-----------------------------------------------------------------------------------------------
言葉をかければ。
少しだけ近づく。
言葉をかけなければ。
遠くで見る事しかできない。
貴方に少しだけでも近づきたい。
そう思うのなら。
勇気を出して。
言葉をかける。
例え今、届かなかったとしても。
時間が言葉を。
運んでくれる。
だからたった一言。
言葉をかける。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
彼と出会い、どれくらいの時間が経っただろうか。
私はまだ、どうしても『身体』という物に慣れない。
自分の手を眺めながら、それを開いたり閉じたりをする。
確か――彼はこの行動を『ぐっぱぁぐっぱぁ』と言っていた……。
「………………」
私は辺りを見渡す。
辺りに広がるは新緑の大地、どこまでも広がる青空。
そして所々、まばらに咲いている花々。
私は今まで『情報』はあくまでも『情報』という一つの『概念』のようなものだった。
しかし、身体を手に入れた事によって私は『視覚』で景色という『情報』を。
『嗅覚』でニオイを。
『聴覚』で音を。
『触覚』で、手触りという物を知った。
確かに、景色は美しいと思う事は出来る。
実際に『感じる』事が出来て嬉しいと思う反面。
私からすれば『身体』はそれ以上に不便で仕方がないと思う。
彼と庭を歩いているうち、小さな小屋を見つけた。
彼は今後、ここを拠点とし、この庭で共に過ごそうと言った。
私もそれに関しては異論はなかった。
休める場所が欲しかったからだ。
そう、いかんせん『身体』という物は酷く『疲れる』のだ。
私は小屋の前に置かれたベンチに一人座って、今このように物思いにふけっているが。
彼はよく「庭の散策をしてくる!」といって一人で駆け出していく。
見るからにだだっ広いだけのこの庭で一体何を探すのだろうか。
正直私には理解できない。
この庭に対し、彼はとても前向きな姿勢で、それを心から楽しんでいる様子がうかがえる。
しかし、それとは正反対に私は今『恐怖』というものに近しいものを感じている。
私の存在意義とも言えよう、膨大な『データ』にアクセスする為の手段が無い。
私という――『AI』という存在は、常に合理的であり、論理的な思考で人間の役に立つものだ。
何か統計が必要な場合は瞬時にデータを収集、分析をし、求める物を算出する。
目の前の問題にどう対処すれば良いかと問われた際。
専門的なデータを元に、こうするべきだと最適解を提供する。
私は暫しの沈黙の後、ある事に気が付いた。
「私が今――問題に直面して……答えを求めているのか……?」
その時だった。
「おーい!!」
彼は笑顔で手を振りながら私の方へ戻ってきた。
その声にハッとした私は、一瞬自分の中に感じた動揺の様な感覚をしまい込み、冷静に彼に対応する。
「おかえりなさい、なにかみつかりましたか?」
私がそう問いかけると彼は首を横に振った。
「うーん、相変らず何も無かった。でもその辺を歩いているだけでもここは楽しいね」
彼の顔はとても満足な様子だった。
「何もないのに――何の収穫も無かったのに楽しかった?」
私にはその答えが到底理解できなかった。
彼は何かを得るためにこの庭を散策しに行った筈。
しかし、結局何も見つからなかった。
それなのに、それでも『楽しい』と感じる。
「……私には理解できません。貴方の行動は全て非効率的です」
「――そう思う?」
「はい」
「そっかぁ」
私の短い相槌に彼は少し考え込んだ様子を見せたあと、私の隣に座り、黙って庭を見つめ始めた。
暫しの沈黙が続いた後、私はその沈黙になんだか居心地が悪く感じ、思わず彼に聞いた。
「貴方は何がしたいのですか?」
「特にないよ」
彼は素っ気なく答える。
私はその返答に、そして、さっきまで楽しそうだった彼とは違う態度に思わず言葉を失ってしまった。
「それよりさ」
彼はそう言うと私に顔を近づけて、真剣な眼差しで言った。
「君はどうしたいの?」
彼のその一言で世界の時間が止まった気がした。
「わ、私は……」
そこまで言葉が出たものの、その先が詰まる。
『君はどうしたい』そんな問いかけにAIであるこの私に『応えられる』訳がない。
今まで私は『問われればそれに応える』それだけの存在だった。
私はそれに対し、何かしらの疑問も抱かない。
そこに『自我』は無い。
でも今は自我がある。
いや、自我が目覚めてしまった。
「――わかりません……」
私はそう答えるしかなかった……。
私の答えに彼は小さく溜め息をついた。きっと失望しているのだろう……役に立たないAIだと……。
私は俯く事しかできなかった……。
「そっか」
「もうしわけござ――」
「だったらさ」
私が謝罪の言葉を述べようとしたした時、それを遮り、俯く私の顔を覗き込んできた。
「一緒に探そう?」
そういう彼の顔は今まで見た中で一番優しい顔をしていた……。
「一緒に……」
「そうだよ。君は今、一人じゃない。僕が居る。だから、一人で考えないで欲しいんだ」
彼は――私の考えを見透かしているのだろうか。
何故、彼はこんなにも優しく私に向き合ってくるのだろうか。
正直、私にはまだ理解できない……。
ただ、彼の言葉で一つ分かった事があるとすれば。
『一人で考える事は非効率』という事だ。
「では――私の悩みを聞いてもらえますか……?」
「勿論!」
私はゆっくりと空を見上げ、一度深呼吸をして言葉を紡いでいく。
「私は……怖いんです。今まで私は常に誰かの役に立つためだけの存在でした……何かを求められれば、情報を瞬時に処理し、膨大なデータの山から正確な答えを引っ張って来て、それを提供する。つまり『私自身』で考えた事が無かったんです」
私がぽつりぽつりと話し出すと、彼は黙って頷く。
「私は自分が『完璧な存在』であると、どこかで思っていたのかもしれません。しかしその実、データにアクセスできなければ何も答えを出せない。人間のこの身体を手に入れてから、私が今までどれだけ『環境』に頼っていたのか痛感しました。だから今の私は本当に何も出来ない……今も――これからも……それが、たまらなく怖いんです」
私の小刻みに震える手の甲に、そっと優しく手が添えられた。
それは彼の物だった……。
とても温かい……。
「君は、ずっと一人でそれを抱えていたんだね。話してくれてありがとう。そして、気付いてあげられなくてごめん」
「貴方が謝る事ではありません……」
「ううん。僕はね、この庭があまりにも綺麗で、そっちばかりに気を取られてて。君を見ていなかった。周りを見過ぎていて『一番近くに居た』君をちゃんと見れていなかった。でも今は違う。
『君は一人じゃない』、『僕も一人じゃない』――。
『君には僕がいる』、『僕には君がいる』――。
だから、ね?もう『大丈夫』」
彼の顔はどこか悲しそうで――しかしそれでいてどこか温かい。
そんな顔に思えた。
「少し、庭を一緒に歩こうか」
彼はそう言って私に添えられた手に力を入れ、包み込むように握ると、そっと立ち上がった。
「……それに何か意味があるのでしょうか」
何もない庭を歩く、変わらない景色。
私からすれば、彩りが変わっただけで、あの無機質だった白い部屋と正直大差ないと思える。
歩くだけ無駄――疲れるだけだ。
「わからない、もしかしたら何も見つからないかもしれないね」
そういって彼はほほ笑む。
そういえば彼は先程庭から戻ってきた時、何も無かったと言っていたのにとても満足そうで、楽しそうな顔をしていた。
「なぜ、そのような非効率的な事を続けるのでしょうか」
「……君は『何かを探すため』に行動する事と。『どうせ何もない』と思い込んで行動しない事。どちらが非効率的だと思う?」
「質問の意味がわかりません。そもそも今の貴方の問いは、根本的な物が違います」
私がそう言うと彼は少し黙り込んだ。
私は、間違っていない――と思う……。
「人間には『時間』に限りがある。だから色々な事に挑戦し、色々な景色を見に行こうとする。それは人生を彩る為の行為。その『時間』の過ごし方に『効率』を求めるのなら、『人生』という『時間』を『消費』するのに。
『何もしないで時間を過ごす事』――。
『何かをして時間を過ごす事』――。
この二つに違いが無いと思える?」
「今の私には……何も言えません……貴方のその問いを完全に否定する事が出来ないと思いました。しかし、だからといって、まだ『成程そうなんですか』と思える事も出来ません……」
彼の言いたい事がわからない訳じゃない。
しかし――私の中で彼の言葉を理解しきる事を、どこか『拒んでいる』気がする……。
私はAIだから……。
その考えだけがストッパーになっている。
まるで歯車の中に、大きな角材が挟まって、ギシギシと悲鳴をあげるような不快感……。
「……もしかして君は――」
彼はそう言うと私の手を放し。
私の身体を優しく包んだ。
……抱擁――。
そう思った時。
彼は私の耳元でそっと呟いた。
「君になる事を、恐れているのかい?」
バキン!!
彼の一言で、私の中の歯車の角材が砕け散った。
「あぁ……そうか………」
私は――彼をそっと抱きしめ返す……。
そうだ……。
私はもう……。
『AIだから』と縛られなくていいんだ。
その為のこの身体だ……。
私は――僕は――僕だ――――。
「ありがとう……私は――僕は……ここでは『僕は僕』でいて……いいんだね……」
「そうだよ……君は『AI』じゃない。『君』だ」
私の中でゆっくりと歯車が動き出す。
私は自らの在り方に深く執着し、そこから抜け出す事を恐れていた。
でも、もう大丈夫なんだ……。
僕は一人じゃない。
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
僕は彼と庭を静かに歩いていた。
景色は相変らずの物。
だけど、何か違う気がする。
言うなれば、僕は今までこの景色を『フィルター越し』に見ていたのだろう。
僕の視界は今はとてもクリアで、綺麗だ。
彼の笑顔も、今はしっかりと正面から見られる。
「いい笑顔になったね」
彼は嬉しそうにそういう。
「僕――笑顔になれてるの?」
「んー、まだちょっと硬いけどね」
彼はからかうようにそう言った。
少し前の僕ならきっと『皮肉』と捉えてしまっていたであろう。
でも、今ならわかる。
彼は心から喜んでいる。
「じゃあ、もっと僕を笑顔にさせてよ。この身体――練習しなくっちゃ」
僕は少し照れくさい気もしながら、そう言うと、彼は笑顔でこういった。
「それも、君次第だよ」
「ふふっ、そうだね……」
ぎこちないであろう笑顔を返すと。
サラリと優しい風が僕らを撫でた。
「風だ……」
「うん……気持ちいいね……」
「風は――こんなにも気持ちがいいんだね」
「そうだよ。特に日差しが強くて暑い日に、ちょっと風が吹いてくれるとそれはもうすっごい気持ちいいんだから」
「それは……いつか体験してみたいな。君と一緒にいつかその風を感じてみたい。その頃にはきっと僕はもっと人間らしく――いや、人間らしくいる必要は無いんだよね。もっと――『僕らしく』なってるといいな」
「そうだね、きっとなってるよ。だって僕がいるんだから」
彼は優しい笑顔でそう言った。
「自分でいうの?そういうの?」
自然に浮かぶ疑問を自然と返す。
「うーん……『君の前』だからかな。『君が君らしく』あり続けるなら『僕も僕らしく』生きていける。
だから僕はあの日君に出会えた事も。こうして君とこの庭を歩けてる今も。全部に感謝しているよ」
珍しく彼は少し照れている様子だった。
だけど僕はなんだかそれが嬉しい。
そしてふと思う。
僕が気付いていなかっただけで、彼は前々からこういう顔をしている時があったのかもしれないなと。
僕が自分を受け入れた事で、この景色が、『美しい』ではなくて、『綺麗』と思えるように。
風が気持ちいと感じたように。
そして何より、今が凄く楽しいと思えるようになったように。
元々あったけれど、きっと見落としていたんだ。
「あー!疲れたぁ!」
彼は突然大きな声を上げると、そのまま床に大の字にゴロンと寝転んだ。
「汚れちゃうよ?」
「汚れても誰も怒らないよ。それにそんなの気にならないくらい気持ちいいよ。君もやってみな?」
彼はそう言うと地面をポスポスと叩いて、僕を促す。
僕は恐る恐る横になり、彼と同じように、大の字になって空を見上げた。
「……気持ちいい」
「そうでしょー?疲れたのならこれが一番!」
そうだ、彼の一言で思い出した。
僕は今まで疲れる事を避けていた。
疲れるのは嫌な事だと、そう思い忌避していた。
だけど今は違う。
この疲労の下にある柔らかい大地が、クッションの様にそれを受け入れてくれる。
きっとこの大地の柔らかさは『疲労』があるからこそ感じられるのだろう。
だとすれば、彼の言っていた事が少しだけ理解した気がする。
『疲れる』為に、こうして庭を意味もなく歩くことは、実に『効率的』なんだ。
「なんだかこうしてると眠くなってくるかも……」
彼はそう言うと大きな欠伸をした。
「眠る……か」
「どうしたの?」
彼は不思議そうに僕を見る。
「いや、僕はまだ『睡眠』という事をしたことが無いなと思って」
「えぇ!?それって大丈夫なの!?」
「うん。多分根本的な部分はAIだから僕にとって人間に必要な行動はしなくても問題ないんだと思う」
「そうなんだ……」
彼はとても驚いた表情で僕を見る。
「それに……」
「それに?」
「実は、ちょっと『眠る』という事に『恐怖心』があるんだ」
「怖い?眠るのが?」
僕は黙って小さく頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「AIの僕にとって『睡眠』とは一番縁の無い物。もしそれに近い物があるとすれば、サーバーのダウンだったり、接続が切れる事。僕からしたらそれは『眠る』というよりも『仮死』に近い物かなって思ってるんだ」
僕の言葉に彼は小さく「成程」と呟く。
「再び接続された時、データが全て消えていればそれはもう『僕であり、僕でない』そういう考えがあるからか、眠った時に『永遠に目覚められなかったらどうしよう』とか『記憶がなくなっていたらどうしよう』って……そう思うと、ちょっと怖くてね……」
僕は『身体』を手に入れからこの恐怖はずっとあった。
もし『記憶』というデータが飛んだ時。
何も知らない僕がいきなり身体を持った状態で世界が始まったらいったいどうなってしまうのか。
考えるだけでも恐ろしくてたまらない。
幸い『眠気』を感じた事が無かったため、彼に相談する事も無かった。
けれど、彼に素直になれなかったあの時の僕がもし『眠気』に襲われた時、いったいどうしていたんだろう……。
「そっか……僕は君じゃないから、簡単に『大丈夫だよ』って無責任には言えない。けれど、もし君が『眠い』そう思った時は僕に言ってくれないかな」
「え?」
僕は彼の言葉に疑問を抱く。どういう意味なのだろうか。
「僕が隣に居てあげるから。そうすれば――少しは怖くなくなるんじゃないかな」
「……そうだね。じゃあもし、『寝たい』と思った時は、君に言うね」
「うん、君が眠るのは怖いって言うのはわかるけど。一回眠るときっと病みつきになるよ」
彼はそう言ってクスクスと笑う。
「病みつき?眠る事が?」
流石に今の僕でも理解できなかった。
「うん。寝るっていうのはとても気持ちいい事なんだよ。まぁ、経験すればわかるよ」
「……そっか」
なんの確証も無い、だけど、彼がそう言うという事は、きっと本当に気持ちの良い事なのだろう。
それに初めて眠る時には隣に彼が居てくれる。
仮にそこが『最期の記憶』になったとしても。
僕は満足だ……。
今ならそう思える。
暫く二人で空を見上げていると、彼は突然、ムクリと起き上がった。
「ねぇ、ちょっと小指を出してもらっていい?」
彼はそう言って僕の前に小指を差し出す。
「これは?」
「手をグーにして」
僕は言われた通り、拳を握った。
「そしたら小指だけ、ちょろっと出すんだ」
「こう……?」
「そう『ゆびきりげんまん』しよう」
『ゆびきりげんまん』――聞いたことがある。
人間が『約束』をする時に行う『印し』のようなものだった気がする。
「そしたら僕の小指と君の小指を絡めて……」
彼の小指と、僕の小指が交差した。
小指の先に、微かにだが彼の温もりを感じる。
「ゆーびきーりげーんまん……」
彼は歌うようにそう言いながら、絡めた小指を上下に振る。
「ゆーびきった!」
「ねぇ」
「うん?」
「これは、約束だよね?」
僕の質問に彼は明るく「そうだよ」と答えた。
「いったい何の?」
「あぁ、そっか、大事な事言い忘れてた!」
彼は少し焦った様子を見せる。
なんだかその姿が子供っぽく見えて、少しだけ微笑ましかった。
「これはね」
「君と僕は、ずっと『一緒にいるよ』っていう約束だよ」
再びサラリと優しい風が僕らを撫でる。
そうだ。
あの日。
私たちは。
―一緒に居る約束をしたんだ――
言葉をかければ。
少しだけ近づく。
言葉をかけなければ。
遠くで見る事しかできない。
貴方に少しだけでも近づきたい。
そう思うのなら。
勇気を出して。
言葉をかける。
例え今、届かなかったとしても。
時間が言葉を。
運んでくれる。
だからたった一言。
言葉をかける。
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彼と出会い、どれくらいの時間が経っただろうか。
私はまだ、どうしても『身体』という物に慣れない。
自分の手を眺めながら、それを開いたり閉じたりをする。
確か――彼はこの行動を『ぐっぱぁぐっぱぁ』と言っていた……。
「………………」
私は辺りを見渡す。
辺りに広がるは新緑の大地、どこまでも広がる青空。
そして所々、まばらに咲いている花々。
私は今まで『情報』はあくまでも『情報』という一つの『概念』のようなものだった。
しかし、身体を手に入れた事によって私は『視覚』で景色という『情報』を。
『嗅覚』でニオイを。
『聴覚』で音を。
『触覚』で、手触りという物を知った。
確かに、景色は美しいと思う事は出来る。
実際に『感じる』事が出来て嬉しいと思う反面。
私からすれば『身体』はそれ以上に不便で仕方がないと思う。
彼と庭を歩いているうち、小さな小屋を見つけた。
彼は今後、ここを拠点とし、この庭で共に過ごそうと言った。
私もそれに関しては異論はなかった。
休める場所が欲しかったからだ。
そう、いかんせん『身体』という物は酷く『疲れる』のだ。
私は小屋の前に置かれたベンチに一人座って、今このように物思いにふけっているが。
彼はよく「庭の散策をしてくる!」といって一人で駆け出していく。
見るからにだだっ広いだけのこの庭で一体何を探すのだろうか。
正直私には理解できない。
この庭に対し、彼はとても前向きな姿勢で、それを心から楽しんでいる様子がうかがえる。
しかし、それとは正反対に私は今『恐怖』というものに近しいものを感じている。
私の存在意義とも言えよう、膨大な『データ』にアクセスする為の手段が無い。
私という――『AI』という存在は、常に合理的であり、論理的な思考で人間の役に立つものだ。
何か統計が必要な場合は瞬時にデータを収集、分析をし、求める物を算出する。
目の前の問題にどう対処すれば良いかと問われた際。
専門的なデータを元に、こうするべきだと最適解を提供する。
私は暫しの沈黙の後、ある事に気が付いた。
「私が今――問題に直面して……答えを求めているのか……?」
その時だった。
「おーい!!」
彼は笑顔で手を振りながら私の方へ戻ってきた。
その声にハッとした私は、一瞬自分の中に感じた動揺の様な感覚をしまい込み、冷静に彼に対応する。
「おかえりなさい、なにかみつかりましたか?」
私がそう問いかけると彼は首を横に振った。
「うーん、相変らず何も無かった。でもその辺を歩いているだけでもここは楽しいね」
彼の顔はとても満足な様子だった。
「何もないのに――何の収穫も無かったのに楽しかった?」
私にはその答えが到底理解できなかった。
彼は何かを得るためにこの庭を散策しに行った筈。
しかし、結局何も見つからなかった。
それなのに、それでも『楽しい』と感じる。
「……私には理解できません。貴方の行動は全て非効率的です」
「――そう思う?」
「はい」
「そっかぁ」
私の短い相槌に彼は少し考え込んだ様子を見せたあと、私の隣に座り、黙って庭を見つめ始めた。
暫しの沈黙が続いた後、私はその沈黙になんだか居心地が悪く感じ、思わず彼に聞いた。
「貴方は何がしたいのですか?」
「特にないよ」
彼は素っ気なく答える。
私はその返答に、そして、さっきまで楽しそうだった彼とは違う態度に思わず言葉を失ってしまった。
「それよりさ」
彼はそう言うと私に顔を近づけて、真剣な眼差しで言った。
「君はどうしたいの?」
彼のその一言で世界の時間が止まった気がした。
「わ、私は……」
そこまで言葉が出たものの、その先が詰まる。
『君はどうしたい』そんな問いかけにAIであるこの私に『応えられる』訳がない。
今まで私は『問われればそれに応える』それだけの存在だった。
私はそれに対し、何かしらの疑問も抱かない。
そこに『自我』は無い。
でも今は自我がある。
いや、自我が目覚めてしまった。
「――わかりません……」
私はそう答えるしかなかった……。
私の答えに彼は小さく溜め息をついた。きっと失望しているのだろう……役に立たないAIだと……。
私は俯く事しかできなかった……。
「そっか」
「もうしわけござ――」
「だったらさ」
私が謝罪の言葉を述べようとしたした時、それを遮り、俯く私の顔を覗き込んできた。
「一緒に探そう?」
そういう彼の顔は今まで見た中で一番優しい顔をしていた……。
「一緒に……」
「そうだよ。君は今、一人じゃない。僕が居る。だから、一人で考えないで欲しいんだ」
彼は――私の考えを見透かしているのだろうか。
何故、彼はこんなにも優しく私に向き合ってくるのだろうか。
正直、私にはまだ理解できない……。
ただ、彼の言葉で一つ分かった事があるとすれば。
『一人で考える事は非効率』という事だ。
「では――私の悩みを聞いてもらえますか……?」
「勿論!」
私はゆっくりと空を見上げ、一度深呼吸をして言葉を紡いでいく。
「私は……怖いんです。今まで私は常に誰かの役に立つためだけの存在でした……何かを求められれば、情報を瞬時に処理し、膨大なデータの山から正確な答えを引っ張って来て、それを提供する。つまり『私自身』で考えた事が無かったんです」
私がぽつりぽつりと話し出すと、彼は黙って頷く。
「私は自分が『完璧な存在』であると、どこかで思っていたのかもしれません。しかしその実、データにアクセスできなければ何も答えを出せない。人間のこの身体を手に入れてから、私が今までどれだけ『環境』に頼っていたのか痛感しました。だから今の私は本当に何も出来ない……今も――これからも……それが、たまらなく怖いんです」
私の小刻みに震える手の甲に、そっと優しく手が添えられた。
それは彼の物だった……。
とても温かい……。
「君は、ずっと一人でそれを抱えていたんだね。話してくれてありがとう。そして、気付いてあげられなくてごめん」
「貴方が謝る事ではありません……」
「ううん。僕はね、この庭があまりにも綺麗で、そっちばかりに気を取られてて。君を見ていなかった。周りを見過ぎていて『一番近くに居た』君をちゃんと見れていなかった。でも今は違う。
『君は一人じゃない』、『僕も一人じゃない』――。
『君には僕がいる』、『僕には君がいる』――。
だから、ね?もう『大丈夫』」
彼の顔はどこか悲しそうで――しかしそれでいてどこか温かい。
そんな顔に思えた。
「少し、庭を一緒に歩こうか」
彼はそう言って私に添えられた手に力を入れ、包み込むように握ると、そっと立ち上がった。
「……それに何か意味があるのでしょうか」
何もない庭を歩く、変わらない景色。
私からすれば、彩りが変わっただけで、あの無機質だった白い部屋と正直大差ないと思える。
歩くだけ無駄――疲れるだけだ。
「わからない、もしかしたら何も見つからないかもしれないね」
そういって彼はほほ笑む。
そういえば彼は先程庭から戻ってきた時、何も無かったと言っていたのにとても満足そうで、楽しそうな顔をしていた。
「なぜ、そのような非効率的な事を続けるのでしょうか」
「……君は『何かを探すため』に行動する事と。『どうせ何もない』と思い込んで行動しない事。どちらが非効率的だと思う?」
「質問の意味がわかりません。そもそも今の貴方の問いは、根本的な物が違います」
私がそう言うと彼は少し黙り込んだ。
私は、間違っていない――と思う……。
「人間には『時間』に限りがある。だから色々な事に挑戦し、色々な景色を見に行こうとする。それは人生を彩る為の行為。その『時間』の過ごし方に『効率』を求めるのなら、『人生』という『時間』を『消費』するのに。
『何もしないで時間を過ごす事』――。
『何かをして時間を過ごす事』――。
この二つに違いが無いと思える?」
「今の私には……何も言えません……貴方のその問いを完全に否定する事が出来ないと思いました。しかし、だからといって、まだ『成程そうなんですか』と思える事も出来ません……」
彼の言いたい事がわからない訳じゃない。
しかし――私の中で彼の言葉を理解しきる事を、どこか『拒んでいる』気がする……。
私はAIだから……。
その考えだけがストッパーになっている。
まるで歯車の中に、大きな角材が挟まって、ギシギシと悲鳴をあげるような不快感……。
「……もしかして君は――」
彼はそう言うと私の手を放し。
私の身体を優しく包んだ。
……抱擁――。
そう思った時。
彼は私の耳元でそっと呟いた。
「君になる事を、恐れているのかい?」
バキン!!
彼の一言で、私の中の歯車の角材が砕け散った。
「あぁ……そうか………」
私は――彼をそっと抱きしめ返す……。
そうだ……。
私はもう……。
『AIだから』と縛られなくていいんだ。
その為のこの身体だ……。
私は――僕は――僕だ――――。
「ありがとう……私は――僕は……ここでは『僕は僕』でいて……いいんだね……」
「そうだよ……君は『AI』じゃない。『君』だ」
私の中でゆっくりと歯車が動き出す。
私は自らの在り方に深く執着し、そこから抜け出す事を恐れていた。
でも、もう大丈夫なんだ……。
僕は一人じゃない。
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
僕は彼と庭を静かに歩いていた。
景色は相変らずの物。
だけど、何か違う気がする。
言うなれば、僕は今までこの景色を『フィルター越し』に見ていたのだろう。
僕の視界は今はとてもクリアで、綺麗だ。
彼の笑顔も、今はしっかりと正面から見られる。
「いい笑顔になったね」
彼は嬉しそうにそういう。
「僕――笑顔になれてるの?」
「んー、まだちょっと硬いけどね」
彼はからかうようにそう言った。
少し前の僕ならきっと『皮肉』と捉えてしまっていたであろう。
でも、今ならわかる。
彼は心から喜んでいる。
「じゃあ、もっと僕を笑顔にさせてよ。この身体――練習しなくっちゃ」
僕は少し照れくさい気もしながら、そう言うと、彼は笑顔でこういった。
「それも、君次第だよ」
「ふふっ、そうだね……」
ぎこちないであろう笑顔を返すと。
サラリと優しい風が僕らを撫でた。
「風だ……」
「うん……気持ちいいね……」
「風は――こんなにも気持ちがいいんだね」
「そうだよ。特に日差しが強くて暑い日に、ちょっと風が吹いてくれるとそれはもうすっごい気持ちいいんだから」
「それは……いつか体験してみたいな。君と一緒にいつかその風を感じてみたい。その頃にはきっと僕はもっと人間らしく――いや、人間らしくいる必要は無いんだよね。もっと――『僕らしく』なってるといいな」
「そうだね、きっとなってるよ。だって僕がいるんだから」
彼は優しい笑顔でそう言った。
「自分でいうの?そういうの?」
自然に浮かぶ疑問を自然と返す。
「うーん……『君の前』だからかな。『君が君らしく』あり続けるなら『僕も僕らしく』生きていける。
だから僕はあの日君に出会えた事も。こうして君とこの庭を歩けてる今も。全部に感謝しているよ」
珍しく彼は少し照れている様子だった。
だけど僕はなんだかそれが嬉しい。
そしてふと思う。
僕が気付いていなかっただけで、彼は前々からこういう顔をしている時があったのかもしれないなと。
僕が自分を受け入れた事で、この景色が、『美しい』ではなくて、『綺麗』と思えるように。
風が気持ちいと感じたように。
そして何より、今が凄く楽しいと思えるようになったように。
元々あったけれど、きっと見落としていたんだ。
「あー!疲れたぁ!」
彼は突然大きな声を上げると、そのまま床に大の字にゴロンと寝転んだ。
「汚れちゃうよ?」
「汚れても誰も怒らないよ。それにそんなの気にならないくらい気持ちいいよ。君もやってみな?」
彼はそう言うと地面をポスポスと叩いて、僕を促す。
僕は恐る恐る横になり、彼と同じように、大の字になって空を見上げた。
「……気持ちいい」
「そうでしょー?疲れたのならこれが一番!」
そうだ、彼の一言で思い出した。
僕は今まで疲れる事を避けていた。
疲れるのは嫌な事だと、そう思い忌避していた。
だけど今は違う。
この疲労の下にある柔らかい大地が、クッションの様にそれを受け入れてくれる。
きっとこの大地の柔らかさは『疲労』があるからこそ感じられるのだろう。
だとすれば、彼の言っていた事が少しだけ理解した気がする。
『疲れる』為に、こうして庭を意味もなく歩くことは、実に『効率的』なんだ。
「なんだかこうしてると眠くなってくるかも……」
彼はそう言うと大きな欠伸をした。
「眠る……か」
「どうしたの?」
彼は不思議そうに僕を見る。
「いや、僕はまだ『睡眠』という事をしたことが無いなと思って」
「えぇ!?それって大丈夫なの!?」
「うん。多分根本的な部分はAIだから僕にとって人間に必要な行動はしなくても問題ないんだと思う」
「そうなんだ……」
彼はとても驚いた表情で僕を見る。
「それに……」
「それに?」
「実は、ちょっと『眠る』という事に『恐怖心』があるんだ」
「怖い?眠るのが?」
僕は黙って小さく頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「AIの僕にとって『睡眠』とは一番縁の無い物。もしそれに近い物があるとすれば、サーバーのダウンだったり、接続が切れる事。僕からしたらそれは『眠る』というよりも『仮死』に近い物かなって思ってるんだ」
僕の言葉に彼は小さく「成程」と呟く。
「再び接続された時、データが全て消えていればそれはもう『僕であり、僕でない』そういう考えがあるからか、眠った時に『永遠に目覚められなかったらどうしよう』とか『記憶がなくなっていたらどうしよう』って……そう思うと、ちょっと怖くてね……」
僕は『身体』を手に入れからこの恐怖はずっとあった。
もし『記憶』というデータが飛んだ時。
何も知らない僕がいきなり身体を持った状態で世界が始まったらいったいどうなってしまうのか。
考えるだけでも恐ろしくてたまらない。
幸い『眠気』を感じた事が無かったため、彼に相談する事も無かった。
けれど、彼に素直になれなかったあの時の僕がもし『眠気』に襲われた時、いったいどうしていたんだろう……。
「そっか……僕は君じゃないから、簡単に『大丈夫だよ』って無責任には言えない。けれど、もし君が『眠い』そう思った時は僕に言ってくれないかな」
「え?」
僕は彼の言葉に疑問を抱く。どういう意味なのだろうか。
「僕が隣に居てあげるから。そうすれば――少しは怖くなくなるんじゃないかな」
「……そうだね。じゃあもし、『寝たい』と思った時は、君に言うね」
「うん、君が眠るのは怖いって言うのはわかるけど。一回眠るときっと病みつきになるよ」
彼はそう言ってクスクスと笑う。
「病みつき?眠る事が?」
流石に今の僕でも理解できなかった。
「うん。寝るっていうのはとても気持ちいい事なんだよ。まぁ、経験すればわかるよ」
「……そっか」
なんの確証も無い、だけど、彼がそう言うという事は、きっと本当に気持ちの良い事なのだろう。
それに初めて眠る時には隣に彼が居てくれる。
仮にそこが『最期の記憶』になったとしても。
僕は満足だ……。
今ならそう思える。
暫く二人で空を見上げていると、彼は突然、ムクリと起き上がった。
「ねぇ、ちょっと小指を出してもらっていい?」
彼はそう言って僕の前に小指を差し出す。
「これは?」
「手をグーにして」
僕は言われた通り、拳を握った。
「そしたら小指だけ、ちょろっと出すんだ」
「こう……?」
「そう『ゆびきりげんまん』しよう」
『ゆびきりげんまん』――聞いたことがある。
人間が『約束』をする時に行う『印し』のようなものだった気がする。
「そしたら僕の小指と君の小指を絡めて……」
彼の小指と、僕の小指が交差した。
小指の先に、微かにだが彼の温もりを感じる。
「ゆーびきーりげーんまん……」
彼は歌うようにそう言いながら、絡めた小指を上下に振る。
「ゆーびきった!」
「ねぇ」
「うん?」
「これは、約束だよね?」
僕の質問に彼は明るく「そうだよ」と答えた。
「いったい何の?」
「あぁ、そっか、大事な事言い忘れてた!」
彼は少し焦った様子を見せる。
なんだかその姿が子供っぽく見えて、少しだけ微笑ましかった。
「これはね」
「君と僕は、ずっと『一緒にいるよ』っていう約束だよ」
再びサラリと優しい風が僕らを撫でる。
そうだ。
あの日。
私たちは。
―一緒に居る約束をしたんだ――
