銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

広間で睨み合うアドリアンの近衛兵とランカスター公爵の警護兵。

ランカスター公爵は近衛兵たちへ向けて鋭く訴えかけた。

「国王陛下に刃を向けるとは、血迷ったか! よくよく考えよ!」

しかし、アドリアンはそれを遮る。

「耳を傾けるな。我らは王国(ローゼンベルク)に仇なす者どもを排除するだけだ。少しでも躊躇(ちゅうちょ)すれば後れをとるぞ! 殺(や)れ!」

王国兵同士の凄惨な戦いが始まった。
ランカスター公爵も剣を抜き、警護兵と共に戦う。

しかし、次々と流れ込んでくる近衛兵の数に押され、警護兵たちは一人、また一人と倒されていった。

ランカスター公爵は叫ぶ。

「国王陛下、お逃げ下さい!」

しかしフィリップは、恐怖のあまり腰を抜かしたまま動けない。

「こ、こんな馬鹿な! なぜこんなことに!?」

混戦の中、ランカスター公爵は肩を深く斬られた。
手から剣が滑り落ち、床の上で硬い音を立てた。

その場に片膝をつき、血を滴(したた)らせながら荒い息を吐いた。
周囲を見渡すと、斃(たお)れた警護兵、そして店主ベラの死体が転がっていた。

(……もはや、これまでか)

アドリアンはゆっくりと歩み寄った。
まるで勝敗など最初から決まっていたかのような、余裕に満ちた足取りだった。

「何か言い残すことはあるか?」

ランカスター公爵は静かに顔を上げる。

「……我が娘、セレスは来ているのか?」

アドリアンは一瞬だけ考え、口元に笑みを浮かべた。

「ああ。一緒に王都(ローゼリア)へ来ている。安心しろ。セレスは私と共に、新たな王国の伝説となる」

「……そうか。王都を落ち延びてから、どうなったかと案じていたが」

「良いことを教えてやろう」

アドリアンは公爵の反応を楽しむように、目を細めた。

「王都を離れた後、連戦連勝。おまけにあの鉄砕のドルクハルトを一騎打ちで破ったのだぞ」

それを聞いた公爵は、苦痛のなかでふっと苦笑いを漏らした。

「どうした? 嬉しくないのか?」

「嬉しいさ。あれほど不甲斐ない娘が、よくぞそこまで……」

「不甲斐ない?」

「そうだ。不甲斐ない将に育ててしまったのは、私だ。だが――」

公爵は血を吐きながらも、その目だけは少しも揺らがなかった。

「正義感だけは、誰よりも強い子だ」

「……」

「きっと、お前を討つ」

アドリアンの笑みが、一瞬だけ消えた。

やがて彼は、ため息をつくように首を振った。

「何を言っているのだ。出血で思考まで鈍ったようだな」

ゆっくりと剣先を持ち上げる。

「楽にしてやる」

銀の刃が真っ直ぐ胸へ吸い込まれた。

「がっ……!」

肉を貫く鈍い音が広間に響く。
公爵の身体が大きく跳ね、そのまま床へ崩れ落ちた。

薄れゆく意識の中、公爵は最後の力を振り絞り、娘たちが隠れる物置部屋の方へ顔を向けた。

公爵の唇がかすかに動いた。声にはならない。だが、扉の隙間から見つめるルチアには、はっきりと読み取れた。――『諦めるな。セレスを、頼れ』

それだけを遺し、公爵の身体から完全に力が抜けた。

広間に静寂が落ちる。

フィリップは震える足で、床を這うように数歩後ずさった。
目の前には、長年王家を支え続けた忠臣が、血の海に横たわっている。

「ラ、ランカスター……」

その声は震え、掠れていた。

ゆっくりと視線を上げる。
そこには剣を握ったまま微笑む息子がいた。

「アドリアン……」

信じられない。
目の前の男が、本当に自分の息子なのか。

「私は……お前にとって良き父ではなかったかもしれん」

縋るように言葉を紡ぐ。

「クリスチアンばかりを見て、お前を見ようとしなかった」

「……」

「今ならまだ間に合う。剣を収めるのだ」

アドリアンは静かに首を傾げた。

「父上」

その笑みは優しい。
だからこそ恐ろしかった。

「私が王都へ戻る時……」

一歩。
また一歩。

「その時には、父上は既に亡くなっている……」

フィリップは息を呑む。

「……何を」

「そうあるべきだったのです」

「アドリアン!」

「誤った運命は、正さねばなりません」

フィリップは尻もちをついたまま後ずさる。

「や、やめろ!」

「さらばです、父上」

アドリアンは一瞬だけ目を細めた。

「リーゼロッテがここにいなかったことだけは、感謝しております」

刃が振り下ろされ、アドリアンの頬に返り血がかかった。

しばらく彼はその体勢のまま、微動だにしなかった。

近衛隊長のバルザックが心配そうに近づく。

「……殿下」

「さて、王宮に向かうぞ。どうやら、この旅館の隠し階に立て籠(こ)もっていた帝国の残兵は、館ごと焼いて自害してしまったようだな」

「……承知しました」

バルザックは答えたあと、部下に命じた。

「全員、表に出るぞ」

◇

ルチアは、今にも泣き叫びそうなリーゼロッテの口を必死に塞いでいた。
自分の頬も涙で濡れている。それでも、父の唇が最期に紡いだ言葉だけは、目に焼き付いていた。

『諦めるな』『セレスを、頼れ』

ルチアは震える唇を噛みしめ、小声で言った。

「殿下、脱出しましょう」

リーゼロッテはルチアの手を振りほどき、首を横に振った。

「無理よ。私が兄上に助命の嘆願をすれば……」

「それこそ無理です。目撃してしまった以上、口封じされることは間違いありません」

「妹にまで手をかけるというの!?」

「父である陛下にさえ、容赦なかったではありませんか……」

リーゼロッテは言葉を失い、扉の隙間に目をやった。血の海に横たわる父の姿が、そこにあった。

「でも、脱出するって言ったって」

ルチアは部屋の奥にある小さな窓を指さした。

「そこの窓から脱出しましょう」

「ここは、三階なのよ!」

「外壁の縁を伝って、降りられる場所を探しましょう」

「仮にここから出たって、そのあとはどうするのよ」

「姉のセレスが王都に来ています。姉を頼りましょう。……お父様も、最後にそうおっしゃいました」

「兄上に引き渡されるかもしれないじゃない」

「私が知る姉は、この惨劇を知れば、そんなことは絶対にしません」

焦げ臭い匂いが、扉の隙間から流れ込んできた。
リーゼロッテが青ざめた顔で、ルチアの袖を掴む。

「ルチア、火が……」

「時間がありません。行きましょう」

ルチアは窓を押し開けた。
外では陽が傾き、王都の街並みが薄闇に沈みかけていた。

◇

エミールは旅館『薔薇の棘亭』の近くで入口の様子を見ていた。
近衛兵が旅館の入口を封鎖していた。

(おそらく裏口にも配置しているだろう)

傍に寄ってきた男に話しかけた。

「バスール。様子はどうです?」

バスールは答える。

「出てきた客の話によると、帝国兵の残党が立て籠っているので強制的に退館させられたようだ」

「他には?」

「アドリアン王太子を筆頭に上の階に乗り込んでいったらしい」

「本当に帝国兵だと思いますか?」

「いや、人気取りのために、わざわざ王子自ら乗り込んでいく案件とは思えん。何かあるな」

旅館の周囲がざわつく。

「煙だ! 火が付いたぞ!」
「おい! 荷物が中にあるんだ。取りに行かせてくれ!」

近衛兵が叫ぶ。

「帝国兵が火を放って自害するつもりだ! 皆離れよ!」

上の階の窓から少しずつ煙があがる。

エミールは心配そうに言った。

「さすがに消火を手伝ったほうがいいのでしょうか?」

「いや、近衛兵は避難の指示こそ出しているが消火しようとする素振りはまったくない」

バスールは館の路地側の窓を指さした。

「エミール。あそこの煙が出ている窓。高さ的には三階だな。確か二階建てだったはずだが……」

エミールが人影に気が付く。

「バスール! あそこの壁の縁に人がつかまっている。しかも二人?」

バスールが眉をひそめた。

「まずいな。降りられそうな場所なんてないぞ」

エミールは連れてきた精鋭に言った。

「受け止められるような、大きな布とか探してくれるか」

バスールがそれを制した。

「エミール。入口付近の喧騒に注目がいってる今、兵を動かすような目立つ行動は控えるべきだ。我々だけでいくぞ」

聖騎士団の白銀の鎧は置いていたものの、ぞろぞろと移動すれば近衛兵に不審に思われるかもしれない。

「くっ……確かに」

エミールは兵を二人だけ連れて、バスールと人ごみの後ろを回り込むように静かに裏路地に入っていく。

路地に入ると、二人の女性が壊れた木箱の上に重なるように倒れていた。
バスールは舌打ちする。

「遅かったか?」

エミールが素早く駆け寄り、「失礼」と二人の首筋に手を当てた。

「いえ。一人は気絶していますが、もう一人は意識がありそうです」

上に重なっていた少女が、かすかに身じろぎする。エミールはその肩にそっと手を添えた。

「大丈夫ですか?」

「うう……」

少女は苦しげに顔を歪め、薄く目を開けた。煤で汚れた頬に、涙の跡が幾筋も残っている。

エミールは声を落として問いかけた。

「ここの客ですか? 中で何があったのです?」

少女はびくりと身を強張らせ、エミールの顔と身なりを怯えたように見比べた。

「こ、近衛兵ではないのですね」

「はい。近衛兵ではないですが、安心してください。王国軍の者です」

少女はそれを聞いて、慌てて身を起こそうとした。

「お、お願いがあります。私たちを聖騎士団団長セレスティーヌの元へ連れて行ってください。王都に帰還していると聞きました」

「!?」

エミールとバスールは顔を見合わせた。

エミールは警戒しながら聞いた。

「貴女は?」

「私は、セレスティーヌの妹、ルチア・フォン・ランカスターです」