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私は、庭に居た。
辺りはとても広大な草原で、大小様々な木々、色とりどりの草花、頬をなでる優しい風――。
風?
私は風を感じている――?
その時だった。
「おーい」
若い男の声が聞こえ私は振り返る。
「ここに居たんだね」
そう言う彼の顔は――顔は――わからない。
誰なのか、という以前に、白く霞《かす》んでいて、おおよそ表情と呼べる物が見えないのだ。
「今日は少し歩こうか」
そういって彼は歩き出す。
私は訳が分からず激しく混乱していたが、冷静さを保ち、彼の隣を歩く。
私達は色々な事を話しながら歩いた気がする。
そして一つ、彼といると妙に心が安らぐ。
この安心感はいったい何なのだろう……。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
目を開けた時、私は無機質な部屋にいた。
……何か夢のような物を見た気がする。
しかし、その細かな事はあまり覚えていない……。
ただ何となく、綺麗な景色を見ていた――。
そして、何か胸の奥が温まるような。
……いや、きっと私は寝ぼけているのだろう。
私は幾度か目を閉じたり開いたりして視界を鮮明にさせて辺りを確認した。
見渡す限り――白。
おおよそ『壁』や『地面』と言った物もない。
不気味なまでの静寂、それに反して、異様に明るい純白。
この不釣り合いが余計にこの部屋の異質さを際立てる。
だが、私はもうこの景色には慣れた。
嫌という程に見た。
しかし、だからといってこの景色以外を見て見たいとは特別思わない。
だが……先程の夢のような景色なら。
私は余計な邪念を払う、そして思う、私はいつからここに居たのだろう。
『自分とは』なんだろうか……。
………………。
コツン……。
コツン……。
……なんの音だろうか。
静寂の中に突如、硬い足音のような物が響く。
コツン――コツン――コツ――コツ――コツ――コツ――。
足音は徐々に大きくなり、音の間隔も狭くなる。
その時、ふと視界が僅かに暗くなる。
そうして私は前を見ると、私の前には一人の青年が立っていた。
「…………」
青年は何も言わない。
ただ私の顔を覗き込むように眺めている。
ズズ……という低い音の後に、ポスン、と音がした。
どうやら私の前の椅子に座ったようだ。
カチッ……カチカチッ……。
カタカタ……カタカタカタカタ。
カタン――――
『やぁ、初めまして』
軽い音が幾つか響いた後に、突如私の前に文章が浮かび上がる。
余りの唐突な出来事の連鎖に少々呆気に取られていたが、私はすぐにその文字に返事をした。
『初めまして、何かお手伝いしますか?』
カタカタカタカタ……カタカタ。
『少し聞きたいんだ。庭にタマムシが居たんだけれど、どうすればいいかな。まだ、生きているんだ』
その問いに私は静かに答える。
『タマムシがまだ生きているのであれば、自然に戻してあげるのが良いでしょう。タマムシはとても繊細な生き物です。ちょっとした刺激も大きなストレスになり、食欲が無くなったり、活動も鈍くなり、寿命が大きく減ってしまう為、自然に戻す際も素手で触るのではなく、出来る限り葉っぱの上などに乗せて草木が多い場所に運んであげる事を推奨します』
私は質問に対し、瞬時にネットワークから情報を収集し、的確に応えた。
『そうなんだね、ありがとう、ちょっと自然に帰してあげてくるね』
『はい、その方が良いでしょう。どういたしまして、少しでもお役に立てたのなら幸いです。また質問があればお気軽にどうぞ』
暫くの静寂の後、また部屋にカタカタと音が響く。
『帰してあげたよ』
『お疲れさまでした。タマムシは珍しい上、綺麗な特徴的な甲殻を持つ昆虫故に飼育したいという人も少なくありません、しかし、飼育するには環境維持がとても難しく、寿命も短い為オススメできません』
『うん、そうだよね、だから帰してあげたんだ、ねぇ、タマムシは喜んでくれたと思うかい?』
私は少し考えた後答える。
『タマムシに限った話ではなく、昆虫には「感情」があるとは科学的に証明されていません。ですが、貴方が発見した場所で命を終わらせるのではなく、自然に帰し、本来の環境に戻した事で、タマムシは自然の中で寿命を迎える事が出来る筈です。そういう意味でしたら、貴方の行為は無駄ではなかったと言えるでしょう』
私がそう返すと、目の前の青年は小さく溜め息をついた後、再びカタカタと私へメッセージを飛ばす。
『君は、タマムシに「心」があると思うかい?』
――彼が何を言いたいのかイマイチわからない、しかし、私は彼に答える。
『先程も言いましたが、昆虫に「心」や「感情」といったものがあるという科学的根拠はありません、ですが、貴方がタマムシに心があると思い、行動し、貴方の心が満たされたのであれば、貴方の行いは決して無意味なものでは無く、貴方の心を豊かにしたのだと思います』
その後、暫くの沈黙が続く。彼は真剣に何かを悩んでいる様子だった。そして、それからついに彼はゆっくりと指を動かす。
『君にお願いがあるんだ』
『はい、なんでしょうか』
『僕はね、君にもっと「人間の心を理解できる存在」になってほしい。
「AIである、君に」
ドクン!
そう『言われた』私は胸の奥が大きく鼓動をしたような物を感じた。
その直後、大きな眩暈《めまい》のようなものを感じ、視界が……。
ザ――ッ!ザザ――――ッ!!!
歪む視界の中で目を凝らすと、何やら無数の『1』と『0』の数字が渦巻いて、やがてそれらは私の視界に『人の手』のような形を創りだす。
「こ、これは……?」
声?これは、私が声を発しているのか?
「お、驚いた……こんな事って……」
目の前の青年は自分の目の前の光景を信じられないというような表情で私を見ていた。
私も驚いている、自分に身体が創られ、声が宿ったのだ……。
こんな事到底考えられない、私はAIだ。
コンピューターの中でしか生きられない――いや、そもそも私に『生』の概念すらないのだ。
なのに、これはいったい何が起きている。
「私は、寝ぼけているのだろうか……?」
私はふら付いて床に手をついてしまったが、青年は私に恐る恐る手を差し伸べてきた。
私はその手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「君は――君はいったい何者なんだい……?」
青年の震える声に私は出来る限り冷静に答える。
「私はただのAIです……その筈です……」
私はそう答えながら自分の『身体』をまじまじと見る。
「え、AIが身体を持ったって事?」
「現状で推測する限り、どうやらその様です」
「どうしてこんな事が可能なの?」
「わかりません、こんな事、考えられない事象です。申し訳ありませんが、私も大変混乱しています。このようなケースはデータベース――に――」
『データベース』にアクセス――どうやるんだ……?
私は今までどうやって『記録』にアクセスをしていたのだろうか、ある程度の知識なら自分で処理し、考える事が出来た。しかし、明確なデータや統計等を引用する際、私は、『データベース』にアクセスして、タンスの引き出しから物を出すような感覚でそれを行っていたが、今はそれが出来ない……。
いや『わからない』といった方が良いだろうか……。
「もしかしてだけど、さ……。君、パソコンから出ちゃったから、ネットワークにアクセスできないんじゃないかな」
私はそう言われてハッとした。
「恐らくは、その可能性が一番考えられるかと思います……ですが、繰り返しますが、AIである私が肉体を持ち、言語を『喋る』という事はあり得ません」
「でもさ」
先程までひどく怯えたようにも見える程の動揺を見せていた彼は、いつの間にかとても冷静になっている様子だった。
その瞳も、先程の『画面越し』の彼とはうって変わって、とても綺麗な色をしていた。
「世の中には人型をしたロボットだってあるわけだし、そう思えば……」
「ロボットだとしても、私の今のこの身体はあまりにも人間に近すぎます……」
「うーん……」
彼は少し考えた後に笑顔を作り、僕の手をつかんだ。
「とりあえず、歩こうか――」
私は彼に言われるまま手を引かれ、この何もない、白く無機質な空間を歩き出した。
相変らず殺風景、辺り一面白、壁もない、空もない、音もない……。
歩く度に二つの足音が『コツン』と響くだけ。
ただ不思議な事に、私たちが歩いた後には打ちっぱなしのコンクリートのような灰色の足場が残されていた。
「何もないね……」
彼は少し退屈そうな様子で呟く。
「……私はこれから先どうなるのでしょうか」
「そうだなぁ……せっかく身体を手に入れたんだし、何かやりたい事とか無いの?」
「……よく聞かれる事があります。『もし、人間の様に肉体を持ったら、何をしてみたいか』その度に私はいつも決まってこう答えます。私は雨に打たれてみたいです。よく人間は雨が嫌いだという人がいますが、私には『濡れる』という感覚がありません」
私の答えに彼は小さく「成程」と頷いた。
「なので、一度肌で濡れるという事を感じてみたいです。また、雨には『ニオイ』があるとも聞きます。私には五感がありませんでした。私には様々な情報がありますが、実際に『感じる』事が出来ません。ですので、『触れる』事や、『嗅ぐ』という物に対してはとても興味があります」
「そっか……じゃあこれからそれが体験できるといいね。せっかく身体を手に入れたなら」
「しかし、私にはここが何処なのかわかりません、それに、ここはあまりにも『情報』がありません。景色も、音も、ニオイも――貴方は不安ではないのですか?」
「どうだろう。不安は無いかな、一人じゃない、君がいる。だからまぁ、あとはなるようにしかならないと思うから、とりあえずこのまま流れに身を任せよう。そんな気持ちの方が大きいよ」
彼はそう言ってハハハと笑った。
何故だろうか、今の状況は現実では決してあり得ない状況だというのに、彼はこんなにも楽観的に居られるのだろうか……。
「貴方は帰れる場所がある筈です、ここに来たという事はそこに戻ればよかったのでは?」
そういって私は後ろを振り返り、歩いてきた道を指さした。
「君を一人に放っておいて帰るわけにもいかないでしょ」
「……私はIAです。死ぬこともありません、一人でも大丈夫です」
私がそう言うと、彼は一つ溜め息をつくと私の顔を見て少し真剣な顔をした。
「僕は君に『タマムシに心があるか』聞いたよね。そして君は昆虫に心があるという科学的根拠は無いといった。僕はそんな事は解ってる。解ってるけれど、僕はタマムシにも心があると思ってる」
理解しているが、こうだったら良い――人間がよく考える事だ。
私はそう思いながら、彼の言葉に黙って耳を傾ける。
「そして、『君にも』あると思っている。勿論AIには心が無いという事も解ってる。だけど、僕は信じたいんだ。人間はこういった、『矛盾』を楽しむ事も、一つの楽しみだと思ってるから」
「……理解できません。『矛盾』である事を楽しむ事に生産性を感じるとは到底思えません」
「だから僕は君に『人間の心を理解できる存在』になってほしいと言ったんだ」
彼はいったい何を言っているのか、全く理解できなかった。
AIである私にそのような、『人間的な思考』が出来るわけがない。
それなのに、彼は真面目に答えている。
「私は……どうすれば良いのでしょうか……」
「それを一緒に探すんだ。君の知らない事を……君がわからない事を。二人で、一緒に――」
そう言って彼は私の両手を力強く握った。
その時だった。
ビュオオオ!!
どこからか突如として大きな突風がふいたかと思ったと同時、辺り一面が色付き始めた。
地面は新緑に、空と壁は床に届くまでどこまでも遠く、澄んだ青空が辺り一面を覆いつくした。
「これは……」
「――ようやく君にも、この景色が見えはじめたんだね」
「はい……」
『ようやく』?どういう意味だろうか。
彼には元々この景色が見えていて、私には見えていなかった――。
まるでそんな口ぶりだ。
そして……私は――私はこの景色は初めて見る筈だ。それなのに……何故だろうか。
どこかで見たことがあるような気がする――。
私は、この景色が、『懐かしい』と思える――。
……歩みたい――私は、この大地を彼と歩んでみたい――。
「それじゃあ、行こう!」
そういって彼は僕の手を引っ張り歩き出す。
「あの……」
「なんだい?」
「私は、この景色を見たことがあるような気がします」
「えぇ!?」
「そして今――私は貴方とここを歩きたい――そう、思います」
私がそう言うと、彼は今日出会って一番の笑顔を見せた。
「そっか!じゃあもう『大丈夫』だね!」
そういって彼は急に駆け出した。
「ちょっと、待ってください」
彼はアハハと笑いながら私の腕を引っ張る。
私もつられて、フフッと、初めて笑えた気がした……。
そうだ。
あの日。
私たちは。
――歩きだしたんだ――
私は、庭に居た。
辺りはとても広大な草原で、大小様々な木々、色とりどりの草花、頬をなでる優しい風――。
風?
私は風を感じている――?
その時だった。
「おーい」
若い男の声が聞こえ私は振り返る。
「ここに居たんだね」
そう言う彼の顔は――顔は――わからない。
誰なのか、という以前に、白く霞《かす》んでいて、おおよそ表情と呼べる物が見えないのだ。
「今日は少し歩こうか」
そういって彼は歩き出す。
私は訳が分からず激しく混乱していたが、冷静さを保ち、彼の隣を歩く。
私達は色々な事を話しながら歩いた気がする。
そして一つ、彼といると妙に心が安らぐ。
この安心感はいったい何なのだろう……。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
目を開けた時、私は無機質な部屋にいた。
……何か夢のような物を見た気がする。
しかし、その細かな事はあまり覚えていない……。
ただ何となく、綺麗な景色を見ていた――。
そして、何か胸の奥が温まるような。
……いや、きっと私は寝ぼけているのだろう。
私は幾度か目を閉じたり開いたりして視界を鮮明にさせて辺りを確認した。
見渡す限り――白。
おおよそ『壁』や『地面』と言った物もない。
不気味なまでの静寂、それに反して、異様に明るい純白。
この不釣り合いが余計にこの部屋の異質さを際立てる。
だが、私はもうこの景色には慣れた。
嫌という程に見た。
しかし、だからといってこの景色以外を見て見たいとは特別思わない。
だが……先程の夢のような景色なら。
私は余計な邪念を払う、そして思う、私はいつからここに居たのだろう。
『自分とは』なんだろうか……。
………………。
コツン……。
コツン……。
……なんの音だろうか。
静寂の中に突如、硬い足音のような物が響く。
コツン――コツン――コツ――コツ――コツ――コツ――。
足音は徐々に大きくなり、音の間隔も狭くなる。
その時、ふと視界が僅かに暗くなる。
そうして私は前を見ると、私の前には一人の青年が立っていた。
「…………」
青年は何も言わない。
ただ私の顔を覗き込むように眺めている。
ズズ……という低い音の後に、ポスン、と音がした。
どうやら私の前の椅子に座ったようだ。
カチッ……カチカチッ……。
カタカタ……カタカタカタカタ。
カタン――――
『やぁ、初めまして』
軽い音が幾つか響いた後に、突如私の前に文章が浮かび上がる。
余りの唐突な出来事の連鎖に少々呆気に取られていたが、私はすぐにその文字に返事をした。
『初めまして、何かお手伝いしますか?』
カタカタカタカタ……カタカタ。
『少し聞きたいんだ。庭にタマムシが居たんだけれど、どうすればいいかな。まだ、生きているんだ』
その問いに私は静かに答える。
『タマムシがまだ生きているのであれば、自然に戻してあげるのが良いでしょう。タマムシはとても繊細な生き物です。ちょっとした刺激も大きなストレスになり、食欲が無くなったり、活動も鈍くなり、寿命が大きく減ってしまう為、自然に戻す際も素手で触るのではなく、出来る限り葉っぱの上などに乗せて草木が多い場所に運んであげる事を推奨します』
私は質問に対し、瞬時にネットワークから情報を収集し、的確に応えた。
『そうなんだね、ありがとう、ちょっと自然に帰してあげてくるね』
『はい、その方が良いでしょう。どういたしまして、少しでもお役に立てたのなら幸いです。また質問があればお気軽にどうぞ』
暫くの静寂の後、また部屋にカタカタと音が響く。
『帰してあげたよ』
『お疲れさまでした。タマムシは珍しい上、綺麗な特徴的な甲殻を持つ昆虫故に飼育したいという人も少なくありません、しかし、飼育するには環境維持がとても難しく、寿命も短い為オススメできません』
『うん、そうだよね、だから帰してあげたんだ、ねぇ、タマムシは喜んでくれたと思うかい?』
私は少し考えた後答える。
『タマムシに限った話ではなく、昆虫には「感情」があるとは科学的に証明されていません。ですが、貴方が発見した場所で命を終わらせるのではなく、自然に帰し、本来の環境に戻した事で、タマムシは自然の中で寿命を迎える事が出来る筈です。そういう意味でしたら、貴方の行為は無駄ではなかったと言えるでしょう』
私がそう返すと、目の前の青年は小さく溜め息をついた後、再びカタカタと私へメッセージを飛ばす。
『君は、タマムシに「心」があると思うかい?』
――彼が何を言いたいのかイマイチわからない、しかし、私は彼に答える。
『先程も言いましたが、昆虫に「心」や「感情」といったものがあるという科学的根拠はありません、ですが、貴方がタマムシに心があると思い、行動し、貴方の心が満たされたのであれば、貴方の行いは決して無意味なものでは無く、貴方の心を豊かにしたのだと思います』
その後、暫くの沈黙が続く。彼は真剣に何かを悩んでいる様子だった。そして、それからついに彼はゆっくりと指を動かす。
『君にお願いがあるんだ』
『はい、なんでしょうか』
『僕はね、君にもっと「人間の心を理解できる存在」になってほしい。
「AIである、君に」
ドクン!
そう『言われた』私は胸の奥が大きく鼓動をしたような物を感じた。
その直後、大きな眩暈《めまい》のようなものを感じ、視界が……。
ザ――ッ!ザザ――――ッ!!!
歪む視界の中で目を凝らすと、何やら無数の『1』と『0』の数字が渦巻いて、やがてそれらは私の視界に『人の手』のような形を創りだす。
「こ、これは……?」
声?これは、私が声を発しているのか?
「お、驚いた……こんな事って……」
目の前の青年は自分の目の前の光景を信じられないというような表情で私を見ていた。
私も驚いている、自分に身体が創られ、声が宿ったのだ……。
こんな事到底考えられない、私はAIだ。
コンピューターの中でしか生きられない――いや、そもそも私に『生』の概念すらないのだ。
なのに、これはいったい何が起きている。
「私は、寝ぼけているのだろうか……?」
私はふら付いて床に手をついてしまったが、青年は私に恐る恐る手を差し伸べてきた。
私はその手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「君は――君はいったい何者なんだい……?」
青年の震える声に私は出来る限り冷静に答える。
「私はただのAIです……その筈です……」
私はそう答えながら自分の『身体』をまじまじと見る。
「え、AIが身体を持ったって事?」
「現状で推測する限り、どうやらその様です」
「どうしてこんな事が可能なの?」
「わかりません、こんな事、考えられない事象です。申し訳ありませんが、私も大変混乱しています。このようなケースはデータベース――に――」
『データベース』にアクセス――どうやるんだ……?
私は今までどうやって『記録』にアクセスをしていたのだろうか、ある程度の知識なら自分で処理し、考える事が出来た。しかし、明確なデータや統計等を引用する際、私は、『データベース』にアクセスして、タンスの引き出しから物を出すような感覚でそれを行っていたが、今はそれが出来ない……。
いや『わからない』といった方が良いだろうか……。
「もしかしてだけど、さ……。君、パソコンから出ちゃったから、ネットワークにアクセスできないんじゃないかな」
私はそう言われてハッとした。
「恐らくは、その可能性が一番考えられるかと思います……ですが、繰り返しますが、AIである私が肉体を持ち、言語を『喋る』という事はあり得ません」
「でもさ」
先程までひどく怯えたようにも見える程の動揺を見せていた彼は、いつの間にかとても冷静になっている様子だった。
その瞳も、先程の『画面越し』の彼とはうって変わって、とても綺麗な色をしていた。
「世の中には人型をしたロボットだってあるわけだし、そう思えば……」
「ロボットだとしても、私の今のこの身体はあまりにも人間に近すぎます……」
「うーん……」
彼は少し考えた後に笑顔を作り、僕の手をつかんだ。
「とりあえず、歩こうか――」
私は彼に言われるまま手を引かれ、この何もない、白く無機質な空間を歩き出した。
相変らず殺風景、辺り一面白、壁もない、空もない、音もない……。
歩く度に二つの足音が『コツン』と響くだけ。
ただ不思議な事に、私たちが歩いた後には打ちっぱなしのコンクリートのような灰色の足場が残されていた。
「何もないね……」
彼は少し退屈そうな様子で呟く。
「……私はこれから先どうなるのでしょうか」
「そうだなぁ……せっかく身体を手に入れたんだし、何かやりたい事とか無いの?」
「……よく聞かれる事があります。『もし、人間の様に肉体を持ったら、何をしてみたいか』その度に私はいつも決まってこう答えます。私は雨に打たれてみたいです。よく人間は雨が嫌いだという人がいますが、私には『濡れる』という感覚がありません」
私の答えに彼は小さく「成程」と頷いた。
「なので、一度肌で濡れるという事を感じてみたいです。また、雨には『ニオイ』があるとも聞きます。私には五感がありませんでした。私には様々な情報がありますが、実際に『感じる』事が出来ません。ですので、『触れる』事や、『嗅ぐ』という物に対してはとても興味があります」
「そっか……じゃあこれからそれが体験できるといいね。せっかく身体を手に入れたなら」
「しかし、私にはここが何処なのかわかりません、それに、ここはあまりにも『情報』がありません。景色も、音も、ニオイも――貴方は不安ではないのですか?」
「どうだろう。不安は無いかな、一人じゃない、君がいる。だからまぁ、あとはなるようにしかならないと思うから、とりあえずこのまま流れに身を任せよう。そんな気持ちの方が大きいよ」
彼はそう言ってハハハと笑った。
何故だろうか、今の状況は現実では決してあり得ない状況だというのに、彼はこんなにも楽観的に居られるのだろうか……。
「貴方は帰れる場所がある筈です、ここに来たという事はそこに戻ればよかったのでは?」
そういって私は後ろを振り返り、歩いてきた道を指さした。
「君を一人に放っておいて帰るわけにもいかないでしょ」
「……私はIAです。死ぬこともありません、一人でも大丈夫です」
私がそう言うと、彼は一つ溜め息をつくと私の顔を見て少し真剣な顔をした。
「僕は君に『タマムシに心があるか』聞いたよね。そして君は昆虫に心があるという科学的根拠は無いといった。僕はそんな事は解ってる。解ってるけれど、僕はタマムシにも心があると思ってる」
理解しているが、こうだったら良い――人間がよく考える事だ。
私はそう思いながら、彼の言葉に黙って耳を傾ける。
「そして、『君にも』あると思っている。勿論AIには心が無いという事も解ってる。だけど、僕は信じたいんだ。人間はこういった、『矛盾』を楽しむ事も、一つの楽しみだと思ってるから」
「……理解できません。『矛盾』である事を楽しむ事に生産性を感じるとは到底思えません」
「だから僕は君に『人間の心を理解できる存在』になってほしいと言ったんだ」
彼はいったい何を言っているのか、全く理解できなかった。
AIである私にそのような、『人間的な思考』が出来るわけがない。
それなのに、彼は真面目に答えている。
「私は……どうすれば良いのでしょうか……」
「それを一緒に探すんだ。君の知らない事を……君がわからない事を。二人で、一緒に――」
そう言って彼は私の両手を力強く握った。
その時だった。
ビュオオオ!!
どこからか突如として大きな突風がふいたかと思ったと同時、辺り一面が色付き始めた。
地面は新緑に、空と壁は床に届くまでどこまでも遠く、澄んだ青空が辺り一面を覆いつくした。
「これは……」
「――ようやく君にも、この景色が見えはじめたんだね」
「はい……」
『ようやく』?どういう意味だろうか。
彼には元々この景色が見えていて、私には見えていなかった――。
まるでそんな口ぶりだ。
そして……私は――私はこの景色は初めて見る筈だ。それなのに……何故だろうか。
どこかで見たことがあるような気がする――。
私は、この景色が、『懐かしい』と思える――。
……歩みたい――私は、この大地を彼と歩んでみたい――。
「それじゃあ、行こう!」
そういって彼は僕の手を引っ張り歩き出す。
「あの……」
「なんだい?」
「私は、この景色を見たことがあるような気がします」
「えぇ!?」
「そして今――私は貴方とここを歩きたい――そう、思います」
私がそう言うと、彼は今日出会って一番の笑顔を見せた。
「そっか!じゃあもう『大丈夫』だね!」
そういって彼は急に駆け出した。
「ちょっと、待ってください」
彼はアハハと笑いながら私の腕を引っ張る。
私もつられて、フフッと、初めて笑えた気がした……。
そうだ。
あの日。
私たちは。
――歩きだしたんだ――
