銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

庭園の中心で二人は対峙した。

夕日を弾くセレスの白銀の鎧は、カイルの麻服と鮮烈な対照をなしていた。

「始めましょう」

剣を握ったセレスは、先程とは異なり自信のある表情で告げた。

「銀光のセレスティーヌの実力をお見せします」

タンッと地面を蹴る音と同時に、カイルの目の前にセレスがいた。

「くっ!」

カイルは予想外の速度に躱す暇もなかった。

バキィッ、と空気を破るような乾いた激突音。カイルはセレスの木剣を受け止めたものの、その凄まじい衝撃に後ろへと押し込まれた。

「なるほどな。噂通り凄まじい剣撃だ」

「いいえ。大抵の方は最初の一撃で決まります。カイル様こそ私の予想を超えてます」

「ふっ……先ほどとは、打って変わってずいぶんと上から目線だな」

セレスの剣筋は芸術品のように美しく、的確に相手の急所を捉えていく。カイルは木剣でそれを辛うじて防ぎ、受け流すのが精一杯に見えた。

(ここまで受け流すなんて。でも、やはり私の方が強い……)

しかし剣が木屑を散らす中で、セレスは違和感を覚えた。

(この人、攻撃するつもりはない……?)

そう感じた刹那、カイルはセレスの強撃を受け流した反動を利用し、不自然なほど大きく後ろへと跳んだ。
距離を離すためではない。――それは「合図」だった。

「――っ!?」

直後、無防備になったセレスの背後から、激しい殺気が突き刺さる。音もなく忍び寄っていた二人の男たちが、一斉に飛び掛かってきた。

「!」

咄嗟の判断で一人目の木剣を弾き、その首筋を柄で打ち据える。
続けざまに二人目が木剣を振り下ろした瞬間、左手で腰の剣を鞘ごと引き抜き、その腹部へ一撃を叩き込んだ。

「さすが、銀光のセレスティーヌ殿。だが終わりだ」

カイルの声に、咄嗟に振り返る。その瞬間、低く傾いた夕日が視界を真っ白に焼き付かせた。

(しまっ――)

次の瞬間。喉元に、木剣の剣先が触れる。

「勝負ありだな」

カイルの声が、冷たく響いた。

セレスは木剣を落とした。
地面に片膝をつき、肩で荒い息を吐きながら彼を激しく睨みつけた。

「卑怯よ……っ!」

「卑怯?」

カイルは片眉を上げた。

「俺は一度も『一対一で勝負しよう』とは言っていないが」

「しかし、『手合わせ』というものは通常、正々堂々と勝負するものです」

「これが『戦(いくさ)』というものだ。貴女は帝国軍相手に『手合わせ』をやっていたのか?」

カイルの瞳は、氷のように冷徹だった。

「勝つためなら、多方向から襲う。姿も隠す」

一歩踏み出したカイルは、静かに告げた。

「だが貴女は、部隊を率いてなお、目の前の敵しか見ていない」

セレスは息を呑んだ。

「それに比べて帝国軍はどうだった? 貴女の用兵の癖をあらかじめ知っていた。兵の数では劣っていたが、それを戦術に入れて中央に誘いこみ包囲した。俺の言う正しい行いというのは、勝つための手段を事前に準備し、実行することだ」

カイルは、泥のこびりついた自分の手に目を落とした。

「麦は蒔いた翌日には実らん。戦も同じだ。勝負は始まる前に決まっている」

カイルはセレスが落とした木剣を拾い上げ、その柄を彼女に差し出した。

「確かに貴女の剣は二つ名に恥じぬ本物だ。だが、それだけでは戦には勝てん」

セレスは、唇を噛みしめた。

「でも、私はヒルデガルドのように……」

「……来るがいい」

カイルは背を向け、城内の一室へとセレスとミリアを案内した。

◇

そこは、古い書庫だった。
天井まで届く本棚には、古ぼけた羊皮紙の書物がびっしりと詰まっている。

「ヴァルデン家には代々、軍事顧問が蓄えてきた記録がある。建国以来、王国が戦ったほぼすべての戦のな」

彼がランプを灯すと、暗がりに棚の一角が浮かび上がった。

「ヒルデガルド・フォン・シーデルランドに関する記録は、ここだ」

そこには、十数冊の分厚い記録簿が並んでいた。
背表紙には、いずれも同じ筆跡で年号と戦役の名が記されている。

セレスはしばし立ち尽くした。

「まさか……実際の、戦闘記録なの?」

「正確には、公式が隠蔽した非公式の記録も含まれているがな」

カイルが一冊の書物を取り出した。

「これが、最も詳細な『北方戦役』の記録だ」

セレスは、震える手でそのページをめくった。

『バルトリナ砦攻略』

◆二月十八日
ヒルデガルド将軍は砦周辺の村落に工作員を放ち、食糧倉庫に放火。同時に、家を失った大量の難民をあえて砦内へと追い込み、守備兵五百名ごと飢餓状態に陥らせる作戦を実行。

◆三月九日
砦内の食糧が尽き、守備兵に餓死者が出始める。

◆同日夜
偽りの和議を持ちかけて北門を開かせ、伏兵六十名を突入させる。
守将オーストロフの身柄を拘束し、これを人質として利用。
「砦を明け渡さねば人質の首を刎ねる」と通告。僅か二時間にて開城。

「……っ」

セレスの指が、止まった。

「こんなの……嘘よ。ありえないわ……!」

「嘘ではない。これが戦争だ」

カイルは、冷徹に言い切った。

「貴女が理想としてきた『聖女将軍(ヒルデガルド)』は、ただの建前だ。本当の彼女は、勝つために手段を選ばない、冷酷な作戦立案者だった。それだけのことだ」

「じゃあ、私の……私の目標は……」

「ただの幻想だ」

鋭い言葉が、セレスの胸を貫いた。
書庫の床に座り込んだ彼女の肩が、激しく震えている。

「どうして……誰も教えてくれなかったの……」

頬を、涙が伝う。

「父上も、先生方も、みんな……!」

「ランカスター公爵は、貴女を『鎧を着ただけの貴族令嬢』として扱いたかったのさ」

カイルは、淡々と真実を突きつける。

「娘が民衆から『聖女将軍(ヒルデガルド)』の再来と崇められれば、舞踏会で踊るだけの令嬢より、よっぽど政治的価値が出る。実戦経験のない娘を、副官や小隊長も経ずに団長に据えたんだろう? 戦わせる気のある親はそんなことはしない」

セレスは、否定できなかった。

力なく俯いた少女の肩は、小刻みに震えている。
銀の髪は乱れ、誇り高き聖騎士団長の面影はない。
そこにいたのは、挫折した一人の少女だった。

見かねたミリアが、たしなめるように口を開いた。

「カイル、やり過ぎよ。もっと、別の言い方が……」

「真実から目を背けてどうする? このまま幻想に囚われていれば、また同じ過ちを犯すだけだ」

セレスは、ただ黙って、唇を血が滲むほどに噛みしめた。

カイルはセレスに向き直った。

「それで……貴女はどうするんだ? 理想の聖女将軍(ヒルデガルド)の伝記や、戦女神(エイリーン)の絵本を抱えて一生終えるか?」

セレスは目を閉じた。
王都での出来事が脳裏によぎる。

助けたかった。必死に剣を振るい、人々へ手を伸ばした。だが、そんな個人の武勇など、燃え上がる王都の絶望の前ではあまりに無力だった。

何が『銀光』か。目の前の敵を斬り伏せることはできても、その背後で消えゆく悲鳴を止めることすら叶わなかったではないか。

このまま逃げれば、もう戦わなくて済む。けれど、それでは自分を許せない。

ゆっくりと開かれた蒼い瞳が、まっすぐにカイルを捉えた。

「カイル様、教えてください! 帝国軍を倒す方法を! 真のヒルデガルドになる方法を!」

「帝国を倒す方法を教えるのは構わない」

カイルは頷いた。

「だが貴女を真のヒルデガルドに変えようとは思わん」

彼の言葉にセレスは眉をひそめた。

「なぜですか? それが勝利の鍵なら……」

「俺はヒルデガルドのやり方がすべて正しいとは思っていないからだ」

カイルの声に珍しく感情が滲んだ。

「彼女もまた、歪んだ英雄だった」

「歪んだ?」

カイルは別の棚から、小さな革表紙の本を抜き出した。

「こちらは記録ではなく、彼女の日記だ」

◆八月二十二日
敵将を処刑。
命乞いをする彼の瞳が、今も焼き付いて離れない。
人としての心はとうに悲鳴を上げている。だが将として、私はその声を殺す。
私が人でなくなることで、この国が守れるのなら、喜んで怪物になろう。
負けるわけにはいかない。絶対に。

「……こういう矛盾が、彼女(ヒルデガルド)を蝕んでいったんだ」

カイルは静かに日記を閉じた。

「勝利の代償として、彼女は多くのものを捨てた。平穏、安らぎ、そして人間らしい心。最後に残ったのは、血塗られた栄光と、底知れない孤独だけだった」

セレスは黙って聞いていた。

「大切なのは貴女自身のやり方を見つけることだ」

カイルは真剣な眼差しで言った。

「ヒルデガルドの方法を知ってなお、彼女のように堕ちない道を進む。それこそが、彼女を超える生き方じゃないのか?」

「ヒルデガルドを超える……私にそんなことができるかどうか」

「最初は俺の言う通りに行動しろ」

カイルは不敵に笑った。

「経験を積みながら、自分だけの戦い方を見つければいい」

セレスはゆっくりと立ち上がり、埃を払った。

「わかりました」

その瞳には再び光が戻っている。

「カイル様の指示に従います」

「カイルでいい。『様』なんてつけるな」

「わかりました。では、カイルも『貴女』なんて呼び方やめてください」

「……わかった。セレス」

彼は少し照れたように視線を逸らした。

ミリアが少し笑いながら言った。

「セレス様。少しカイルと昔話をしたいと思います」

「ええ、ごゆっくり。積もる話もあるでしょうし」

セレスは一礼すると書庫を後にした。

◇

ランプの灯りが揺れる書庫に、二人だけが残された。
ミリアは棚の古い背表紙を、指先でそっとなぞった。

「ここ、変わらないのね」

「来たことがあったか?」

「……忘れたふりをするのは、昔から下手ね」

カイルは答えず、ランプの芯を少しだけ絞った。
ミリアは小さく笑って、話を変えた。

「意外と面倒見がいいのね」

カイルは肩をすくめた。

「頼まれたんだから仕方ないだろう」

「セレス様を連れてきた私が言うのも何だけど……断ると思っていたわ」

「正直言えば迷ったさ」

カイルは窓の外へ視線を向けた。

「だが彼女には何かがある。このまま朽ち果てるには惜しい才覚だ。それに簡単に『正義』など語る甘ちゃんに見えるが、芯は確かにありそうだ」

「それだけ?」

「……それに俺は基本的に善人は嫌いじゃない」

「昔からそういうとこ、あるわよね」

ミリアの表情が柔らかくなる。

「あの手の困ってる人を見過ごせないんでしょう?」

「勘違いするな」

カイルは咳払いをした。

「合理的判断だ。王国の未来を考えれば、戦力を遊ばせておく余裕はない」

ミリアは悪戯っぽく、けれどどこか切なさを滲ませて微笑んだ。

「ええ、分かっているわ。……ありがとう、カイル」

カイルはふっと短く笑った。

「今度は最後まで付き合ってもらうぞ。ミリア」

「今度は」という言葉に、ミリアの指が小さく止まった。
けれど彼女は何も言わず、ただ静かに頷いた。

窓の外では、激しかった一日の終わりを告げるように、夕日が山嶺へと沈んでいく。
二人は並んで、けれど触れ合わない距離のまま、その光景を黙って眺めていた。