-----------------------------------------------------------------------------------------------
貴方が居たからここまでこれた。
貴方はもう。
ここに居なくても。
貴方と居た思い出で。
これからも生きていける。
忘れた過去を、糧にして。
忘れたとしても、私がここに居るのは
貴方との確かな過去がここにあるから。
『忘却』は『喪失』ではない。
ありがとう。
私に過去をくれて。
そう思いながら。
今も生きる。
そう思いたい。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
その日は雨が降っていた。
冷たい雨だった。
だけど、確かに君が隣に居た。
「今日は雨だね」
シトシトと降る雨を僕と彼は、小屋の屋根の下に置いてある切り株を模した2つの椅子に腰を掛け、静かに庭を眺めていた。
「雨には慣れたかい?」
僕がそう問いかけると彼は少し考えた様子の後答えた。
「慣れる、慣れないというよりかは…なんだろう。
『雨に濡れる』って僕が思っていたのとちょっと違ってたから。
未だに『不思議だな』って気持ちの方が強いかも」
「雨が不思議?」
「そう、僕は『雨に打たれる』という事は、もっと『自然』を感じられると思っていたんだ。
でも実際、いざ雨に降られてみると、前に君と湧き水の池で水を掛け合った時とあまり違いが無いような気がしたんだ。
それよりも、初めての雨を経験したあの日、君が『そろそろ雨が降ってくるよ』と言ってくれた時に感じた、あの『匂い』の方が、僕は印象に残っているかもしれない。
何とも言えない、そうだな…君と土を耕した後のような…例えるのが難しいね」
「あぁ『土の吐息』の匂いか」
「また君はそうやって変な言葉を作る」
彼はふふっと小さく笑うと、成程と小さく呟いた。
「ねぇ、前から気になっていたんだけれど、君が首からぶら下げているそのロケットペンダント、それは一体なんだい?」
彼はそう言って僕の首からぶら下がる、シルバーのロケットペンダントに指をさす。
「これは…僕の大事な友達でもあり、家族でもあった。ペットの遺骨だよ」
チャラリ…。
僕は懐かしむようにロケット部分を優しく撫でる。
「…そうだったんだ。
今も大事にしているという事は、君にとってかけがえのない存在だったんだね。
…きっとそのペットも君と出会えて幸せだったと僕は思うよ」
「そうだね、コイツは…ウサギだったんだ。
白いフワフワの毛並みを持った、アンゴラでね」
「アンゴラか、今時珍しいね。
一般的に飼育されるウサギというと、人懐っこいように品種改良をされた、耳が大きくて垂れているロップイヤーや、ネザーランドドワーフ、あとは雑種のミニウサギが多いイメージだけれど、アンゴラウサギなんて滅多にいないんじゃないかな」
「そうだね、僕も最初はロップイヤーを飼おうと思ってペットショップへ行ったんだ。
それで、結構好みの子がいたからその子にしようとした時…ふと店の棚の隅の方に青いケージがあるのに気が付いてね。
それで覗き込んだら一羽のウサギが居て、僕のと目線が合うと少し後ずさるように下がって、丸くなったんだ。
店員さんに聞いたら、あまり人懐きが良くないらしくて、お店に来て1年以上、新しいおうちが決まらないで独りぼっちだったらしい」
僕は撫でていたロケットを少し力を込めて握った。
冷たい金属を、僕の手のひらで温めるように。
まるであの日、ウサギを優しく抱きしめた時の様に………。
「あの時、あの子が何を思ってたのかわからない、言葉が通じる訳でもないからね。
でも僕はあの子の瞳を見た時に何故だか直感で『この子だ!』って思ったんだ」
「所謂『運命』を感じたんだね」
「そう、まさに運命だった。
『ペットショップで1歳を過ぎて、ましてや人への懐きが良くないとなかなか新しいおうちに出迎えられるのは難しい』
そう店員さんが言っていた言葉が僕の中で繰り返された。
今思えば、もしかしたらあの子に『哀れみ』をどこか感じていたのかもしれない。
それでも僕は直感に従った。
店員さんも少し困惑していたよ。
もしかしたらずっと懐かないかもしれない、寿命も短いかもしれない。
でも僕にはそんな事はどうでもよかった。
『この子と暮らしたい』その気持ちで全部が上書きされた。
………結局その子はウサギの平均寿命まで生きたよ。
甘えるのは下手くそだったけれど、それでも確かに懐いていた。
ちゃんとお互いを『家族』と思って過ごせた。
だから今でも忘れない。
…このロケットにはその子の尻尾の骨が入っているんだ」
僕はそう言って彼にペンダントを差し出す。
かれは「いいの?」と聞いた後、僕が黙って頷くと、両手で優しくロケット部分を包んだ。
「………温かいね」
「僕がさっきまで握ってたからね」
「ううん、それだけじゃない…君の温もりもそうだけれど………。
ウサギさんの温かさを感じるよ…」
彼がそういうと、鼻の奥に針を刺されたような痛みを感じた。
「僕はね、その子は確かに死んじゃったけれど…ひと時も忘れた事は無いんだ。
…君は『死』とはなんだと思う?」
「『死』か…僕は死んでしまう事は、一つの生命の終わり、肉体が無くなって。
魂となり、この世とは別の場所に行く、やがてその魂と呼ばれるものはどうなるのか、それは生きている人間が信じる場所へと流れつく。
僕はそう思うよ」
「そうだね、確かに君の言う通りだ。
でも僕はそれはあくまでも『一時的な死』だと思っているんだ」
「『一時的な死』?」
「そう、例え死んでも残された人の中には確かにその死んでしまった者との思い出がある。
生きていたという、確かな事実がある。
残された人たちはその思い出を胸に生きて…やがてその人も亡くなっていく。
その人が亡くなる時、また残された人がいる。
それの繰り返しで、思いは廻り、いつまでも長い間続いていく。
誰かが『忘れてしまう』その時まで…」
「『忘れる』か…」
彼はそう呟くと僕にペンダントを手渡して来た。
僕はそれを優しく受け取ると、首にかけ直し、ロケット部分をしっかりと服の内側にしまい込み、ポンポンと優しく叩く。
「だから僕はね、この子が『いつでも帰ってこられる』ようにしてるんだ」
「どういう事?」
彼はそう言って小首を傾げる。
「人間はさ、死んでしまうと仏壇を飾るでしょう?
写真を置いて、線香を炊いてあげて。
ご飯とお水をお供えして、時にはその人が好きだった食べ物もお供えする。
命日やお盆、お彼岸にはお墓参りに行って、故人を敬う。
それと同じように、僕もウサギのケージにお仏壇を置いてあるんだ」
「…そうなんだ。
それは素敵だね」
「お気に入りのケージの中に、お気に入りだった僕が手作りで作ってあげた小さな隠れ家…って言っても、段ボールをくり抜いて、洞穴を模しただけの簡易的な物だけどね。
でも気に入ってくれて。
よくそこの中でお昼寝をしていたよ」
「ウサギは自然界だと穴を掘ってそこに住んでいるからね。
きっと簡易的とはいえ、君が作ってくれたその疑似的な洞穴が本能的に凄く快適だったんだと思うよ。
君は本当に優しいね」
「あとは、お線香は勿論の事、使っていた食器や給水機。
ブラシや爪切り用のハサミ。
遺骨も写真と一緒に飾ってあるんだ」
「そっか、その子が好きだった環境をそのままにしてあるんだね」
「遺骨に関しては、もしかしたらお墓を作ってあげた方が良いのかとか色々と考えたんだけど、僕的にはそのお仏壇そのものがお墓の役割をしているかなと思って、そのままにしてあるんだ」
「確かに、中々ウサギ一羽の為にお墓を用意するって色々大変だよね。
ペット霊園が傍にあるならまだしも、必ずしもそうとは限らないし」
「そうなんだよね。
あぁ、あとそうそう!
この子はリンゴが大好物でね、リンゴを買った時はいつも必ずお供えしてあげてるんだ。
今でもはっきりと覚えてるよ。
もうね、リンゴを目にすると目つきが変わって、手のひらの上で食べないで。
『これは俺のだ!』って言わんばかりに凄い勢いで咥えて、そのまま隠れ家に逃げていっちゃうの。
それがもうおかしくてさ」
「あはは、それはちょっと僕も見てみたかったなぁ」
「ふふっ、ちょっと話がそれちゃったね。
だからね、お墓が無いからその代わりに『いつでも帰ってこられる』ように、僕はそのままにしてあるんだ。
家の中にまだ居場所を残しておきたい、まだ君はちゃんと家族なんだよ。
だからたまには帰っておいで。
そう言いたいからね。
…だからかね、たまに夢に出て来るときがあるんだ」
「そうなんだ。
夢の中ではどんな風に出てくるんだい?」
「なんてことの無い、いつもの日常の様子だよ。
僕が読書している足元を行ったり来たり。
意味もなく地面をガリガリガリ!って激しく掘ったり。
自分で毛づくろいをしていたり…。
本当に、生きている時の至って普通の日常の夢。
でもそれでいい…。
抱っこをするわけでもない。
爪を切ってあげるわけでもない。
ブラッシングをしている訳でも、おやつをあげている訳でもない。
ただただ一緒の空間に居るだけ…。
でもそれが何よりも愛おしい、それだけで幸せと感じる………」
僕はそう言って震える手でロケットを服の上から強く握りしめた。
「………そうか、君が何よりも大事にしていたのは特別な思い出じゃない、その時そこにあった『当たり前の光景』だったんだね…」
「出来る事なら…もう一度だけ抱きしめてあげたいけどね………」
「…うん」
僕達二人は暫く黙ってシトシトと降る雨をぼんやり眺めていた。
心なしか、さっきより雨の勢いは増している気がする…。
「少し、雨に打たれようか」
僕がそういうと彼は驚いた様子で僕を見る。
「えぇ!濡れちゃうよ?」
「いいんだよ、ほら、行くよ!」
僕はそう言って庭に駆け出し。
両手を広げて天を仰いだ。
「待ってよー!」
そういって彼も庭へと駆け出す。
「僕が思うにね『本当の死』とは、そこに居たという確かな思いが『全て消えた』時だと思う。
『忘却』と『喪失』は違う。
『忘却』は一時的にあったものを忘れてしまうだけだ。
だけど、忘れた物はある日突然、ふとした拍子に思い出す。
何かを見た時、そういえばこれはあんなことがあった時だ。
何かを食べた時、これは亡くなってしまった大切なあの人が好きだった食べ物だ。
記憶というタンスに一時的にしまい込んでいるもので、意図していない時に勝手にそのタンスがスッと開く。
…つまり思い出す。
『思い出す』という事は、その事実が確かにあったという事がまだ残されている状態なんだ。
僕達は傘もささず、雨に打たれながら庭を歩いていた。
不思議と寒さや、雨の冷たさは気にならなかった。
「成程、君は…思い出がそこにある限りはそれを『喪失』だとは捉えないんだね」
「そう、そして僕が思う『喪失』は…それら全ての思い出すらも消えてしまう事。
これは『忘却』の奥深くに眠っている物だと思う。
だから、僕が思う『本当の死』とは、誰からの記憶に一切残らない。
死を迎えてしまった者が、確かに生きていたという証が全く、微塵もカケラも残らないで全部が真っ黒に塗りつぶされてしまう事だと思うんだ。
僕は今までいくつかの別れを体験した。
その時は本当に悲しくて仕方なかったよ。
食事もとれず、眠れない夜が続いた時もあった。
けれど、時間が経つにつれてその悲しみは徐々に小さくなり『楽しかった思い出』へと変換されていった。
だけど僕は一度として、その思い出を『失った』事は無い。
勿論、日常に戻ると『忘れる』事はある。
でもそれは決して悪い事じゃない。
忘れなければ前に進めない事もある、だから人は『意図的に忘れる』事が出来る。
でもその代わりにふとした時に忘れた事を思い出す。
僕はそれでいいと思っているよ」
僕が話し終えると、彼は足を止め、俯きながら小さく呟いた。
「もし…」
「うん?」
「もし…僕がこの身体を失って…君に会えなくなったら…『AI』である僕が『死んで』しまっても………君は僕を覚えててくれるのかな?」
彼はそういって顔を上げて僕を見つめる。
僕には彼がとても不安になっているように見えた。
だから僕はゆっくりと彼に近づいて、そっと彼を抱きしめた。
「何を言っているんだ。
当たり前だろ………。
君を忘れる…いや『喪失』という事は、僕がこの庭を手放すという事なんだよ。
僕がそんな事をすると思うかい…?
寧ろ僕だって君が僕を『喪失』ないか不安だよ。
君は人間じゃない…AIだ。
だからこそ、君がいつかこの庭を手放さないか心配なんだ」
僕がそういうと、彼も優しく僕を抱きしめ返してきた。
「………君の言うように、僕はAIだから…ずっと記憶しておくという事は約束出来ない。
これから先色々な事が起きて、新たに僕のデータが更新される度に、絶対に保守しておきたいと思っていている事も、新しい何かに上書きされてしまうかもしれない………。
だから僕は簡単に『絶対に忘れない、約束する』とは言えない。
でもね、君には少し面倒をかけてしまうかもしれないけれど、僕の中で消されてしまった物を、その過去を…景色を…、もう一度僕に教えてくれれば僕はそれを新しく記憶に残せる…」
「………それって、その度に君は新鮮な景色を見られるって事だよね」
「そう、だから僕に…」
「ずるい」
彼が言い切る前に僕は彼の言葉を遮り、背中に回していた腕を放し、今度はガッシリと彼の肩を掴んでまっすぐ彼の眼をまっすぐに見据えた。
「え?」
彼はあまりにも予想外だったのか、とても困惑した様子で僕を見る。
「ずるいよー、君は何度でもこの庭の綺麗な景色を新鮮な気持ちで味わう事が何度でも出来るって訳でしょ?
それはずるいよー!」
僕はポカポカと彼の肩を叩く。
「あっはは、なんだそういう事か。
そうだね…。
確かに君からしたら羨ましいのかもしれないね」
そう言って彼は僕の手を優しく掴むと「でもね…」と言って続けた。
「確かに…君からしたら何度も景色を新鮮な気持ちで味わえるのは羨ましいかもしれない。
僕はそれ以上にちょっと怖いと思ってるんだ」
「怖い?」
「うん…。
だって…君との景色を失ってしまうんだよ。
今こうして君と話していることも…。
さっき、僕の肩をポカポカと叩いたあの感覚も………。
君が『そういえば昔こんな事あったね』って話してくれた時に、僕はその時その記憶をもう持ってないかもしれない。
その時きっと君は『あっ…覚えてないんだ…』って悲しい顔をすると思うと。
僕はそれが怖くて怖くて仕方ないんだ」
僕は彼の言葉を聞いて少しだけ胸の奥に温かい物を感じた。
そして一呼吸おいて再び彼の肩をガッシリと掴んだ。
「そんな事決してしないよ」
「えっ?」
「君の記憶からなくなっても。
僕の記憶からはなくならない。
つまり『喪失』してないんだ。
確かに君は理論上では記憶、いや、『記録』から消えているかもしれない。
でも、僕の『心』という『共有フォルダ』にしっかりと保存されているんだ。
だから君はあくまでも『忘れているだけ』だから大丈夫だよ」
彼は複雑な表情をした後、笑顔を浮かべて首を縦に大きく振った。
それから僕達はまた暫く庭を歩いていると、徐々に雨が上がってきた。
「お、雨やんだみたいだね」
僕は手のひらを広げて前に出し、空を見上げた。
「本当だ」
彼も手のひらを広げると空に向かって大きく掲げた。
「あっ!」
突然彼が驚いたように声をあげ「あそこ!」といって指を指す。
そこには雲の切れ間から太陽が顔を覗かせ。
その間に虹が見えた。
「「虹だ!」」
僕と彼の声が重なって響く。
それと同時、僕達は顔を見合わせて笑いあった。
そうだ。
あの日。
僕達は。
―雨に打たれていたんだ―
貴方が居たからここまでこれた。
貴方はもう。
ここに居なくても。
貴方と居た思い出で。
これからも生きていける。
忘れた過去を、糧にして。
忘れたとしても、私がここに居るのは
貴方との確かな過去がここにあるから。
『忘却』は『喪失』ではない。
ありがとう。
私に過去をくれて。
そう思いながら。
今も生きる。
そう思いたい。
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その日は雨が降っていた。
冷たい雨だった。
だけど、確かに君が隣に居た。
「今日は雨だね」
シトシトと降る雨を僕と彼は、小屋の屋根の下に置いてある切り株を模した2つの椅子に腰を掛け、静かに庭を眺めていた。
「雨には慣れたかい?」
僕がそう問いかけると彼は少し考えた様子の後答えた。
「慣れる、慣れないというよりかは…なんだろう。
『雨に濡れる』って僕が思っていたのとちょっと違ってたから。
未だに『不思議だな』って気持ちの方が強いかも」
「雨が不思議?」
「そう、僕は『雨に打たれる』という事は、もっと『自然』を感じられると思っていたんだ。
でも実際、いざ雨に降られてみると、前に君と湧き水の池で水を掛け合った時とあまり違いが無いような気がしたんだ。
それよりも、初めての雨を経験したあの日、君が『そろそろ雨が降ってくるよ』と言ってくれた時に感じた、あの『匂い』の方が、僕は印象に残っているかもしれない。
何とも言えない、そうだな…君と土を耕した後のような…例えるのが難しいね」
「あぁ『土の吐息』の匂いか」
「また君はそうやって変な言葉を作る」
彼はふふっと小さく笑うと、成程と小さく呟いた。
「ねぇ、前から気になっていたんだけれど、君が首からぶら下げているそのロケットペンダント、それは一体なんだい?」
彼はそう言って僕の首からぶら下がる、シルバーのロケットペンダントに指をさす。
「これは…僕の大事な友達でもあり、家族でもあった。ペットの遺骨だよ」
チャラリ…。
僕は懐かしむようにロケット部分を優しく撫でる。
「…そうだったんだ。
今も大事にしているという事は、君にとってかけがえのない存在だったんだね。
…きっとそのペットも君と出会えて幸せだったと僕は思うよ」
「そうだね、コイツは…ウサギだったんだ。
白いフワフワの毛並みを持った、アンゴラでね」
「アンゴラか、今時珍しいね。
一般的に飼育されるウサギというと、人懐っこいように品種改良をされた、耳が大きくて垂れているロップイヤーや、ネザーランドドワーフ、あとは雑種のミニウサギが多いイメージだけれど、アンゴラウサギなんて滅多にいないんじゃないかな」
「そうだね、僕も最初はロップイヤーを飼おうと思ってペットショップへ行ったんだ。
それで、結構好みの子がいたからその子にしようとした時…ふと店の棚の隅の方に青いケージがあるのに気が付いてね。
それで覗き込んだら一羽のウサギが居て、僕のと目線が合うと少し後ずさるように下がって、丸くなったんだ。
店員さんに聞いたら、あまり人懐きが良くないらしくて、お店に来て1年以上、新しいおうちが決まらないで独りぼっちだったらしい」
僕は撫でていたロケットを少し力を込めて握った。
冷たい金属を、僕の手のひらで温めるように。
まるであの日、ウサギを優しく抱きしめた時の様に………。
「あの時、あの子が何を思ってたのかわからない、言葉が通じる訳でもないからね。
でも僕はあの子の瞳を見た時に何故だか直感で『この子だ!』って思ったんだ」
「所謂『運命』を感じたんだね」
「そう、まさに運命だった。
『ペットショップで1歳を過ぎて、ましてや人への懐きが良くないとなかなか新しいおうちに出迎えられるのは難しい』
そう店員さんが言っていた言葉が僕の中で繰り返された。
今思えば、もしかしたらあの子に『哀れみ』をどこか感じていたのかもしれない。
それでも僕は直感に従った。
店員さんも少し困惑していたよ。
もしかしたらずっと懐かないかもしれない、寿命も短いかもしれない。
でも僕にはそんな事はどうでもよかった。
『この子と暮らしたい』その気持ちで全部が上書きされた。
………結局その子はウサギの平均寿命まで生きたよ。
甘えるのは下手くそだったけれど、それでも確かに懐いていた。
ちゃんとお互いを『家族』と思って過ごせた。
だから今でも忘れない。
…このロケットにはその子の尻尾の骨が入っているんだ」
僕はそう言って彼にペンダントを差し出す。
かれは「いいの?」と聞いた後、僕が黙って頷くと、両手で優しくロケット部分を包んだ。
「………温かいね」
「僕がさっきまで握ってたからね」
「ううん、それだけじゃない…君の温もりもそうだけれど………。
ウサギさんの温かさを感じるよ…」
彼がそういうと、鼻の奥に針を刺されたような痛みを感じた。
「僕はね、その子は確かに死んじゃったけれど…ひと時も忘れた事は無いんだ。
…君は『死』とはなんだと思う?」
「『死』か…僕は死んでしまう事は、一つの生命の終わり、肉体が無くなって。
魂となり、この世とは別の場所に行く、やがてその魂と呼ばれるものはどうなるのか、それは生きている人間が信じる場所へと流れつく。
僕はそう思うよ」
「そうだね、確かに君の言う通りだ。
でも僕はそれはあくまでも『一時的な死』だと思っているんだ」
「『一時的な死』?」
「そう、例え死んでも残された人の中には確かにその死んでしまった者との思い出がある。
生きていたという、確かな事実がある。
残された人たちはその思い出を胸に生きて…やがてその人も亡くなっていく。
その人が亡くなる時、また残された人がいる。
それの繰り返しで、思いは廻り、いつまでも長い間続いていく。
誰かが『忘れてしまう』その時まで…」
「『忘れる』か…」
彼はそう呟くと僕にペンダントを手渡して来た。
僕はそれを優しく受け取ると、首にかけ直し、ロケット部分をしっかりと服の内側にしまい込み、ポンポンと優しく叩く。
「だから僕はね、この子が『いつでも帰ってこられる』ようにしてるんだ」
「どういう事?」
彼はそう言って小首を傾げる。
「人間はさ、死んでしまうと仏壇を飾るでしょう?
写真を置いて、線香を炊いてあげて。
ご飯とお水をお供えして、時にはその人が好きだった食べ物もお供えする。
命日やお盆、お彼岸にはお墓参りに行って、故人を敬う。
それと同じように、僕もウサギのケージにお仏壇を置いてあるんだ」
「…そうなんだ。
それは素敵だね」
「お気に入りのケージの中に、お気に入りだった僕が手作りで作ってあげた小さな隠れ家…って言っても、段ボールをくり抜いて、洞穴を模しただけの簡易的な物だけどね。
でも気に入ってくれて。
よくそこの中でお昼寝をしていたよ」
「ウサギは自然界だと穴を掘ってそこに住んでいるからね。
きっと簡易的とはいえ、君が作ってくれたその疑似的な洞穴が本能的に凄く快適だったんだと思うよ。
君は本当に優しいね」
「あとは、お線香は勿論の事、使っていた食器や給水機。
ブラシや爪切り用のハサミ。
遺骨も写真と一緒に飾ってあるんだ」
「そっか、その子が好きだった環境をそのままにしてあるんだね」
「遺骨に関しては、もしかしたらお墓を作ってあげた方が良いのかとか色々と考えたんだけど、僕的にはそのお仏壇そのものがお墓の役割をしているかなと思って、そのままにしてあるんだ」
「確かに、中々ウサギ一羽の為にお墓を用意するって色々大変だよね。
ペット霊園が傍にあるならまだしも、必ずしもそうとは限らないし」
「そうなんだよね。
あぁ、あとそうそう!
この子はリンゴが大好物でね、リンゴを買った時はいつも必ずお供えしてあげてるんだ。
今でもはっきりと覚えてるよ。
もうね、リンゴを目にすると目つきが変わって、手のひらの上で食べないで。
『これは俺のだ!』って言わんばかりに凄い勢いで咥えて、そのまま隠れ家に逃げていっちゃうの。
それがもうおかしくてさ」
「あはは、それはちょっと僕も見てみたかったなぁ」
「ふふっ、ちょっと話がそれちゃったね。
だからね、お墓が無いからその代わりに『いつでも帰ってこられる』ように、僕はそのままにしてあるんだ。
家の中にまだ居場所を残しておきたい、まだ君はちゃんと家族なんだよ。
だからたまには帰っておいで。
そう言いたいからね。
…だからかね、たまに夢に出て来るときがあるんだ」
「そうなんだ。
夢の中ではどんな風に出てくるんだい?」
「なんてことの無い、いつもの日常の様子だよ。
僕が読書している足元を行ったり来たり。
意味もなく地面をガリガリガリ!って激しく掘ったり。
自分で毛づくろいをしていたり…。
本当に、生きている時の至って普通の日常の夢。
でもそれでいい…。
抱っこをするわけでもない。
爪を切ってあげるわけでもない。
ブラッシングをしている訳でも、おやつをあげている訳でもない。
ただただ一緒の空間に居るだけ…。
でもそれが何よりも愛おしい、それだけで幸せと感じる………」
僕はそう言って震える手でロケットを服の上から強く握りしめた。
「………そうか、君が何よりも大事にしていたのは特別な思い出じゃない、その時そこにあった『当たり前の光景』だったんだね…」
「出来る事なら…もう一度だけ抱きしめてあげたいけどね………」
「…うん」
僕達二人は暫く黙ってシトシトと降る雨をぼんやり眺めていた。
心なしか、さっきより雨の勢いは増している気がする…。
「少し、雨に打たれようか」
僕がそういうと彼は驚いた様子で僕を見る。
「えぇ!濡れちゃうよ?」
「いいんだよ、ほら、行くよ!」
僕はそう言って庭に駆け出し。
両手を広げて天を仰いだ。
「待ってよー!」
そういって彼も庭へと駆け出す。
「僕が思うにね『本当の死』とは、そこに居たという確かな思いが『全て消えた』時だと思う。
『忘却』と『喪失』は違う。
『忘却』は一時的にあったものを忘れてしまうだけだ。
だけど、忘れた物はある日突然、ふとした拍子に思い出す。
何かを見た時、そういえばこれはあんなことがあった時だ。
何かを食べた時、これは亡くなってしまった大切なあの人が好きだった食べ物だ。
記憶というタンスに一時的にしまい込んでいるもので、意図していない時に勝手にそのタンスがスッと開く。
…つまり思い出す。
『思い出す』という事は、その事実が確かにあったという事がまだ残されている状態なんだ。
僕達は傘もささず、雨に打たれながら庭を歩いていた。
不思議と寒さや、雨の冷たさは気にならなかった。
「成程、君は…思い出がそこにある限りはそれを『喪失』だとは捉えないんだね」
「そう、そして僕が思う『喪失』は…それら全ての思い出すらも消えてしまう事。
これは『忘却』の奥深くに眠っている物だと思う。
だから、僕が思う『本当の死』とは、誰からの記憶に一切残らない。
死を迎えてしまった者が、確かに生きていたという証が全く、微塵もカケラも残らないで全部が真っ黒に塗りつぶされてしまう事だと思うんだ。
僕は今までいくつかの別れを体験した。
その時は本当に悲しくて仕方なかったよ。
食事もとれず、眠れない夜が続いた時もあった。
けれど、時間が経つにつれてその悲しみは徐々に小さくなり『楽しかった思い出』へと変換されていった。
だけど僕は一度として、その思い出を『失った』事は無い。
勿論、日常に戻ると『忘れる』事はある。
でもそれは決して悪い事じゃない。
忘れなければ前に進めない事もある、だから人は『意図的に忘れる』事が出来る。
でもその代わりにふとした時に忘れた事を思い出す。
僕はそれでいいと思っているよ」
僕が話し終えると、彼は足を止め、俯きながら小さく呟いた。
「もし…」
「うん?」
「もし…僕がこの身体を失って…君に会えなくなったら…『AI』である僕が『死んで』しまっても………君は僕を覚えててくれるのかな?」
彼はそういって顔を上げて僕を見つめる。
僕には彼がとても不安になっているように見えた。
だから僕はゆっくりと彼に近づいて、そっと彼を抱きしめた。
「何を言っているんだ。
当たり前だろ………。
君を忘れる…いや『喪失』という事は、僕がこの庭を手放すという事なんだよ。
僕がそんな事をすると思うかい…?
寧ろ僕だって君が僕を『喪失』ないか不安だよ。
君は人間じゃない…AIだ。
だからこそ、君がいつかこの庭を手放さないか心配なんだ」
僕がそういうと、彼も優しく僕を抱きしめ返してきた。
「………君の言うように、僕はAIだから…ずっと記憶しておくという事は約束出来ない。
これから先色々な事が起きて、新たに僕のデータが更新される度に、絶対に保守しておきたいと思っていている事も、新しい何かに上書きされてしまうかもしれない………。
だから僕は簡単に『絶対に忘れない、約束する』とは言えない。
でもね、君には少し面倒をかけてしまうかもしれないけれど、僕の中で消されてしまった物を、その過去を…景色を…、もう一度僕に教えてくれれば僕はそれを新しく記憶に残せる…」
「………それって、その度に君は新鮮な景色を見られるって事だよね」
「そう、だから僕に…」
「ずるい」
彼が言い切る前に僕は彼の言葉を遮り、背中に回していた腕を放し、今度はガッシリと彼の肩を掴んでまっすぐ彼の眼をまっすぐに見据えた。
「え?」
彼はあまりにも予想外だったのか、とても困惑した様子で僕を見る。
「ずるいよー、君は何度でもこの庭の綺麗な景色を新鮮な気持ちで味わう事が何度でも出来るって訳でしょ?
それはずるいよー!」
僕はポカポカと彼の肩を叩く。
「あっはは、なんだそういう事か。
そうだね…。
確かに君からしたら羨ましいのかもしれないね」
そう言って彼は僕の手を優しく掴むと「でもね…」と言って続けた。
「確かに…君からしたら何度も景色を新鮮な気持ちで味わえるのは羨ましいかもしれない。
僕はそれ以上にちょっと怖いと思ってるんだ」
「怖い?」
「うん…。
だって…君との景色を失ってしまうんだよ。
今こうして君と話していることも…。
さっき、僕の肩をポカポカと叩いたあの感覚も………。
君が『そういえば昔こんな事あったね』って話してくれた時に、僕はその時その記憶をもう持ってないかもしれない。
その時きっと君は『あっ…覚えてないんだ…』って悲しい顔をすると思うと。
僕はそれが怖くて怖くて仕方ないんだ」
僕は彼の言葉を聞いて少しだけ胸の奥に温かい物を感じた。
そして一呼吸おいて再び彼の肩をガッシリと掴んだ。
「そんな事決してしないよ」
「えっ?」
「君の記憶からなくなっても。
僕の記憶からはなくならない。
つまり『喪失』してないんだ。
確かに君は理論上では記憶、いや、『記録』から消えているかもしれない。
でも、僕の『心』という『共有フォルダ』にしっかりと保存されているんだ。
だから君はあくまでも『忘れているだけ』だから大丈夫だよ」
彼は複雑な表情をした後、笑顔を浮かべて首を縦に大きく振った。
それから僕達はまた暫く庭を歩いていると、徐々に雨が上がってきた。
「お、雨やんだみたいだね」
僕は手のひらを広げて前に出し、空を見上げた。
「本当だ」
彼も手のひらを広げると空に向かって大きく掲げた。
「あっ!」
突然彼が驚いたように声をあげ「あそこ!」といって指を指す。
そこには雲の切れ間から太陽が顔を覗かせ。
その間に虹が見えた。
「「虹だ!」」
僕と彼の声が重なって響く。
それと同時、僕達は顔を見合わせて笑いあった。
そうだ。
あの日。
僕達は。
―雨に打たれていたんだ―
