銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

ヴァルデン領に身を寄せて、一週間が過ぎた。

聖騎士団とヴァルデン領の兵を合わせ、集まったのは約四千名。

カイルは、まだ傷の癒えない聖騎士団の兵を自領に残し、その穴をヴァルデンの正規兵で埋めることにした。残る者たちの鎧は、代わりに戦列へ加わるヴァルデン兵へと、そのまま引き継がれた。

「俺たちの分まで、頼む」

包帯姿の騎士から鎧を受け取ったヴァルデン兵は、黙って頷いた。

負傷兵と、残りのヴァルデン兵、義勇兵を合わせた約千名が領地に残る。新たな聖騎士団の三千名が、今回の出撃部隊となった。

見送りに集まった領民と残留の兵たちに、カイルは告げた。

「攻められることはないと思うが、留守を頼む。万一の備えだけは怠らず、いつも通りの生活を送ってくれ」

その言葉を背に、一行はヴァルデン領をあとにした。

◇

数日後。
野営地に張られた大きな天幕に、主要な面々が集まっていた。

「皆様、お疲れ様です」

セレスの声は清々しかった。

「本日はこれより、作戦会議を行います」

カイルはセレスの傍に控えるエミールに指示を出す。

「まずは情報収集からだ。エミール、地図を広げてくれ」

「はい」

エミールは丸めてあった地図を、木の台の上に広げた。

「よし。敵の配置と動きを皆で正確に把握しよう」

「こほん。ここは私に任せてください」

セレスが自信ありげに胸を張った。

「既に手配してあります」

小隊長たちの間に、驚きの声が漏れる。

「斥候隊の報告によれば、帝国軍は王都周辺の警備を強化しています。輸送路を監視するため、王都北西のリザニア砦を奪い、本国からの増援を受けて三千を配備しているようです」

カイルが満足げに頷いた。

「よくやった。……ところで、ベスティア領に出兵した王国軍主力部隊の動きは?」

エミールが地図の一角を指さして答える。

「奪還のため王都に戻ろうにも、背後から帝国軍に襲撃される恐れがあるため、動くに動けないようです」

「膠着状態か……心配ではあるが、あちらにはお偉い将校さんたちが大勢いる。彼らに任せて、今回はリザニア砦を攻略する。いずれ王都を奪還するとき、この砦が敵の手にあれば背後を突かれるし、補給路も押さえられる。先に潰しておくに越したことはない」

「主力部隊と連携しなくていいの?」

ミリアが確認するように尋ねた。

「俺に考えがある。五万の王国軍主力と睨み合う帝国軍主力がベスティア領から動かない方が、こちらとしてはやりやすいからな」

ミリアは軽くため息をついた。

「つまり、単独行動したいのね……心配だけど信じるわ」

カイルはニヤリと笑うと、再びセレスの方を向いて問いを投げかけた。

「さて、セレス。これからリザニア砦を攻略するわけだが、籠城している敵に対し、攻める側は三倍の兵力が必要と言われる。我が軍は三千。対する敵の守備隊も三千だ。定石ならこちらに勝ち目はない。……お前ならどう考える?」

「以前の私なら、正々堂々と勝負しろと言って、闇雲に攻撃していたかもしれません……」

セレスは自嘲気味に微笑んだ後、言葉を継いだ。

「ですが、今はわかります。……兵糧攻めでしょうか?」

カイルは頷いた。

「悪くない。だが、兵糧攻めは時間がかかる。今回は逆に――正々堂々と正面から行こう」

セレスは意外な発言に首を傾げた。

「……どういうことです、カイル?」

「敵さんに、自分から砦を出てきてもらうのさ」

横で聞いていたミリアが、呆れたように口を挟む。

「カイル、よほどの愚将でもなければ、砦から出撃などしないわ」

「いいや、出てくるさ」

カイルは不敵な笑みを浮かべ、確信に満ちた声で言った。

「帝国軍はまだ……セレスのことを、ただの『虚像の戦女神(エイリーン)』だと思い込んでいるからな」

ミリアが眉をひそめた。

「遠まわしな言い方ね」

「要するに『戦下手のセレスティーヌ』という餌を用意するのさ」

「カイル! まさか、セレス様を囮にするつもり? それに『餌』だなんて失礼だわ」

セレスは微笑んだ。

「私はかまいません。人生で初めて『餌』って呼ばれましたが、不思議と不快ではありません」

「セレス様……」

「よし、決まりだな。ミリア、お前には別の仕事がある。後で詳しく話す」

カイルは地図をくるくる丸めて片づけを始めた。

◇

夕刻。
セレスは白銀の鎧に身を包み、愛馬に跨っていた。

背後に控えるのは、新生した聖騎士団。
整然と居並ぶ軍勢が、沈みゆく夕日の下で白銀に煌めいている。

「全軍、前進開始!」

セレスの澄んだ声が、あの初陣のときと同じように平原へと響き渡った。

一方、帝国軍の守備隊長ゲルハルトは、望楼からその光景を見下ろしていた。

「ついに来たか……聖騎士団長が」

当初、彼は籠城策を堅持していた。だが、斥候から「敵将はセレスティーヌ・フォン・ランカスター本人」との報告を受け、状況は一変した。

「公爵令嬢の首を持ち帰れば、皇帝陛下から莫大な恩賞が授けられよう。それに、あの『戦女神(エイリーン)』を捕虜にして辱めることもできるわけだ」

「……危険すぎます。見たところ、相手は三千近くはいそうです」

副官が懸念を口にするが、ゲルハルトは鼻で笑った。

「奴らの弱点は、指揮官だ。あの小娘は戦場を知らん。先のウィンドル平原の戦いでも、勝手に自滅したというではないか。奴は必ず自ら前線に出ようとする。そこを狙い撃つのだ」

ゲルハルトは断言した。

「出撃だ! 標的はセレスティーヌただ一人だ!」

雄叫びと共に、守備兵を百名ほど残し、帝国軍のほぼ全軍が砦から出陣した。ゲルハルト自身も馬を駆り、その先頭に立った。

敵将は、虚像の戦女神(エイリーン)という『大きな餌』に、迷わず食いついた。

「ほう、陣の見栄えだけは立派なものだ。御前演習のつもりか?」

ゲルハルトは、整然と並ぶ聖騎士団を嘲笑した。
セレスの本隊は予定通り前方に布陣し、彼女自身は敵から最もよく見える位置へと移動する。

エミールが、その真横に並んだ。

「セレスティーヌ様、これ以上は危険です」

「ええ、わかっているわ」

(でも、餌なら引き付けなければ意味がないわ……)

セレスは意を決して叫んだ。

「敵将! 我こそはセレスティーヌ・フォン・ランカスター! 今すぐ降伏するなら、寛大な処置を約束します!」

平原に響くセレスの声に、ゲルハルトは大口を開けて笑った。

「ガッハッハ! 血迷ったか小娘! それはこちらの台詞(セリフ)だ」

「隊長、どうしますか?」

傍にいた部下が確認する。

「どうもこうも、ウィンドル平原の戦いの再現だ。セレスティーヌの部隊が突出してきたところを半包囲で崩してやる。……しかし、肖像画そのままの姿だな。ぐふふ、出来れば生け捕りにしたいものよ」

「しかし、ヴァルデン領で新たな兵を補充したとの情報もあります」

「貴官も存外慎重だな。だが貴重な意見だ。不利になったら素早く砦に撤退することにしよう。それでいいな?」

「は。承知いたしました」

「よし、全軍かかれっ!」

押し寄せる帝国兵の波。

左右をやや厚くした包囲の構えに対し、セレスの部隊は前進を止めた。代わりに、以前とは比較にならないほど強固な『密集防陣』を組み、その場に根を張る。

「む、突撃はないか……しかし所詮はお飾りの弱兵よ。小娘の浅知恵が我らに通用するかな?」

ゲルハルトは、包囲をやめ、中央に兵を寄せて圧力をかけた。
盾の壁が軋む。前列の兵が一人、また一人と崩れ、後列が埋めていく。

「ガハハハ。押せ押せーっ」

ゲルハルトの笑い声がセレスの耳まで届いた。

(今すぐ飛び出せば、あの男の首に届くかもしれない――)

剣の柄を握る手が震えた。だが、セレスは唇を噛んで踏みとどまった。
ウィンドル平原で白銀の鎧が地に伏していった光景が、脳裏をよぎる。

(待つのよ。カイルを、ミリアを信じて)

そのときだった。
敵陣の向こう――リザニア砦の主塔から、紅蓮の炎が天を突いた。

◇

――半刻前。

ミリア率いる奇襲部隊二百が、夕闇の中を音もなく移動していた。

部隊は険しい獣道を利用し、岩肌の露出した斜面を這うように登っていく。彼らは皆、革鎧だけをまとった、隠密行動に長けた軽装兵たちだった。

(カイルの言う通り、斜面がある場所の城壁はそれほど高くないのね……)

城壁を前に、ミリアは小さく手を挙げた。

「――始めて」

鋭い囁きと共に、選び抜かれた二十名が動いた。先端に布を巻いた鉤爪が六本、闇の中へと放たれる。

布が金属の音を吸い、爪はかすかな音だけを残して城壁の防柵へと噛み合った。兵たちは声一つ立てず、縄を登り、次々と壁の上へと這い上がっていった。

斜面側の城壁の上の見張りは二人しかおらず、どちらもはるか前方の主戦場を眺めながら雑談していた。

「敵は戦女神(エイリーン)の聖騎士団らしいぞ」
「あぁ、肖像画の奴か」

壁を越えたミリアの兵が、背後から見張りの口を塞ぎ、喉元を鋭く切り裂く。音もなく、二つの影が崩れ落ちた。

侵入部隊の長が声を潜めて指示を出す。

「よし、作戦通りにいくぞ。お前たち六人は裏門に行き、ミリア隊長たちを招き入れろ。残りは俺と、他の城壁の見張りを排除する」

「はっ」

城壁の外では、ミリアが残りの兵を連れ、裏門へと回り込んでいた。

裏門へ向かった兵たちは門衛二人を一瞬で昏倒させ、閂(かんぬき)を外した。
周囲を警戒すると、兵は門の外へ低く呼びかけた。

「ミリア隊長。今、開けます」

門が開放され、別動隊全員が砦内部へと殺到した。

「抵抗する者は容赦なく斬り捨てなさい!」

ミリアの指示は峻厳だった。砦内に残っていた少数の守備兵は、予期せぬ奇襲に混乱の極みに陥る。

「敵襲! 敵襲ッ!」
「馬鹿な、別動隊だと!? どこから――ぐわぁ!」

残敵を排除し、最上階へと到達したミリアが命令を下す。

「前線の連中によく見えるように、派手に燃やして!」

紫紺の夜空の下、砦の主塔で巨大な火柱が上がった。周囲は、たちまち明るい朱(あけ)に包まれていく。

◇

一方、主戦場。
ゲルハルトのもとに伝令が駆け込んできた。

「報告! リザニア砦、敵兵に占拠された模様! 裏門が破られております!」

「なっ……何だと!?」

衝撃の報せが、戦場を駆け抜けた。砦から打って出た帝国部隊が、一瞬で凍りつく。

不利になれば砦へ退く――その逃げ道が、真っ先に断たれていた。

「砦が落ちたのか!? これでは挟み撃ちに……!」
「退路が断たれたぞ!」

帝国兵に動揺が広がる。ゲルハルトは怒号で押し戻そうとするが――その声は、もはや戦場のざわめきに飲み込まれつつあった。

「臆するな! 戦い続けろ! 砦の敵など、どうせ少数だ!」

しかし、『挟み撃ち』という言葉と、燃え上がる砦の炎に、何人かの兵士が逃げ出し始めた。

戦場に残る者ほど、『逃げ遅れる』という恐怖に駆られていく。

「もうここは無理だ! 逃げろ!」

根拠のない悲鳴が、恐慌(パニック)の連鎖を呼び起こす。

「――今です!」

敵陣が瓦解した瞬間を捉え、セレスが鋭く叫んだ。

「防陣を解いて! 突撃します!」

堰を切ったように、聖騎士団が一斉に動き出す。これまでじっと耐え忍んでいた白銀の軍勢が、牙を剥いた。

セレスの武勇に率いられ、ただ真っすぐに突き進む聖騎士団の突撃力は、浮き足立った敵を蹂躙するには十分すぎた。完全に瓦解した帝国兵を、彼らは紙切れのように食い破っていった。

ゲルハルトが味方の逃走を阻止しようと怒号を発していたところへ、セレスの部隊が肉薄してくる。先頭には白銀の鎧を着た少女がいた。

(あ、あの姿は間違いない。セレスティーヌ!)

「そ、そうだ! 奴を討ち取れ! さすればまだ勝利はある! 褒美は望むままだぞ!」

ゲルハルトの傍にいた騎士たちがセレスへと殺到したが、セレスの剣が描く白銀の軌跡が一瞬で彼らを飲み込んだ。

「ば、馬鹿な……この私が、小娘の軍隊に……!」

「我が軍の指揮官に失礼ですよ」

背後から若い男の声がした。

ゲルハルトが振り返ると、そこには、どこかあどけなさが残る少年が馬上で双剣を構えていた。

「こ、子供だと?」

「その言葉はもっと失礼ですよ」

エミールは片方の剣をゲルハルトへ向けた。

「餓鬼が舐めくさりおって!! 戦場に出たことを後悔するがいい」

ゲルハルトが分厚い剣でエミールに襲い掛かった。

「エミール!」

セレスが叫んだ。

エミールの双剣が閃き、ゲルハルトを十字に切り裂いた。

「……声を上げて心配されるほど、弱くありません」

そう言うと、ぷいっと馬を返して離れていった。

それを見届けたセレスは大きく息を吸い、叫んだ。

「逃げる者は追わず、剣を収めた者は寛大に処遇してください!!」

激戦の中、平原を駆け抜けるセレスの声には、確かな温情が滲んでいた。
カイルは丘の上から、その光景を見渡していた。

(……よくやった、セレス)

夜の帳が下りた平原に、あの敗北以来、初めての勝鬨が響き渡った。燃え続けるリザニア砦の炎が、白銀の軍勢を赤く照らしていた。