聖奈はホテルの部屋の窓を開けた。まろやかなラベンダーの香り、心地よい夜風、街にふわりと灯るオレンジの光。初めて訪れた場所なのに、不思議と聖奈の身体は夏を感じた。
「夜景いい感じじゃん」
聖奈の背後から加奈子の声がした。ドライヤーで乾かしたばかりの髪がサラッと風になびいている。
「ね」
聖奈は加奈子が隣に立ったのを気配で感じながら、エグレシア王国のやさしい夜の光を見つめた。
今日から海外研修がはじまる。朝早く日本を出発した聖奈たちは、14時間のフライトの後、現地時間の夕方頃、無事エグレシア王国へと到着した。ちなみに日本とエグレシア王国の時差は7時間。
「飛行機の中で少し昼寝するか、ちょっと夜更かししたつもりで21時まで耐えて寝るのがコツ」
と時差の乗り切り方を引率の柳川先生が教えてくれた。現在20時半。日本時間だと午前3時半。飛行機の中でずっと映画を見続けていた聖奈はそろそろいい感じに眠くなっている。
「聖奈、21時に寝る?」
加奈子は眠さをごまかすように目にギュッと力を入れて瞬きをした。
「うん、そのつもり」
そう言って聖奈は窓に手をかけてゆっくりと閉めた。
◆◆◆◆◆
ホテルからバスで15分。聖奈たち星ノ谷生一行はエグレシア王国の首都アーカスタの中心地に敷地を構えるエグレシア大学へと向かっていた。バスの外には童話の中に出てきそうなかわいらしいレンガ造りの建物が並んでいる。都会というよりはまるでテーマパークのようだ。
バスは大きな噴水が印象的な広場を通り過ぎ、赤レンガでできた大きな門の中へと入っていった。
門の中は今までのエグレシア王国の景色と一変、近代的でオシャレな建物が立ち並んでいる。一棟だけ長い歴史を感じさせる赤レンガ造りの建物を見かけたが、大学設立時からのものだろうか。
バスを降りた聖奈たちは、引率の柳川先生に連れられ、校内の奥の方へと進んだ。そして、白いコンクリートでできた、日本のオフィスビルを彷彿とさせる大きな建物の中へと入っていった。
「110」の札が貼られているドアを開け、聖奈たちは教室へと足を踏み入れる。
「おぉ……」
コンサートホールかと思うくらい広い教室に、聖奈は圧倒された。
教室内は階段上になっており、段差ごとに長机と椅子が備え付けられている。柳川先生はドアから1番近い階段を上り、下から4列目の席へと生徒たちを案内した。
「私たちはこの辺ね」
机の横には「JAPAN HOSHINOTANI」と書かれた紙が貼られている。4人掛けの席2列分が星ノ谷高校の割り当てらしい。聖奈たちは柳川先生の指示に従ってクラス順かつ出席番号順に並んで席についた。
「さすがに全部英語はしんどいなぁ」
加奈子は机に置かれていた分厚いレジュメをペラペラとめくりながらぼやきつつ、鞄の中から電子辞書を取り出した。
「専門用語っぽいのも多いよね」
聖奈もレジュメの表紙をめくり資料を読み進める。
「母国語英語の人たちが羨ましいわ」
そう言いながら加奈子は教室を見渡した。服装、言語、肌の色……この場所には世界各地の高校生たちが集まっている。
黒板の上の方に飾られている時計が9時5分を示したところでGパンにTシャツ姿の白髪男性とオフィスカジュアルっぽい服を着た20代くらいの金髪男性が入ってきた。教授と助手だろうか。助手と思しき男性はテキパキとプロジェクターの準備をし、教室の明かりを少しだけ落とす。
「それではね、ぼちぼちはじめていきましょうかね」
準備が整ったのを確認するや否や教授と思しき男性が3日間のプロジェクト全体の説明をはじめた。1日目と2日目はこの教室で講義を受ける。2日目の最後に講義内容踏まえて各々興味のある研究室を1つ選択し、3日目はその研究室の活動を見学したり体験したりする。要約するとだいたいこんなような流れだ。
「最後に、母国語が英語じゃない国の学生さんはちょっと大変かもしれないですから。よかったらこれを使ってください。ウチの大学で開発してる翻訳アプリケーション。では、また鉱物学の講義で会いましょう」
教授と思しき男性は一通り説明を終えると教室をあとにした。そのタイミングを見計らったかのように教室のあちこちからカサコソと音がする。日本勢も例に漏れずほとんどの生徒がスマートフォンを取り出した。プロジェクターには英語で「同時翻訳アプリ」の表示と共にQRコードが映しだされている。
「聖奈、翻訳アプリなくて大丈夫?」
日本勢でただ一人、スマートフォンを取り出さずにレジュメに目を通していた聖奈に、加奈子が声をかけた。
「多分大丈夫だと思う」
聖奈は心配する加奈子にキョトンとした顔で返した。
「おいおい、嘘だろ。今の説明ですらあんま聞き取れなかったぞ、俺」
聖奈の隣に座っていた7組の新山くんが、驚いたように聖奈の方を見た。
「同じく。イントネーションに癖ありすぎ」
加奈子は新山くんに賛同の意を示すかのように頷いた。
「そう……?」
聖奈は不思議そうに少しだけ首をかしげる。
「いや、マジで。本当に英語なのか疑問に思うレベル!」
新山くんが全力で首を横に振っている。
「聖奈、実はエグレシア人なんじゃないの?」
加奈子は冗談を言いながら目を細めた。
少し不安になってきた聖奈はスマートフォンを取り出してプロジェクターに映し出されているQRコードを読み込んだ。しかし講義の2日間、聖奈が翻訳アプリケーションを使うことはなかった。
◆◆◆◆◆
2日目の講義を終え、聖奈たちはホテルに戻ってきた。部屋に入るや否や加奈子が疲れきった表情で靴のままベッドに倒れこむ。
「つっかれたー!」
加奈子はグルンと身体を回転させて仰向けになると、そのまま足で勢いをつけながら身体を起こした。
「聖奈は3日目の研究室どこにした?」
加奈子はベッドに腰掛けたまま、鞄の中身を整理している聖奈の方を見た。
「鉱物学化学研究室にした。レポートもそれで書いたしね。加奈子は?」
聖奈も加奈子と同じように自分のベッドに腰掛けた。
「悩んだけどAIロボット研究室にした」
「面白そうだったよね。私もちょっと悩んだ」
「えー、じゃあ一緒の選んでくれればよかったのにー。さすがに1人不安だわ」
「ロボ研にした星ノ谷生、他にもいるでしょ。多分1番人気だろうし」
「誰でもいいから日本人カモン!」
加奈子は祈るように両手を合わせて合掌した。普段あまり群れない加奈子にしては珍しい。そんな加奈子のことを、聖奈はちょっと茜に似てきたなと思いながら見ていた。
「そういえばさー、話変わるけど。宮田くん、あんまり元気ない気がしない?」
加奈子が急に真面目な口調になった。
「え、加奈子もそう思う?」
実は聖奈も夏休みに入る前から気になっていた。
「うん、静かというかなんというか。宮脇さんとか中野さんとか、いつも一緒にいる陽な皆様がいないからかなぁ、なんて思ったけど。違うっぽいんだよね……表情に影を感じるというか。」
加奈子はよく見ている。聖奈も全く同じことを思っていた。
「大丈夫かな……?」
聖奈の声が少し低くなる。
「宮田くんの場合、家庭の事情が事情だしね。まあ、でも、文化祭の練習も海外研修もきっちり参加してるわけだし、大丈夫なんじゃない?」
聖奈を不安にさせたくない加奈子の声は少しやさしかった。
「夜景いい感じじゃん」
聖奈の背後から加奈子の声がした。ドライヤーで乾かしたばかりの髪がサラッと風になびいている。
「ね」
聖奈は加奈子が隣に立ったのを気配で感じながら、エグレシア王国のやさしい夜の光を見つめた。
今日から海外研修がはじまる。朝早く日本を出発した聖奈たちは、14時間のフライトの後、現地時間の夕方頃、無事エグレシア王国へと到着した。ちなみに日本とエグレシア王国の時差は7時間。
「飛行機の中で少し昼寝するか、ちょっと夜更かししたつもりで21時まで耐えて寝るのがコツ」
と時差の乗り切り方を引率の柳川先生が教えてくれた。現在20時半。日本時間だと午前3時半。飛行機の中でずっと映画を見続けていた聖奈はそろそろいい感じに眠くなっている。
「聖奈、21時に寝る?」
加奈子は眠さをごまかすように目にギュッと力を入れて瞬きをした。
「うん、そのつもり」
そう言って聖奈は窓に手をかけてゆっくりと閉めた。
◆◆◆◆◆
ホテルからバスで15分。聖奈たち星ノ谷生一行はエグレシア王国の首都アーカスタの中心地に敷地を構えるエグレシア大学へと向かっていた。バスの外には童話の中に出てきそうなかわいらしいレンガ造りの建物が並んでいる。都会というよりはまるでテーマパークのようだ。
バスは大きな噴水が印象的な広場を通り過ぎ、赤レンガでできた大きな門の中へと入っていった。
門の中は今までのエグレシア王国の景色と一変、近代的でオシャレな建物が立ち並んでいる。一棟だけ長い歴史を感じさせる赤レンガ造りの建物を見かけたが、大学設立時からのものだろうか。
バスを降りた聖奈たちは、引率の柳川先生に連れられ、校内の奥の方へと進んだ。そして、白いコンクリートでできた、日本のオフィスビルを彷彿とさせる大きな建物の中へと入っていった。
「110」の札が貼られているドアを開け、聖奈たちは教室へと足を踏み入れる。
「おぉ……」
コンサートホールかと思うくらい広い教室に、聖奈は圧倒された。
教室内は階段上になっており、段差ごとに長机と椅子が備え付けられている。柳川先生はドアから1番近い階段を上り、下から4列目の席へと生徒たちを案内した。
「私たちはこの辺ね」
机の横には「JAPAN HOSHINOTANI」と書かれた紙が貼られている。4人掛けの席2列分が星ノ谷高校の割り当てらしい。聖奈たちは柳川先生の指示に従ってクラス順かつ出席番号順に並んで席についた。
「さすがに全部英語はしんどいなぁ」
加奈子は机に置かれていた分厚いレジュメをペラペラとめくりながらぼやきつつ、鞄の中から電子辞書を取り出した。
「専門用語っぽいのも多いよね」
聖奈もレジュメの表紙をめくり資料を読み進める。
「母国語英語の人たちが羨ましいわ」
そう言いながら加奈子は教室を見渡した。服装、言語、肌の色……この場所には世界各地の高校生たちが集まっている。
黒板の上の方に飾られている時計が9時5分を示したところでGパンにTシャツ姿の白髪男性とオフィスカジュアルっぽい服を着た20代くらいの金髪男性が入ってきた。教授と助手だろうか。助手と思しき男性はテキパキとプロジェクターの準備をし、教室の明かりを少しだけ落とす。
「それではね、ぼちぼちはじめていきましょうかね」
準備が整ったのを確認するや否や教授と思しき男性が3日間のプロジェクト全体の説明をはじめた。1日目と2日目はこの教室で講義を受ける。2日目の最後に講義内容踏まえて各々興味のある研究室を1つ選択し、3日目はその研究室の活動を見学したり体験したりする。要約するとだいたいこんなような流れだ。
「最後に、母国語が英語じゃない国の学生さんはちょっと大変かもしれないですから。よかったらこれを使ってください。ウチの大学で開発してる翻訳アプリケーション。では、また鉱物学の講義で会いましょう」
教授と思しき男性は一通り説明を終えると教室をあとにした。そのタイミングを見計らったかのように教室のあちこちからカサコソと音がする。日本勢も例に漏れずほとんどの生徒がスマートフォンを取り出した。プロジェクターには英語で「同時翻訳アプリ」の表示と共にQRコードが映しだされている。
「聖奈、翻訳アプリなくて大丈夫?」
日本勢でただ一人、スマートフォンを取り出さずにレジュメに目を通していた聖奈に、加奈子が声をかけた。
「多分大丈夫だと思う」
聖奈は心配する加奈子にキョトンとした顔で返した。
「おいおい、嘘だろ。今の説明ですらあんま聞き取れなかったぞ、俺」
聖奈の隣に座っていた7組の新山くんが、驚いたように聖奈の方を見た。
「同じく。イントネーションに癖ありすぎ」
加奈子は新山くんに賛同の意を示すかのように頷いた。
「そう……?」
聖奈は不思議そうに少しだけ首をかしげる。
「いや、マジで。本当に英語なのか疑問に思うレベル!」
新山くんが全力で首を横に振っている。
「聖奈、実はエグレシア人なんじゃないの?」
加奈子は冗談を言いながら目を細めた。
少し不安になってきた聖奈はスマートフォンを取り出してプロジェクターに映し出されているQRコードを読み込んだ。しかし講義の2日間、聖奈が翻訳アプリケーションを使うことはなかった。
◆◆◆◆◆
2日目の講義を終え、聖奈たちはホテルに戻ってきた。部屋に入るや否や加奈子が疲れきった表情で靴のままベッドに倒れこむ。
「つっかれたー!」
加奈子はグルンと身体を回転させて仰向けになると、そのまま足で勢いをつけながら身体を起こした。
「聖奈は3日目の研究室どこにした?」
加奈子はベッドに腰掛けたまま、鞄の中身を整理している聖奈の方を見た。
「鉱物学化学研究室にした。レポートもそれで書いたしね。加奈子は?」
聖奈も加奈子と同じように自分のベッドに腰掛けた。
「悩んだけどAIロボット研究室にした」
「面白そうだったよね。私もちょっと悩んだ」
「えー、じゃあ一緒の選んでくれればよかったのにー。さすがに1人不安だわ」
「ロボ研にした星ノ谷生、他にもいるでしょ。多分1番人気だろうし」
「誰でもいいから日本人カモン!」
加奈子は祈るように両手を合わせて合掌した。普段あまり群れない加奈子にしては珍しい。そんな加奈子のことを、聖奈はちょっと茜に似てきたなと思いながら見ていた。
「そういえばさー、話変わるけど。宮田くん、あんまり元気ない気がしない?」
加奈子が急に真面目な口調になった。
「え、加奈子もそう思う?」
実は聖奈も夏休みに入る前から気になっていた。
「うん、静かというかなんというか。宮脇さんとか中野さんとか、いつも一緒にいる陽な皆様がいないからかなぁ、なんて思ったけど。違うっぽいんだよね……表情に影を感じるというか。」
加奈子はよく見ている。聖奈も全く同じことを思っていた。
「大丈夫かな……?」
聖奈の声が少し低くなる。
「宮田くんの場合、家庭の事情が事情だしね。まあ、でも、文化祭の練習も海外研修もきっちり参加してるわけだし、大丈夫なんじゃない?」
聖奈を不安にさせたくない加奈子の声は少しやさしかった。
