銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

セレスティーヌの妹――ルチア・フォン・ランカスター。
その名を聞いた瞬間、エミールの中で様々な情報が一気に繋がった。

(セレスティーヌ様の妹。ランカスター公爵の令嬢。だとすれば、もう一人の女性も高貴な身分の方に違いない。帝国兵が要人を人質に取り、立て籠っていたということか? それなら、アドリアン殿下自ら乗り込んだ理由も分かる。……この保護の件は、近衛兵に報告すべきなのだろうか……)

「おい。エミール?」

エミールは思考に沈み込み、バスールの声に気付かない。

(だが、彼女は僕たちが近衛兵ではないと知って、安堵していたように見えた。それなのに、セレスティーヌ様の元へ連れて行けと言っている。これは、どういうことだ)

バスールはエミールの肩を掴み、その顔を覗き込んだ。

「エミール! 何を悩んでるかだいたい想像はつくが、この場で決定することではないだろう。とりあえず軍団長(ボス)の元に連れていくぞ」

「は、はい!」

バスールはエミールが連れてきた兵士に命令した。

「そこの荷車に乗せて移動しろ」

命じられた兵士がルチアの傍らに膝をつき、詫びるように頭を下げた。

「ルチア様、申し訳ございません。このような物に乗せるのは、誠に心苦しいのですが……」

「問題ありません。急いでください」

エミールは、その横顔を見つめた。

(セレスティーヌ様とは雰囲気がまるで違う。いかにも箱入りの貴族令嬢という印象だ。だが――あの眼だけは、驚くほどよく似ている)

不意に、正面通りのほうから声がした。

「おい! お前たち!」

エミールは反射的に息を潜め、声のした方へ視線を走らせた。近衛兵だった。

「なんだ? 火事場泥棒ではないだろうな?」

バスールは素早く周囲を一瞥し、他に人影がないことを確かめると、愛想よく歩み寄った。

「おお! 王国軍の方ですか? 助かりました! 旅館の火事から窓を伝って逃げてきたのですが、家族が足を挫いてしまいまして……どうか手を貸してくれませんか?」

近衛兵は訝しげな表情を浮かべながらも、バスールへ近づいてきた。

バスールは一歩踏み込み、近衛兵のみぞおちに重い一撃を入れた。

「ぐっ!」

近衛兵は声にならない呻きを漏らし、その場にくずおれた。

「さて、どうしたものか。俺なら殺して、人目につかない場所へ捨てるがな」

「同じ王国人なのにですか?」

「王国人かどうかではなく、敵か味方かで判断すべきだろう。俺はこいつらを敵だと思うが。どのみち放っておけば報告されるぞ」

エミールは周りを見渡し、誰にも目撃されていないことを確認した。

「せめて、当分は目を覚まさないようにしておきましょう」

そう言うと、うずくまる近衛兵の身体を近くの物陰まで引きずり込み、念入りに当て身を重ねた。

「甘いな。まあ、お前たちらしいといえばらしいが。しかし、多少時間が延びただけだぞ」

「顔をはっきり見られたのは、バスールだけでしょう? 表向き、貴方はセレスティーヌ軍に存在しない人間ですからね」

バスールは肩をすくめて言った。

「言ってくれるぜ」

「……行きましょう」

エミールたちは、燃え盛る『薔薇の棘亭』を背に、裏路地の闇へと姿を消していった。

◇

一方その頃――
セレスたち一行は王宮近くの聖騎士団駐屯地に兵士を移動させていた。

駐屯地の正面にある聖騎士団兵舎から、あらかじめ偵察に出した兵士が戻ってきた。

「ここも帝国兵はいないようです。やはり王都から完全撤退したようですね」

「ありがとうございます」

セレスは兵士を労うと、幹部たちへ振り返った。

「フェリックス、ルーク、先に王宮へ行ってください。王宮にも残兵はいないと思いますが、念のため警戒は怠らないようにしてください」

「ん? 軍団長はこないのかい?」

「少し寄りたい場所があります」

ミリアが気が付いた。

「聖騎士団長室ですね」

「ええ」

「セレス姫様のお部屋?」

ルナが反応した。

「そうよ、ルナ」

「見てみたい! ふかふかのベッドある?」

ミリアが微笑みながらルナに言った。

「ルナ。セレス様はそこに住んでたわけではなく、仕事をしてたのよ」

「剣の練習するお部屋?」

「私って、ルナにはそう見えてるのね……」

セレスとミリアは苦笑いをした。

フェリックスとルークを見送ると、三人は雑談をしながら兵舎の二階へあがり、団長室に入った。

壁には帝国軍第一騎士団の軍旗が掲げられていた。それでも、帰ってきたのだという実感が、セレスの胸を静かに満たしていった。

セレスは正面にあった机に近づき、自分が座っていた椅子の背にそっと触れた。

「セレス姫様のお席?」

「そうよ」

たった数ヶ月しか使っていないはずなのに、その感触がひどく懐かしい。
セレスは椅子に座り、目を閉じた。

「随分と昔のことみたい……。こんなにしみじみするのもおかしいかしらね?」

ミリアが答える。

「いえ、そんなことはありません」

ルナは壁に掛けられた帝国旗を指差し、不満そうに頬を膨らませた。

「セレス姫様! 私、この黒い旗が嫌いです。セレス姫様の旗をもらってきます!」

「ふふ……お願いね、ルナ」

ルナが出て行くのを見届けると、ミリアはセレスに聞いた。

「セレス様。これから、どうなさるおつもりですか?」

「そうね。聖騎士団は王都を守る軍……とは言っても、実際は治安維持や式典の警護がほとんどだったわ」

「でも、まだベスティア領に帝国軍は残っています」

「それでも、王都を空にするわけにはいかないわ。王都を守るのは聖騎士団本来の役割。今度は、本当にアルクリーズ兵や紅蓮騎士団とも別々になるでしょうね」

セレスは寂しげに笑った。

「ミリア、勘違いしないで。王都を取り戻したことはとても嬉しいのよ」

「……セレス様」

「カイルやミリアたちだって、今後、帝国軍と戦うには必要な人材よ。王国のことを考えたらこのまま聖騎士団に残すなんてできないわ」

「ですが、敢えて申し上げます。アルテール平原の勝利は、セレスティーヌ軍があったからこそです。王都の防衛を軽んじるつもりはありませんが、ベスティア領遠征が再びあるなら、参加するべきです」

「でも、今度こそ、アドリアン殿下が許してくださるわけがないわ。聖騎士団が外征に加わること自体がおかしいのだから……」

「そんな……」

「ごめんなさい。少し感傷的になったかもしれないわ」

扉が開きルナが戻ってきた。

「セレス姫様。旗を持ってきました!」

ルナは帝国旗を壁からはがし、聖騎士団の旗をいそいそと取り付けた。

「ありがとう、ルナ」

セレスは優しく微笑み立ち上がった。

「そろそろ、王宮に向かいましょうか」

◇

三人が兵舎から出ると、夕闇の中、一台の荷車が駐屯地の門をくぐってくるのが見えた。

「なにかしら?」

ルナが目を細め、すぐに声を上げた。

「セレス姫様。エミールたちです」

「ルナは本当に視力がいいのね」

荷車を引く兵士たちの先頭で、バスールと別れたエミールが兵舎の入口に立つセレスに気付き、叫んだ。

「セレスティーヌ様! 医務室をお借りします!」

近づいてくる荷車には布が掛けられ、その下に何かが横たえられているのが分かった。

『医務室』という言葉に、セレスは思わず表情を強張らせた。

「どこかで帝国兵と戦闘になったの!?」

その声に応えるように、布がもぞりと動いた。

「そ、その声は、姉さま!?」

布の端から、煤にまみれた少女が顔を出した。乱れた髪。涙の跡が残る頬。それでも見間違えるはずのない、妹の顔だった。

「ル、ルチア! 生きていたのね!」

セレスは荷車に駆け寄り、そこで息を呑んだ。ルチアの傍らに、もう一人の少女がぐったりと横たわっている。その顔にも見覚えがあった。

「王女殿下!?」

「気絶しているだけのようです。ただ、骨折している可能性があります」

エミールが短く答えた。

セレスはすぐに顔を上げ、周囲の兵に指示を飛ばした。

「わかったわ。急いで医務室へ。軍医を呼んで! ミリアも手伝って!」

「はい!」

ミリアが兵士たちと共にリーゼロッテを慎重に抱え上げ、医務室へと運んでいく。
セレスは荷車の縁に手をつき、ようやく安堵の息をついた。

「でも、でも、二人とも無事で本当に良かった……」

その腕を、ルチアが強く掴んだ。煤で汚れた指先が、小刻みに震えている。

「姉さま、治療は王女殿下だけでいいわ。姉さまにとても大切な話があるの。二人きりで話がしたい」

「でも、あなたも怪我をしてるじゃない」

ルチアは声を荒げ、姉の言葉を遮った。

「お願い! 時間がないの!」

セレスは思わず目を見開いた。
屋敷の庭で花を摘み、刺繍を好んでいた妹が、こんな顔をするのを見たことがなかった。

「わ、わかったわ」

セレスはルチアに肩を貸し、兵舎の階段をゆっくりと上っていった。

「ルチア、お父様はご一緒じゃなかったの?」

「……」

ルチアは答えず、ただ唇を噛みしめている。
その沈黙が、セレスの胸に冷たいものを落とした。

団長室に入り、扉が閉まる。
ルチアは姉に向き直り、震える声で告げた。

「お父様も、国王陛下も殺されたの……アドリアン王子に!」

「……何を言っているの、ルチア。そんなことあるわけないじゃない」

「私は、この目で見たのよ! アドリアン王子の剣が、お父様の胸を貫く光景を!」

ルチアはその場で泣き崩れた。

セレスは何が起こっているのか理解できず、呆然と立ち尽くした。
窓の外から聞こえていた兵たちの声も、妹の嗚咽も、遠のいていく。

世界が音を失ったようだった。