになに? 私の話ですかー? 聖奈さん」
聖奈の話を遮るように青山さんの後ろから加奈子が現れた。
それぞれ昼食を買いに出かけるまで、1年8組の教室は海外研修の話で盛り上がった。が、聖奈は「藤原くんそっくりのアズール・メリアッシュ前公子の話」を敢えてしないようにした。
◆◆◆◆◆
その夜、これまで一度も個人的に連絡を取ったことのなかった藤原くんからメッセージが届いた。
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突然の相談で申し訳ないんだけど、都合が良い日に僕の家に来てくれないかな?
今日のことについて大事な話があって。
それと、もう一つお願いがあるんだけど。
今日の話、今後他の人には話さないでほしい。
理由はまた伝えるけど、今は従ってくれると助かる。
お願いばかりでごめんね。
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スマートフォンを持つ聖奈の手が震えた。
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了解。
今週は火曜と金曜の午前講習の後が空いてる。
土日も両方空いてる。
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明日でも良い?最寄りは神城駅。
学校からそのまま直接来てもらっても大丈夫。
13:00にA5出口待ち合わせでどう?
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了解。
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聖奈は藤原くんのメッセージから「今は多くを語りたくない」という気持ちを汲み取った。そのせいだろうか。気づけば聖奈は、自分でも驚くくらい事務的なメッセージを返していた。
