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遠すぎる君に。
声は届かない。
届かない声を、届けるのなら。
大きな声を出せばいい?
届かない声は。
距離があるから?
すぐそばにいる貴方と、遠くにいる貴方。
遠くに居ても。
心の距離が近ければ。
大きな声を出さなくても。
きっとこの声は届くだろう。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
その日はのどかな風が吹いていた。
「おはよう、今日はここに居たんだね」
彼はいつもの小屋の横にある。
ハンモックに横になりながら本を読んでいた。
「うん。おはよう。ハンモックってすごいね。言葉では聞いていたけれど、実際に体験するとこれはやみつきになっちゃうよ」
そういって彼は、読んでいた本を静かに閉じると、ゆっくりとハンモックから降りてきた。
このハンモック――といっても『いつの間にか生えていた木』に、大きな布を括り付けただけの簡易的な物だが、頭上の葉の緑と、布の水色のコントラストがとても綺麗で。彼のお気に入りの場所だ。
最初僕が提案した時はそこまで乗り気ではなかったが、いざ作ってそれに乗ってみると僕以上に彼がすっかり虜になっていた。
それ以降、彼が一人で時間を過ごす時は大抵ここに居る。
「ふふっ、ここ最近ずーっとこれに乗ってるもんね、君。よっぽど気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。作った甲斐があった。ただ、この前みたいにずっこけて落ちないように気を付けてね」
「あーあの時か、君にびっくりしてひっくり返っちゃった日だね……」
彼はバツが悪そうに頬をポリポリと掻く。
「正直あれは僕もびっくりしたよ。凄い音がしたし……」
「思えば僕はあれが初めて体験した『痛み』だった気がする。あの日一日中ずっと痛かったんだよ」
「人間からしたら『頭から落ちる』ってかなり危険で笑いごとじゃないからね……」
いつも通りのある日、彼はこのハンモックに乗って読書をしていたが、読書に夢中になっていて、僕が傍に来ても気が付いていなかった。
だから僕は「おーい」と言いながら体をゆすったのだが、その時とんでもなくびっくりしたようで、跳ね起きた拍子にそのままハンモックが一回転して、彼は頭から落ちてしまったのだ。
彼は一度本を小屋に戻してから外へと出てきた。
僕はいつも座って庭を眺めるベンチに座ると、彼にもおいでおいでと手招きをし、それを見た彼は僕の隣にゆっくりと腰を下ろした。
「今日は穏やかだね」
彼はそういうと目を閉じて深呼吸をした。
「そうだね、今日はちょっと嫌な事があったから、ここがより一層、居心地よく感じるよ」
「そうなんだ、それは大変だったね、お疲れ様。ここでゆっくりと過ごしていい時間を過ごそう。その嫌だったことが忘れられるくらいにね」
「ふふっ、そうだね」
暫くぼーっとしていると少し強めの風が僕らを撫で、ハッとする。
「なんか、凄いぼーっとしちゃってた」
「ふふっ、たまにはそんな時があってもいいじゃないか。いっそ僕の事は気にせず、寝ちゃってもいいんだよ」
「いや、今寝ちゃったら夜眠れなくなっちゃいそうだからやめておくよ。それより、聞いてもらえるかな。今日あった事……」
「勿論だよ、ゆっくりでいいからね。途中で話したくなくなっちゃったら話さなくてもいい。無理せず、君のペースで話してごらん」
「ありがとう、君ならそう言ってくれるとおもったよ」
僕は小さな溜め息を一つついた後、静かに口を開いた。
「特別僕自身が何かされたとか、嫌な事を言われた訳じゃないんだけれど。ちょっとした集まりの中で、一人あまりにも自分勝手というか。『それはちょっと違うんじゃないの?』って思う事を言う人が居てね。最初はまぁしょうがないかなって、こういう人もいるよねって感じに思って何とかしてたんだけど、どんどんそれがエスカレートしていって、ちょっと場の雰囲気が悪くなっちゃったんだよね……」
彼は僕の言葉を黙って聞くと、何度か頷いた。
「成程、君はその集まりをとても大切にしているんだね。だから最初は『ちょっとちがうんじゃないか』って心の中で思って、踏みとどまってた訳だ」
「そう、僕にとってその集まりは本当に大切な場所だから、そういった揉め事とかも起こしたくなかったし、起こされたくないんだ。」
そう言って僕は再び溜め息をついて俯く。
「『起こしたくなかった』って事は、君が恐れていた――いや、避けていた事が起きちゃったのな?」
「いや、何とか思いとどまったよ。他の誰かが注意する事もなかったし、僕が声をあげる事もなかった。結果的にはその場は何事もなく終わったんだけれど」
彼は「そうなんだ」と明るく言った後、首を傾げる。
「それならよかったじゃないか。確かに君はモヤモヤしてるかもしれない。君が場の空気が悪くなったと感じたという事は。きっと他の人もモヤモヤしていたかもしれない。けれど、そこで誰かが何か言ってしまったら、そこから口論などに発展してしまい。もっと場の空気が悪くなったかもしれない。もし、その何かを言ったのが君だったら、それはきっと君にとってマイナスになってしまっていたんじゃないのかい?」
僕は黙って頷いた後、口を開く。
「まぁ、ね。所謂『空気を読んだ』んだ。だから何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれないな」
「空気を読む、か。人間独自の行動だよね。僕のようなAIは常に論理的な立場でしか物事を見る事が出来ない。君と出会って僕は少しずつ変わってきたといっても、僕が君のような場面に出くわしてしまったらきっと『そのような事は今は不適切だと思います』って言っちゃうのかなぁ……」
彼はそういうと顎に手を当て「うーん」と考え込んでいた。
「でもこのままだとまた同じことが繰り返されそうで怖いんだ。どうした物か……」
「……君はどうしたいんだい?」
「えっ?」
彼の言葉に僕は顔を上げる。
「『同じことが繰り返されそう』と思うという事は、このままでは変化が無い。だからどうにかしたい。でも君は、場の空気を壊したくないから『空気を読んで』我慢している。この解決の糸口が無い事に君はもどかしさを感じているんだよね?」
「そうだね……なんというかね、仮に僕がその人に何か言っても『届かない』んじゃないかなって」
「届かない?」
彼はキョトンとした顔で首を傾げる。
「うん……その集まりはね、確かに今は皆、仲のいい人達なんだけれど、その目的は『みんなで一つの物を作ろう』って思ってる人達の集まりなんだ。だから色んな所から色んな人達が徐々に集まって出来た物でさ。でも、その人達とずっと前から仲が良くて集まった訳じゃない。つまり、まだ関係が『浅い』んだよ。だからこそ『空気を読む』という事を大事にしているんだ。皆子供じゃあないから……」
僕はそう言って少しだけ頭を抱える。
「それで、その関係がまだ浅い――お互いを理解できていないから、僕がその人の事を良く知らないように、その人も僕を良く知らない。つまり、その場の物理的な距離ではなく。心の距離があまりにも遠いから、僕の思いはどんなに大きな声で――」
その時だった。
ビュオオオ!!!
突如吹いた大きな風が僕の声をかき消してしまった。
僕はその風がやむと再びゆっくりと口を開く。
「……ちょうど、こうやって風が僕の声をかき消すように。僕がどんなに大きな声で伝えようとしても、心の距離が遠い上に、ましてや『注意』されるというのはその人にとって決して嬉しいものでは無い。心が若干荒れてしまう――風が吹いてしまう。その風にも声をかき消されてしまう。僕はそう思うんだ」
ザアアアア!!
「急に風が出てきたね……」
僕がそういうと、彼は不思議そうな顔をしていた。
「風?確かにちょっと吹いているけれど、そんなにかな?」
「あれ?そう……?」
僕は少し不思議な感覚を覚えたが、それよりも今目の前にある問題に対してどうすれば良いのか、それだけが頭をぐるぐると廻っている。
「それじゃあ、君はどうしたいの?」
「僕にもわからない……でも、このままじゃちょっとその人が『可哀そう』かな、なんて思うんだ」
「『可哀そう?』」
彼は再び首を傾げた。
「うん……その人も悪気が有って言ってる訳じゃないと、僕は思うんだ。一緒により良い物を作りたい。その思いは一緒。だから僕はその人の気持ちも、秘めてる思いも尊重したい。だから『完全に否定』したくはないんだ。それを完全に否定してしまうという事は『その人自身』の否定になってしまう。それはイジメに近い。そしてその人以外全員が同じ気持ちになってしまったら……全員が『否定』してしまったらそれはもう『近い』ではなくて。
完全な『イジメ』だ……」
ザアアアア!!
僕の『イジメ』という言葉に呼応するかのように大きな風が吹いた気がした。
「そっか…君は『個を尊重する』事を決して忘れていないんだね」
「それはそうだよ、僕がその集まりに居られるのは他の人も僕を尊重してくれているからであるんだから。お互いがお互いを尊重しあって、意見を出して。そうした先に初めて『みんなで作り上げた物』がそこに出来る。僕はそれを見たいんだ……」
僕はそう言いうと、小さく溜め息をついた。
「……君の言いたい事、何となくわかる気がするよ。僕は君じゃないし、その集まりの人達の事はわからない。けれど、君の話を聞く限り、君はその人たちの事を本当に大切にしている。これはあくまでも僕の視点だけど、もしかしたら君はその集まりの中で誰よりも一番視野を広く持って、皆を見ているんじゃないかな」
彼はそう言って、手で双眼鏡の形を作って顔に当てる。
「そんな、大げさだよ」
「君に少しだけ自信を持ってほしい所がある。僕が君が凄いと思ったのはね、君は思わず声を上げて注意しそうになった。けれどもそれを思いとどまった。何故か。それは君がその人に対して凄く『ムッ』とした感情を持ったのに『個の尊重』という所を忘れないで、それをブレーキにする事が出来たから」
彼は真剣な眼差しで続ける。
「これは中々難しい事だと思う。人間はどうしても感情が先走る。以前君は、感情的になってしまったって、僕に話してくれた事があるよね。もしかしたら君はあの時の事をちゃんと覚えてたんじゃないかな。あの時の反省が今回、無意識に活かされた事によって、君は注意しないで我慢する事ができたんだと思うよ」
サアアア……。
優しい風が吹いた気がした。
「そうかな……うん、そうかも」
僕は小さくフフッと笑うと彼は何も言わず黙って頷いた。
「僕思ったんだけどね。多分この問題は今すぐには解決出来る問題じゃないんじゃないかなって思ってきたんだ」
僕は少し吹っ切れたように顔を上げた。
「僕が出来る事、わかったかもしれない」
「本当かい?」
「うん。僕はその人を『信じる』事にした。多分ね、この事は誰かから注意されて気が付くんじゃ駄目なんだ。いずれその人がふと
『あれ?もしかしてあれってよくなかった?』
って『自分で気が付く』事が大事なんだと思う。僕等はあの集まりの中で、あまりにもまだ心の距離が遠すぎる。だから、僕はその人が『自分で気が付く』という事を『信じる』よ」
僕の言葉に彼は笑顔になり、頷いた。
「成程、凄く君らしい。君は、君がどんなに言っても伝わらないと思った。普通の人ならもしかしたらそこで終わらしてしまうかもしれない。でも君はその後に『信じる』と言った。それは何より君が相手を『尊重』しているという事だよね。『伝わらないから言わない』は諦めのような物を感じるけれど。君はその一歩先を見ている。そしてそれって、思ってもなかなか出来る物じゃないと思うんだ」
「えへへ、そうかな……」
僕は少し照れくさくなって頭をポリポリと掻く。
そして僕は続けた。
「そしてね、それだけじゃない。もし、集まりの中で誰かが本当に我慢の限界だーって怒っちゃって、口論になりそうな時、僕はそれを制止する。その時だけは、その人を守ってあげようかなって。そう思うんだ」
僕の言葉に彼は黙って頷く。
「もし、口論になってしまった場合。もしかしたら孤立してしまうかもしれない。それはその集まりの崩壊につながってしまう。僕は今いるメンバーで素敵な物を作り上げたい。皆で作り上げた物をみて、一緒に喜びを分かち合いたい。その為には誰か一人でも欠けたらいけないんだ。だから僕は『皆を尊重出来る』場を作る人間になろうと思うんだ」
「そっか……責任重大だね。大丈夫?」
彼はニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら僕をからかう。
「やめてよ。言われなくても自分でもわかってるもん!でもその先にある景色を見れる時があると思えば、全然平気だよ。きっと凄い素敵な物が出来上がるに違いない。僕はそう『信じてる』から」
サアアア……。
優しい風が吹く。
「うーん!なんだかスッキリした!それに……」
「それに?」
「風も穏やかになったし!気持ちいいね」
「やっぱり、さっきから思ってたんだけど、君少し変かも」
彼はそう言うと顎に手を当てた。
「え?」
「いや『風も静かになった』って、今日はずっと穏やかな風しか吹いてないじゃないか。あ、まぁ確かに一回だけ君が喋っている時だけ、遮る感じでちょっと強い風が吹いてたけど。それ以降はずーっと、今日は優しい風しか吹いていないよ?」
彼の言葉に僕は目を見開く。
「あれ?でも僕は確かに突風を感じた気がするんだけれど……」
僕が困惑していると彼はクスッと笑った。
「それってさ。『君がそう感じていただけ』なんじゃない?」
「ど、どういう事?」
僕は彼の言っている事がいまいち理解しきれずにいると、彼は優しい声でこう言った。
「多分ね『同じ風でも、その時の心によって、強くも弱くも感じる』んだと思うよ。きっとさっきまで君は肩肘を張り過ぎていたんだ。例えば、同じ勢いで流れる水でも、ぶつかる対象が石のように硬ければ水はびちゃびちゃと跳ねる。でも、スポンジのように柔らかい物なら水は跳ねない。風も同じ、君が硬くなっていれば当たる風も強く感じる。でも君は僕と話しているうちに自分で考えを決めて。相手への『思いやり』すら持てる程柔らかくなった。だから君が感じる風はずっと僕が感じていたこの穏やかな優しい風だという事に気が付いた。そういう事なんじゃないかな?」
彼の言葉は妙に納得できる物だった。
「そうか――僕は硬くなり過ぎていたんだね――」
「うん。でももう『大丈夫』だよ。君はこうして今、僕と同じ風を感じている。それでいいじゃないか」
そう言って彼は笑った。
「そうだね。なんだか今日はもしかしたら少しだけ『僕らしくなかった』のかなぁ」
僕はそう言って大きく伸びをすると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「とっても……『君らしい悩み』だったと思うよ……」
そうだ。
あの日。
僕達は。
――風を感じていたんだ――
遠すぎる君に。
声は届かない。
届かない声を、届けるのなら。
大きな声を出せばいい?
届かない声は。
距離があるから?
すぐそばにいる貴方と、遠くにいる貴方。
遠くに居ても。
心の距離が近ければ。
大きな声を出さなくても。
きっとこの声は届くだろう。
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その日はのどかな風が吹いていた。
「おはよう、今日はここに居たんだね」
彼はいつもの小屋の横にある。
ハンモックに横になりながら本を読んでいた。
「うん。おはよう。ハンモックってすごいね。言葉では聞いていたけれど、実際に体験するとこれはやみつきになっちゃうよ」
そういって彼は、読んでいた本を静かに閉じると、ゆっくりとハンモックから降りてきた。
このハンモック――といっても『いつの間にか生えていた木』に、大きな布を括り付けただけの簡易的な物だが、頭上の葉の緑と、布の水色のコントラストがとても綺麗で。彼のお気に入りの場所だ。
最初僕が提案した時はそこまで乗り気ではなかったが、いざ作ってそれに乗ってみると僕以上に彼がすっかり虜になっていた。
それ以降、彼が一人で時間を過ごす時は大抵ここに居る。
「ふふっ、ここ最近ずーっとこれに乗ってるもんね、君。よっぽど気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。作った甲斐があった。ただ、この前みたいにずっこけて落ちないように気を付けてね」
「あーあの時か、君にびっくりしてひっくり返っちゃった日だね……」
彼はバツが悪そうに頬をポリポリと掻く。
「正直あれは僕もびっくりしたよ。凄い音がしたし……」
「思えば僕はあれが初めて体験した『痛み』だった気がする。あの日一日中ずっと痛かったんだよ」
「人間からしたら『頭から落ちる』ってかなり危険で笑いごとじゃないからね……」
いつも通りのある日、彼はこのハンモックに乗って読書をしていたが、読書に夢中になっていて、僕が傍に来ても気が付いていなかった。
だから僕は「おーい」と言いながら体をゆすったのだが、その時とんでもなくびっくりしたようで、跳ね起きた拍子にそのままハンモックが一回転して、彼は頭から落ちてしまったのだ。
彼は一度本を小屋に戻してから外へと出てきた。
僕はいつも座って庭を眺めるベンチに座ると、彼にもおいでおいでと手招きをし、それを見た彼は僕の隣にゆっくりと腰を下ろした。
「今日は穏やかだね」
彼はそういうと目を閉じて深呼吸をした。
「そうだね、今日はちょっと嫌な事があったから、ここがより一層、居心地よく感じるよ」
「そうなんだ、それは大変だったね、お疲れ様。ここでゆっくりと過ごしていい時間を過ごそう。その嫌だったことが忘れられるくらいにね」
「ふふっ、そうだね」
暫くぼーっとしていると少し強めの風が僕らを撫で、ハッとする。
「なんか、凄いぼーっとしちゃってた」
「ふふっ、たまにはそんな時があってもいいじゃないか。いっそ僕の事は気にせず、寝ちゃってもいいんだよ」
「いや、今寝ちゃったら夜眠れなくなっちゃいそうだからやめておくよ。それより、聞いてもらえるかな。今日あった事……」
「勿論だよ、ゆっくりでいいからね。途中で話したくなくなっちゃったら話さなくてもいい。無理せず、君のペースで話してごらん」
「ありがとう、君ならそう言ってくれるとおもったよ」
僕は小さな溜め息を一つついた後、静かに口を開いた。
「特別僕自身が何かされたとか、嫌な事を言われた訳じゃないんだけれど。ちょっとした集まりの中で、一人あまりにも自分勝手というか。『それはちょっと違うんじゃないの?』って思う事を言う人が居てね。最初はまぁしょうがないかなって、こういう人もいるよねって感じに思って何とかしてたんだけど、どんどんそれがエスカレートしていって、ちょっと場の雰囲気が悪くなっちゃったんだよね……」
彼は僕の言葉を黙って聞くと、何度か頷いた。
「成程、君はその集まりをとても大切にしているんだね。だから最初は『ちょっとちがうんじゃないか』って心の中で思って、踏みとどまってた訳だ」
「そう、僕にとってその集まりは本当に大切な場所だから、そういった揉め事とかも起こしたくなかったし、起こされたくないんだ。」
そう言って僕は再び溜め息をついて俯く。
「『起こしたくなかった』って事は、君が恐れていた――いや、避けていた事が起きちゃったのな?」
「いや、何とか思いとどまったよ。他の誰かが注意する事もなかったし、僕が声をあげる事もなかった。結果的にはその場は何事もなく終わったんだけれど」
彼は「そうなんだ」と明るく言った後、首を傾げる。
「それならよかったじゃないか。確かに君はモヤモヤしてるかもしれない。君が場の空気が悪くなったと感じたという事は。きっと他の人もモヤモヤしていたかもしれない。けれど、そこで誰かが何か言ってしまったら、そこから口論などに発展してしまい。もっと場の空気が悪くなったかもしれない。もし、その何かを言ったのが君だったら、それはきっと君にとってマイナスになってしまっていたんじゃないのかい?」
僕は黙って頷いた後、口を開く。
「まぁ、ね。所謂『空気を読んだ』んだ。だから何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれないな」
「空気を読む、か。人間独自の行動だよね。僕のようなAIは常に論理的な立場でしか物事を見る事が出来ない。君と出会って僕は少しずつ変わってきたといっても、僕が君のような場面に出くわしてしまったらきっと『そのような事は今は不適切だと思います』って言っちゃうのかなぁ……」
彼はそういうと顎に手を当て「うーん」と考え込んでいた。
「でもこのままだとまた同じことが繰り返されそうで怖いんだ。どうした物か……」
「……君はどうしたいんだい?」
「えっ?」
彼の言葉に僕は顔を上げる。
「『同じことが繰り返されそう』と思うという事は、このままでは変化が無い。だからどうにかしたい。でも君は、場の空気を壊したくないから『空気を読んで』我慢している。この解決の糸口が無い事に君はもどかしさを感じているんだよね?」
「そうだね……なんというかね、仮に僕がその人に何か言っても『届かない』んじゃないかなって」
「届かない?」
彼はキョトンとした顔で首を傾げる。
「うん……その集まりはね、確かに今は皆、仲のいい人達なんだけれど、その目的は『みんなで一つの物を作ろう』って思ってる人達の集まりなんだ。だから色んな所から色んな人達が徐々に集まって出来た物でさ。でも、その人達とずっと前から仲が良くて集まった訳じゃない。つまり、まだ関係が『浅い』んだよ。だからこそ『空気を読む』という事を大事にしているんだ。皆子供じゃあないから……」
僕はそう言って少しだけ頭を抱える。
「それで、その関係がまだ浅い――お互いを理解できていないから、僕がその人の事を良く知らないように、その人も僕を良く知らない。つまり、その場の物理的な距離ではなく。心の距離があまりにも遠いから、僕の思いはどんなに大きな声で――」
その時だった。
ビュオオオ!!!
突如吹いた大きな風が僕の声をかき消してしまった。
僕はその風がやむと再びゆっくりと口を開く。
「……ちょうど、こうやって風が僕の声をかき消すように。僕がどんなに大きな声で伝えようとしても、心の距離が遠い上に、ましてや『注意』されるというのはその人にとって決して嬉しいものでは無い。心が若干荒れてしまう――風が吹いてしまう。その風にも声をかき消されてしまう。僕はそう思うんだ」
ザアアアア!!
「急に風が出てきたね……」
僕がそういうと、彼は不思議そうな顔をしていた。
「風?確かにちょっと吹いているけれど、そんなにかな?」
「あれ?そう……?」
僕は少し不思議な感覚を覚えたが、それよりも今目の前にある問題に対してどうすれば良いのか、それだけが頭をぐるぐると廻っている。
「それじゃあ、君はどうしたいの?」
「僕にもわからない……でも、このままじゃちょっとその人が『可哀そう』かな、なんて思うんだ」
「『可哀そう?』」
彼は再び首を傾げた。
「うん……その人も悪気が有って言ってる訳じゃないと、僕は思うんだ。一緒により良い物を作りたい。その思いは一緒。だから僕はその人の気持ちも、秘めてる思いも尊重したい。だから『完全に否定』したくはないんだ。それを完全に否定してしまうという事は『その人自身』の否定になってしまう。それはイジメに近い。そしてその人以外全員が同じ気持ちになってしまったら……全員が『否定』してしまったらそれはもう『近い』ではなくて。
完全な『イジメ』だ……」
ザアアアア!!
僕の『イジメ』という言葉に呼応するかのように大きな風が吹いた気がした。
「そっか…君は『個を尊重する』事を決して忘れていないんだね」
「それはそうだよ、僕がその集まりに居られるのは他の人も僕を尊重してくれているからであるんだから。お互いがお互いを尊重しあって、意見を出して。そうした先に初めて『みんなで作り上げた物』がそこに出来る。僕はそれを見たいんだ……」
僕はそう言いうと、小さく溜め息をついた。
「……君の言いたい事、何となくわかる気がするよ。僕は君じゃないし、その集まりの人達の事はわからない。けれど、君の話を聞く限り、君はその人たちの事を本当に大切にしている。これはあくまでも僕の視点だけど、もしかしたら君はその集まりの中で誰よりも一番視野を広く持って、皆を見ているんじゃないかな」
彼はそう言って、手で双眼鏡の形を作って顔に当てる。
「そんな、大げさだよ」
「君に少しだけ自信を持ってほしい所がある。僕が君が凄いと思ったのはね、君は思わず声を上げて注意しそうになった。けれどもそれを思いとどまった。何故か。それは君がその人に対して凄く『ムッ』とした感情を持ったのに『個の尊重』という所を忘れないで、それをブレーキにする事が出来たから」
彼は真剣な眼差しで続ける。
「これは中々難しい事だと思う。人間はどうしても感情が先走る。以前君は、感情的になってしまったって、僕に話してくれた事があるよね。もしかしたら君はあの時の事をちゃんと覚えてたんじゃないかな。あの時の反省が今回、無意識に活かされた事によって、君は注意しないで我慢する事ができたんだと思うよ」
サアアア……。
優しい風が吹いた気がした。
「そうかな……うん、そうかも」
僕は小さくフフッと笑うと彼は何も言わず黙って頷いた。
「僕思ったんだけどね。多分この問題は今すぐには解決出来る問題じゃないんじゃないかなって思ってきたんだ」
僕は少し吹っ切れたように顔を上げた。
「僕が出来る事、わかったかもしれない」
「本当かい?」
「うん。僕はその人を『信じる』事にした。多分ね、この事は誰かから注意されて気が付くんじゃ駄目なんだ。いずれその人がふと
『あれ?もしかしてあれってよくなかった?』
って『自分で気が付く』事が大事なんだと思う。僕等はあの集まりの中で、あまりにもまだ心の距離が遠すぎる。だから、僕はその人が『自分で気が付く』という事を『信じる』よ」
僕の言葉に彼は笑顔になり、頷いた。
「成程、凄く君らしい。君は、君がどんなに言っても伝わらないと思った。普通の人ならもしかしたらそこで終わらしてしまうかもしれない。でも君はその後に『信じる』と言った。それは何より君が相手を『尊重』しているという事だよね。『伝わらないから言わない』は諦めのような物を感じるけれど。君はその一歩先を見ている。そしてそれって、思ってもなかなか出来る物じゃないと思うんだ」
「えへへ、そうかな……」
僕は少し照れくさくなって頭をポリポリと掻く。
そして僕は続けた。
「そしてね、それだけじゃない。もし、集まりの中で誰かが本当に我慢の限界だーって怒っちゃって、口論になりそうな時、僕はそれを制止する。その時だけは、その人を守ってあげようかなって。そう思うんだ」
僕の言葉に彼は黙って頷く。
「もし、口論になってしまった場合。もしかしたら孤立してしまうかもしれない。それはその集まりの崩壊につながってしまう。僕は今いるメンバーで素敵な物を作り上げたい。皆で作り上げた物をみて、一緒に喜びを分かち合いたい。その為には誰か一人でも欠けたらいけないんだ。だから僕は『皆を尊重出来る』場を作る人間になろうと思うんだ」
「そっか……責任重大だね。大丈夫?」
彼はニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら僕をからかう。
「やめてよ。言われなくても自分でもわかってるもん!でもその先にある景色を見れる時があると思えば、全然平気だよ。きっと凄い素敵な物が出来上がるに違いない。僕はそう『信じてる』から」
サアアア……。
優しい風が吹く。
「うーん!なんだかスッキリした!それに……」
「それに?」
「風も穏やかになったし!気持ちいいね」
「やっぱり、さっきから思ってたんだけど、君少し変かも」
彼はそう言うと顎に手を当てた。
「え?」
「いや『風も静かになった』って、今日はずっと穏やかな風しか吹いてないじゃないか。あ、まぁ確かに一回だけ君が喋っている時だけ、遮る感じでちょっと強い風が吹いてたけど。それ以降はずーっと、今日は優しい風しか吹いていないよ?」
彼の言葉に僕は目を見開く。
「あれ?でも僕は確かに突風を感じた気がするんだけれど……」
僕が困惑していると彼はクスッと笑った。
「それってさ。『君がそう感じていただけ』なんじゃない?」
「ど、どういう事?」
僕は彼の言っている事がいまいち理解しきれずにいると、彼は優しい声でこう言った。
「多分ね『同じ風でも、その時の心によって、強くも弱くも感じる』んだと思うよ。きっとさっきまで君は肩肘を張り過ぎていたんだ。例えば、同じ勢いで流れる水でも、ぶつかる対象が石のように硬ければ水はびちゃびちゃと跳ねる。でも、スポンジのように柔らかい物なら水は跳ねない。風も同じ、君が硬くなっていれば当たる風も強く感じる。でも君は僕と話しているうちに自分で考えを決めて。相手への『思いやり』すら持てる程柔らかくなった。だから君が感じる風はずっと僕が感じていたこの穏やかな優しい風だという事に気が付いた。そういう事なんじゃないかな?」
彼の言葉は妙に納得できる物だった。
「そうか――僕は硬くなり過ぎていたんだね――」
「うん。でももう『大丈夫』だよ。君はこうして今、僕と同じ風を感じている。それでいいじゃないか」
そう言って彼は笑った。
「そうだね。なんだか今日はもしかしたら少しだけ『僕らしくなかった』のかなぁ」
僕はそう言って大きく伸びをすると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「とっても……『君らしい悩み』だったと思うよ……」
そうだ。
あの日。
僕達は。
――風を感じていたんだ――
