僕と君と廻る庭

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 疲れたのなら。
 そっと止まって周りを見渡そう。
 少しだけ休もう。
 その時周りの美しさが見える。
 無理に追いつくことをしなくても。
 いつか自分もそこに立てるなら。
 そう思って。
 歩けばいい。
 もしかすると。
 歩いた先にある景色が。
 全員同じとも限らない。
 だとすれば。
 尚更(なおさら)急ぐ事は無い。
 やみくもに歩く1歩より。
 明確な足場の1歩
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 その日は(きり)()かった。

「ただいま……」
 僕が庭に戻ると、彼はいつも通り、ベンチに座っていた。
 特になにかをするわけもなく、ただただ庭を(なが)めている。
「おかえり……その顔は、何か考え事をしているね」
「あぁ、わかる?」
 彼は僕の顔を見るなりすぐに問いかけてきた。
 そんなにわかりやすく顔に出てしまっていたのだろうか。
 しかし、彼は心配するような顔でもなく。
 (むし)ろ優しい笑顔で僕を(むか)えてくれた。
「まぁ、君との付き合いももう長いからね」
 彼はそう言うと「とりあえず座りなよ」と僕をベンチへ手招きをした。
 僕はゆっくりと彼に近づいて、その隣に腰を下ろした。
「今日は珍しい、庭に霧がかかっているね」
「……そうだね。でも、(かす)んだ先にうっすらと見える景色もなんだか神秘的(しんぴてき)で。いつもと違う顔に見えるね」
「うん。たまにはこういう景色も悪くないね」
 そう言って彼は楽しそうに笑った。
 彼の笑顔を見ていると、僕の心も少し(おだ)やかになる。
 
 暫く僕達は黙って景色を眺めていた。
「ねぇ」
 彼は小さく呟き、僕に向き直る。

「少し歩かない?」

 彼に誘われて、僕達は霧の立ち込める庭を歩いていた。
 今日は風も吹いていない。
 そういう日は多いが、こうして霧と重なると少しばかり不気味(ぶきみ)に感じてしまった。
 僕の足音と彼の足音だけが庭に響く。
「実はさ……」
 僕がそう言って歩みを止めると、彼も歩みを止めて僕の方を向く。
「どうしたの?」
「今日は――ちょっと『不安(ふあん)』になっちゃって……」
「不安?」
「そう、なんていうか、『不安』――と『焦燥感(しょうそうかん)』っていうのかな……」
 僕がそういうと彼は小さく「そっか」と言って僕の隣へぴったりと来た。
「……座る?」
 彼が優しくそう問いかけてきたが、僕は首を横に振った。
「今日ね、僕は自分を『(まわ)りと(くら)べちゃって』さ……皆、それぞれの道を歩み始めた頃なんだけれど。それで『今の僕はどうなんだろう』って思ってね。そしたら今の僕は、『周りより(おと)っている』そんな風に思っちゃって」
「君にしては珍しい悩みだね」
 彼はそう言って、少しだけ優しくほほ笑む。
「そうかな……正直。薄々(うすうす)感じてた事なんだ。だけど、僕はそれに向き合おうとしていなかった……見えていたけれど、見えないふりをして。こうしてここで君と一緒に時間を過ごすことで、それを誤魔化(ごまか)していたんだ。問題を先延(さきの)ばしにしてたけれど、ちゃんと向き合わないといけない、そんな時が来たんだと思う……」
 そう言って僕は(くちびる)()む。
「僕は――『歩くことが怖くなってしまった』よ……」
「歩く?」
「そう『人生を(あゆ)む』という事が……正直、自分が何をしたいのか、どうすればいいか、僕の未来は明るいのか……そもそも、僕に未来はあるのか……」
 僕の頭に様々な思いが渦巻き、疲労感すら感じる。
「……辛いね」
 彼は少し寂しそうにポツリと呟いた。
「大人にならなきゃ……そう思っても、そもそも『大人』ってなんだろう。何をもって、何をしたら『大人』なの……?僕にはそれがわからない……」
 僕は泣きそうになる気持ちを堪えて(うつむ)き、体重を少しだけ彼の胸へと預けた。
「そうだね……大人になる。定義(ていぎ)としては、年齢だったり、社会に出て働いて、自分でお金を稼いだり――そう言った事だけれども、君はそんな簡単な事で悩んでいる訳じゃないんだよね」
「そう、そうなんだよ……でも色々考えていたら、僕はだんだん歩けなくなってきて……目の前の道に、まるで今のこの庭のように凄く濃い霧がかかって前が見えなくなって。だから『歩く事が怖い』んだ……」
 僕がそう言うと彼はゆっくりと僕の背中に両手を回して、ポンポンと背中を叩いた。
「そうか……そういう意味で『歩く事が怖い』と思ってしまったんだね。確かに、一人で前が見にくい道を歩くのは少し怖いね。僕も、今この庭を一人で歩いている所を想像してみたけれど、見慣れたこの庭ですら、やっぱり前が見えないのは怖いね……」
 少しの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、君は『どうしたい』の?」
「僕は、歩くのは怖い……でも『歩くのを()める』事はしたくないんだ……」
 僕は自分の握りこぶしに力を入れる。
 爪が食い込み、少し痛い。
「そうだね――『歩みを止める』事と『歩くのを辞める』事は違うもんね……『歩みを止める』事、それは一度立ち止まって、周りを見渡す事。今、自分はどんな場所に居るんだろう。ここからの景色はどんなだろう。この先には何が見えるかな。そういえば自分はどんな道をあるいたっけ、と後ろを見る。だから、歩く事自体を『諦めてはいない』んだよね」
 彼はゆっくりと続ける。
「つまり、『歩みを止める』とは一息ついて自分を『休憩』させる事。だけど『歩くのを辞める』という事は『もういいや』。『どうせ』。『何もしたくない』。そんな事を考えてしまって。『歩くことを諦めてしまう』事なんじゃないかな。でも君は、歩く事は辞めたくないと言った。つまり君は『諦めていない』。この二つは似ているようで、全く違う物だよ」
 僕は黙って静かに頷く。
「きっと今君は『歩みを止めるべき』なんじゃないかな。ずっと歩き続けると人は疲れてしまう。疲れたなら歩む速度(そくど)を落としてもいい。でもきっと君は今疲れすぎている。だから、そこにそっと立ち止まって良いと思うんだ。座り込んでしまってもいい。君が『歩くのを辞めたくない』というその思いがあれば、どんなに歩く速度が遅くても。君は君の速度で歩けばいい……」
 彼は優しい口調で僕を(なぐさ)めながら震える僕の肩を優しく押さえる。
「人は同じ道を歩いていても、大人になるにつれて皆それぞれの道を歩き始めないといけない。高校を卒業して大学に行く人。そのまま働きに社会に出る人。それぞれの『人生』という道のりを右に行く人。左に行く人。直進する人――。そしてそれぞれ途中で車に乗るかもしれない。電車に乗るかもしれない。そうするとどうしても一緒の速さで、一緒の道のりを歩いて行くことは出来ない。自然と一人になってしまう。でもね……」
 彼は一呼吸おいて「僕の顔をみて」と言って、しっかりと目線を合わせてから優しくほほ笑んだ。

「その()わり、皆も一人で歩いているんだよ」

 彼のその言葉を聞いて、ある日の、友達と『またね』と言って手を振って笑いながら別れた夕暮れが脳裏に映し出された。
「そっ……か」
「君が今、歩くのが怖いと思っているように、君より先に行った人たちも、いつかは君の様に歩くのが怖いと思って足を止めてしまう時が来るかもしれない。まだ君は『歩きたい』という気持ちがあるけれど、もしかしたら『歩く事を辞める』人もいるかもしれない。君よりずっと先に歩いてった友達にいつか追いつける日も来るかもしれない。でも、だからと言って無理に追いつかなくてもいい。友達が通った道が、君が通るべき道とは限らないから。歩くのを止めて、周りを見渡す時に見る物は他人の歩いた(あと)じゃなくて、自分の道とその周りの景色を見て。

『今自分にはどんな道があるんだろう』

『こっちの道は何があるかな?』

『あそこは階段があるけど、どうしよう』

 そんな事を考えた後に振り返って。

『ああいう道を歩いてきたならこっちの方がいいかな』

『まっすぐな道だけだったから、今度は階段を上ってみよう』

 そんな風に思えたら、僕は素敵だと思う」

 彼の真剣な、それでいて優しい(ひとみ)に僕の視界が少しだけ(うるお)う。
「うん……」
 僕は、短くそう言って(うなず)く事しかできなかったが、彼は満足そうに微笑んだ。
「だから今、君は休んでいいんだ……その為にこの『庭』がある。その為に、僕が居る。不安になってしまったんだよね……でも僕はそれが大事だと思う。

 『大人とはなんだろう』

 確かに難しい疑問(ぎもん)かもしれない。でも、今の君にはもう、その答えが少し見えたんじゃないかな」
「そうだね……でもそう考えると、僕はまだまだ『子供』なのかもしれないね」
 僕はそんな事を言って笑って見せた。
「ふふっ、そうかもね」
「あっ!そこは『そんな事は無い、君はもう大人だよ』って言うべきところじゃないかな!」
「大人はそんな事自分で言わないよ?」
 彼にそう言われて僕はわざとらしく不貞腐(ふてくさ)れる。
 そうして暫く彼と見つめあっていると、僕達二人は同時に『ぷっ』と()き出して笑いあった。

 それから僕達は霧の中を二人で歩いた。
 自分がこれから先やりたい事。
 やってみようと思っている事。
 今やっている事。
 いつか叶えたい夢の事。
 そして(しばら)くした時だった。
「あれ?」
 彼が何かに気付いたように指を指す。
「ねぇ、あれなんだろう?」
 彼が指を指した先には霧の中にうっすらと、赤い屋根の小さな小屋の様な物が見えた。
「なんだか、少し不気味だね……」
 僕が少し不安そうに呟くと、それとは対照的(たいしょうてき)に彼は「行ってみようよ」と言って、僕の手を引いた。
 しかし、()り気だった(よう)に思えた彼だけれど、その足取りは一歩一歩慎重(しんちょう)に踏みしめている。
 そうして少しずつ近づくと徐々にその全体が見えてきた。

「「えっ」」

 僕等は思わずそう言って、顔を見合わせる。
 何故ならその小屋は『僕達のいつもの小屋』の後ろ姿だったからだ。
「僕達……庭の真ん中に向かって歩いていたよね?」
「途中でぐるっと回ってた……とか?」
「流石にそんな事は無いと思うけれど……」
 そんな事を言いながら歩いて更に小屋に近づく。
「実はそっくりなだけで違う建物……とか?」
「そんな事ある?」
「だってこの庭って何が起こるかわからないし……」
 そして小屋の後ろにたどり着くと、恐る恐る小屋の前に回り込む。
「ドッペルゲンガーが居たりして」
 僕がそんな事を言うと、彼は少し(まゆ)をひそめて僕を(にら)んだ。
「怖い事言わないでよ……」
 しかし、小屋の前にも、小屋の中もひっそりと(のぞ)いてみたが誰かがいる気配は無かった。
「ねぇ」
 彼はそう言って僕の服の(そで)を引っ張った。
「やっぱり、ここはいつもの庭だよ」
 彼がそういうと、徐々に霧が晴れていく。
 彼が指さした先にはベンチ……。
 彼のお気に入りのハンモック……。
 何もかもがいつも通りの庭の景色。
 そうして僕達が不思議に思っていると、一気に霧が晴れる。
「あぁそうか……」
 僕は自分の中で一つ納得すると、彼が不思議そうに僕の顔を覗き込む。
「何?」
「僕はね――さっきこの庭に帰って来て君と話してたと思ってたんだ」
「うん?何を言っているんだい?」
「本当は僕は庭に帰っていなかった……霧が怖くて、歩けなくて、ずっと立ってたんだと思う。だから『庭が(むか)えに来てくれてた』だけで。今やっと君とこうして本当のいつもの庭に『帰ってきた』んだと思う」
 自分でも言っている事は少しややこしいと思いつつも、彼も僕の言葉に「成程」と納得し、頷いた。
「じゃあ、言う事は一つだね」
「うん!」
 そうして僕達は同時に声を上げた

「「ただいま!」」

 そうだ。

 あの日。
 
 僕達は。
 
                   ――歩いていたんだ――