「――エミールは即座に兵を集めて火の始末を! セレス、ミリア、残った兵を率いて周囲の警戒に当たれ!」
カイルは本陣の天幕から外へと飛び出すと、矢継ぎ早の指示を飛ばした。
セレスが焦燥を隠せず問いかける。
「カイル、敵は一体どこから忍び寄って火をつけたのかしら?」
隣のミリアが状況から見たままに分析する。
「南の、一番最後方からの火の手が最も大きいわ。南ということは、ルミナリア方面から敵の別動隊が回り込んできたということなのかしら……!?」
南は領都ルミナリア方面。北は主力五万が戦っているアルテール平原。東はローゼンベルク王国とエスタリア連邦を東西に分断する、険阻なる霊嶺オルフェウス山脈。そして西は、貴重な鉱石を産出するクレス山脈。
今、最も激しく火の手が上がっているのは、確かに「南」の方角であった。
しかし、カイルはこの状況に違和感を覚えた。
(――南だと? いや、おかしい。この火の手は敵の騎兵部隊が突入すると同時に、火矢などで外からつけたわけではない。あらかじめ陣の中に潜んでいた工作員が、内側から放火した形跡だ。敵の本命は別の方角にいる。北は主力、東は越えられぬオルフェウスの峰。ならば――)
カイルは叫んだ。
「――クレス山脈の方角だ! 西を警戒しろッ!!」
カイルの声が響き渡った、まさにその瞬間。カイルの読みを証明するかのように、西の暗闇から、大地を裂くような無数の蹄の地鳴りが轟いた。
「くっ、かなりの部隊だな……!」
地鳴りの規模からして、敵の兵力は数千。対するセレスティーヌ軍の本陣は、未だ戦闘準備が完了しているわけでもなく、一部の兵はカイルの指示通り消火活動へと向かってしまっている。完全に虚を突かれた最悪の陣形であった。
「――迎え撃ちます!」
セレスは凛とした声を張り上げると、迫り来る敵軍に向けて、即席の防衛陣形を維持しながら前進を開始した。
上空には月が出ているものの、帝国軍側は夜の闇に紛れてその姿が非常に視認しづらい。逆に、王国軍側は自分たちの篝火と、燃え盛る兵糧の火災によって、その布陣が皮肉なほどに明るく照らし出されていた。
――視界の上での、決定的な不利。
カイルは、前線へ飛び出そうとするミリアの背中に向けて鋭く叫んだ。
「ミリア! エミールは消火にかかりきりだ、お前がエミールの代わりにセレスの護衛に付いてくれ!」
「了解っ!」
◇
一方、突撃してくる帝国軍の先頭の部隊。
黒い軍馬を駆る『疾風の貴公子』ことマクシミリアンは、炎に照らされた王国軍の本陣を睨みつけ、低く呟いた。
「――あれだ!」
マクシミリアンは、周囲に付き従うカシュタインの精鋭たちに向けて指示を飛ばす。
「あれが敵の聖騎士団長セレスティーヌだ! まともに一対一で戦っては絶対に勝てん化け物だぞ! 全員で一気に寄せろッ!」
帝国の騎兵の怒濤の波が、セレスの防衛線へと猛烈な勢いでなだれ込んできた。
セレスも決して単騎で突出せず、周囲の兵たちと複数人で連携して対応を試みる。しかし、敵の狙いは初めからただ一人に絞られていた。帝国兵の精鋭たちはセレスただ一人を集中的に狙って刃を突き立ててくる。
もう少し踏み込んでくればセレスも切り伏せる自信はあるが、絶妙な間合いでけん制してくる。
その大乱戦の最中、どこかで聞き覚えのある、鋭い男の声がセレスに向かって叫んだ。
「――セレスティーヌ・フォン・ランカスター! 貴様の命、頂戴する!」
「マクシミリアン……っ!?」
かつてアルクリーズ城に向かう途中に戦った帝国の士官に、セレスは白銀の剣を油断なく構えた。
マクシミリアンが愛用のレイピアで一閃の刺突を放ってくるか――そう身構えたセレスの予測は、完全に裏切られた。
マクシミリアンは突撃の勢いのまま、なんと手にしたレイピアを、セレスの顔面に向けて力任せに「投げつけた」のである。
キィン、と激しい金属音が響く。セレスは咄嗟の判断で右手の剣を振り上げ、正面から飛来したレイピアを外側へと辛うじて払い、弾き飛ばした。
だが、弾いた瞬間に再びマクシミリアンへと視線を戻したセレスは、息を呑んだ。男はすでに、騎士のプライドなど捨て去った目で、至近距離からボウガンを彼女へと水平に構えていたのだ。
「な……っ!?」
ガチィン、と弦が弾ける。至近距離から、肉眼で捉え切れぬ速度で鉄の矢が放たれた。
セレスは反射神経を総動員し、身体を極限まで捻ってそれを回避する。しかし、あまりにも無理な体勢での回避ゆえ、彼女は愛馬の上から真っ逆さまに落ちそうになるほど、大きくバランスを崩してしまった。
体勢が完全に死んだ。
その致命的な一瞬の隙を見逃さず、マクシミリアンの背後から影のように飛び出してきた一人の騎士が、セレスの首を刈り取るべく容赦なく剣を振り下ろしてきた。
セレスは落馬寸前の体勢のまま、残された力をすべて腕に集中させ、死に物狂いの反撃の一撃を繰り出した。
相手はその一撃を左手で防いだ。
ギィィン!!
激しい斬撃の音が響き、セレスの白銀の刃が、襲いかかってきた敵将の左腕を叩き切った。
だが、切断されたその腕から、血は一滴も流れ出さなかった。
はじけ飛んだのは金属製の義手であった。
「義手……っ!?」
セレスが驚愕に目を見開いた、まさにその瞬間。
頭上から、低く乾いた冷酷な女性の声が響き渡った。
「――これで終わりね。……虚像の戦女神」
その絶体絶命の光景に、セレスの元へ必死に駆け寄ってきたミリアが、叫び声を上げた。
「――エレノア先輩っ!!」
その名前が戦場に響き渡った、一瞬。まさに、刹那の静寂。
捨てたはずの名前だったが、ミリアの悲痛な叫びを聞いた瞬間、エルム・クロウの振り下ろしかけた剣が、止まった。
セレスは、その僅かな隙を見逃さなかった。
バランスを立て直したセレスは、白銀の剣でエルム・クロウの胸元を狙う。
「――覚悟っ!!」
エルム・クロウは己の死を覚悟し、静かに瞳を閉じた。しかし、二人の間に、一人の男が割り込んできた。
「ぐぁっ!!」
セレスの白銀の刃にその脇腹を深々と貫かれ、男がエルム・クロウの盾となって崩れ落ちそうになる。
「――マクシミリアンっ!」
エルム・クロウの残された片目が、驚愕で大きく見開かれた。
この作戦で彼女は、刺し違えてでもセレスと決着をつけるつもりだった。たとえここで敵を倒せなかったとしても、己の命と引き換えにする覚悟だったのだ。
だが、彼女の口から放たれたのは、エルム・クロウとしても、エレノア自身としても予想しなかった命令だった。
「――帝国軍! 引きなさい! 撤退よ! マクシミリアンが負傷したわ!」
エルム・クロウは、残された右腕でマクシミリアンの身体を掴むと、力任せに自らの鞍の上へと引き上げた。
エルム・クロウの悲痛な叫びを合図に、攻め寄せていた五千の帝国軍騎兵は、一斉に西の暗闇へ向けて潮が引くように撤退を開始した。
「カイル! 敵が引いていくわ、追撃は!?」
遅れてきたカイルに、剣を構えたままのセレスが、夜の戦塵の向こうを見据えて叫んだ。
カイルは返答する。しかし、そこにはいつものような歯切れの良さがない。
「……いや、追撃はしなくていい。火の手が激しすぎる。これ以上の大乱戦になれば物資はすべて丸焼けになるぞ、人手が足りん! 消火活動を最優先してくれ!」
――いや、本当は追撃すべきなのだ。カイルはそう考えていた。
敵の指揮官が強引な退却を始めた今こそ、その背後を突いて致命傷を与える絶好の好機。
ミリアの叫びは、駆けつける途中のカイルの耳にも、はっきりと届いていた。
相対する相手が、あのエレノア・クロムウェルでなければ――カイルは迷わず追撃の鉄槌を下していただろう。
「くそッ……!」
カイルは拳を固く握りしめ、自分自身の内にある「甘さ」に対して、激しい苛立ちを覚えた。
非情になりきれなかった己への嫌悪。しかし、カイルはすぐさま頭を切り替え、前線の兵たちの命綱である兵糧の喪失リスクと天秤にかけ、この苦渋の決断に、自分を無理やり納得させた。
カイルは本陣の天幕から外へと飛び出すと、矢継ぎ早の指示を飛ばした。
セレスが焦燥を隠せず問いかける。
「カイル、敵は一体どこから忍び寄って火をつけたのかしら?」
隣のミリアが状況から見たままに分析する。
「南の、一番最後方からの火の手が最も大きいわ。南ということは、ルミナリア方面から敵の別動隊が回り込んできたということなのかしら……!?」
南は領都ルミナリア方面。北は主力五万が戦っているアルテール平原。東はローゼンベルク王国とエスタリア連邦を東西に分断する、険阻なる霊嶺オルフェウス山脈。そして西は、貴重な鉱石を産出するクレス山脈。
今、最も激しく火の手が上がっているのは、確かに「南」の方角であった。
しかし、カイルはこの状況に違和感を覚えた。
(――南だと? いや、おかしい。この火の手は敵の騎兵部隊が突入すると同時に、火矢などで外からつけたわけではない。あらかじめ陣の中に潜んでいた工作員が、内側から放火した形跡だ。敵の本命は別の方角にいる。北は主力、東は越えられぬオルフェウスの峰。ならば――)
カイルは叫んだ。
「――クレス山脈の方角だ! 西を警戒しろッ!!」
カイルの声が響き渡った、まさにその瞬間。カイルの読みを証明するかのように、西の暗闇から、大地を裂くような無数の蹄の地鳴りが轟いた。
「くっ、かなりの部隊だな……!」
地鳴りの規模からして、敵の兵力は数千。対するセレスティーヌ軍の本陣は、未だ戦闘準備が完了しているわけでもなく、一部の兵はカイルの指示通り消火活動へと向かってしまっている。完全に虚を突かれた最悪の陣形であった。
「――迎え撃ちます!」
セレスは凛とした声を張り上げると、迫り来る敵軍に向けて、即席の防衛陣形を維持しながら前進を開始した。
上空には月が出ているものの、帝国軍側は夜の闇に紛れてその姿が非常に視認しづらい。逆に、王国軍側は自分たちの篝火と、燃え盛る兵糧の火災によって、その布陣が皮肉なほどに明るく照らし出されていた。
――視界の上での、決定的な不利。
カイルは、前線へ飛び出そうとするミリアの背中に向けて鋭く叫んだ。
「ミリア! エミールは消火にかかりきりだ、お前がエミールの代わりにセレスの護衛に付いてくれ!」
「了解っ!」
◇
一方、突撃してくる帝国軍の先頭の部隊。
黒い軍馬を駆る『疾風の貴公子』ことマクシミリアンは、炎に照らされた王国軍の本陣を睨みつけ、低く呟いた。
「――あれだ!」
マクシミリアンは、周囲に付き従うカシュタインの精鋭たちに向けて指示を飛ばす。
「あれが敵の聖騎士団長セレスティーヌだ! まともに一対一で戦っては絶対に勝てん化け物だぞ! 全員で一気に寄せろッ!」
帝国の騎兵の怒濤の波が、セレスの防衛線へと猛烈な勢いでなだれ込んできた。
セレスも決して単騎で突出せず、周囲の兵たちと複数人で連携して対応を試みる。しかし、敵の狙いは初めからただ一人に絞られていた。帝国兵の精鋭たちはセレスただ一人を集中的に狙って刃を突き立ててくる。
もう少し踏み込んでくればセレスも切り伏せる自信はあるが、絶妙な間合いでけん制してくる。
その大乱戦の最中、どこかで聞き覚えのある、鋭い男の声がセレスに向かって叫んだ。
「――セレスティーヌ・フォン・ランカスター! 貴様の命、頂戴する!」
「マクシミリアン……っ!?」
かつてアルクリーズ城に向かう途中に戦った帝国の士官に、セレスは白銀の剣を油断なく構えた。
マクシミリアンが愛用のレイピアで一閃の刺突を放ってくるか――そう身構えたセレスの予測は、完全に裏切られた。
マクシミリアンは突撃の勢いのまま、なんと手にしたレイピアを、セレスの顔面に向けて力任せに「投げつけた」のである。
キィン、と激しい金属音が響く。セレスは咄嗟の判断で右手の剣を振り上げ、正面から飛来したレイピアを外側へと辛うじて払い、弾き飛ばした。
だが、弾いた瞬間に再びマクシミリアンへと視線を戻したセレスは、息を呑んだ。男はすでに、騎士のプライドなど捨て去った目で、至近距離からボウガンを彼女へと水平に構えていたのだ。
「な……っ!?」
ガチィン、と弦が弾ける。至近距離から、肉眼で捉え切れぬ速度で鉄の矢が放たれた。
セレスは反射神経を総動員し、身体を極限まで捻ってそれを回避する。しかし、あまりにも無理な体勢での回避ゆえ、彼女は愛馬の上から真っ逆さまに落ちそうになるほど、大きくバランスを崩してしまった。
体勢が完全に死んだ。
その致命的な一瞬の隙を見逃さず、マクシミリアンの背後から影のように飛び出してきた一人の騎士が、セレスの首を刈り取るべく容赦なく剣を振り下ろしてきた。
セレスは落馬寸前の体勢のまま、残された力をすべて腕に集中させ、死に物狂いの反撃の一撃を繰り出した。
相手はその一撃を左手で防いだ。
ギィィン!!
激しい斬撃の音が響き、セレスの白銀の刃が、襲いかかってきた敵将の左腕を叩き切った。
だが、切断されたその腕から、血は一滴も流れ出さなかった。
はじけ飛んだのは金属製の義手であった。
「義手……っ!?」
セレスが驚愕に目を見開いた、まさにその瞬間。
頭上から、低く乾いた冷酷な女性の声が響き渡った。
「――これで終わりね。……虚像の戦女神」
その絶体絶命の光景に、セレスの元へ必死に駆け寄ってきたミリアが、叫び声を上げた。
「――エレノア先輩っ!!」
その名前が戦場に響き渡った、一瞬。まさに、刹那の静寂。
捨てたはずの名前だったが、ミリアの悲痛な叫びを聞いた瞬間、エルム・クロウの振り下ろしかけた剣が、止まった。
セレスは、その僅かな隙を見逃さなかった。
バランスを立て直したセレスは、白銀の剣でエルム・クロウの胸元を狙う。
「――覚悟っ!!」
エルム・クロウは己の死を覚悟し、静かに瞳を閉じた。しかし、二人の間に、一人の男が割り込んできた。
「ぐぁっ!!」
セレスの白銀の刃にその脇腹を深々と貫かれ、男がエルム・クロウの盾となって崩れ落ちそうになる。
「――マクシミリアンっ!」
エルム・クロウの残された片目が、驚愕で大きく見開かれた。
この作戦で彼女は、刺し違えてでもセレスと決着をつけるつもりだった。たとえここで敵を倒せなかったとしても、己の命と引き換えにする覚悟だったのだ。
だが、彼女の口から放たれたのは、エルム・クロウとしても、エレノア自身としても予想しなかった命令だった。
「――帝国軍! 引きなさい! 撤退よ! マクシミリアンが負傷したわ!」
エルム・クロウは、残された右腕でマクシミリアンの身体を掴むと、力任せに自らの鞍の上へと引き上げた。
エルム・クロウの悲痛な叫びを合図に、攻め寄せていた五千の帝国軍騎兵は、一斉に西の暗闇へ向けて潮が引くように撤退を開始した。
「カイル! 敵が引いていくわ、追撃は!?」
遅れてきたカイルに、剣を構えたままのセレスが、夜の戦塵の向こうを見据えて叫んだ。
カイルは返答する。しかし、そこにはいつものような歯切れの良さがない。
「……いや、追撃はしなくていい。火の手が激しすぎる。これ以上の大乱戦になれば物資はすべて丸焼けになるぞ、人手が足りん! 消火活動を最優先してくれ!」
――いや、本当は追撃すべきなのだ。カイルはそう考えていた。
敵の指揮官が強引な退却を始めた今こそ、その背後を突いて致命傷を与える絶好の好機。
ミリアの叫びは、駆けつける途中のカイルの耳にも、はっきりと届いていた。
相対する相手が、あのエレノア・クロムウェルでなければ――カイルは迷わず追撃の鉄槌を下していただろう。
「くそッ……!」
カイルは拳を固く握りしめ、自分自身の内にある「甘さ」に対して、激しい苛立ちを覚えた。
非情になりきれなかった己への嫌悪。しかし、カイルはすぐさま頭を切り替え、前線の兵たちの命綱である兵糧の喪失リスクと天秤にかけ、この苦渋の決断に、自分を無理やり納得させた。
