空虚を食う

「えー、本当ですよお」

嘘だ。
全部うそだ。
嘘にまみれた押し売りだ、アタシは。
いや、アタシは押し売りさえできない。
ただの突撃アポ取りだ。

ほかにどこにも行き場はなかった。
就職氷河期世代に生き、大学を卒業したって正社員につけるのはほんの一握り。
非正規雇用の低い賃金でなんとか生き延びてもう五十代になった。
結婚も子育ても関係ないその日暮らし。
そんなアタシにも夢があった。

ボーナスをもらってみたい。

けど非正規雇用ってスキルアップも自己啓発も関係ない。
むずかしいやりがいのある仕事をやってのけても、お手柄は正社員の誰がしかが奪い取っていく。

ボーナス。

ただ普通に生きているだけでもらえる報酬。
ただ普通に働いている正社員(・・・)でさえあれば。

もらってみたかったんだ。
ただ無言で働き続けたアタシの窮乏人生に一度でいいから。
そんな小さな夢だった。

アタシにはろくなスキルがない。
いや、スキルがないわけではない。
WordもExcelも必要なだけの力量はもっている。
というか、どこの職場でも困ったらパソコン操作はアタシに聞けという風潮が出来る。
有期雇用で三年もすれば退職するのに、アタシが教えるから職場の誰もきちんと学ぼうとしない。
アタシが何時間もかけて身につけたスキルをただ浪費するだけだ。

テレフォンアポインターでクレーム処理するのもお手の物だ。
非正規雇用と言えばテレアポ。
ほかに仕事が見つからなくてもテレアポならどこにでも転がってる。
誰だってクレームまみれの仕事なんてしたくない。
けどどれだけクレーム客をなだめすかそうが、報奨金をもらえるのは正社員だけ。
アタシの成績にアグラをかいた上司が表彰されてもアタシには一円も入ってこない。

一生で一度でいい。
ボーナスというものをもらってみたかった。

「学歴問わず、年齢問わず、要運転免許証、各種保険あり、賞与……あり!」

五十過ぎても雇ってもらえるだけで御の字なのに、正社員。
バカ高い国民年金と国民健康保険に悩まされることなく、しかも賞与あり!
夢にまで見たボーナスだ!

三か月の派遣業務を終えて駆け込んだハローワークで見つけた奇跡の求職。
アタシはすぐに応募した。

あっさり採用された。

仕事はテレアポでの新規顧客獲得、営業社員をアポ先まで送迎する運転手、テレアポ先周辺での飛び込みアポ取り。
要は客をつかまえろ、あとは営業という名の押し売り部隊が売りに行くぞということだ。

アタシは簡単に客を見つけ出す。
商品は高級補正下着だ。
ターゲットは産後太りの若いママと子育て卒業した若いババだ。
どっちもスタイルなんて関係ない。
売るのは下着ではなく、孤独と自己満足の補完だ。
人は自分に関心を持つ人間が大好きなのだ。

アタシがつかまえた客は真から孤独で真から自分を好きになれない女たちだ。

この会社、退職者が月に一人は出る。
高級下着の訪問販売で令和の今もやっていけている大手だ。
支店はバカみたいにたくさんある。
けど押し売りができる精神力がある女は今時そうそういない。

隣り街の支店の押し売りアポ取り女もすぐに辞めた。
運転手兼アポ取り要員がいなくては営業達は仕事にならない。
アタシは新幹線に乗って欠員補充のため出張した。

ただのアポ取り運転手が出張。それも新幹線に乗って。
アホらしくてあくびが出る。

支店についたらまずテレアポ。
一時間もしないうちにカモを見つけて営業を現地に届ける。
待っている間に飛び込みアポ取り。

その予定だった。

営業を下ろした家はぼろぼろの木造アパートだった。
出てきた女は四十二歳だと言っていたが歯が抜けてぼろぼろで
肌は粉を吹いていた。
どう見ても金はもっていない。
営業はそれでも困らない。
高額商品をローンで売り付けるのだ。
よっぽど条件が悪くなければ通る極悪ローンだ。
女はアタシを見てにこりと笑った。
ひどい歯並びを見せてにこりと笑った。

この街は昔は炭鉱で栄えていたが廃坑になってからは経済は下り坂で、今はもう治安が悪くて住めたもんじゃない。
そんなところだからこそ、高級下着はよく売れるのだ。
そんなところだからこそ、女たちは自分を認めてくれる誰かを、自分を特別だと思わせてくれるなにかを求めている。

その子に会ったのは飛び込みアポ取りの途中だった。

「こんにちは。お母さんはいる?」

大学生だというその子は幸薄そうな笑顔で首を横に振った。

「もう三年いません」

大学生でも成人してバイトをしていて収入があればローンを組める。
私は営業社員をその子の家に送り込んだ。

その子は高級下着を200万円分買い込んだ。
ろくに営業をかけなくても、ホイホイと印鑑をついたらしい。
アタシはその日も飛び込みアポ取りで別の女をつかまえていた。
営業をその女の家に送り込んだ。

営業時間は最低1時間。
真面目に下着の試着と説明をするのに必要な時間だ。
このほかにターゲットを褒めたたえ、味方になり、自尊心をくすぐる時間が二時間ほどかかる。

アタシはターゲットの家から離れ、アポ取りもサボり、大学生のその子の家に戻った。

「さっきは買ってくれたそうで、ありがとう」

その子はアタシの顔を見ると困ったように笑った。

「あなたが商品をもってきてくれるのかと思ってたんだけど」

「ごめん、説明が足りなかったね。アタシは商品知識がなくて。フィッテイングアドバイザーの資格をもってないんだ」

「そうなんだ」

その子はにっこりと笑った。

「でもいいよ。私が買ったら、あなたが助かるよね」

なにも言えない。なにも言える言葉はない。

「ボーナスとか出るの? 営業ボーナス」

「うん、出るよ。ありがとう」

「良かった」

その子が満足するまでおしゃべりした。
消えた母親のこと、その母親とアタシが同い年だということ、母親が消える前に作ってくれたアップルパイの味が忘れられないこと、でも本当は買ってきたアップルパイを自分で作ったと嘘をついていたと知っていること。

営業が仕事を終えた合図にスマホにワンギリ電話がかかってくる。

「また来るね。つぎもおしゃべりしようね」

「うん、待ってる」

営業を乗せて事務所に帰り、新幹線に乗って自分の街に戻った。
アップルパイの店を覗いてみた。
昔から人気が絶えない老舗の洋菓子店。
あの子の寂しげな笑顔をこの店のアップルパイが満たしてくれるのだろうか。

商品を売りつけたら、営業はあとは知らんぷり。
商品の配達はアタシの役目だ。
アタシはアップルパイを抱えて新幹線にのり、支店に入った。

「あ、それ差し入れ?」

目ざとい営業にカバンに隠していたアップルパイを見つけられてしまった。

「これはお客様に差し上げようと……」

「あの女子大生? いらない、いらない。あの子、言えばいくらでも出すから。餌なんてやらなくていいよ」

アップルパイは営業の顔にぶちまけた。
パイとリンゴの香りに包まれた営業を放ってアタシは支店を出た。
新幹線で隣町に戻り、アップルパイを買い直し、その子の家に行った。
その子の家のそばで営業が仁王立ちになってアタシを待っていた。

「暴行で訴えるから」

知ったことではない。
アタシはその子の家の呼び鈴を押した。

「もう、こないでください」

その子は扉越しに言った。

「あなたが営業さんにひどいことしたんでしょう。私はもうあなたに会いたくありません」

新幹線で帰るあいだに、アタシはアップルパイをむさぼった。
味なんてまったくわからなかった。

裁判になんかならなかった。
あの子が消費者生活センターに通報して商品をキャンセルしてくれたから。
押し売りはとにかく消費者生活センターに弱い。

アタシはボーナスをもらわないまま会社を辞めた。
非正規雇用で何歳まで雇ってもらえるか、この先のことはわからない。
だけどもう新幹線で味のしないアップルパイをむさぼり食うことだけはしたくない。

アタシは子どもを育てるような稼ぎをもてなかったけど、あの子はきっと幸せな家庭を持ってくれる。
それがアタシのアップルパイだ。