ライネルはセレスの部下数人に伴われ、後方の天幕へ移動していた。
部下の一人が、屈強な体格のライネルを見て心配そうに言った。
「セレス様。丸腰とはいえ、何かで縛らなくてよいのですか?」
「ライネル将軍は今更ここで暴れたりしないでしょう。そういう方ではありません」
「ですが……」
ライネルは自嘲気味に口の端を歪めた。
「どういう方と思われてるか知らんが、安心しろ。セレスティーヌ卿がいては、暴れる気にもなれん」
セレスは苦笑いした。
「……そうですか」
セレスたちは本陣にある天幕に入った。
「閣下!」
カレンがそこにいた。
「カレンか……すまぬ。作戦は失敗した。俺の小賢しい用兵などセレスティーヌ卿には通用しなかったようだ」
「私のほうこそ申し訳ございません。自慢の剣も及ばず、ルヴェール殿に完敗いたしました」
二人の会話に割り込むようにミリアが言った。
「閣下、お座り下さい。手当をします」
「強引だな」
ミリアはライネルを座らせ、傷を縫いはじめる。
「……っ」
手際よく傷を縫い終えると、包帯を巻き始めた。
「……すまんな」
ライネルは礼を言うと、セレスに向き直った。
「まあ、我らの事は良いとしよう。それで、セレスティーヌ卿。会わせたい人物とは誰だ? ヴァルデンの奴がルミナリアから脱出でもしてきたか? いまさら特に話すことなどないがな」
「いいえ、カイルではありません」
天幕の外からエミールの声がした。
「セレスティーヌ様、お連れしました」
「入って頂いて」
天幕の入口の布が開き、二人の女性が入ってきた。
「お久しぶりです。ライネル・フォン・ベルガー将軍」
一人は行方不明となり、すでに身罷られたものと思われていた、王女リーゼロッテ・ローゼンベルクだった。
「リ、リーゼロッテ王女殿下」
ライネルだけでなく、カレンも驚きの表情を浮かべた。
「な、なぜ、セレスティーヌ卿と行動を共にしているのでございますか? 誘拐された……と言うご様子ではないようですな」
「ライネル将軍……わたくしと隣にいるルチアが目撃したことを嘘偽りなくお伝えしましょう」
ルチアが黙って頷いた。
リーゼロッテは、一言一言を確かめるように語り始めた。
「兄上は、陛下を弑逆しました。わたくしは、その光景をこの目ではっきりと見ました。……兄上、いえ、アドリアンはまずランカスター公爵を手に掛け、そのあと父上までも手に掛けました」
リーゼロッテはルチアの手を握りながら言った。
「公爵は最期に、声にならぬ声で『セレスを頼れ』と仰いました。そうでしょう? ルチア」
「はい。お父様の最期の言葉を、私ははっきりと読み取りました」
「そして、これは、皆さまの助けがないと、とても叶わぬことなのですが……」
リーゼロッテは深呼吸したあと、はっきりと宣言した。
「王を弑した者に、王位を継ぐ資格はございません。わたくしは、僭王アドリアンを告発します!」
ライネルとカレンは呆然としていた。
リーゼロッテが、そっと言葉を添えた。
「ライネル将軍。いきなりこんなこと信じるのは難しいかもしれませんが……」
「いえ。逆にすべてが繋がりました……」
カレンが心配そうにライネルを見た。
「閣下……」
王女の言葉が真実なら、自分たちは弑逆者に加担していたことになるからだ。
フェリックスが低い声で言った。
「一つ聞かせてくれ。俺たちが送った使者の首を、なぜ送り返した?」
「使者……だと?」
ライネルの顔から血の気が引いた。首のない、剣を帯びていなかった聖騎士団の兵の死体。
カレンが息を呑んだ。
「まさか、デルフロードが……」
ライネルは拳を握りしめ、深く頭を垂れた。
「……俺がもっと冷静になっていれば、使者だと気が付いたかもしれない。取り返しのつかないことをした。……本当に、申し訳ない」
天幕の中に、重い沈黙が落ちた。
誰もが、頭を垂れたままの猛将を見つめていた。
しばらくして、セレスが静かに口を開いた。
「……その言葉は、使者の墓前でお伝えください」
ライネルは無言のまま、深く頷いた。
やがて顔を上げ、リーゼロッテに向き直る。
「王女殿下。これからどうするおつもりですか?」
「セレスと共にアルクリーズ城へ行き、メイルドック辺境伯を頼ります。そこで王国中にアドリアンの大罪を告発し、諸侯を募って討伐軍を起こします」
「……賢明なご判断かと存じます」
「ご協力お願いできますか? ライネル将軍」
セレスもまた、ライネルに向かって深く頭を下げた。
「私からもお願いします。アルクリーズ城まで、ご同行いただけませんか? ライネル将軍がご一緒して下されば、きっとアルベルト様、いえメイルドック辺境伯様も喜びます」
ライネルはしばらく考えたあと言った。
「言われずともご協力致します。ですがアルクリーズ城にはいきません」
「ライネル将軍!?」
「申し訳ございません。なぜなら、ロシュフォール侯爵に真実を伝えなければならないからです。たしかに侯は宰相の座を狙い、自らの邪魔になる者を陰謀によって排除することもあるお方です。ですが、王子と共謀して国王陛下を弑逆するようなことをする方では絶対ありません」
ライネルは続けた。
「このまま侯が真相を知らずに、王子の傍にいれば、いずれ間違いなく破滅します。それを防ぎたいのです」
フェリックスが核心を突く質問をした。
「もし、ロシュフォール侯爵が最初から真相を知って加担していたとしたら?」
「……その時は、私が人を見る目がなかったということで……無論、その場合は差し違えてでも止めるつもりです」
フェリックスが尋ねた。
「覚悟はわかった。では、ルミナリアに向かうのか?」
「はい。どうか機会を……」
カレンが割り込んできた。
「閣下! それなら私もご同行致します!」
ライネルは首を振った。
「いや。お前には頼みたいことがある」
「頼み……ですか?」
「そうだ。ベルガー子爵領の妻と息子の保護を頼みたい。俺がセレスティーヌ卿にとらわれた以上、俺が真実を知ったと王子側は考えるだろう。そのときに人質に取られる可能性がないとは限らない」
「それならば、伝信竜で奥様方に……」
「ここにはセレスティーヌ卿の伝信竜しかいないではないか。それに俺は信頼できる人間に頼みたいのだ。カレン」
「……わかりました。すぐ出立します」
ライネルは立ち上がった。
「では、俺も出立する」
カレンが言った。
「お待ち下さい。陽も傾いてきております。それにお怪我も……今夜は休養していただき、明日の早朝にでも」
「いや。時間が惜しい。それにルヴェール殿の治療のおかげか、随分楽になった。カレン、お前も見習えよ」
「……考えておきます」
セレスは言った。
「何人かの護衛をお供させましょうか?」
「無用だ。そちらとて一兵たりとも貴重であろう。それにロシュフォール侯に会うまでは、セレスティーヌ卿の兵と一緒にいないほうがいい」
「……わかりました。では、本当にお気を付けください」
「リーゼロッテ王女殿下。ロシュフォール侯に真実を伝えたあと、必ず殿下の下にはせ参じます」
「わかりました」
「セレスティーヌ卿。貴殿には、心より申し訳ないと思っている」
「申し訳ないと思って頂いてるなら、必ず生きて戻ってきてくださいね。武人なら『借りは必ず返す』って台詞をよく言うでしょう?」
「ふふ、違いないな」
ライネルとカレンは天幕を出て馬にまたがり、それぞれ向かうべき方角に分かれていった。
◇
夜。
星々が輝く街道。
ライネルはルミナリアへ向かっている道中にカイルのことを思い出した。
生意気な奴だったが、常に正しかった。
セレスティーヌを見ていると、ところどころカイルと似ていると思う。
相手が誰であろうと正論を言う。そして思いのほか現実主義だ。だがカイルほど非情ではない。
それでいて、青臭い理想論を言う。
現実主義と理想主義、二つを両立させるのは難しいことだが、あの歳で精一杯それを体現しようとしている。
街道の先、星明かりの下に、馬に乗った人影が一つ浮かび上がった。
道の真ん中に馬を止め、じっとこちらを向いている。明らかにライネルを待っていた。通りすがりの旅人という雰囲気ではない。
ライネルは手綱を引き、剣を抜いた。
「何者だ?」
「ルミナリアへ向かうのですね?」
聞き覚えのある冷たい声。
人影がゆっくりと馬を進めると、星明かりがその顔を照らし出した。デルフロードだった。口元には、いつもの薄い笑みが張り付いている。
ライネルの奥歯が軋んだ。
「お前は知っていたのか?」
「何をです?」
「アドリアンがフィリップ国王陛下を弑逆したことを?」
デルフロードは驚く様子もなく、わずかに首を傾げた。
「なるほど、なるほど。王女殿下と会ったのですね。ならば、こういうことになります。リーゼロッテ王女殿下がランカスター家と共謀して王座を狙っている。――ということです」
「そんな話、誰が信じるものか」
「まあ、貴方はそうでしょうが」
デルフロードは、まるで世間話でもするように肩をすくめた。
「国民や他の諸侯はどうでしょう?」
「諸侯の中にはアドリアンの急な行動に不信を抱く者もいるはずだ。諸侯が声をあげれば国民だって……」
「そうでしょうか? アドリアン陛下はフィリップ前王がお認めになった王太子だったのですよ。自ら兵を率いて帝国から王都を奪還したのです。父君を弑するような危ない橋を渡らずとも、いずれ国王になれたのです」
「くっ……」
ライネルは言葉に詰まった。筋は通っている。真実を知らぬ者が聞けば、誰もがそう考えるだろう。
「それに比べ、リーゼロッテ王女殿下はどうでしょうか? 王位を得るために、兄君を陥れた――そう考える者がいても不思議ではありません」
「馬鹿馬鹿しい。あの王女殿下が、そんなことをしたと誰が考えるものか!」
「まあ、当然そうなりますな」
デルフロードは、待っていたとばかりに口の端を吊り上げた。
「そこでランカスター家の出番ですよ。王女殿下がルチア嬢と仲が良いのは皆知っていることです」
「……貴様」
「正妻の子ではない妹。そこへ『宮廷を牛耳っていた悪しきランカスター家』を絡める。どうです? 王女殿下が権力欲に目覚めたという筋書きです」
「くだらんな。もうお前と話すことはない。そこをどけ」
「残念ながら、貴方を待ち伏せしてた理由は、このような雑談をするためではありません」
「……」
「片腕が使えぬ貴方など、もはや敵ではありません」
「屑が……お前を殺してここを通る!」
ライネルは左手の剣を構え直した。包帯を巻いた右腕が、脈打つように痛む。
先に動いたのはライネルだった。馬腹を蹴り、一気に間合いを詰める。猛将と呼ばれた男の、渾身の一撃。
――キィン!
デルフロードは、それを難なく受け流した。
「利き腕でない剣など、この程度ですか」
「黙れ!」
二合、三合。ライネルは歯を食いしばり、剣を振るい続けた。だが、踏み込むたびに傷口が開き、包帯に赤い染みが広がっていく。
デルフロードは、それを見逃さなかった。
ライネルの剣を払うと同時に馬体を寄せ、懐へ滑り込む。
(くっ! なんて、速さだ!)
「さらばです。ベルガー将軍」
冷たい刃が、ライネルの胸を斜めに切り裂いた。
ライネルは馬上から崩れ落ち、地面に叩きつけられた。口から血が溢れる。
デルフロードはライネルを一瞥し、興味なさげに言った。
「ああ、そういえば、ロシュフォール侯はすでにルミナリアを出立したそうですよ。ご苦労様でした」
ライネルの返事はなかった。
デルフロードは夜空の星を見上げたあと、呟いた。
「さて、ルミナリアへ向かうか」
街道の南側に馬首を向け、立ち去っていった。
蹄の音が遠ざかっていく。
ライネルは、血に濡れた指で土を掴んだ。
脳裏に浮かんだのは、ベルガーの痩せた畑と、妻と息子の顔。そして、白馬に跨る少女の姿だった。
「……借りを、返さなければ……」
ライネルは這いずりながら、ルミナリアの方角へ進もうとしていた。
しかしライネルが伝えようとしていた真相が、ロシュフォール侯爵のもとへ届くことは、もうなかった。
部下の一人が、屈強な体格のライネルを見て心配そうに言った。
「セレス様。丸腰とはいえ、何かで縛らなくてよいのですか?」
「ライネル将軍は今更ここで暴れたりしないでしょう。そういう方ではありません」
「ですが……」
ライネルは自嘲気味に口の端を歪めた。
「どういう方と思われてるか知らんが、安心しろ。セレスティーヌ卿がいては、暴れる気にもなれん」
セレスは苦笑いした。
「……そうですか」
セレスたちは本陣にある天幕に入った。
「閣下!」
カレンがそこにいた。
「カレンか……すまぬ。作戦は失敗した。俺の小賢しい用兵などセレスティーヌ卿には通用しなかったようだ」
「私のほうこそ申し訳ございません。自慢の剣も及ばず、ルヴェール殿に完敗いたしました」
二人の会話に割り込むようにミリアが言った。
「閣下、お座り下さい。手当をします」
「強引だな」
ミリアはライネルを座らせ、傷を縫いはじめる。
「……っ」
手際よく傷を縫い終えると、包帯を巻き始めた。
「……すまんな」
ライネルは礼を言うと、セレスに向き直った。
「まあ、我らの事は良いとしよう。それで、セレスティーヌ卿。会わせたい人物とは誰だ? ヴァルデンの奴がルミナリアから脱出でもしてきたか? いまさら特に話すことなどないがな」
「いいえ、カイルではありません」
天幕の外からエミールの声がした。
「セレスティーヌ様、お連れしました」
「入って頂いて」
天幕の入口の布が開き、二人の女性が入ってきた。
「お久しぶりです。ライネル・フォン・ベルガー将軍」
一人は行方不明となり、すでに身罷られたものと思われていた、王女リーゼロッテ・ローゼンベルクだった。
「リ、リーゼロッテ王女殿下」
ライネルだけでなく、カレンも驚きの表情を浮かべた。
「な、なぜ、セレスティーヌ卿と行動を共にしているのでございますか? 誘拐された……と言うご様子ではないようですな」
「ライネル将軍……わたくしと隣にいるルチアが目撃したことを嘘偽りなくお伝えしましょう」
ルチアが黙って頷いた。
リーゼロッテは、一言一言を確かめるように語り始めた。
「兄上は、陛下を弑逆しました。わたくしは、その光景をこの目ではっきりと見ました。……兄上、いえ、アドリアンはまずランカスター公爵を手に掛け、そのあと父上までも手に掛けました」
リーゼロッテはルチアの手を握りながら言った。
「公爵は最期に、声にならぬ声で『セレスを頼れ』と仰いました。そうでしょう? ルチア」
「はい。お父様の最期の言葉を、私ははっきりと読み取りました」
「そして、これは、皆さまの助けがないと、とても叶わぬことなのですが……」
リーゼロッテは深呼吸したあと、はっきりと宣言した。
「王を弑した者に、王位を継ぐ資格はございません。わたくしは、僭王アドリアンを告発します!」
ライネルとカレンは呆然としていた。
リーゼロッテが、そっと言葉を添えた。
「ライネル将軍。いきなりこんなこと信じるのは難しいかもしれませんが……」
「いえ。逆にすべてが繋がりました……」
カレンが心配そうにライネルを見た。
「閣下……」
王女の言葉が真実なら、自分たちは弑逆者に加担していたことになるからだ。
フェリックスが低い声で言った。
「一つ聞かせてくれ。俺たちが送った使者の首を、なぜ送り返した?」
「使者……だと?」
ライネルの顔から血の気が引いた。首のない、剣を帯びていなかった聖騎士団の兵の死体。
カレンが息を呑んだ。
「まさか、デルフロードが……」
ライネルは拳を握りしめ、深く頭を垂れた。
「……俺がもっと冷静になっていれば、使者だと気が付いたかもしれない。取り返しのつかないことをした。……本当に、申し訳ない」
天幕の中に、重い沈黙が落ちた。
誰もが、頭を垂れたままの猛将を見つめていた。
しばらくして、セレスが静かに口を開いた。
「……その言葉は、使者の墓前でお伝えください」
ライネルは無言のまま、深く頷いた。
やがて顔を上げ、リーゼロッテに向き直る。
「王女殿下。これからどうするおつもりですか?」
「セレスと共にアルクリーズ城へ行き、メイルドック辺境伯を頼ります。そこで王国中にアドリアンの大罪を告発し、諸侯を募って討伐軍を起こします」
「……賢明なご判断かと存じます」
「ご協力お願いできますか? ライネル将軍」
セレスもまた、ライネルに向かって深く頭を下げた。
「私からもお願いします。アルクリーズ城まで、ご同行いただけませんか? ライネル将軍がご一緒して下されば、きっとアルベルト様、いえメイルドック辺境伯様も喜びます」
ライネルはしばらく考えたあと言った。
「言われずともご協力致します。ですがアルクリーズ城にはいきません」
「ライネル将軍!?」
「申し訳ございません。なぜなら、ロシュフォール侯爵に真実を伝えなければならないからです。たしかに侯は宰相の座を狙い、自らの邪魔になる者を陰謀によって排除することもあるお方です。ですが、王子と共謀して国王陛下を弑逆するようなことをする方では絶対ありません」
ライネルは続けた。
「このまま侯が真相を知らずに、王子の傍にいれば、いずれ間違いなく破滅します。それを防ぎたいのです」
フェリックスが核心を突く質問をした。
「もし、ロシュフォール侯爵が最初から真相を知って加担していたとしたら?」
「……その時は、私が人を見る目がなかったということで……無論、その場合は差し違えてでも止めるつもりです」
フェリックスが尋ねた。
「覚悟はわかった。では、ルミナリアに向かうのか?」
「はい。どうか機会を……」
カレンが割り込んできた。
「閣下! それなら私もご同行致します!」
ライネルは首を振った。
「いや。お前には頼みたいことがある」
「頼み……ですか?」
「そうだ。ベルガー子爵領の妻と息子の保護を頼みたい。俺がセレスティーヌ卿にとらわれた以上、俺が真実を知ったと王子側は考えるだろう。そのときに人質に取られる可能性がないとは限らない」
「それならば、伝信竜で奥様方に……」
「ここにはセレスティーヌ卿の伝信竜しかいないではないか。それに俺は信頼できる人間に頼みたいのだ。カレン」
「……わかりました。すぐ出立します」
ライネルは立ち上がった。
「では、俺も出立する」
カレンが言った。
「お待ち下さい。陽も傾いてきております。それにお怪我も……今夜は休養していただき、明日の早朝にでも」
「いや。時間が惜しい。それにルヴェール殿の治療のおかげか、随分楽になった。カレン、お前も見習えよ」
「……考えておきます」
セレスは言った。
「何人かの護衛をお供させましょうか?」
「無用だ。そちらとて一兵たりとも貴重であろう。それにロシュフォール侯に会うまでは、セレスティーヌ卿の兵と一緒にいないほうがいい」
「……わかりました。では、本当にお気を付けください」
「リーゼロッテ王女殿下。ロシュフォール侯に真実を伝えたあと、必ず殿下の下にはせ参じます」
「わかりました」
「セレスティーヌ卿。貴殿には、心より申し訳ないと思っている」
「申し訳ないと思って頂いてるなら、必ず生きて戻ってきてくださいね。武人なら『借りは必ず返す』って台詞をよく言うでしょう?」
「ふふ、違いないな」
ライネルとカレンは天幕を出て馬にまたがり、それぞれ向かうべき方角に分かれていった。
◇
夜。
星々が輝く街道。
ライネルはルミナリアへ向かっている道中にカイルのことを思い出した。
生意気な奴だったが、常に正しかった。
セレスティーヌを見ていると、ところどころカイルと似ていると思う。
相手が誰であろうと正論を言う。そして思いのほか現実主義だ。だがカイルほど非情ではない。
それでいて、青臭い理想論を言う。
現実主義と理想主義、二つを両立させるのは難しいことだが、あの歳で精一杯それを体現しようとしている。
街道の先、星明かりの下に、馬に乗った人影が一つ浮かび上がった。
道の真ん中に馬を止め、じっとこちらを向いている。明らかにライネルを待っていた。通りすがりの旅人という雰囲気ではない。
ライネルは手綱を引き、剣を抜いた。
「何者だ?」
「ルミナリアへ向かうのですね?」
聞き覚えのある冷たい声。
人影がゆっくりと馬を進めると、星明かりがその顔を照らし出した。デルフロードだった。口元には、いつもの薄い笑みが張り付いている。
ライネルの奥歯が軋んだ。
「お前は知っていたのか?」
「何をです?」
「アドリアンがフィリップ国王陛下を弑逆したことを?」
デルフロードは驚く様子もなく、わずかに首を傾げた。
「なるほど、なるほど。王女殿下と会ったのですね。ならば、こういうことになります。リーゼロッテ王女殿下がランカスター家と共謀して王座を狙っている。――ということです」
「そんな話、誰が信じるものか」
「まあ、貴方はそうでしょうが」
デルフロードは、まるで世間話でもするように肩をすくめた。
「国民や他の諸侯はどうでしょう?」
「諸侯の中にはアドリアンの急な行動に不信を抱く者もいるはずだ。諸侯が声をあげれば国民だって……」
「そうでしょうか? アドリアン陛下はフィリップ前王がお認めになった王太子だったのですよ。自ら兵を率いて帝国から王都を奪還したのです。父君を弑するような危ない橋を渡らずとも、いずれ国王になれたのです」
「くっ……」
ライネルは言葉に詰まった。筋は通っている。真実を知らぬ者が聞けば、誰もがそう考えるだろう。
「それに比べ、リーゼロッテ王女殿下はどうでしょうか? 王位を得るために、兄君を陥れた――そう考える者がいても不思議ではありません」
「馬鹿馬鹿しい。あの王女殿下が、そんなことをしたと誰が考えるものか!」
「まあ、当然そうなりますな」
デルフロードは、待っていたとばかりに口の端を吊り上げた。
「そこでランカスター家の出番ですよ。王女殿下がルチア嬢と仲が良いのは皆知っていることです」
「……貴様」
「正妻の子ではない妹。そこへ『宮廷を牛耳っていた悪しきランカスター家』を絡める。どうです? 王女殿下が権力欲に目覚めたという筋書きです」
「くだらんな。もうお前と話すことはない。そこをどけ」
「残念ながら、貴方を待ち伏せしてた理由は、このような雑談をするためではありません」
「……」
「片腕が使えぬ貴方など、もはや敵ではありません」
「屑が……お前を殺してここを通る!」
ライネルは左手の剣を構え直した。包帯を巻いた右腕が、脈打つように痛む。
先に動いたのはライネルだった。馬腹を蹴り、一気に間合いを詰める。猛将と呼ばれた男の、渾身の一撃。
――キィン!
デルフロードは、それを難なく受け流した。
「利き腕でない剣など、この程度ですか」
「黙れ!」
二合、三合。ライネルは歯を食いしばり、剣を振るい続けた。だが、踏み込むたびに傷口が開き、包帯に赤い染みが広がっていく。
デルフロードは、それを見逃さなかった。
ライネルの剣を払うと同時に馬体を寄せ、懐へ滑り込む。
(くっ! なんて、速さだ!)
「さらばです。ベルガー将軍」
冷たい刃が、ライネルの胸を斜めに切り裂いた。
ライネルは馬上から崩れ落ち、地面に叩きつけられた。口から血が溢れる。
デルフロードはライネルを一瞥し、興味なさげに言った。
「ああ、そういえば、ロシュフォール侯はすでにルミナリアを出立したそうですよ。ご苦労様でした」
ライネルの返事はなかった。
デルフロードは夜空の星を見上げたあと、呟いた。
「さて、ルミナリアへ向かうか」
街道の南側に馬首を向け、立ち去っていった。
蹄の音が遠ざかっていく。
ライネルは、血に濡れた指で土を掴んだ。
脳裏に浮かんだのは、ベルガーの痩せた畑と、妻と息子の顔。そして、白馬に跨る少女の姿だった。
「……借りを、返さなければ……」
ライネルは這いずりながら、ルミナリアの方角へ進もうとしていた。
しかしライネルが伝えようとしていた真相が、ロシュフォール侯爵のもとへ届くことは、もうなかった。
