銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

翌朝。
王宮大広間には、朝日が差し込んでいた。

アドリアンと近衛隊長バルザックが見守る中、セレスティーヌを描いた巨大な肖像画の設置作業が行われていた。

鎧を脱ぎ、袖をまくりあげた若手の近衛兵たちが、慎重に肖像画を支えている。
描かれているのは、聖騎士団長就任の式典で、白馬に乗り王都を行進するセレスの姿だった。

「見よ、バルザック。素晴らしい肖像画ではないか」

「はっ。まことに。この隣に、殿下の肖像画が飾られるのですな」

「そうだ。そして今日まさに、私が描かれるに相応しい行事が、戦女神(エイリーン)広場で行われるのだ」

「我々近衛隊一同、皆楽しみにしております」

「お前たちには、幼き頃より世話になった。それ相応の恩賞を約束しよう」

「はっ、ありがたき幸せに存じます」

そこへ、別の近衛兵が駆け込んでくる。

「殿下! 隊長! 一大事にございます!」

バルザックが咎めた。

「おい、いま大事な作業をしている最中だぞ! 大声を出すな」

アドリアンは片手を上げてバルザックを制すると、兵に問うた。

「どうした? まさか、撤退したはずの帝国軍が反転してきたのか」

「それが……聖騎士団駐屯地がもぬけの殻になっております。セレスティーヌ卿も、所属の兵たちも姿が見えません」

バルザックは大声をあげた。

「な、なんだと!? それはまことか!」

「は、はい」

アドリアンは俯(うつむ)いたまま、何も言わない。
声を荒らげるどころか、指一本動かさないその静けさに、バルザックの背筋が凍った。

何か言わなければ。だが、言葉が出てこない。

結局、震える声で問いを部下に重ねるしかなかった。

「いったい、どこへ行ったのだ?」

「わかりません。王都内には、おらぬようです」

「くっ……門の警備兵はいったい何をやっていたのだ。……いや、待て。門の警備は、聖騎士団に任せたのだったな」

バルザックの声が、次第に小さくなっていく。
その配置を命じた張本人がアドリアンであることに、今さらながら思い至ったのだろう。

アドリアンがやっと声をあげた。

「バルザック。この状況で王都から脱出する理由は、旅館の件を知られたとしか考えられないが……」

その冷たい声にバルザックは恐怖を覚えた。

「しかし、あの旅館の王家の関係者は全員亡き者にしたはずです。それに、正面も裏口も近衛兵が見張っており、旅館を退去させた客の全員の身元を確認しましたが、皆一般の民でありました。情報がセレスティーヌ卿の耳に入るとは考えられません」

設置作業の近くにいた近衛兵が、震えながら手を挙げた。

「お、恐れながら、あのとき旅館の路地裏で火事場泥棒と遭遇しました」

バルザックが怒鳴る。

「そんな報告、受けてないぞ!」

「申し訳ございません! 実は不意を突かれ、気絶させられてしまいました。不名誉なことでございましたゆえ、報告をためらい……」

「今はそんな言い訳はいい! そいつは、どんな奴だったのだ!」

「商人のような、旅人のような……どこかで見たような気もしますが、どこにでもいるような顔でもありまして」

「一人だったのか?」

「いえ、男が三、四人、女が二人でそのうち一人は倒れており、『窓から逃げて、家族が足を挫いた』とか言っていました。どうせ出鱈目をいっているのだろうと……」

その言葉を聞いた瞬間、アドリアンの顔から表情が消えた。

「窓から……女二人だと……?」

声が、これまでとは違う低さを帯びる。
その変化に、周囲の空気が一段と張り詰めた。

バルザックが、恐る恐る口を開いた。

「アドリアン殿下。も、もしかして、王女殿下とルチア嬢では……?」

アドリアンは何も答えなかった。
ただ、視線だけがゆっくりと肖像画の方へ向けられていく。

「で……殿下?」

やがて、アドリアンの唇が、ゆっくりと弧を描いた。

「……ふふ。そういうことか」

腰の剣を抜くと同時に、セレスの肖像画へと近づいていく。
肖像画を支えていた近衛兵は恐怖のあまり、思わず手を放してしまった。

ガタンッ!

肖像画の金属製の額縁が床に激突し、そのまま壁にもたれかかるような格好で静止した。

「これは、いらないな」

アドリアンはそう呟くと、肖像画を剣でズタズタに切り裂き始めた。
布地が裂ける乾いた音が、静まり返った大広間に幾度となく響いた。

白馬の脚が、微笑む顔が、翻る旗が。一筆一筆に込められていたはずの栄光の絵が、無残な布切れへと変わっていく。

その様子を、バルザックと近衛兵たちはただ見守るしかなかった。

アドリアンは切り刻みながら叫んだ。

「これで何度目だ。また正さなければならんのか」

見る影もなくなった肖像画の前で、荒い息をつきながら、アドリアンはバルザックに命令を下した。

「バルザック! 国王アドリアン・ローゼンベルクの名のもとに、諸侯へ伝信竜(レグート)を送れ!」

「は! 内容はなんと?」

「元聖騎士団団長セレスティーヌ・フォン・ランカスターとその一味が、王都から逃亡した。王家に対する反逆者であるがゆえ、見つけ次第、王都へ報告するか、その場で討伐せよ」

「反逆者でありますか?」

「そうだ。そもそも今回の王国(ローゼンベルク)の危機はランカスター家が帝国を招き入れ、王家を排除しようと画策したからであろう? それに『国王命令』は絶対だ」

バルザックは思った。

(かなり無理筋だが、気にすることはない。殿下、いや『陛下』がおっしゃることが正義そのものなのだ)

「は、そうであります」

「ルミナリアにいるモンモランシーにも送れ。――『鳥かごの梟(ふくろう)は、殺してよい』と」

「……承知いたしました」

「それとライネルを王の間に呼べ!」

「はっ!」

◇

ライネル・フォン・ベルガー将軍は、急遽与えられた王宮内の執務室で考え事をしていた。

扉を叩く音と共に、一人の女性士官が入ってきた。
副官補佐のカレン・ビクターだ。利発そうな瞳と、きびきびとした所作が印象的な士官だった。カレンはライネルに敬礼した。

「失礼します。閣下、王太子殿下が王の間にお呼びでございます」

「そうか、丁度良い。俺も殿下に話があったのだ。前々からお前を正式な副官にしたいと思ってな」

「閣下ほどの武勲をお持ちの方ならともかく、ベルガー子爵領出身の一士官にすぎない私が副官になっては、ロシュフォール侯爵麾下の士官たちが快く思わないでしょう」

「しかし、いつまでたっても『お抱え将軍』や『お抱え士官』と揶揄されるのはな……同郷の部下たちの功を労いたいのだ」

「その話は後にしましょう。今はとにかく急いでください」

「ああ」

ライネルはカレンの横を通り、執務室を出て行った。

◇

王の間に足を踏み入れたライネルは、思わず足を止めた。

《《玉座》》に腰掛けるアドリアンの姿が、そこにあった。
普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべているはずなのに、部屋の空気だけが、いつもと違う重さを帯びていた。

(国王陛下は、まだ行方知れずのはずだが……)

「ライネルよ。国王となった余から初めての命令だ」

「……!?」

「本当は午後に、戦女神(エイリーン)広場で戴冠式を行う予定であったが、緊急事態が発生してな」

ライネルは思い出した。

(昨晩言っていた『重大発表』とはやはりそのことであったか。しかし王都に入城したときもそうだが、とにかくお気が早い。手順を踏むということができないのであろうか)

「『緊急事態』と言いますと?」

「其方(そなた)に逆賊セレスティーヌの討伐を命ずる」

ライネルは思わず息を止めた。
あのアルテール平原で、帝国の猛将を退けた将を「討伐せよ」という。あまりに唐突な話に、頭がついていかない。

「セレスティーヌは王都から逃亡してな。おそらく西のアルクリーズ城に向かっているはずだ。お前には追撃してもらいたい」

「……『逃亡』でございますか? セレスティーヌ卿は何の罪を犯したのでしょうか?」

「ランカスター家による王家に対する反逆だ。それ以上の理由はあるまい?」

「恐れながら、答えになっていないと思います」

「ベルガー子爵……余を失望させるな。父親同様、また家名に傷をつけるのか?」

古い傷を、正確に突かれた。

「……承知しました。降伏するように必ず説き伏せます」

アドリアンはゆっくり首を横へ振った。

「その必要はない」

「は?」

「殺せ!」

ライネルは、一瞬、喉の奥で言葉を止めた。

「しかし、セレスティーヌ卿の人となりを考えれば――」

アドリアンは冷たい口調で言い放った。

「お(・)前(・)。余に同じ台詞を二度言わすつもりか?」

得心のいく命令ではない。だが、目の前にいるのは、もはや王太子ではなく国王その人だ。拳を握り、その違和感ごと呑み込む。

「――御意」

ライネルは深く頭を垂れた。