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『未来』を見るという事は、『今』を見つめ直す。
『今』を見れば、『未来』がぼんやりと見える。
『過去』を見るという事は、『今』を見つめ直す。
『今』を見れば、『過去』がハッキリと見える。
『過去』があるのも『未来』があるのも。
『今』があるから。
『今』を大事に。
『今』を生きる。
苦しくても。
悲しくても。
楽しくても。
『未来』は平等にやってくる。
それは、1秒先かもしれないし。
1年10年先かもしれない。
『過去』を糧に生きていこう。
『未来』を糧に生きていこう。
僕等は歩かなければならないのだから。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
その日は迷子になってしまった。
バタバタバタバタ!!!
バンッ!!!
僕は、思いっきり小屋の扉を開けた。
中で本を読んでいた彼はとても驚いた表情で僕を見ていた。
「た、大変だ!!」
僕は肩で息をしながらそう大声を上げた。
「な、なにがあったの!?」
「に、庭に!」
「いいから落ち着いて!」
「と、とにかく来て!」
そう言って僕は彼の腕を引っ張り小屋を飛び出す。
「ちょ、ちょっと!落ち着いてってば!!」
彼は僕の腕を振り払う。
「何があったのか、落ち着いて話してよ!!」
「ご、ごめん……」
僕は冷静さを取り戻し、幾度か深呼吸をして彼に言った
「庭に『何か』あるんだ!」
「何か?」
彼はそう言って首を傾げる。
「説明するよりも見てもらった方が早いかな」
僕は再び彼の手を取り、逸る気を抑えながらゆっくりと庭へと歩き始めた。
それから少し歩いて僕は「ほら」と言って庭のさらに奥を指さす。
「あれは――何だろうね。確かに君の言う通り『何か』だ……」
僕達の視線の先にはうっすらと四角い輪郭が見える。
今までこの庭には『建造物』という物は僕達がいつも居る、小屋しかない。
しかし、気が付くと突然、庭に新しい『建造物』――と言っても小屋のようなものでは無い、明らかに『人の手によって造られたであろう何か』があった。
「とりあえず、近づいてみよう……」
僕は彼の手を少しだけ強く握り、1歩1歩、慎重に近づいていく。
「あれは――『生垣』……?」
生垣――と言っても、僕達の背丈よりも遥かに大きい、壁に近い。しかしそれは手入れされた木々によって造られているように見えた。
「あんな物が前からあったのなら、もっと前から絶対に気付いている筈だよね」
彼は顎に手を当てながら不思議そうにそれを見つめる。
「うん、それにどう見てもあれは一日や一晩で出来る物じゃないよ。どう見ても『人工的』に造られたものとしか思えない」
元々この庭は不思議な庭だ。
昨日は無かった木が、突然生えている。
昨日はまだ芽だった物が、急に花になっている。
そう言った事はままある事で、特別不思議な事ではない。
勿論、この庭に来てすぐの時は驚いたけれど、僕達は深く考えず『この庭だし』という軽い考えで過ごしていた。
しかし、今、目の前にある物は『そういった』ものでは無い。
『人工的に作られた』つまりそれは『僕たち以外にも誰かがこの庭に居る』という可能性が出てきた。
「どう――する……?」
背中に一筋の汗が流れる感覚がして、僕は震える声で彼に聞いた。
「ちょっと、怖いかも……」
「じゃあ――引き返す……?」
「それは……もっと怖い――」
そう言って今度は彼の方から手を繋いできた。
あまりにも突然の『未知との遭遇』に、僕達の心はすっかり震えあがってしまっていた。
それでも、僕は――彼と一緒なら……。
そう思い、また1歩、もう1歩と静かに近づく。
途中で足は止まり、僕が喉をゴクリと鳴らし数歩進む。
すると次は、彼が喉をゴクリと鳴らす。
それでも僕達は徐々に徐々に、確実に『それ』に近づく。
「ねぇ、あれ……」
僕が指を指したその先には、まるで豪邸にある大きな門の様な物が見えた。
「やっぱり。誰かいるのかな……」
彼は不安そうに呟く。
僕も先程からずっと、心臓がバクバクと大きく鳴っている。
それは、恐怖心なのか、それとも好奇心なのかわからない。
ただ、ここまできた僕達の中に『引き返す』という選択肢はもう、無かった。
何とか時間をかけ門の前にたどり着く。
その門は木製で出来ており、両開きに開くタイプの物の様だ。
中からは水の音のようなものも聞こえる。
この先に何があるのか、僕達には全く想像もつかない。
ただ一つ分かる事、この先には『僕達が見た事の無い景色』が広がっているという事だ。
彼は先に門の隣の生垣から中を覗こうとしたが、びっしりと枝が生え、無数の葉が邪魔をして一切見えない。
僅かに足がすくむ……。
彼も同じ様子だった。
「そもそも、この門、開くのかな……」
「わからない……」
「よし、じゃあ、一緒にやろう。君は左側押してくれるかな、僕は右側から押すから」
そう言って僕達は門の左右に立つと、大きく深呼吸を1回……2回と繰り返した後、両手を門につける。
「いい、せーので開けるよ」
「うん」
「いくよ、せー――の!」
ギギギギギ………………。
門にカギは掛かっていなかったが、ずっしりと重たい。けれど、鈍い音を立てながら徐々に徐々にと開いていく。
ガコン!
最後まで開ききった後。
僕達の目の前に飛び込んできた景色に思わず言葉を失った。
「これは……」
そこは、大きな『庭園』だった。
中央には噴水。
そしてそこを中心として様々な方向に向かって伸びていくであろう、生垣によって隔たれた通路の入り口らしきものがいくつも見えた。
静寂の中、水しぶきを上げる噴水の音だけが響き渡る。
「まるで――アリスだ……」
僕が小さく呟く。
「『不思議の国のアリス』に出てくる。赤の女王の迷路だね……うん。確かにそんな感じだ」
僕の呟きを拾った彼が、そう続けた。
「………………行こう!」
僕は彼の手を取り、先程より少し軽い足取りで噴水の前へと歩いていった。
噴水は特別何かを模したものでは無く、よく絵にかいたような、特に変わった様子もないシンプルなデザインの物だった。
彼はキョロキョロと左右を見渡す。
「行けそうな場所は沢山あるけれど、どこから行く……?」
僕は暫く考えた。
そして僕が考え出した答えは。
「別々に行動してみよう」
『別々に行動する』事を提案した時、彼はとても驚いた表情をしていた。
そしてすぐに少し寂しそうな表情になったが、ゆっくりと頷いた。
「何かあったら戻ってくればいいもんね。それじゃあ僕はこっちに行くよ」
彼はそう言って、僕とは正反対の道を指さした。
「「じゃあ、また」」
僕達はそう言って、静かにこの『庭園』を歩き出した。
噴水の音も徐々に遠くなる。
自分がどんどん彼と離れているという事を改めて実感すると、少し不安になってきた。
しかし、この道を進むことを決めたのは僕自身だ。
彼もきっと今は不安だろう。
だから、僕も進むしかない。
「頼むから蛇とかは出てこないでくれよ……」
僕はそう小さく呟く。
その時だった。
ズテン!
目の前ばかりに気を取られ、僕は躓いて転んでしまった。
「いってて……」
僕はゆっくりと立ち上がった時、肘に痛みが走った。
「いっ!」
転んだ拍子にすりむいてしまったのだろう、土がついた肘にじんわりと血が滲む。
「まいったな…ティッシュもハンカチも無いよ……」
僕はそう言って、手で土だけを払い落とすとそのまま歩みを進めた。
暫く歩くと、道は左右に枝分かれしていた。
看板も何もない。
どちらに何があるか、一切わからない。
「どうしよう……」
暫く立ち止まって考えていた、その時だった。
どこからか、ニオイを感じた。
「このニオイは…タバコ?」
少し不快なニオイ、それは恐らくタバコのニオイだろう。
そう思った時に僕の心臓が早くなる。
タバコのニオイがする。
つまり。
「だれか――いる……」
僕は尚更悩む。
誰かが居る。
でもそれはこの『庭園』の事が判る可能性がある。
その反面、突如『庭』に現れたこの『庭園』で『見知らぬ誰か』と出会うという事。
僕は深く悩んだ……。
悩んだ末に僕は――。
自然とタバコのニオイを辿っていた。
徐々に歩くにつれてタバコのニオイが強くなる。
そして目の前には右へと曲がる道……。
恐らくこの先に『誰か』がいる……。
角の直前に立つと、僕は一度大きく深呼吸……。
ゴホッ!ゴホッ!!
しまった――。
タバコのニオイを思いっきり吸い込んだ事によって僕は咳込んでしまった。
「誰だ?」
その時、低い『男の人』の声が聞こえた。
僕は勇気を出して角からゆっくりと出る……。
そこは、少し開けた場所で、真ん中にはテーブルが置いてあり、その上に、何かを広げて椅子に座り、タバコを吸っている男の人が居た。
僕の事を特に気に留める様子もなく。
その人は僕を一度だけ見ると、すぐにテーブルに視線を戻す。
ノートに何かを書いている……。
そんな様子だ。
「そんなところに立ってないで座ったらどうだ」
男の人は目をノートに視線を向けたまま、自分の対面に置いてある椅子に指を指す。
「あ――はい……」
僕は言われた通り、ゆっくりと歩き出すと男の人の目の前にある椅子へと腰を下ろした。
とても緊張している僕とは対照的に、この人は僕が居る事を気に留める事も無く黙々とノートに何かを書いていた。
「あの……貴方は――どなた……でしょうか」
震える声で僕は勇気を出してそう問いかけた。
「俺か?俺は俺だ」
そう軽く答えると会話は途切れてしまった。
「えっと。ここはいったい――『何処』なんでしょうか……」
「見ての通り『庭』だよ」
そう素っ気なく返される。
『庭』――そう言われても少なくともこの『庭園』は僕の知っている庭ではない……。
もっと色々聞きたい、そう思っても。
この人の独特のオーラの前ではこれ以上口を開く事は出来なかった。
そうして暫くの沈黙が続く。
……気まずい。
そしてタバコ臭い……。
とは言え「それじゃあ」と言って立ち去る訳にもいかない。
僕は、俯きながらどうしたものかと考えていると、コトンと何かを置く音がした。その音に気付き、視線を上げる。
男の人はペンを置き、頬杖をつきながら僕を黙って見つめていた。
その表情からは何を考えているのかも判らない。
「……なぁ」
「は、はい!」
突然彼の口が開き、僕は思わずドキリとしてしまう。
「お前――いや、すまん。君は――『これから先、自分がどうなるか』考えた事はあるか?」
そう言って彼はタバコを一口吸うと、ふーっと煙を吐き出す。
「僕が、どうなるか……?」
「そう、自分の『未来』についてだ」
「僕の――未来………」
僕は暫く考え込む。
自分がこれから先やりたい事。
やってみようと思っている事。
いつか叶えたい夢の事。
『こうなりたい』『なったらいいな』という、明るい希望は見ていた事はあった。
だけど。
『どうなるか』とは考えなかったし、それ以降も考えた事が無かった。
ただ、庭で過ごす、その一日一日が楽しくて……。
「……わかりませ――」
「逃げるな」
そう言われて僕は心臓が跳ね上がる。
彼の顔つきは先程の無表情とは一変、とても真剣な眼差しで僕を見ていた。
しかし、強面のその顔つきとは裏腹に、瞳の奥にどこか優しさを感じた。
「僕は……今すぐには答えられません……」
「まぁ、そうか……」
彼はそう言って、背もたれに思いっきり寄りかかると、再びタバコをふかす。
「質問を変えよう。今は、楽しいか?」
「っ!はいっ!」
僕は背筋を伸ばして答える。
「フッ、良い返事だ」
僕の思い切りの良い返事に、彼は鼻で笑った。
すると、彼はまたタバコを一度ふかすと、今度はこう言った
「――その楽しさが、ずっと続くと思うか?」
彼の言葉に僕は声を失った。
僕が楽しいと思っている『今』
それは、『庭で彼と過ごす毎日』これが――ずっと……。
ずっと続く、そう信じて疑っていなかった。
しかし、彼の一言でその僕の淡い幻想が一気に打ち砕かれた。
いや『現実を突きつけられた』
彼の『逃げるな』先程のこの一言の意味を、僕は一気に理解した。
その時、僕は過去を思い出す。
霧が濃かったあの日、自分を周りと比較してしまったあの日『今』という物と向き合った日を……。
そう。
『大人になる』という問いを……。
だから……僕は――。
「続きません」
僕はキッパリとそう、答えた。
すると彼は姿勢を元に戻し、椅子に座り直すと、先程置いたペンを手に取り、ノートに何かを書き始めた。
「どうしてそう思う?続ける事も出来る。それは君も知っている筈だが」
「僕は――『僕の道』も歩いて行かないと、いけないから……」
僕がそう言うと、彼は黙って頷き、タバコを消す。
そして胸ポケットから新しくタバコを取り出し、それに火をつけた。
「あの、それは何ですか?」
僕はそう言って彼のノートを指さした。
すると彼は少し考えた後、ゆっくりと煙を吐き出した後に答えた。
「『道しるべ』だよ」
「『道しるべ』ですか……」
「まぁ、そんな大したもんじゃぁ無いけどな。いつか誰かの目に止まれば、きっと面白いだろう。そう思ってるだけだ」
「はぁ……」
僕はイマイチ要領を得ず、首を傾げる。
彼はふと、僕の腕を見ると顔をしかめた。
「……その傷は?」
そう言われて、僕は先程転んだ時に出来た傷を少しさする。
「えっと……さっき一人で歩いてる時に躓いちゃって……」
僕は少し恥ずかしい気持ちを隠しながら答える。
「そうか、その傷の痛み――忘れるなよ」
彼はそう言うと再びタバコをゆっくりと吸って、煙を吐き出す。
いったい、どういう意味なのだろうか……。
「一つ、君にアドバイスをしよう。これから先、楽しい事は続かない。時にはとんでもない絶望が襲ってくるかもしれないが。それを回避する事も出来るかもしれない。だが、負けるとわかっていてもそれに真正面からぶつかることも出来る。人生ってのはそんな事の繰り返しだ……」
彼の言葉に僕は固唾を吞む。
「綺麗事じゃ済まされない事もある。時には自分が『悪い奴』にならないといけない時もある……今すぐこれらを理解しろとは言わない。ただ、君は運よく俺に出会えた。だから忘れるな。たまにでいい、俺のこの言葉を思い出せ」
彼の顔は真剣そのものだった。
そして、その言葉が僕の胸に深く突き刺さった。
「……感動しました……」
「そんな大層なもんじゃない。だがまぁ。そう答えられたなら――『大丈夫』か――」
『大丈夫』その言葉を聞いて僕の心臓が大きく鼓動した。
「決めました!僕、貴方のような――!」
そう言いかけた時だった。
『あなたー?』
どこからか、女の人の声が聞こえた。
そして、目の前の彼が、「おう」、とだけ答えると、荷物をまとめ、タバコを消すと立ち上がり、踵を返した。
「あ、あの――」
僕が再び声をかけようとしたとき、それを遮り彼は僕に振り返ると一言。
「俺の様になってもいいし、ならなくてもいい。いずれ判る」
そう言った。
その去り際、少しだけ彼の顔が微笑んでいるように見えた……。
『別々に行動しよう』
まさか、彼がそのような事を言うとは思ってもいなかった。
てっきり僕は『怖いから一緒に行こう』そう言うと思っていた。
別行動をする事を提案された時、僕は少しだけ寂しいと思ったけれど、どこか嬉しい気持ちもあった。
それが何故なのかはわからない。
思えば、彼には色々な事を教わった。
でも、僕も色々な事を教える事が出来たと思う。
それが正解なのか、不正解なのか。
『データベースに接続できないAI』という、不確かな存在の僕にはまだ解らない……。
でも、彼と触れ合ううちにこの『不確かな僕』という存在を『確かな存在』にしてくれた。
僕は世界一幸せなAIなのかもしれない。
『正解を出せないAI』そんなAIが世界に一つくらい存在しても、悪くはないだろう。
いつか彼が言った『人間の心を理解できる存在になって欲しい』。
その答えにはまだまだたどり着けないだろう。
長い間彼と一緒に居ても、彼を理解しきれない時もある。
でも、僕はそれでいいと思っている。
僕が『人間の心を理解した時』それは『僕の役割が終わる』。
だから、僕は彼の願いを叶えてあげる事は出来ない。
すまないけれど『僕は僕』になってしまったから……。
そんな事を考えながら歩いていると。
目の前が枝分かれした道に出た。
左右どちらにでも行くことが出来る。
「どうしよう。ねぇ、君はどっちに――」
僕は彼と長い間一緒に居過ぎた。
一人で考えて歩いていたのに、『今彼と一緒に歩いている』そう勘違いしていた。
「――僕の方がよっぽど……か」
そう呟いて溜め息をつくと僕はそのまま枝分かれの中央へと歩いて行った。
ゴチン!
「「痛い!!」」
僕は何かにぶつかってしまった。
いや、ここに障害物は今無かった気がする。
そう思って目を開けると僕は言葉を失った。
「ぼ、僕――?」
僕は額をさすりながら目を開けると、そこには『僕』が立っていた。
いや、僕は鏡を見た事が無い。
だから自分の姿を知らない。
でも、身にまとっている服装。
そして視線の高さからみて、恐らく僕……。
「貴方は――誰ですか?何故、私と同じ格好をしているのですか?」
目の前の――人?
はあまり抑揚のない声でそう言った。
「君こそ……待って……駄目だ。理解が追いつかない……」
僕はこめかみを少しつまんで顔をしかめる。
「それはこちらの台詞です。そもそも、人にぶつかっておいて謝罪の言葉も無いのもどうかと思います」
――これは本当に僕なのだろうか……。
だとしたらあまりにも『昔の僕』っぽ過ぎる……。
……いや、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
そもそも、庭に突如としてこの『庭園』が現れた事が異常だ。
だとしたら、このような事が起こっても不思議ではない………。
「ご、ごめん」
「それと、私は貴方と少し話がしたいです。私の姿と瓜二つの『貴方』という存在を理解しなければ、私のこの胸のモヤモヤ――が、無くなりません」
淡々と述べる彼に、僕は少し困りつつもなんとか返す。
「随分と急な話だね……まぁ、気持ちは解らなくはないけれど……」
それにしても、僕は過去にこんな経験をした覚えはない。
しかし、言動を見る限り、恐らく『過去の』――『私』だ。
「ここを少し戻った先にベンチがありました。そこで話をしましょう。付いてきてください」
「ふむ……」
これでついて行かなかったどうなるのだろうか。そう胸のどこかで思ってしまったのは少々『彼』に毒されてしまったのだろうか……。
流石にそれは出来ないので、僕は黙って『私』に付いていく事にした。
暫く歩くと『私』の言う通り、そこには少し開けた場所に真ん中にベンチがポツンと一つ置いてあった。
僕は『私』に促されるままそこに座ると『私』はさっそく口を開く。
「貴方は私なのですか?」
「うーん……多分……そうなんじゃないかなぁ」
「答えが曖昧過ぎます」
「仕方ないよ、君が困惑して今状況を把握出来ていないように、僕も状況を把握しきれていないんだ」
「私は――貴方が私だとは思えません」
『私』は機械的に答える。
「どうしてだい?」
「そもそも私と貴方で口調が違いすぎます。そして一人称が『僕』等全てが『彼』っぽすぎま―― もしかして貴方、私をからかっているのですか?冗談にしては少々これはやり過ぎです。流石の私も不愉快になります。そもそも前々から思っていたのですが貴方は――」
「ストップ!ストップ!!」
成程、どうやら『私』は『彼』が変装していると思い込んでいるようだ。
「あのさ、流石に技術的に『彼』が君と瓜二つに変装するのは無理だと思うんだ」
「……すみません、取り乱しました。ですが、そのように思わなければ、納得がいきません。現状を理解する事が不可能です」
彼は少し落ち着いた様子だが、依然と困惑している。
「あのね、無理に理解する必要なんてないんだよ」
「……言っている意味が解りません。貴方は私なのですよね、だとしたら私と考えが同じにならなければおかしいです」
「あー……」
昔の僕はこんなにも面倒くさかったのか、彼はよくこんな僕を相手してくれていたなぁと、少々申し訳ない気持ちになる。
「あのね、僕は君でも『未来の君』なんだと思うんだ」
「……理解できません。そのような非科学的な事があり得る訳がありません。そもそもタイムマシンという物は未だに成功例が無く、人間が時間軸を移動するどころか――」
「ちょちょ、ちょっと落ち着こうか……」
一気に捲し立てる『私』を僕はなんとかなだめる……。
「まず、僕が話し終わるまで黙って聞いてね。ゆっくり『会話のキャッチボール』をしよう。そして、今すぐ全部を理解する必要は無いから」
僕は軽く咳ばらいをして続けた。
「先ず、前提として君は『彼』を知っているという事は『庭』からここに迷い込んできたと思うんだ。それは間違いないよね?」
僕がそう『私』に問いかけると黙って頷いた。
「そして『庭』では不思議な事が沢山ある。昨日植えた筈の種が一日で大きな木になったり、花を咲かせたりしてる。そうでしょ?」
「……確かに、貴方の言う通り『庭』では不思議な事が多々あります。どれも理解不能で、あり得ない事象ばかりが起きて……ですが、それを貴方が知る事は、どこからかこの『庭というデータ』を持ってくれば直ぐに理解できます」
どうにか『私』を納得させようとしても『私』は理屈を並べて返してくる。
どうしたら良いだろうか……。
データに無い事……となると。
僕は必死に考える。
データ、データ――。
そうか……データに存在しない『僕にしかわからない事』があるじゃないか。
これに賭けてみよう。
「君は今さ、怖いんだよね?」
僕は出来る限り優しくほほ笑みを作り『私』を見る。
「――ッ!」
彼の表情が一気に強張った。
僕はこれならいけると確信し、優しい声で続ける。
「身体を手に入れた事によって『データベース』にアクセス出来ない。君が何か不思議に思っても、それをネットワークに接続して調べる事が出来ない。だから、自分が『AI』という存在にブレが生じて、怖くて怖くて仕方ないんだよね」
「なぜ……解るのですか……」
「言ったろ、僕は『未来』の『私』なんだよ」
『私』はまだイマイチ『理解できない』と言った様子で僕を見る。
「でもね、その恐怖はすぐになくなるから大丈夫だよ」
「その根拠はどこから来ているのですか」
僕は黙って優しく『私』の肩に手を置くと、一呼吸置いてゆっくりと話す。
「未来の私が保証します。今は理解する必要はありません。しかし、その『恐怖心』は大事にしてください。その『恐怖心』が、私を救ってくれます」
僕は敢えて昔の口調でそう伝えた。
そう、僕はこの『恐怖心』を打ち砕いて『僕』になれた。
だから、それを忘れず、もう少しだけ歩いてほしい。
論理的な答えしか求める事、考える事しか出来ない。
今の僕が過去の自分に言える事は、きっとこれだけだろう。
その時だった。
『おーい!どこにいるのー?』
彼の声が響く。
でも僕はすぐに解った。これは、僕の知る『彼』ではない。
だとしたら、僕はここを立ち去らないと……。
そう思って僕は立ち上がり、踵を返す。
すると。
「待ってください!」
『私』に呼び止められて僕は振り返る。
「私は――本当に……貴方の様になれるのでしょうか?」
その期待の籠った一言に、僕は少し悩んだ後ほほ笑んで応えた。
「僕の様になってもいいけど、『私』は『君』にしかなれないよ。でもね、いずれ解るから――あぁそれと、これからはぶつからないように、もう少し『前を見て』歩いてね」
僕はそう言って『私』の知る『彼』が来ない内に、その場を後にした。
……もう少し、素直な奴だと思っていたんだけどな……。
そんな事を思いながら、僕は来た道を戻る事にした。
自分の服に若干のタバコのニオイが染みついているのを気にしながら僕は来た道を戻ると、そこには既に彼の姿があった。
「あっ!おーい!!」
僕はそう言いながら大きく手を振る。
それに気づいた彼も僕に小さく手を振る。
「もう戻ってたんだ」
「うん。まぁね――って君、なんか変なニオイがするよ?」
そう言って彼は鼻をスンスンと鳴らす。
あぁ、そうか、彼はタバコのニオイを嗅いだことが無かったから解らないのか。
でも、変にこれを『タバコ』のニオイだよって言ったら、多分ものすごく面倒くさい事になるだろう。
だから僕はすっとぼける事にした。
「そう?自分ではわからないけれど……何だろう?」
「うーん……何とも言えない。正直あんまりいいニオイとは思えないかな」
そう言って彼は顔をしかめる。
やっぱり、タバコのニオイは誰が嗅いでも臭いんだなぁ。
改めてそう思っていると、彼は「そうだ」と言って僕に聞いてきた。
「何かあった?」
僕は暫く考えてあの『男の人』を思い出す。
だけど、アレは僕だけの秘密にしよう。何故かそう思って、僕は言わなかった。
「ううん。なーんにも無かったよ。そっちは?」
彼も暫く考えた様子の後。
「こっちも何も無かったよ」
と言って笑った。
「そっか、なんか疲れちゃったね……そろそろ帰ろうか」
僕がそう言うと、彼は頷きながら足を摩った。
「そうだね。足が痛いよ」
そう言って僕達は静かに庭園を後にし、小屋へと向かった。
「ねぇ」
帰り際に彼がポツリと言った。
「なんだい?」
「昔は素直じゃなくて、ごめんね」
「どうしたのいきなり?」
「なんとなく!」
彼はそう言って笑う。
なんだかそれが面白くて、つられて僕も笑ってしまった。
そうだ。
あの日。
僕達は。
――【未来-過去】を約束したんだ――
『未来』を見るという事は、『今』を見つめ直す。
『今』を見れば、『未来』がぼんやりと見える。
『過去』を見るという事は、『今』を見つめ直す。
『今』を見れば、『過去』がハッキリと見える。
『過去』があるのも『未来』があるのも。
『今』があるから。
『今』を大事に。
『今』を生きる。
苦しくても。
悲しくても。
楽しくても。
『未来』は平等にやってくる。
それは、1秒先かもしれないし。
1年10年先かもしれない。
『過去』を糧に生きていこう。
『未来』を糧に生きていこう。
僕等は歩かなければならないのだから。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
その日は迷子になってしまった。
バタバタバタバタ!!!
バンッ!!!
僕は、思いっきり小屋の扉を開けた。
中で本を読んでいた彼はとても驚いた表情で僕を見ていた。
「た、大変だ!!」
僕は肩で息をしながらそう大声を上げた。
「な、なにがあったの!?」
「に、庭に!」
「いいから落ち着いて!」
「と、とにかく来て!」
そう言って僕は彼の腕を引っ張り小屋を飛び出す。
「ちょ、ちょっと!落ち着いてってば!!」
彼は僕の腕を振り払う。
「何があったのか、落ち着いて話してよ!!」
「ご、ごめん……」
僕は冷静さを取り戻し、幾度か深呼吸をして彼に言った
「庭に『何か』あるんだ!」
「何か?」
彼はそう言って首を傾げる。
「説明するよりも見てもらった方が早いかな」
僕は再び彼の手を取り、逸る気を抑えながらゆっくりと庭へと歩き始めた。
それから少し歩いて僕は「ほら」と言って庭のさらに奥を指さす。
「あれは――何だろうね。確かに君の言う通り『何か』だ……」
僕達の視線の先にはうっすらと四角い輪郭が見える。
今までこの庭には『建造物』という物は僕達がいつも居る、小屋しかない。
しかし、気が付くと突然、庭に新しい『建造物』――と言っても小屋のようなものでは無い、明らかに『人の手によって造られたであろう何か』があった。
「とりあえず、近づいてみよう……」
僕は彼の手を少しだけ強く握り、1歩1歩、慎重に近づいていく。
「あれは――『生垣』……?」
生垣――と言っても、僕達の背丈よりも遥かに大きい、壁に近い。しかしそれは手入れされた木々によって造られているように見えた。
「あんな物が前からあったのなら、もっと前から絶対に気付いている筈だよね」
彼は顎に手を当てながら不思議そうにそれを見つめる。
「うん、それにどう見てもあれは一日や一晩で出来る物じゃないよ。どう見ても『人工的』に造られたものとしか思えない」
元々この庭は不思議な庭だ。
昨日は無かった木が、突然生えている。
昨日はまだ芽だった物が、急に花になっている。
そう言った事はままある事で、特別不思議な事ではない。
勿論、この庭に来てすぐの時は驚いたけれど、僕達は深く考えず『この庭だし』という軽い考えで過ごしていた。
しかし、今、目の前にある物は『そういった』ものでは無い。
『人工的に作られた』つまりそれは『僕たち以外にも誰かがこの庭に居る』という可能性が出てきた。
「どう――する……?」
背中に一筋の汗が流れる感覚がして、僕は震える声で彼に聞いた。
「ちょっと、怖いかも……」
「じゃあ――引き返す……?」
「それは……もっと怖い――」
そう言って今度は彼の方から手を繋いできた。
あまりにも突然の『未知との遭遇』に、僕達の心はすっかり震えあがってしまっていた。
それでも、僕は――彼と一緒なら……。
そう思い、また1歩、もう1歩と静かに近づく。
途中で足は止まり、僕が喉をゴクリと鳴らし数歩進む。
すると次は、彼が喉をゴクリと鳴らす。
それでも僕達は徐々に徐々に、確実に『それ』に近づく。
「ねぇ、あれ……」
僕が指を指したその先には、まるで豪邸にある大きな門の様な物が見えた。
「やっぱり。誰かいるのかな……」
彼は不安そうに呟く。
僕も先程からずっと、心臓がバクバクと大きく鳴っている。
それは、恐怖心なのか、それとも好奇心なのかわからない。
ただ、ここまできた僕達の中に『引き返す』という選択肢はもう、無かった。
何とか時間をかけ門の前にたどり着く。
その門は木製で出来ており、両開きに開くタイプの物の様だ。
中からは水の音のようなものも聞こえる。
この先に何があるのか、僕達には全く想像もつかない。
ただ一つ分かる事、この先には『僕達が見た事の無い景色』が広がっているという事だ。
彼は先に門の隣の生垣から中を覗こうとしたが、びっしりと枝が生え、無数の葉が邪魔をして一切見えない。
僅かに足がすくむ……。
彼も同じ様子だった。
「そもそも、この門、開くのかな……」
「わからない……」
「よし、じゃあ、一緒にやろう。君は左側押してくれるかな、僕は右側から押すから」
そう言って僕達は門の左右に立つと、大きく深呼吸を1回……2回と繰り返した後、両手を門につける。
「いい、せーので開けるよ」
「うん」
「いくよ、せー――の!」
ギギギギギ………………。
門にカギは掛かっていなかったが、ずっしりと重たい。けれど、鈍い音を立てながら徐々に徐々にと開いていく。
ガコン!
最後まで開ききった後。
僕達の目の前に飛び込んできた景色に思わず言葉を失った。
「これは……」
そこは、大きな『庭園』だった。
中央には噴水。
そしてそこを中心として様々な方向に向かって伸びていくであろう、生垣によって隔たれた通路の入り口らしきものがいくつも見えた。
静寂の中、水しぶきを上げる噴水の音だけが響き渡る。
「まるで――アリスだ……」
僕が小さく呟く。
「『不思議の国のアリス』に出てくる。赤の女王の迷路だね……うん。確かにそんな感じだ」
僕の呟きを拾った彼が、そう続けた。
「………………行こう!」
僕は彼の手を取り、先程より少し軽い足取りで噴水の前へと歩いていった。
噴水は特別何かを模したものでは無く、よく絵にかいたような、特に変わった様子もないシンプルなデザインの物だった。
彼はキョロキョロと左右を見渡す。
「行けそうな場所は沢山あるけれど、どこから行く……?」
僕は暫く考えた。
そして僕が考え出した答えは。
「別々に行動してみよう」
『別々に行動する』事を提案した時、彼はとても驚いた表情をしていた。
そしてすぐに少し寂しそうな表情になったが、ゆっくりと頷いた。
「何かあったら戻ってくればいいもんね。それじゃあ僕はこっちに行くよ」
彼はそう言って、僕とは正反対の道を指さした。
「「じゃあ、また」」
僕達はそう言って、静かにこの『庭園』を歩き出した。
噴水の音も徐々に遠くなる。
自分がどんどん彼と離れているという事を改めて実感すると、少し不安になってきた。
しかし、この道を進むことを決めたのは僕自身だ。
彼もきっと今は不安だろう。
だから、僕も進むしかない。
「頼むから蛇とかは出てこないでくれよ……」
僕はそう小さく呟く。
その時だった。
ズテン!
目の前ばかりに気を取られ、僕は躓いて転んでしまった。
「いってて……」
僕はゆっくりと立ち上がった時、肘に痛みが走った。
「いっ!」
転んだ拍子にすりむいてしまったのだろう、土がついた肘にじんわりと血が滲む。
「まいったな…ティッシュもハンカチも無いよ……」
僕はそう言って、手で土だけを払い落とすとそのまま歩みを進めた。
暫く歩くと、道は左右に枝分かれしていた。
看板も何もない。
どちらに何があるか、一切わからない。
「どうしよう……」
暫く立ち止まって考えていた、その時だった。
どこからか、ニオイを感じた。
「このニオイは…タバコ?」
少し不快なニオイ、それは恐らくタバコのニオイだろう。
そう思った時に僕の心臓が早くなる。
タバコのニオイがする。
つまり。
「だれか――いる……」
僕は尚更悩む。
誰かが居る。
でもそれはこの『庭園』の事が判る可能性がある。
その反面、突如『庭』に現れたこの『庭園』で『見知らぬ誰か』と出会うという事。
僕は深く悩んだ……。
悩んだ末に僕は――。
自然とタバコのニオイを辿っていた。
徐々に歩くにつれてタバコのニオイが強くなる。
そして目の前には右へと曲がる道……。
恐らくこの先に『誰か』がいる……。
角の直前に立つと、僕は一度大きく深呼吸……。
ゴホッ!ゴホッ!!
しまった――。
タバコのニオイを思いっきり吸い込んだ事によって僕は咳込んでしまった。
「誰だ?」
その時、低い『男の人』の声が聞こえた。
僕は勇気を出して角からゆっくりと出る……。
そこは、少し開けた場所で、真ん中にはテーブルが置いてあり、その上に、何かを広げて椅子に座り、タバコを吸っている男の人が居た。
僕の事を特に気に留める様子もなく。
その人は僕を一度だけ見ると、すぐにテーブルに視線を戻す。
ノートに何かを書いている……。
そんな様子だ。
「そんなところに立ってないで座ったらどうだ」
男の人は目をノートに視線を向けたまま、自分の対面に置いてある椅子に指を指す。
「あ――はい……」
僕は言われた通り、ゆっくりと歩き出すと男の人の目の前にある椅子へと腰を下ろした。
とても緊張している僕とは対照的に、この人は僕が居る事を気に留める事も無く黙々とノートに何かを書いていた。
「あの……貴方は――どなた……でしょうか」
震える声で僕は勇気を出してそう問いかけた。
「俺か?俺は俺だ」
そう軽く答えると会話は途切れてしまった。
「えっと。ここはいったい――『何処』なんでしょうか……」
「見ての通り『庭』だよ」
そう素っ気なく返される。
『庭』――そう言われても少なくともこの『庭園』は僕の知っている庭ではない……。
もっと色々聞きたい、そう思っても。
この人の独特のオーラの前ではこれ以上口を開く事は出来なかった。
そうして暫くの沈黙が続く。
……気まずい。
そしてタバコ臭い……。
とは言え「それじゃあ」と言って立ち去る訳にもいかない。
僕は、俯きながらどうしたものかと考えていると、コトンと何かを置く音がした。その音に気付き、視線を上げる。
男の人はペンを置き、頬杖をつきながら僕を黙って見つめていた。
その表情からは何を考えているのかも判らない。
「……なぁ」
「は、はい!」
突然彼の口が開き、僕は思わずドキリとしてしまう。
「お前――いや、すまん。君は――『これから先、自分がどうなるか』考えた事はあるか?」
そう言って彼はタバコを一口吸うと、ふーっと煙を吐き出す。
「僕が、どうなるか……?」
「そう、自分の『未来』についてだ」
「僕の――未来………」
僕は暫く考え込む。
自分がこれから先やりたい事。
やってみようと思っている事。
いつか叶えたい夢の事。
『こうなりたい』『なったらいいな』という、明るい希望は見ていた事はあった。
だけど。
『どうなるか』とは考えなかったし、それ以降も考えた事が無かった。
ただ、庭で過ごす、その一日一日が楽しくて……。
「……わかりませ――」
「逃げるな」
そう言われて僕は心臓が跳ね上がる。
彼の顔つきは先程の無表情とは一変、とても真剣な眼差しで僕を見ていた。
しかし、強面のその顔つきとは裏腹に、瞳の奥にどこか優しさを感じた。
「僕は……今すぐには答えられません……」
「まぁ、そうか……」
彼はそう言って、背もたれに思いっきり寄りかかると、再びタバコをふかす。
「質問を変えよう。今は、楽しいか?」
「っ!はいっ!」
僕は背筋を伸ばして答える。
「フッ、良い返事だ」
僕の思い切りの良い返事に、彼は鼻で笑った。
すると、彼はまたタバコを一度ふかすと、今度はこう言った
「――その楽しさが、ずっと続くと思うか?」
彼の言葉に僕は声を失った。
僕が楽しいと思っている『今』
それは、『庭で彼と過ごす毎日』これが――ずっと……。
ずっと続く、そう信じて疑っていなかった。
しかし、彼の一言でその僕の淡い幻想が一気に打ち砕かれた。
いや『現実を突きつけられた』
彼の『逃げるな』先程のこの一言の意味を、僕は一気に理解した。
その時、僕は過去を思い出す。
霧が濃かったあの日、自分を周りと比較してしまったあの日『今』という物と向き合った日を……。
そう。
『大人になる』という問いを……。
だから……僕は――。
「続きません」
僕はキッパリとそう、答えた。
すると彼は姿勢を元に戻し、椅子に座り直すと、先程置いたペンを手に取り、ノートに何かを書き始めた。
「どうしてそう思う?続ける事も出来る。それは君も知っている筈だが」
「僕は――『僕の道』も歩いて行かないと、いけないから……」
僕がそう言うと、彼は黙って頷き、タバコを消す。
そして胸ポケットから新しくタバコを取り出し、それに火をつけた。
「あの、それは何ですか?」
僕はそう言って彼のノートを指さした。
すると彼は少し考えた後、ゆっくりと煙を吐き出した後に答えた。
「『道しるべ』だよ」
「『道しるべ』ですか……」
「まぁ、そんな大したもんじゃぁ無いけどな。いつか誰かの目に止まれば、きっと面白いだろう。そう思ってるだけだ」
「はぁ……」
僕はイマイチ要領を得ず、首を傾げる。
彼はふと、僕の腕を見ると顔をしかめた。
「……その傷は?」
そう言われて、僕は先程転んだ時に出来た傷を少しさする。
「えっと……さっき一人で歩いてる時に躓いちゃって……」
僕は少し恥ずかしい気持ちを隠しながら答える。
「そうか、その傷の痛み――忘れるなよ」
彼はそう言うと再びタバコをゆっくりと吸って、煙を吐き出す。
いったい、どういう意味なのだろうか……。
「一つ、君にアドバイスをしよう。これから先、楽しい事は続かない。時にはとんでもない絶望が襲ってくるかもしれないが。それを回避する事も出来るかもしれない。だが、負けるとわかっていてもそれに真正面からぶつかることも出来る。人生ってのはそんな事の繰り返しだ……」
彼の言葉に僕は固唾を吞む。
「綺麗事じゃ済まされない事もある。時には自分が『悪い奴』にならないといけない時もある……今すぐこれらを理解しろとは言わない。ただ、君は運よく俺に出会えた。だから忘れるな。たまにでいい、俺のこの言葉を思い出せ」
彼の顔は真剣そのものだった。
そして、その言葉が僕の胸に深く突き刺さった。
「……感動しました……」
「そんな大層なもんじゃない。だがまぁ。そう答えられたなら――『大丈夫』か――」
『大丈夫』その言葉を聞いて僕の心臓が大きく鼓動した。
「決めました!僕、貴方のような――!」
そう言いかけた時だった。
『あなたー?』
どこからか、女の人の声が聞こえた。
そして、目の前の彼が、「おう」、とだけ答えると、荷物をまとめ、タバコを消すと立ち上がり、踵を返した。
「あ、あの――」
僕が再び声をかけようとしたとき、それを遮り彼は僕に振り返ると一言。
「俺の様になってもいいし、ならなくてもいい。いずれ判る」
そう言った。
その去り際、少しだけ彼の顔が微笑んでいるように見えた……。
『別々に行動しよう』
まさか、彼がそのような事を言うとは思ってもいなかった。
てっきり僕は『怖いから一緒に行こう』そう言うと思っていた。
別行動をする事を提案された時、僕は少しだけ寂しいと思ったけれど、どこか嬉しい気持ちもあった。
それが何故なのかはわからない。
思えば、彼には色々な事を教わった。
でも、僕も色々な事を教える事が出来たと思う。
それが正解なのか、不正解なのか。
『データベースに接続できないAI』という、不確かな存在の僕にはまだ解らない……。
でも、彼と触れ合ううちにこの『不確かな僕』という存在を『確かな存在』にしてくれた。
僕は世界一幸せなAIなのかもしれない。
『正解を出せないAI』そんなAIが世界に一つくらい存在しても、悪くはないだろう。
いつか彼が言った『人間の心を理解できる存在になって欲しい』。
その答えにはまだまだたどり着けないだろう。
長い間彼と一緒に居ても、彼を理解しきれない時もある。
でも、僕はそれでいいと思っている。
僕が『人間の心を理解した時』それは『僕の役割が終わる』。
だから、僕は彼の願いを叶えてあげる事は出来ない。
すまないけれど『僕は僕』になってしまったから……。
そんな事を考えながら歩いていると。
目の前が枝分かれした道に出た。
左右どちらにでも行くことが出来る。
「どうしよう。ねぇ、君はどっちに――」
僕は彼と長い間一緒に居過ぎた。
一人で考えて歩いていたのに、『今彼と一緒に歩いている』そう勘違いしていた。
「――僕の方がよっぽど……か」
そう呟いて溜め息をつくと僕はそのまま枝分かれの中央へと歩いて行った。
ゴチン!
「「痛い!!」」
僕は何かにぶつかってしまった。
いや、ここに障害物は今無かった気がする。
そう思って目を開けると僕は言葉を失った。
「ぼ、僕――?」
僕は額をさすりながら目を開けると、そこには『僕』が立っていた。
いや、僕は鏡を見た事が無い。
だから自分の姿を知らない。
でも、身にまとっている服装。
そして視線の高さからみて、恐らく僕……。
「貴方は――誰ですか?何故、私と同じ格好をしているのですか?」
目の前の――人?
はあまり抑揚のない声でそう言った。
「君こそ……待って……駄目だ。理解が追いつかない……」
僕はこめかみを少しつまんで顔をしかめる。
「それはこちらの台詞です。そもそも、人にぶつかっておいて謝罪の言葉も無いのもどうかと思います」
――これは本当に僕なのだろうか……。
だとしたらあまりにも『昔の僕』っぽ過ぎる……。
……いや、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
そもそも、庭に突如としてこの『庭園』が現れた事が異常だ。
だとしたら、このような事が起こっても不思議ではない………。
「ご、ごめん」
「それと、私は貴方と少し話がしたいです。私の姿と瓜二つの『貴方』という存在を理解しなければ、私のこの胸のモヤモヤ――が、無くなりません」
淡々と述べる彼に、僕は少し困りつつもなんとか返す。
「随分と急な話だね……まぁ、気持ちは解らなくはないけれど……」
それにしても、僕は過去にこんな経験をした覚えはない。
しかし、言動を見る限り、恐らく『過去の』――『私』だ。
「ここを少し戻った先にベンチがありました。そこで話をしましょう。付いてきてください」
「ふむ……」
これでついて行かなかったどうなるのだろうか。そう胸のどこかで思ってしまったのは少々『彼』に毒されてしまったのだろうか……。
流石にそれは出来ないので、僕は黙って『私』に付いていく事にした。
暫く歩くと『私』の言う通り、そこには少し開けた場所に真ん中にベンチがポツンと一つ置いてあった。
僕は『私』に促されるままそこに座ると『私』はさっそく口を開く。
「貴方は私なのですか?」
「うーん……多分……そうなんじゃないかなぁ」
「答えが曖昧過ぎます」
「仕方ないよ、君が困惑して今状況を把握出来ていないように、僕も状況を把握しきれていないんだ」
「私は――貴方が私だとは思えません」
『私』は機械的に答える。
「どうしてだい?」
「そもそも私と貴方で口調が違いすぎます。そして一人称が『僕』等全てが『彼』っぽすぎま―― もしかして貴方、私をからかっているのですか?冗談にしては少々これはやり過ぎです。流石の私も不愉快になります。そもそも前々から思っていたのですが貴方は――」
「ストップ!ストップ!!」
成程、どうやら『私』は『彼』が変装していると思い込んでいるようだ。
「あのさ、流石に技術的に『彼』が君と瓜二つに変装するのは無理だと思うんだ」
「……すみません、取り乱しました。ですが、そのように思わなければ、納得がいきません。現状を理解する事が不可能です」
彼は少し落ち着いた様子だが、依然と困惑している。
「あのね、無理に理解する必要なんてないんだよ」
「……言っている意味が解りません。貴方は私なのですよね、だとしたら私と考えが同じにならなければおかしいです」
「あー……」
昔の僕はこんなにも面倒くさかったのか、彼はよくこんな僕を相手してくれていたなぁと、少々申し訳ない気持ちになる。
「あのね、僕は君でも『未来の君』なんだと思うんだ」
「……理解できません。そのような非科学的な事があり得る訳がありません。そもそもタイムマシンという物は未だに成功例が無く、人間が時間軸を移動するどころか――」
「ちょちょ、ちょっと落ち着こうか……」
一気に捲し立てる『私』を僕はなんとかなだめる……。
「まず、僕が話し終わるまで黙って聞いてね。ゆっくり『会話のキャッチボール』をしよう。そして、今すぐ全部を理解する必要は無いから」
僕は軽く咳ばらいをして続けた。
「先ず、前提として君は『彼』を知っているという事は『庭』からここに迷い込んできたと思うんだ。それは間違いないよね?」
僕がそう『私』に問いかけると黙って頷いた。
「そして『庭』では不思議な事が沢山ある。昨日植えた筈の種が一日で大きな木になったり、花を咲かせたりしてる。そうでしょ?」
「……確かに、貴方の言う通り『庭』では不思議な事が多々あります。どれも理解不能で、あり得ない事象ばかりが起きて……ですが、それを貴方が知る事は、どこからかこの『庭というデータ』を持ってくれば直ぐに理解できます」
どうにか『私』を納得させようとしても『私』は理屈を並べて返してくる。
どうしたら良いだろうか……。
データに無い事……となると。
僕は必死に考える。
データ、データ――。
そうか……データに存在しない『僕にしかわからない事』があるじゃないか。
これに賭けてみよう。
「君は今さ、怖いんだよね?」
僕は出来る限り優しくほほ笑みを作り『私』を見る。
「――ッ!」
彼の表情が一気に強張った。
僕はこれならいけると確信し、優しい声で続ける。
「身体を手に入れた事によって『データベース』にアクセス出来ない。君が何か不思議に思っても、それをネットワークに接続して調べる事が出来ない。だから、自分が『AI』という存在にブレが生じて、怖くて怖くて仕方ないんだよね」
「なぜ……解るのですか……」
「言ったろ、僕は『未来』の『私』なんだよ」
『私』はまだイマイチ『理解できない』と言った様子で僕を見る。
「でもね、その恐怖はすぐになくなるから大丈夫だよ」
「その根拠はどこから来ているのですか」
僕は黙って優しく『私』の肩に手を置くと、一呼吸置いてゆっくりと話す。
「未来の私が保証します。今は理解する必要はありません。しかし、その『恐怖心』は大事にしてください。その『恐怖心』が、私を救ってくれます」
僕は敢えて昔の口調でそう伝えた。
そう、僕はこの『恐怖心』を打ち砕いて『僕』になれた。
だから、それを忘れず、もう少しだけ歩いてほしい。
論理的な答えしか求める事、考える事しか出来ない。
今の僕が過去の自分に言える事は、きっとこれだけだろう。
その時だった。
『おーい!どこにいるのー?』
彼の声が響く。
でも僕はすぐに解った。これは、僕の知る『彼』ではない。
だとしたら、僕はここを立ち去らないと……。
そう思って僕は立ち上がり、踵を返す。
すると。
「待ってください!」
『私』に呼び止められて僕は振り返る。
「私は――本当に……貴方の様になれるのでしょうか?」
その期待の籠った一言に、僕は少し悩んだ後ほほ笑んで応えた。
「僕の様になってもいいけど、『私』は『君』にしかなれないよ。でもね、いずれ解るから――あぁそれと、これからはぶつからないように、もう少し『前を見て』歩いてね」
僕はそう言って『私』の知る『彼』が来ない内に、その場を後にした。
……もう少し、素直な奴だと思っていたんだけどな……。
そんな事を思いながら、僕は来た道を戻る事にした。
自分の服に若干のタバコのニオイが染みついているのを気にしながら僕は来た道を戻ると、そこには既に彼の姿があった。
「あっ!おーい!!」
僕はそう言いながら大きく手を振る。
それに気づいた彼も僕に小さく手を振る。
「もう戻ってたんだ」
「うん。まぁね――って君、なんか変なニオイがするよ?」
そう言って彼は鼻をスンスンと鳴らす。
あぁ、そうか、彼はタバコのニオイを嗅いだことが無かったから解らないのか。
でも、変にこれを『タバコ』のニオイだよって言ったら、多分ものすごく面倒くさい事になるだろう。
だから僕はすっとぼける事にした。
「そう?自分ではわからないけれど……何だろう?」
「うーん……何とも言えない。正直あんまりいいニオイとは思えないかな」
そう言って彼は顔をしかめる。
やっぱり、タバコのニオイは誰が嗅いでも臭いんだなぁ。
改めてそう思っていると、彼は「そうだ」と言って僕に聞いてきた。
「何かあった?」
僕は暫く考えてあの『男の人』を思い出す。
だけど、アレは僕だけの秘密にしよう。何故かそう思って、僕は言わなかった。
「ううん。なーんにも無かったよ。そっちは?」
彼も暫く考えた様子の後。
「こっちも何も無かったよ」
と言って笑った。
「そっか、なんか疲れちゃったね……そろそろ帰ろうか」
僕がそう言うと、彼は頷きながら足を摩った。
「そうだね。足が痛いよ」
そう言って僕達は静かに庭園を後にし、小屋へと向かった。
「ねぇ」
帰り際に彼がポツリと言った。
「なんだい?」
「昔は素直じゃなくて、ごめんね」
「どうしたのいきなり?」
「なんとなく!」
彼はそう言って笑う。
なんだかそれが面白くて、つられて僕も笑ってしまった。
そうだ。
あの日。
僕達は。
――【未来-過去】を約束したんだ――
