銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

帝国軍は王都からの撤退を決定した。
しかし、撤収作業は容易ではなく、数日を費やすこととなる。

血気盛んな若手士官たちは、「無傷で明け渡す」という決定に猛反発した。

「撤退するにしても、ただで返す必要などない! 王宮は灰にすべきだ!」
「美術館の収蔵品や貴族の私財は、我々の戦利品だ! 奪い尽くせ!」

不平を漏らす彼らを、シュナイダーは説得した。

「我々は盗賊ではない。無抵抗の民の街を焼けば、我が帝国軍は後世に略奪者としてその悪名を残すことになる」

激しい議論の末、王宮や美術館から持ち運びの容易な貴金属類のみを接収することで、なんとか妥協が図られた。

撤収作業が最終段階に入った頃、王宮の尖塔で見張りをしていた物見が、血相を変えて叫んだ。

「シュナイダー様! 南の街道方向に王国軍の軍勢を確認しました!」

「……ここまでか」

シュナイダーは最後に残っていた殿(しんがり)の兵たちを率い、北門へと向かった。

「今日は返してやる。だが、次に我らがここへ来る時は、このような生易しい引き際ではないぞ」

◇

王都(ローゼリア)を目前に控えた王国軍。
一騎の斥候が、アドリアンのもとへ駆け寄った。

「報告いたします! 帝国軍は既に北門から撤退を開始した模様です!」

その報告を聞き、近衛隊長のバルザックがこれ見よがしに声を上げた。

「さすがは王太子殿下! 殿下のご威光を恐れ、帝国軍は戦う前から尻尾を巻いて逃げ出したということですな!」

アドリアンが頷く。

「ふむ」

少し考えたあと、彼は傍らのライネル将軍に向き直り、命を下した。

「ライネル。お前は王都へは入らず、帝国軍を追え。剣を交える必要はない。王都近辺に潜伏されても厄介だ。適度に牽制しつつ、奴らの撤退状況を監視するのだ」

ライネルはアドリアンの命令を聞き、一瞬、思考を巡らせた。

(王都入城後に指揮権を渡す約束だったが、随分とお気が早いことだ。……まあ、命令自体は理にかなっている。これなら問題あるまい)

「御意」

「セレス、君は私と共に来てくれ」

「……承知しました」

ライネルの部隊と分かれ、セレスとアドリアンは南城門へと到着した。

(ついに、帰ってきたのね……)

まさか戦うこともなく、さらに王太子と並んで入城することになるとは想像もしていなかった。しかし、ここはかつて自らの責任で失った王都である。セレスの胸に熱いものが込み上げ、目頭が潤んだ。

それと同時に、王都の民に深く恨まれているのではないかという強い不安が胸をよぎる。

(でも、恨まれて当然だわ。私のせいで、帝国軍に殺された民もたくさんいる。その後の占領下で、苦しい思いを強いられた人も数え切れない……)

セレスは、彼らのどんな憎悪もすべて受け止める覚悟で、ゆっくりと馬を進めた。
城門をくぐり抜けると、市民たちが王国軍の姿に気がついた。

バルザックが声を上げる。

「王都の民よ! アドリアン王太子殿下が王都を帝国軍の魔の手から解放しに来られたぞ!」

「おお……王太子殿下だ!」
「本当に王国軍が帰ってきたぞ!」

市民たちは口々に声を上げた。

そして、彼らの視線が王太子の近くにいたセレスへと移った。

「……あ、セレスティーヌ様だ! セレスティーヌ様が帰ってこられたぞ!」

先ほどよりも大きな歓声が上がった。

アドリアンは笑みを浮かべたまま、セレスに顔を向けた。

「王太子の私よりも人気があるとはね。少しばかり嫉妬してしまうよ」

「……いえ、そんなことは」

「気にするな。それよりセレス、聖騎士団駐屯地に兵を待機させたら、そのあと王宮へ向かってくれ。帝国軍の残兵が潜んでいるかもしれん。くれぐれも警戒を怠るなよ」

聖騎士団駐屯地とは王宮と隣接する王都の軍施設だ。

「殿下はいかがなさるのですか?」

「私は近衛隊を連れて、大聖堂や王立劇場(グラン・オペラ)の様子を見てくるよ。王家の大事な施設だからね」

「危険です。先ほど殿下ご自身が、残兵の危険性をおっしゃったではありませんか。せめて、聖騎士団の兵を一部お連れください」

「ありがたい申し出だが、無用だ」

「ですが――」

アドリアンの目が鋭く光った。

「くどいぞ、セレス。入城後の全指揮権は総大将の私にある。忘れたわけではあるまい?」

「……承知致しました」

「では、お互い残兵には気を付けよう」

アドリアンはそう言い残すと、近衛隊を率いて街の雑踏の中へと消えていった。

その一部始終を見ていたセレスティーヌ軍の幹部たちは肩をすくめた。

ミリアがそっとセレスの隣に馬を寄せる。

「セレス様。私たちは、言われた通り駐屯地へ向かいましょうか」

「……そうね」

セレスたちは移動を開始した。
しかしその隊列の中で、エミールだけは数人の精鋭を引き連れ、王宮とは全く異なる方向へと静かに姿を消していくのだった。

◇

王都の一角に建つ旅館『薔薇の棘亭』。
王家に仕える侍女長の姉・ベラが営む二階建て旅館であり、その二階の上には、外からは分からない隠し階が設けられていた。

その大広間には国王フィリップ・ローゼンベルクとリーゼロッテ、そしてウィリアム・フォン・ランカスター公爵とルチア、護衛の兵士数人が身を潜めていた。

ランカスター公爵の表情が鋭くなった。

「……下から金属音がします」

フィリップが息を呑む。

「帝国兵か?」

「いえ、まだ分かりません。ルチア、王女殿下を連れて奥の物置部屋へ隠れなさい」

「は、はいっ……!」

二人が奥へ消えた直後、扉の向こうから店主ベラの張り詰めた声が聞こえた。

「公爵様、王国軍の方々がお見えです!」

バン、と大広間の重厚な二枚扉が勢いよく開き、アドリアンと十数名の近衛兵が踏み込んできた。

フィリップは歓喜の声を上げて立ち上がった。

「おお! アドリアンよ! 無事であったか!」

アドリアンは目を細め、いつもの穏やかな笑顔を向けた。

「父上。ご無事で何よりです。まさかこんなところに身を潜めておられたとは……私も気が付くのに時間がかかりましたよ」

「……」

ランカスター公爵だけは、アドリアンの後ろに控える近衛兵たちから目を離さなかった。

アドリアンは周囲を見渡して言った。

「リーゼロッテは一緒ではないのですか?」

「ああ、それなら――」

フィリップが言いかけるのを、ランカスター公爵が鋭く遮った。

「王家の血を守るため、ルチアと一緒に別の安全な場所に潜伏させております。しかし王太子殿下がこうしてご無事で王都に戻られたと知れば、さぞお喜びになるでしょう」

フィリップは驚いてランカスター公爵を見つめた。

アドリアンは呟く。

「……王家の血か」

フィリップも、ここでようやく部屋に満ちる異様な気配に気づき、取り繕うように慌てて声を掛けた。

「アドリアンよ。さすが我が自慢の息子だ。よく王都を取り戻してくれた」

「……自慢の息子、ですか」

「そうだ! その通りだとも!」

「帝国軍は、本当に無能ですね、父上」

「……? そ、そうだな」

アドリアンは穏やかな笑みを崩さない。

「王都まで落としておきながら、父上一人始末できなかった。おかげで、この私が自ら手を下さねばならなくなったのですから!」

その言葉と同時に、アドリアンと近衛兵たちは一斉に剣を抜いた。

フィリップは理解できず、目を丸くした。

「アドリアン!?」

ランカスター公爵は手を挙げ、号令をかけた。

「王太子殿下がご乱心なさった! 者ども、出合え!」

大広間にあるいくつかの扉が一斉に開き、隣室に伏せていた完全武装の警護兵が、剣を抜いてなだれ込んできた。

「ランカスター卿は抜かりないな。だが、いつまで持つかな」

アドリアンの背後から、さらに近衛兵たちが続々と流れ込んでくる。

物置部屋の細い扉の隙間から、その様子を息を殺して見つめていた二人の少女は、目の前の光景に驚愕した。リーゼロッテの唇が震える。

(ち、父上……お兄様!?)